2015年03月19日

私にとっての日常。

今日もいつもの議論相手と意見を交わしました。

今日のテーマは『必然』と『偶然』

議論相手は社会主義こそが資本主義の発展形態だと信じて、大学生に講義を続けていた過去を自戒しています。

マルクスにとっての未来は、資本主義が終焉を迎え必然的発展として社会主義に移行するものだったはずが、実は社会主義の発展形態が資本主義だったとのオチが待っていました。

そして議論相手に「世の中に必然てあるんかな?」と質問すると、「偶然の連続でしかないし、一年後の未来どころか明日のことさえ誰にもわからないんや」と。
「何となく明日病院に行く気になり診断を受けたらガン告知されることだってあるし、そんな場合の今日と明日には埋めようのない開きがある。
一寸先は闇やし逆に一寸先に光があるかもしれんしな」

私は「そしたら人間は闇の中を目をつぶって歩くようなもんやな」と感想を述べました。

考えてみれば人間はそんな闇の中を進むからこそ光を求めるし寄り添う人間を求めるのかもしれませんね。

メールのやりとりのちょっとした言葉使いで相手との関係も変わるかもしれないし、確かに未来のことなんで誰にもわからないのでしょうね。


自分自身にとっての光とは何なのか?
それは人でもあり希望でもあり好きなことでもあるでしょう。

明と暗、光と影、喜びと悲しみ、自信と不安、喝采と罵倒、栄光と挫折、抑制と破壊、そんな対極にある要素が表裏一体の中、因果や自由選択が絡み合い次の一歩が決定されるのでしょう。

私達は、時には能動的に時には運命の渦に巻き込まれながらあきらめることなく未来への可能性を追及するしかないのでしょうね。



「たとえ何かに裏切られても…」


posted by tetsukazu at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月28日

覚醒V

image/2014-09-26T15:09:04-1.jpg前回の続きです。

元妻のプライバシーのことを書き過ぎましたが、うまくアップ出来ていれば写真の日記が今回の私の誕生日のプレゼントとして彼女から送られて来たものです。

今は、あの時のことは何だったのだろう?てなる位私との摩擦はなくなりましたし彼女も「あの頃はどうかしてた」と語ります。

話を最初に戻します。
四次元的状況に陥る人間はイレギュラーな存在としましたが、では一体何パーセント位の比率がイレギュラーと呼べるかとの話に進みます。

私自身の四次元下状況の場合、汗水流して働き得た一ヶ月の収入を僅か数時間で溶かす場合があります。
それは正にさっきまであった目の前のお金がワープしたとしか言えない個人的非日常状況となります。
果たして私のような極端なお金との関わりを持つ者の確率ってどれ位なのだろう?
恐らくですが10000人にひとりくらいかな。
日本全体だと1万人位になるかな。
そしてその1万人の中の更に数十分の一の人間はより深刻な事態へとワープするのだと思います。
ヒトラーなどがユダヤ人排除に至った経緯も三次元の理屈では説明はつきません。

三次元下の影響だけを受け続けると言うのは最初に語ったように「規則性・連続性及び一定の軌道保持」です。

しかしもし本当に規則性だけを持っている人間がいたとしてそのような人生に面白味はあるのだろうか?と思ってしまいます。

平凡な三次元に生きるか、エキサイティングな四次元に生きるか、そしてそれは選択可能なものなのか生まれた瞬間にどちらかの道しかないのか?

三本目の記事なのでそろそろ『覚醒』のタイトルにふさわしい内容に近付けたいのですが、私は人類の肉体が『小宇宙』であるとの点に再び注目します。

合理的に考えて人類がこれだけ長期に渡り生き続けて来たということは人類の肉体(脳含む)にはかなりハイレベルなアジャスト(修正・調整・適応)機能が内包されているはずです。
とすれば脳の暴走を食い止める機能もあるはず。
その機能はひょっとしたらモテ過ぎて困るとぼやく人間の顔に何らかのアクシデントが起きてしまうようなことかもしれないし酒を飲み過ぎた人間の肝臓機能を低下させ物理的に飲めなくさせるこてかもしれない。

ただ、そんな荒療治でない調整機能もあるはずなので次のWにて語ります。
posted by tetsukazu at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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