ブログでも書いた先日行った店の女性が、売り上げのためと言いながら浴びるほど酒を飲んでいましたが、それは「必死に生きる日々」なのではなく「必死に飲む日々」でしかないように思います。
私が前記事で語った「明日のことなど考えない」との思想も結局は本当の意味で「必死に生きてていない」からだと思います。
本当の意味で今日を必死に生きる人間は必然的に明日のことも必死に考えていることになるのでは?
必死に飲むとか必死に打つ(ギャンブル)とかについてもそれが明日からの自分自身にプラスになるのなら『必死』の行為と言えますが、金銭的にも肉体的にも『今日』の無茶が明日を無くすことにつながるならば「必死に無茶をしている」だけです。
バーチャルな世界ですが、ゴルゴ13やブラックジャックやトランスポーターの主人公は単独でも局面を打開するし必ず成功します。
それらの例は一見無茶に映っても勝算があるチャレンジであって、ただの無茶ではありません。
『日々を必死に生きる』
(故)井上やすしさんは生前、「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを楽しく」をモットーに小説や演劇に取り組んでいたとのこと。
『必死に生きること』を「楽しい」と思える時が来て初めて自分自身の人生がエンターテイメント化するのだろう。
最後に
桜花賞のレッツゴードンキの臨戦過程での着順と本番での着順を見ると、日経賞4着のサウンズオブアースが天皇賞[春]の本番で怖いですね。
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