2015年02月17日

個から孤へ。

20代の母親が幼い我が子二人を殺害した事件が発覚しました。

このブログでも今まで何度もこれらの問題を取り上げて来ましたし、訪問して下さる方からも「 時事ネタも取り上げて下さいね」と言われています。

私のブログのメインタイトルは言うまでもなく『結果が大事』ですが、そのタイトルの指し示す意味や意義についても語って来ました。


「中身を伴わない結果は意味がないし、結果を伴わない中身にも意味はない」


長年このタイトルでやって来ての私の想いは上の通りです。

サッカー日本代表の選手の中でも遠藤選手始め数人は「結果は出なかったけどいい戦いが出来た。これからに向けて良い経験になった」と語ります。

その点、内田選手などは結果にこだわるし「良い経験になりました」などのコメントは出ないですね。

日本人のメンタリティには遠藤選手のような考え方が合うのかもしれませんが、ワールドカップが良い経験だったと言うならアジアカップでのベスト8止まりに説得力がありません(いつ経験を生かすの?)


今回の20代の母親は出産経験を経て二人目を産んだのに彼女にどんな闇が生まれたのか?


『個』の尊重が叫ばれ出してかなりの年月が経過しました。
核家族化が加速する中でそれぞれが『孤』になるならば、『自由』の無駄遣い。

制限された『自由』の中でしか本来の『自由』を得られないのなら私達は自らのちからで『抑制』するしかない。

『正義』でも『経済力』でも『自由の謳歌』でもない『良識』が人間の評価の尺度にならない限り、個人としても 集団としても迷走が続くだろう。


『結果』と『過程』は決して別ものでない。


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2015年02月15日

祭りのあと…

祭りのあとと言っても私はチョコ祭りにはほぼかかわっていません。

昨日は夜になっても「チョコ用意してまーす」メールが止まりませんでしたが、公言通りこの一週間は一切飲み屋には立ち寄りませんでした。

あくまでも「お店に来て受け取ってね」であって、「渡したいのであそこの交差点に来てね」ではありません。

私は昨日の午前と午後にひとつずつ一般人の女性からチョコレートはいただいたので、チョコレートを貰うためにこちらが5000円も10000円もつかうことにはなりませんでした。


今日は夜にCSでスピードスケート世界距離別選手権を見ていましたが、女子500mでは小平奈緒選手が銅メダル、女子のチームパシュートが金メダルを獲得しました。
チームパシュートに至っては圧倒的実力のオランダチームに僅差での勝利だったので驚きました。

オランダチームは金メダルを確信しての走りで前半から飛ばしに飛ばしましたが、三人のうち一人が失速し最後の最後に日本チームのタイムを下回りました。

チームパシュートは中学生で五輪代表となったあの高木美帆選手もメンバーなので注目していましたが、お姉さんと共に出場した大会での優勝は本人にとっても格別の思いになったはずです。

小平選手も10年近く世界レベルの大会に参戦し続けての結果(最近はオランダに武者修行にも出ていた)だけに素晴らしい偉業です。

錦織選手といい彼女達といい世界を視野に戦い続ける人間には本当に力と勇気をもらえます。

それを考えるとバレンタインに飲み屋の女性から誘われてどうしてスルーしようかと葛藤する自分自身のあまりのスケールの小ささに愕然としますね。

今、やはりCSで『カノジョは嘘を愛しすぎてる』を見ていますが、劇中で歌う大原櫻子さんが素敵ですよね。

世界と戦うわけでなくても私のようなオッサンを感動させる彼女は輝いています。

きっと素敵な生き方は誰にでも出来るんですよね。

昨日の午後に私の自宅の新聞入れにそっとチョコレートを入れてくれた女性は離婚当時から話を聞いてくれた同年齢の女性です。
二年に一度程度ランチを一緒に食べる程度の関係ですが、誰からもチョコレートをもらえないだろうからと配慮からほぼ毎年くれます。

そんな彼女から「あんな格好悪いオッサンなんかほっとこ」と言われないためにも男磨き・人間磨きは続けないとなりませんね。

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2015年02月13日

言い続けても…

光TV のビデオサービスで大根仁監督で2013年にインディーズ公開された『恋の渦』を見ました。

そしていつも人間は基本的に全員クズや!と言い合う仲の長男にも強制的に視聴させました。

まー登場人物のほとんどがクズで、私達の理論が証明されホッとしています。


さて、そんなクズ達の祭りでもあるバレンタインの季節が来ています。

この5年間「俺だけには声をかけないで下さい」とかたくなにチョコレートの受け取りを拒否し用意された何個もの生チョコレートを台無しにしているのに、何故か今年も「用意してるから待ってるね!」との何件かのメールが。

いやいや、例え千円するチョコレートだったとしても一万円以上出して受け取りに行くことになるんですが…

渡すだけならそのへんの交差点でも渡せるんすけど???

と言うわけで今年もほとぼりがさめるまで夜の街には寄り付きません。
て言うかそれ以前に7日の時点でメンタルはほぼ底なので…


人はそれぞれ誰かとの物語を作りますが、飲み屋の方々が作る物語と私が飲み屋の方々を対象に作る物語の一致点は極僅かなのでしょうね。
と言うより私は白紙の台本を手に人生の舞台に臨んでいます。
ただ、そろそろアドリブにも限界が来ているかもしれないので、台本に書き込む準備が必要なのかもしれませんね。
posted by tetsukazu at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月07日

そして父に…

9時までそばで寝ていた長男は夜勤勤務に向かいました。

思い返せば私達家族は息子達が小学六年生になるまでひとつの部屋で横一例に寝ていました。

私が誰かれ構わずしがみつきながら寝ていたので、全員のひんしゅくを買っていましたが(笑)

ところが子供達が中学校に上がる頃から二人が相次いで不登校になり、その後5年ほどは一度も家族で外食していません。
妻はそんな息子達や学校に対して何もリアクションを起こさない私を見て絶望したことでしょう。
そしてその頃から妻の相談相手は塾の先生になり、部屋にこもる息子の説得に何度も足を運んで来られました。

離婚時も相談相手になっていたようですが、出て行った後にも彼女を支えてくれたのだろうか?

不満はあったにせよ私といる間はただの一錠も薬を飲まなかったのに、彼女は今や山盛りの薬を飲んでいて歩行もやっとの状態です。私は優しさを出すフリも出来ないし基本的には困難は自らの力で乗り越えるものだと考えます。
とは言え次男が私立の高校へ進学出来たのは彼女が近畿中を走り回ったからです。
そしてその恩義は一生消えません。

子供達が小学生の頃、長男を持ち上げていると必ず次男が乱入して来ました。スキンシップとの面では日本一だったかもしれないし二十歳を過ぎた今でも三人でゲーム大会が出来るのはそれがあったからです。

やはり今の私はスキンシップに飢えているのだろうか。

次男があの時あいつに殴られていなかったら私達家族は…
とか、仲介に入るはずの担任が課題を運ぶだけの伝書鳩でなかったら…
と言ったところで時は不可逆です。

今、私までメンタルを崩しすわけにはいきません。

あほほどギャンブルしたりあほみたいに飲み歩く以外にもメンタルを保つ方法はきっとあるはず。
周囲は「そろそろ誰かとお付き合いしたら?」と言いますが、夜の世界以外で接点があった独身女性はほぼ皆無です。

もし子供達の不登校が神様のいたずらなら私の今後に対しても気のきいたいたずらをしてくれることでしょう。

お金を出せば女性は相手してくれるし今週の月曜日に行き5万ほど支払った水着バーの女性からもさっき直電で「今日も来ますよね」と誘われました。
週10万ペースで月40万。やはり無茶苦茶な世界ですね。悪魔もいたずらするのかなー。

こう書きながら私は風邪でうなされ別の意味でメンタルが最悪てす。
死ぬまでに抱きしめ合える相手は現れるのだろうか?
posted by tetsukazu at 22:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絶望からの救世主。

正直今日は人生詰んだと思いました。

年末から年始にかけていい感じに安定した生活が続いていたのに、知り合いの店のオープンを祝いにその店に飲みに行った日に朝まで飲んで、気がつけば10万単位の金が消えていました。
飲み始めてから飲み終わるまで約12時間。
結局4軒件はしごして最後はへろへろでした。
おまけに何を思ったか翌日以降にギャンブル三昧でやはり同じ程度の金が飛んで行きました。

今日は今日で昼からWINSで惨敗(メインまでもたず)
残った金はきれいに近くのガールズバーで使いました。
正直これで「一線越えた」との思いになり、子供達には前向きに生きる気力がなくなったと伝えた上で、社会の第一線から退くつもりでした。

離婚後のこの5年、結婚生活に代わる喜びとして想像出来る範囲の、20代で独立した時のような充実感を味わえないかと思い、ギャンブルや飲み屋通いや給料をもらう現場であがきましたが、自分の「クズ」さ加減を思い知るだけでした。

そして越えてはならない一線を越えたなと思った今日、やり過ごすことの限界の中、結婚生活の意義に完膚なまでに打ちのめされました。

そうなると最早生ける屍です。

現実的には交際や再婚が無理な状況でそれに代わるものがない今、あるのは敗北感だけです。


と放心状態で布団にくるまっていると長男から電話が…

以心伝心との言葉は死語かもしれませんが、人生が詰んだと拗ねているおっさんのところにも関わりのある人間がいるんやと最悪なメンタルからは脱しました。

息子には「やっぱり俺は裁判してでも印鑑押さなかったら良かったのかな」と弱音を吐きましたが、息子は「いや、俺もあの頃北新地の高級キャバに入り浸りで親の離婚話を真剣に聞く余裕がなかったんや。その点は悪いと思ってる」と声をかけてくれました。
そして更に「以前俺は、人生はクソゲーと言ったけど、人間そのものがクソな存在なんや。親父は本も読むし色々な人とも話すると思うけど、一度だってそれらの教訓が自分の衝動的な行動に勝ったことあるか?」

「そやな、お前の言う通りやな。無意識に俺は自分自身を過大評価してたのかもな」これからは自分自身に対しても誰かに対しても塩対応でいいのかもな」

「AKB48の島崎さんの{私に期待しないでー♪}は人間の本質をついた言葉にも思えるわ」


俺にはこんな近くに勇気をくれる奴がいる。絶望するのは少しだけ早いかもしれない。
posted by tetsukazu at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

賭け続ける男(急)第22話

最近、テツが派手に遊んだと聞いでマサが心配して駆け付けたようだ。


マサ‥何か最近、キャバクラや水着パブやガールズバーを梯子して派手に金を使ってるらしいですね。

そんなことしてて息子さんの卒業制作展には行けるんですか?
俺は意地でも性風俗には行かん!とか言ってますが、水着パブで5万も6万も使うなら性風俗の方が目的がはっきりしてますよね。

で、水着パブの女の子っていくつなんですか?

テツ‥21才やけど何か?

マサ‥「キモい」
あのね、人間には良識というものがあるはずなんですが、どっかに落としました?
今のままなら先日捕まった小向容疑者レベルのカブキ者ですね(悪い意味で)。
で、まさか口説いたりしてませんよね。
相手は未来永劫一ミリも恋愛感情は持たないですから。

テツ‥今のところな(フフ)。
でも俺が「とにかく男と女は仲良くなることが大事や。いくら付き合っても付き合ってない奴との方が仲がいいなんてことあり得るしな。最初は食事して映画みて遊園地行ってみたいなデートが、そのうち会った直後にホテルに行く的な展開になって来たら危険信号やな。その点僕はAちゃんと仲良くなることしか考えてないし、深い仲になって仲良さのレベルが低下するなら俺はずっと今のままの状態で満足やで」
と言ったら、次の日のメールで「私達少しは仲良くなれたかな」と返って来た。
ちょっとしたことやけど、言葉に出したことを守ることでお互いが信用を積み重ねるということや(ドヤ顔で)

マサ‥いやいや、ドヤ顔やわ話長いわしお前が言うな(あっ!?)テツさんが言うかですし、結局下心を隠すためには手段を選らばないとの話でしょ。

テツ‥うーん、まだまだやな。この5年強の間、どんなに仲良くしていた子でも手を出してない俺のことを過小評価してるよな。

マサ‥だから、手を出したら後のフォローが面倒だからでしょ。
それより数ヶ月単位で仲良くする子を入れ替えた方が楽だと思ってるんでしょ。さーおっさん吐け(あっ!?)おじさま正直に。

テツ‥もーええわ、もう恋なんてしないなんて絶対言わないなんて言わない!

マサ‥アカン、手に負えん。恋ばなは腹一杯なんでせめて競馬の予想でもして下さい。

テツ‥まーお約束の展開やな。今日の東京メインの白嶺Sは三走連続大野騎乗の5番サウンドトゥルーの複勝でいけるやろ。


テツはあらゆる手段で言葉探しを続け過去の自分に語りかけているのだろう。
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2015年02月05日

最大のペナルティ。

何年か前に多額の公金を横領して最後に海外で捕まった日本人男性がいたが、彼が刑務所を通じて受ける最大の罰は『自由と権利の制限』

その事実だけを見れば、自由の制限には数億円の価値があると言えるし、他殺行為は死刑の執行をもって自殺行為と同質のものとなる。

他者殺し=自分殺し

自由=数億円の価値


高度文明社会に存在する我々は嫌でもそのシステム内で生きるしかない。

個人として他者を殺さず、個人として自分を殺さず、個人として可能な範囲で自由を行使する。

そんな当たり前の日々を当たり前と思わず全う出来れば人生は最低限の幸せを用意するだろう。

例え結婚しなくても自分の食糧を自分で確保する愚直さがあれば、社会から非難される筋合いはない。

確かに、社会システム維持のためには子供を作ることが有用だが、それが個人の犠牲ばかり伴うものなら自分の意思で生き方を選択すれば良い。

12才の女性アイドルが、市販のボイスチェンジャーを使用して深刻な状況となっているが、それがアイドルという職業を選んだ自由選択の結果ならば、彼女はこの現実を受けとめる以外術はない。

ある意味殺人機械と言える車が街中を日々走行しているが、自動車会社を訴えたところでどうなるものでもない。

社会システムの荒野を歩むのは綱渡りのようなものかもしれないけれど、そのシステムを知る努力をすることで攻略法も見えてくる。

幸い日本は健康保険制度や生活保護制度が機能している。
行政の申請主義というハードルはあれど、俗に言うメンヘラになり摂食障害になったりリストカットをするほど絶望的な社会ではないはずだ。

自分で自分の食糧を 確保して一定の自由を行使する。
まず、このことからしか何も始まらない。
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2015年02月04日

今を抱きしめて。

今日は久々にボランティア仲間の女性達と雑談をしました。
いつもいつも「面倒くさい奴」扱いされる私なので、最近はもっぱら聞き役に徹しています。

そこで今日の話題のひとつですが、それは「男が心にもないことを女に語りかけても女は見抜くしよほど鈍感な女でない限り下手な小細工はばれる」です。

上辺だけでいくら女性を褒めても心にもないことであれば相手の気持ちを揺さぶれないらしい。


うーん…


そして心を込めて相手に接すれば、その何倍もの気持ちが返って来るのも女という生き物らしい。


男だったらくよくよするなとか男だったらは潔く諦めろとか言いますが、なかなか出来た言葉です。

そもそも数百年前までは男の命なんて軽いものでした。

誰が何と言おうと私だけは認める」「誰が何と言おうと俺だけは認める」

明日が約束されない人生の中で、誰かとそんな関係を築き合えたら人生は素晴らしく輝くでしょう。

愛してやまない吉田拓郎の『流星』の歌詞はいつも力を与えてくれます。


流れる星は今が綺麗で
ただそれだけに悲しくて
流れる星はかすかに消える
思い出なんか残さないで
君の欲しいものは何ですか?
僕の欲しかったものは何ですか?


人は人とは一期一会の出会いを繰り返す。
どんなに仲良くなってもその関係が明日からも続く保証がない。
だからこそ、今のこの瞬間が切なくそして輝く。

私は輝く星であり続けられるのだろうか?

例のコスプレっ子が歌う時、彼女の周囲の空気は一変する。
私はその感動を噛みしめながら、必死で真剣に心を込めて歌い返す。

そこは思惑も打算もない世界。
互いの人生が一瞬だけ絡み合い光を照らし合う。

そして理屈では語り尽くせぬものが確実に存在する。

過去にも語りましたが、私は過去に一人だけコスプレっ子と同じ眼をした女性を知っています。

その女性は私が関東地方で勤務している時のスタッフでしたが、私がどんな窮地追い込まれても最後まで味方してくれました。

既婚者だったので抱きしめるわけには行きませんでしたが、関西に戻る時には「最後までありがとう。これからは最初から最後まで手を抜かず隙をみせず頑張るよ」と声をかけ関東を後にしました。

『今を抱きしめて』という歌もありますが、私はいつの時代も『今』に全力を注いで来ました。
時には空回りもしますが、誰かは必ず見てくれています。私はこれからも『今』を抱きしめる。
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2015年02月03日

ほぼ詐称レベル?

私は年齢より若く見られることも多いのですが、そんな私が「えっ?お世辞なら完全アウトやろ」と感じるほどの会話が今年に入りあったので報告させていただきます。

飲み屋での年齢当てクイズを極端に敬遠する私だけに普段は女の子が私の年齢を推測で口にすることはないのですが、たまたま一方的に年齢当てをする女性から今回は約17才若く見られてしまい最早『年齢詐称』レベルですね。

私が「そんな若いわけないやろ」と言っても「そしたらあと2才か3才上ですか?」と言って来たので、「その話はまた後で」とかわしました。

どんなこと言おうがこんな話は自慢話にとらえられるのでしょうが、さすがにここまで錯覚されてしまうと困惑します。
私が本心て若く見られて気分よくなりたいなら、飲みに行くところ飲みに行くところで年齢当てクイズをやって「えーっ!わっかーい」とかのリアクションを楽しむでしょう。
しかし私は楽しみの本質がそんなところにあるとは思っていません。

一期一会の場で目の前の女性の心にどれだけ足跡を残せるかの勝負に臨んでいる面はありますし、年齢や立場を超えて自分自身の考え方を伝え相手の魅力を引き出すことへの緊張感が楽しいのは間違いありません。

例えば、「私は夜のお仕事を続けている間は彼氏を作らないって決めているんです」と真顔で語る女性に対しては、「夢を提供する場なのにそんなこと言ってしまったら、結局客にはお店の女性と付き合える可能性はゼロ%なのかと思わせてしまうから、彼氏作らない発言を続けるなら、{でも人間は思った通りに進めるとは限らないからある日突然お客さんの誰かと恋に落ちることもあるかもしれないですね}程度の言葉は付け加えたらいいと思うよ」と言葉を返します。

そしてそれを言われた目の前の女性は一瞬だけ涙ぐみましたが、すぐに笑顔で「言われてみればそうですね」と言葉が返って来ました。

今書いているこの文章をご覧になっている方がもしいれば、「それで?だから何?」との感想になるかもしれませんが、私にとっては『小さなドラマ』が生まれる瞬間です。

まさか相手が涙ぐむとは思っていませんでしたが、入店4日目の彼女の瑞々しい感性に触れた瞬間でした。

定期的に夜の街に向かうことはないと思いますが、もしまたその女性に会う時は、「彼氏とかは作る気あるの?」とのプロレス的な予定調和質問をすることで、私と彼女との『小さな世界』が生まれるような気がします。
posted by tetsukazu at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月31日

遅くなりましたが。

日常に追われている間に、1月15日が過ぎてしまって自分に少しがっかりしています。

短い間でしたが女性オートレーサーとして精一杯戦っていた『坂井宏朱』さんが練習中の不測の事故により亡くなられてから今年の1月15日で3年になりました。

彼女の所属していた船橋オートレース場は選手の署名活動が行われる中、廃止の方向で進んでいます。

大人の事情とは言え、希望を胸にオートレースの世界に飛び込んだ坂井さんは今頃どんな心境なのでしょうね。

デビュー後、私のブログで何度か触れていたのに時の経過と共に彼女の命日をスルーしてしまう自分の余裕のない人生と口ほどにない偽善性には自己評価を下げる他ありません。

彼女が生きられなかったこの3年間、私は胸を張って精一杯生きたと言えるのだろうか。

彼女の命日は来年も再来年もやってきます。

ブログ上でどんなに綺麗事語っても彼女に対する想いの風化振りが露呈することで値打ちは半減します。

本当の意味での人間の評価は、こんな事柄と誠実に対峙しているかで成されるものだと思います。

来年の今頃、私は彼女に対して「無駄に生きていないよ」と言えるのだろうか。

合掌。
posted by tetsukazu at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月29日

やってしもた。

またまたのバカエントリーのためどうぞスルーして下さい。

人との出会いを単なる『偶然』と位置付けない私にまたひとつの出会いが…?


夜の街卒業宣言から10日。自分自身との約束はどうなっとるんや!状態なのは認めますが宣言前の約束もあり色々あって昨夜三軒梯子しました。

そして梯子三軒目は十数年振りとなるクラブ遊びでした(お店の内容はご想像にまで)。

この5年、彼女も作らず風俗も通わずの私には、あともう一歩で風俗の領域に入る直前のぎりぎりのラインです。

自称初勤務から三日目の25才不思議ちゃん系女性(見かけは21才⇒お店の責任者も伊達に面接していない)と一緒にはしゃぎました。
帰り際にはLine交換してくれます?
と言われましたが、「悪い、ガラケーやねん」と言ったら私のケータイを手に取り自分のスマホに電話をし結果的に番号交換となりました。

その不思議ちゃんは「今度付き合うとしたらその人が結婚相手のつもりで付き合う」と言ってましたが、私は速攻で「いやいや、それなら大多数の結婚対象外の男を相手にする職業を選択するのはおかしいやろ!」と突っ込みました。
すると「じゃあ30才位で結婚しますね」と不思議アタックで返して来ました。

彼女は、メイド喫茶(カフェ)に一緒に行こうとも言っていましたが、男と言う生き物は女に安心感を持たれた者勝ちやなと勘違い込みで感じました。

更に不思議ちゃんらしく延々と一人暮らし時のホルダー(ポルダー?)ガイスト現象とお祓いをしに来た謎の男性のことを語っていましたが、100人いたら98人まで「話なげ〜〜それでオチは?」と突っ込むでしょう。

そしてそんなこんなで朝6時に帰宅して目覚ましなしに8時に完璧に起床して何事もなかったかのように仕事に向かう私こそ不思議ちゃんかも?
私は最近では、「どうして昔あんなに女性とのスキンシップを求めたんやろ」と感じ始めていましたが、お仕事とは言えスキンシップを拒まない不思議ちゃんを見ていると、「そうか、守備範囲の年齢で守備範囲の女性が、グローブに向かって飛んできたら普通にキャッチするよな」と思いました。

ポジション以外のところに飛んだ球にも食らい付く奴もいるけど、基本はフィールドに立つからこそ球も飛んで来るわけであり、堅実な守備力なら一試合に一球程度はキャッチ出来ますよね。
夜の世界は留年の可能性もありますが、せっかくなので足跡のひとつ位残してみようかな…
posted by tetsukazu at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月27日

悲劇はどうして繰り返し起きるのか。

この場では今まで何度も男女や親子にまつわる事件を取り上げて来ました。

そしてそれらの事件は今も起き続けています。

最近では、26才の既婚男性警官が、交際相手であった23才の女性を殺害した事件もまた衝撃的でした。

人間は、どんな近くに存在する場合でも他者の気持ちを完全な形で理解するのは物理的にも困難です。

だからこそ人は自分の気持ちに正直でいたいと思うし、被害者の女性も相手を好きな気持ちが抑えられなかったのでしょうね。

一方、男性はと言うと結果的に相手を殺してしまったわけなのですから、どこか深層心理の上での『殺人願望』が闇の存在として心に巣くっていたのかもしれません。

被害者の女性にはお悔やみ申し上げますが、不謹慎ながら愛する男性に殺されたことで他の男性を愛することも出来なくなったのですから『殉愛』を貫いたことになりました。

そうであるならば、加害男性が被害者の女性に対してどのような『質』の愛情を持っていたのかが同性としては気になります。

仮に『性のはけ口』の要素があったとすれば、いかに自分の頭で考えることなく生きて来たのかが推測出来ます。

週刊誌の『美しくなるためのセックス』などの特集は無責任としか言えないし、バージンロードという言葉の語源と資本主義社会の概念がいかに解離しているかがはかり知れます。
23才の女性にとってはバージンロードを歩き始めてたつもりが、目線の先に別の女性がいたようなものだったのでしょう。


以前にも書きましたが、人間も動物なので『メリットの法則』に従って生きているおり、原理的に『他者への愛情』を優先するのは困難です。

加害者にとって被害者女性が『デメリット』な存在となった瞬間、『眠っていた原始的な動物本能』が目覚めてしまったのでしょうね。

そして殺害のその時、理性に理性を積み上げで出来た人間社会の法律・ルール・道徳・礼儀と言ったものを動物本能が凌駕したのでしょう。

動物の要素を捨てることで人間になるのか?それとも「他者を愛することこそが本能をも満たす究極の自己愛の裏返し』なのか?

私達は今日も己の肉体と心をもて余し、そしてつまずきながらも誰かと互いを磨き合いながら生きて行くしかないのだろう。
posted by tetsukazu at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

自分が変わらないと何も変わらない。

今の私は、誰かと会話したいと思っても夜のお店に行く位しか術がありません。
ギャンブルにうつつを抜かしていたこともあり、同世代で親友と呼べる人間もいないし唯一継続した話し相手であったパートナーも今は側にいません。

人嫌いで一人でいるのが何より好きと言うほど孤独を愛しているわけでもないし、それどころか歌う歌は「あなたに出会えて良かった」的なものが中心。

息子に言わせると私のようにブログを続けるのは『自己顕示欲』の反映らしいし、私自身もこの場で「かまってちゃん」であることを否定していません。

そして夜の街の女性達は、そんなかまってちゃんを絶好のカモとしてターゲットにするのでしょう。

私は、昔から活字中毒だし映画やドラマ好きでもあります。

しかし、生身の女性からの影響を受けることで自分自身を変えて来たのも事実です。

夜の世界の女性に今まで何回か、日本の人口って何人?と聞きましたが、「三億人」とか「六十億人」とか「五百万人」とか「百万の上の単位って何人やったっけ?」とかの返答で、私は「日本の人口を知っていることと幸せとは全く関係ないし、人間の魅力とも関係ないのかな?」と思わされます。

ブログでも語りましたが、数年前にある女性から「AやらBやらの例え話されても頭がついて行けないしそんな面倒くさい話はお願いなのでやめて下さい」と言われました。
そんな時、私は素直に言うことを聞くんですよね。
それ以来、女性に対してはただの一度も「例えばAとBがいたとして…」などの話はしていません。

確かに、日本の人口や都道府県の名前に全く興味ない人間にAとかBとかの話は無理があります(特定の女性を揶揄しているのではなく、自分自身が物事を掘り下げ過ぎなことの反省も含めてです)。

日本の人口を知らなくてもその女性は私の目の前で半端ない位のレベルで楽曲を歌い上げますし私の心を揺さぶります。

私は他者から「もっとシンプルに考えるべき」と言われ続けた人生でしたが、同時に偏ったジャンルで超シンプルに欲望を開花させて来た人生でもありました。

全く違う価値観を持つ男女であっても触媒になるものがあれば溶け合えるだろうし互いを高め合うことも出来るでしょう。

私にとってのちょうど良い『シンプル』が見つかった時、私の人生はようやく転換するのかもしれませんね(小保方さんと笹井さんの関係などは融合未遂としてアンチテーゼになるかと)。
posted by tetsukazu at 05:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月25日

切なさを抱きしめて。

何だかとても疲れていますが、リンク先の方の記事を見て少しは元気をもらいました。

オデキさんは辛い状況の中、前を向いて生きて行こうとされているし、けん♂さんは心を打つ記事を書き続けられています。

そんなけん♂さんの今日の回顧記事の中での『強い意志を持った騎乗』との表現にはハッとしました。

この五年間、流され続けて来た私には耳の痛い言葉です。

新しい家庭を持つために努力したわけでもなく、復縁を望んでアプローチしたわけでもなく、かといって一人で生きて行くぞとの強い意志があったわけでもありません。

行き付けのお店の女性スタッフから「来週必ず来てねハート」とのメールが来て、行ったとしても「お先に帰ります」と先に去られた時など「俺は何でここにこうしているんやろ」と思ってしまいますし、かといって最後までいてアフターでどこか行った場合は満足かというと、翌日は死んだように戦力ダウンするしそれはそれで昼の世界と健康に支障をきたします。

今、流星ワゴンという良質のドラマの第2話を見終えました。
運命は変えられないけれどものの見方や考え方は変えられるとのメッセージは伝わりますし、人生は楽しくないより楽しい方がいいんだぜとのメッセージ性も感じます。

JUJUのありがとうやELTのフラジール(あえてカタカナ)やMISIAの逢いたくて今を歌いまくる今の私の気持ちが現実の反映ならば、既に出会った人達との様々な形での交流を通じて私は孤独でも何でもない状態になっているのかもしれません。

とは言え、しっくり来るとまで表現出来る女性はそう多くはありませんし相手もまたそうでしょう。
私は、スナックなどに行き、気に入った女性の前で好きな歌を歌う時が幸せな瞬間です。

そして、私が楽しそうに歌う姿を同じように楽しんでくれる女性のことも大好きです。

確かにお金はかかりますし、コスプレ衣装のプレゼントやなんやで出費が重んだりします。

それでも私は私の人生を演出して楽しんでいます。

先週で夜の世界から卒業しようと思った気持ちは本当です。
ただ、今日のような辛さを味わうと人恋しさが増すのも事実です。

それにしても『結婚』という制度は凄い制度ですよね。
恒久的な話し相手を得られるわ永遠の孤独からも解放されるわ良いことだらけですよね。

私はそれをどうして手離すことになったのだろう。
きっとこれからもその原因を探すための毎日になるのでしょうね。
posted by tetsukazu at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

またまた訂正です。

悲しい…

毎回毎回のエントリーで誤編集の繰り返し。

前エントリーでも
『帰れる家』を何回繰り返しとんねん!水々しいの表現も『瑞々しい』の方が良かった気がします。
申し訳ありません。
m(_ _)m


それにしても次男の勤務地が我が家から近い場合、次男までもが帰って来る可能性もあり、のほほんと一人暮らしをしていた時期もそろそろ終わりそうです。

訂正に便乗して今日の競馬の東海ステークスに言及しますが、ナムラビクターの56kは恵まれましたね。

ナムラビクターの単を70%ほど買って、コパノリッキー⇒ナムラビクターの馬単を30%ほど買っとけば安心してレースを観戦出来そうですが、レースは水ものですしね。

実際に金銭上ギャンブルにかかわるかどうかは、前エントリーで使った表現を引用すると「未来に対しての自分自身の瑞々しい感性と向き合いつつ賢明かつアグレッシブでもある選択をすること」ですかね。


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『こじらせ』は誰にもあるけれど…

久々に長男と待ち合わせをしてハンバーガーショップで食事をしました。

と言うのも長男の空気を察してこちらから声を掛けて現在の心境を吐き出させようと思ったからです。

するとやはり私の勘は当たっていて、「親父のところに戻ろうかなと思てるんや」との話を聞き出せました。

戻れる家があるから言えることであり,私は戻れる家があるから言えることであり私は、「戻るんやったらいつでも戻って来い」と声を掛けました。


先週で5年に渡る飲み屋通いを一旦卒業した私ですが、私にとっての『イイ女』とは何かを改めて実感する期間になりました。

その期間、30代や40代の女性とも多く接点がありましたが、知り合った中で誰かと結婚したのは結局、一緒にボウリングデートをした20代後半の女性だけでした。

そう考えると言いにくいながら、「結婚する女性とそうでない女性にはやはり違う点を感じるな」です。

『こじらせ女子』との言葉もありますが、私もまた30代以上の未婚女性から「こじらせ感」を抱きました。

そしてそれは夜の女性だけでなく、昼間に接点のある女性にも言えることで、「自分から男性を好きになったことない」とか、「自己中心思考」から抜け出せない女性を見ているとやはり『こじらせ』風が吹いて来ます。

昨日も全国レベルのゲーマーである長男が、「人生や恋愛は最高難度のロールプレイングゲームやと実感する」と語っていました。

私は、そんな高難度のロープレで結婚までは一旦クリアしたのですが、それは20代で数百万の蓄えがあったこそであり、20代で結婚と仕事上の独立が出来たのもヤクザな日々直後の真っ直ぐで王道と言える日々を過ごした賜物です。

10代後半から20代前半でのこじらせ度に関しては、全国レベルの私だったので、周囲のこじらせ女性にも私なりに感じることはあります。

そんな30代女性に送った最近のメールは次のようなものです。

「君(実際は名前で表現)は素敵な女性だけど、しっかりした男性の影響を受けることで更に素敵な女性になると思います」


本当はその女性がまだ20代の時に上記内容の言葉を送るべきなのでしょうが、失礼かそうではない境界の観点からは、「ぎりぎりセーフ」との判断で送りました。

私は何も一方的に女は男の言うことを聞けと言っているのでなく、男もまた女に影響を受け成長するとの真意も含んでいます。
後は個々人の持つ水々しい感性次第です。
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2015年01月24日

批判ついでに。

前記事で、資本主義社会が悪の塊と語りましたが、プチ資本家であるスナックやクラブのママ達が深層心理上「泥棒してでもカード使い倒してでも家売り飛ばしてでも良いから店に来なさいよ」との状態になっていたとしても資本主義社会上の論理では、倫理観欠落とまでは言えないし、客側もそういった仕組みを事前に理解した上で来店するべきです。

そしてそれはギャンブル場や株取引の場にも言えることです。

悪とまでは言えませんが、結婚した途端に結婚産業絡みで、一千万ほどの貯金があっという間に無くなるのなんて平常運行(日常茶飯事)です。

『孤独』とどう向き合うかは人生を決定付ける可能性さえあります。

前記事での神をも欺く既婚者に比べれば、一見孤独な30代から40代の独身男女の方が遥かに誠実です。

綱渡りを渡るかのように戦場を駆けぬけるのが人生ですが、これからも私は、『自分の頭で思考する』という武器を携帯しながら戦場で戦います。
posted by tetsukazu at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前記事に続く。

相変わらず私の記事に誤字等が目立ちます。

前記事の佐藤泰志品の品は間違って付け足してしまっています。

それもあり、ネット上で佐藤さん関連の記事を拾い読みしていたら「鋭いな」と思った作品評・人物評があったので少し引用します(書かれた方お許し下さい⇒一部表現は私が脚色)。

孤独には、脚色された孤独と、人に見せられない孤独があり、更にはその中間辺りに存在する孤独があることが彼の作品からひしひしと伝わる。

特に中間に存在する孤独は宙ぶらりんとなりそれに苦しむことが多いことが作品から感じるが、それらの孤独のどの部分にスポットライトが当たるかでその深さや濃さに差が生じることがわかる。

かと言って、孤独と言う暗闇や生活上の暗闇が全くない場所なんてこの世にないし、もしそんな場所がありそこに人が居続けたら人は壊れてしまうだろう。

そう、必要なのは『光の調整』

暗闇に対して光の当て方は調整可能だ。けれども世の中にはそういった調整が苦手な人がいて、佐藤氏もまたそうだったのかもしれない。

佐藤氏は、「10年先のことなどわからない」と繰り返し語っていたが、ひょっとしたら彼は明日のことも、「いや」今日のこともわかっていなかったのかもしれない。


以上がその内容です。

古今東西の作家(映画制作や舞台芸術等含む)の中には生い立ちに恵まれていない方も多いと聞きます。
あの宮崎駿さんなども複雑な生い立ちのようですね。

だからこそ作品での追体験を通じで自分自身の心身のバランスをとろうとするのでしょう。

賛否両論あるとは思いますが、私はいつも語る通り良い悪いは別として、資本主義社会は『悪の塊(かたまり)』との解釈です。

ただ、自分自身も確実にそのフィールドに存在するのだから、『普通の塊』として悪への対処を怠るべきではありません。

それと、これは女性蔑視というのではなく率直な感想ですが、教会で結婚した時に神父が「病める時も苦難の時も死が二人をわかつまで共に暮らしますか?」に対して「はい」と言いながらやがて家を出て行き、「あの時はそう思ったのよ。若気の至りだったわ」と語る女性の言葉を何ひとつ信用する気にはなりません(結果的に元嫁批判にもなりますが覚悟の上です)

何も男を擁護するつもりはなく、去って行く男も同罪だし信用が置けません。

引用を繰り返します。
「自らの一部の孤独に当てた一時的な光はやがて他の孤独を照らすだろう」

posted by tetsukazu at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

言葉を超えて…

モーニング娘もそうだしAKB48もそうですが、グループを抜けた途端に人気が落ちますね。
その中でも大島優子さんなどは子役出身なこともあり踏ん張っています。

昨夜は中谷美紀さんが対談番組に出ていましたが、メイクが薄いのか痩せ過ぎているのか昔の面影がなくて少し複雑でした。

さて、このブログでは「幸せ』について10年近く語って来たように思いますが、それを言葉にした途端に全ての表現が陳腐になる気もします。

41才で自殺した芥川賞候補作家の佐藤泰志品さんの作品で映画化された『そこのみにて光輝く』に出演した女優の池脇千鶴さんがついこの前、毎日映画コンクールで女優助演賞を受賞しましたが、佐藤さんは幸せな人生だったのかそうでなかったのか?

かつて著名な作家は、「人生をトータルで考えてどうでしたかなどの質問は愚問だし意味がない」と言いました。

この発言も『トータル』と誰かが言った時点でその言葉は無力化するとの意味を含んでいるように思えます。

映画は、映像と台詞で観客に訴えかけ、観客はそれらを自らの感受性を持って心に残します。

私が映画『ルパン三世 カリオストロの城』が好きなのも最後のシーンのルパンの男の美学に共感するからであり、実際に離婚時もあっさりと言って良いほど印鑑をつきました(その後がいまだに大変で、美学を貫くのも命掛けです)

損得勘定で生きる生き方が資本主義社会で正しいのは理解していますが、私は財布に一万円しかなくても行き付けのお店のお気に入りの女性から「来てくれないかな」と言われれば飛んで行きます。

で、その結果が今です。
ただ、強がりであれ今の自分自身の状況に対して、私は誰の責任にもするつもりはありません。
その考え方は息子達にも徹底的に叩き込んで来ました。
と言うより息子達にはそれしか言っていません。

私は、漠然とはしていますが、人にはそれぞれ『天の運』『地の運』『人の運』があると思っています。
私は比較的『人の運』には恵まれていますが、「類は友を呼ぶ』と言われる通り自分自身の生きざまと他者との関わりがつながって行くのは間違いないでしょう。

話を戻すと、『幸せ』を言葉で表現出来ないとすれば、幸せもまた『言葉上の概念』だからだと思います。「悲しみを越えて」と表現するのと同様に「言葉を超えて」幸せを認識するならそれは、「今日という一日の私の生きざまを自分自身が選択出来る事実」に尽きます。
posted by tetsukazu at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月21日

俺は天才か!笑

昨夜、突然テレビの音声がイア(ヤ)フォンでしか聴こえなくなり、今日も仕方なくそうして聴いていました。

ただ、手持ちのそれは1mのものしかなく、何とかならんかなと頭を悩ませていた時、「そうや」ボリュームを50以上にして自分の方に向けて側に置いとけば良いのでは?と考え、そうしたところ、感度の良いやつだったことが幸いして普通に10程度の音量で音が漏れて来ました。

「俺は天才か!… なわけない」

ひとまずは、フット後藤的な『耳キーン』状態からは脱しました。
どちらにしても新しいテレビを買うかこのまま斬新な方法で視聴を続けるしかありません。

それはさて置き、夜の街関係については燃え尽くしやり尽くし状態であるのに昨夜から今日にかけて「今日なんてどう?」との一行メールが三件相次ぎました。

返信はさりげなく送りましたが、推しメンにだけは、件名欄に「あ」と入力し、本文欄に縦に一文字ずつ「い」「で」「す」 と入れ、最後に、「きゃっ!」と入れて送っときました。

営業メールへの今日は行けませんとの返信に対しての更なる返信が「いつも美味しいお土産ありがとう。何かこっそり足してます?」だったので、それ対する内容が先に書いた内容だったのですが、最後に「相変わらずお茶目な方ですね」と返って来てやり取りは終了。

夜の街からは遠ざかることは伝えていませんが、自宅に居ながらにしてスタイリッシュな夜を過ごせました(ただのチャラいおっさんかも?)

実は、そんなメールのやり取りの少し前に日本映画専門チャンネルで『ハラがコレなんで』を見終えたところだったので、ラストシーンの「私はひとりじゃない」と絶妙につながりました。
その上、やはり映画視聴直後に、この二日間一歩も外に出られないとの元妻へ、カラ元気と言う元気の声を肉声で届けていたので、映画を視聴したことが偶然には思えませんでした。

彼女には、「引きこもる気持ちを理解したいとは思うけど、子供達や僕だって言わないだけで泣いている夜もあるかもしれへんで」とは伝えました。

そして「ありがとう」の一言を聞き私は電話を切りました。

ギャンブル・夜の街を全うした後にもドラマはあるし学ぶ場もあります。

日本映画専門チャンネルで深夜一時からやる『逆噴射家族』も視聴予定です。ハラコレも逆噴射も何回目かの視聴ですが、映画は『誤魔化し効かない』人生の最前線にいる大人の男にも有益なヒントを示唆してくれます。
posted by tetsukazu at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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