その「なるほど」と思った言葉は、「人生というゲームのエンディングはもれなく[死]であり、いち早くゴールするためのキーワードはどうやら[樹海]らしい」
以上が要点です。
確かに人生というゲームにおいては早くゴールにたどり着くのが勝者なのか、最後まで盤面のイベントを楽しんで同世代のプレイヤーの最後にゴールするのが勝者なのか微妙です。
長く楽しんでも最後の方で身体はガタガタだわ認知症になるわでは楽しむ余裕もなくなります。
最近のトピックと言えばラグビー日本代表が南アフリカを撃破したことですが、彼らはマップ上の「ワールドカップ参加券」とのアイテムを手にして戦いに臨んでいる最中です。
我々は、同世代と共に『ポン』とマップ上のスタート地点に放り出されたところから人生が始まります。
ナビゲーターだったはずの親が亡くなった後は自らの経験を脳に保持しその経験値を武器にコマを進めます。
以前、人間は成長を目指しながらも同時に死に近づくとの永遠の矛盾の渦中にいると語りましたが、「人生クソゲー理論」はそれを更に平たく表現したものなのでしょう。
これも以前に書きましたが、元競輪選手の松本整氏が「人間それぞれの背中には寿命を表す『砂時計』があるのだが、背中だけに自分自身はまだ落ちていない砂の量を確認出来ない」と語ったことは有名です。
それを考えると我々が進むマップの先は一人一人には見えず、「俺(私)が歩いた後に道が出来る」とのイメージが適切かとも思います。
つまり生きて行く上での未来のイメージとは、ボードゲームの人生ゲームのようなものでもアナログ時計でもなく、暗闇の中で手探りで前に進むお化け屋敷か表示されて初めて時を刻むデジタル時計のようなものかも知れませんね。
宵越しの金は持たねぇの解釈は様々あると思いますが、今日で人生が終わるとすれば間違いでもありません。
「そうは言っても明日は来る」と言われたところで個人にとっての明日など何の保証もありません。
人生という名のロープレのパーティーの先頭だと思っていましたが、長男が先頭に立とうとしている今、そっと群れを離れるか群れの後ろから進むかの選択に迫られます。 (2)に続く…
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