2012年12月27日

雑感−42

痴漢の容疑で拘留されていて釈放されたJR西日本の執行役員が自殺した。
関東所属の騎手である青木騎手や石田純一の娘さんの元カレの俳優も自殺したとの報道が出た。
先の尼崎の事件の容疑者も自殺したが、人間が死ぬと真相も闇の中だし世間の関心も薄らぐ。

中でも痴漢容疑の末自殺した男性の問題は闇が深い。
女性専用車両を利用していない被害者(暫定的)からの訴えなので被害者が完璧に防衛していたのかとの疑問は拭えない(男目線として)。
聞いた話だと、女性専用車両だけに料金を20円増しにするだけで女性はその車両を利用しないとの声が大半らしい。
つまり女性のおしりは20円以下との自己評価なのか?(また女性の訪問者を敵に回したかも?)
それなら男性専用車両を設けたら良い気もするが結局のところ企業は痴漢撲滅より利益優先なのだろう。

女性という生き物はそもそも周囲の人間に親和性を求める存在らしい。
彼氏がいようが旦那がいようが基本的に人間愛に溢れているので誤解を招く行動も起こしがち。
警戒心ばかり持つ女性だらけならそもそも恋愛も成立しないだろう。


一方、男としての防衛についてだが、これは 「勘違い」 がキーポイントになると思う。
欲望を果たす手段としては痴漢はあまりにもリスクが高すぎる。妄想が行き過ぎるのも考えものだ。
20才位までの女しか女と認めない考え方を持っている男性がいるならば混雑する電車に乗って若い女性の近くになりそうな時は、両手を上げるなり扉面に向かってピタリと張り付く位の抑制心が必要だろう。
私もこの歳のくせしてAKBがどうとかももクロがどうとか言っているが、58歳の集団が踊る姿を見ても男として何ら元気を貰えない。
やはり若い女性から元気を貰えるのは事実だろう。
ただし、若い女性が好きな男は自分が成熟していないことを公言しているようなもので決して自慢出来る話ではない。

また、知的レベルが高いとそれなりに整った顔になるはずとの俗説もある。
今回亡くなられた方の顔は知らないが、自分自身の顔に責任は持ちたい。
話はずれるが、TBSの夜のテレビ番組で爆笑問題の田中と出演している小島瑠璃子さんなどは有名進学高から知名度のある大学に進学したらしい。
私は何も肩書きを重視しているのではなく賢い生き方が出来ているかどうかが問題だと思うので、その賢さは必ずや顔そのものや表情や佇まいに出るはずと考える。
田中さんと結婚したいと語る彼女からはある種のクレバーさを感じる。

恐らくエリート街道を進んで来たであろう先の執行役員はどこかで勘違いをした可能性がある。
人間の持つ大きなウィークポイントは客観性を持ち難いこと。
もし痴漢をしそうになりかけた時、自分自身を俯瞰した目で見る事が出来るなら間違いは起こらない。
常に正しい判断が出来るかは難しいところ(確かな正解が無い場合もある)だが、犯罪性を帯びることに対しては強い意思が必要だ。

青木騎手の場合は今年国内での騎乗機会がほとんどなかったようなので経済的な問題などで心に闇をかかえたような気がする。

石田純一の娘さんの場合はこの秋に別れたばかりだそうだ。
彼の訃報を受けて駆けつけたらしいので決して悪い関係ではなかったことが推測される。
俗にイケメンと称される俳優は多く存在する(戦隊もののヒーロー役など)が、イケメンだけで生きて行けるほど芸能界は甘くない。
イケメン度だけが評価の大半ならば中村俊介などは今頃天下を獲っていただろう。

そんな私も煩雑さに紛れて忘れ去っていたが、『モテキ』 らしきものはあったような気がする。
私は小顔でも何でもないしビジュアルだけで勝負する気などなかったしそもそも恋愛市場で勝負する気そのものがなかった。
若い頃は連日の麻雀三昧(勿論仕事も人一倍したので睡眠時間をカット)で独立する直前には身体はボロボロだった。
医者からは結婚だけが治療薬と言われて本当に結婚して本当に治ったのはいまだに不思議なことだった。
当時若くして数百万の貯え(100%自分で稼いだ分)があったから結婚も独立も出来たが、私が何かたくらみを持つタイプだったなら結婚については二の足を踏んでいただろう。
ある意味、医者から結婚することでしか治らないと言われたのが運命でもあったのだろう。

エリートでも、なりたい職業についても、イケメンでも悲惨な結末となることがある。
結果が大事とのタイトルでブログを続ける私にとっての 『結果』 とは何なのだろう。


民主党政権から自民・公明連立政権に移行するが、民主党は左翼政権とも評されていた(旧社会党の政治家も数多くいたため)。

左翼は 『平等』 を絶対価値とし、上下関係を認めない。社民党の福島党首が夫婦別姓にこだわるのもその流れ。
そのため、上の者に従うとの発想はなく、意見が食い違えばあくまで戦い、悪いケースの場合は内ゲバが勃発する。
良いケースの場合でも分裂に繋がるケースが多い。
上下関係を認めて上の者に従うという統率のとれた行動がとれない俗に言う 『左翼』 に展望は開けるのだろうか?

杉山龍丸という人物はあまり知られていないが、インドの緑の父と呼ばれる人物。
彼はインド政府や個人の協力を得て、インド各地にあった砂漠地帯や土砂崩壊の地域を緑化した。
しかし日本の政府や企業からは理解や協力を得られてはいなかった。
現在、親日国のひとつであるインドではあるがこういった一個人の尽力のお陰でもある。
私も今年の総括をする上で、誰かのまたは何かのために未来への種を蒔けたのだろうかと考えてしまう。
息子達のためにも自分の楽しみだけに終始しない毎日を過ごすべきなのだろう。
納得の行く人生を歩めるかどうかは自分自身にかかっているし何らかの形で必ず 『結果』 が出るはずだ。


今回の政権では個人的には稲田朋美さんに期待します(ブレがない政治家)。














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2012年12月22日

雑感−41

今年は恋愛スキルが激低の私にとって学ばされることが多い年だった。

結局、一緒に居たいと思うから男と女は一緒に居るわけであり、難しい理由などない。
一緒に居たいと思えるならば我慢もするし相手への思いやりも持てる。
ただ、大人の関係であればある程一緒に居たいと思う根拠はひとつでない。
好きだからとのエレメント(要素)は勿論だが、経済的にメリットがあるからとのリアルな内容も含まれるはずだ(あえてどちら側とは言わない)。

そのことに関連してもうひとつ言えることは、相手に惚れたり惚れられたりするということは、心が動くということ。
では、一度動いた心は永遠に元に戻らないかとなるとそうでもなく、「暫くの間は動かない」 との表現が正しそうだ。
3ヶ月かもしれないし30年かもしれない。
私の知識では、太古の昔からの遺伝情報の作用として、女性の体は3年間は目の前にいる男性を引きずるが、
女性の受胎後に相手の男性が戦いなどにより命を落すケースが多かったため次の生殖活動時には別の男性を受け入れる準備が必要なので、
前の男性を忘れることの出来るシステムが脳内(または子宮)に存在するらしい。
男としては少し悔しくもあるが、たとえ3ヶ月間でも相手の心を動かし続けることが出来たのならそれはそれで大満足するべきだろう。
我々は結局女性のお手伝いをそっとするしかない存在なのだ。

とは言え、結婚願望のない女性もいるとは思うがそんな女性でも好きな男性が現れたら女性として本能に目覚める場合があるだろう。
そんな時でも男は慌てることなく、男としての役割に徹して女性に尽くすのが本懐に相違ない。

ある知り合いの年上女性に、理想の男像は?と聞くと、「最初がレッドバトラーで、次にX Japan のyoshiki で、その次がブラックジャック」 だと。
理由は?と聞くと、「人間の器が大きく、経済力もあり、強い者に媚びることなく弱者には優しいからよ」 と。
そして、「全てを兼ね備えているのに謙虚だからよ」 と続け「全てを兼ね備えているけど謙虚でない男も山ほどいるし、謙虚だけの男も星の数ほどいるわよ」 と締めた。

私は思う。「意欲を持って生きるかどうか」

結婚ほど面倒なものはないだろう。しかし困難なことから逃げていても何も進化しない。
相手に惚れられたら自分も誠意を尽くす(逆でも良い)。そんな過程を経てまず一台目のハードルを越えることが出来る。
一台目を越えたからといってハードルがなくなるわけではなく、次から次へとハードルは続く。
しんどいことを一回でもやっている人間と全くやっていない人間とでは社会的評価が違ってくる。
何も結婚だけが困難なことではない。しんどいことから逃げれば逃げるほど身に付くことは少なくなるし人間としての幅や魅力は生まれない。

大多数の庶民が自民党に投票するということは、長いものに巻かれたい願望や権力者のおこぼれにあずかりたい願望がある表れに見えて仕方がない。

中央官僚や経団連の親玉達はきっとこう思っているだろう。

「君たち英語のひとつも話せるの?」 と。


人の世は経験しないとわからないことだらけである。 少しだけ勇気を持って一歩踏み出すしかない。


一緒に居たいと思ってくれる人がそばに居てくれているのならこれに優る幸せは思い付かない。



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2012年12月20日

雑感−40

2時間ほど前に更新しようとしていたら突然長男が立ち寄りに来て
仮眠させてくれと言いながら横でゴロンとなりだした(前置きなし)。
鍵を持たせているので突然来ても自分で入れるのだが、もし私が取り込み中(??)の時に帰って来たらどうしよう?とか考えてないんやろな。
今年も大晦日あたりに長男と次男と私とで桃鉄大会がほぼ決定的なのでいつまで経っても私の前では子供気分が抜けないのだろう。
ついさっきも有馬はルルーシュが来るで!と強調するので大人しくしようとしていた私の射幸心が刺激されるのが恐い(どの口が言う!)。
私はステイゴールド産駒とゼンノロブロイ産駒の争いと思っているのでトレイルブレイザーなんかも無視できないと考えている。

将棋界の重鎮の米長邦雄氏が亡くなられたが、羽生善治3冠は 「自分にとって無関係な一局こそ全力を尽くすべき」 との米長哲学こそ将棋界の要であり礎だと述べた。
故人のご冥福をお祈りいたします。

将棋界と言えば、関西ローカルの番組に林葉直子さんが出ていたがその姿は全盛時の面影もなく人相が全く変わっていた。
才能はあるのに、稼いだお金を親に吸い取られたり先輩棋士とのドロドロの恋愛に疲れ果てたりで私生活はボロボロだった。
頭が弱いと言ってしまえば彼女に失礼になるが、周囲に振り回されるのも本人が自分の頭で思考しないことによる結果かも知れず、結局自分の人生は人のせいに出来ない。
山口美江さんも晩年は顔の相が激変していたが、女性は顔と内面が直結してしまうのかと思うと少しやりきれない思いになる。

ノーベル平和賞の授賞式は終わったが、山中教授は決して自慢しないし謙虚だ。
天才とは努力の結晶により作られるとも言うが、久々に見たイイ男である。
研究所には女性も多く慕われているだろうが、彼は恐らく淡々と研究に没頭しているのだろう。
そこがまた魅力的でもある。 「俺は若い研究員からモテモテだよ」 などと言っている山中教授は見たくないしまずそんな気持で仕事に取り組みはしないだろう。

話を有馬記念に少し戻すと、ルルーシュに騎乗する横山騎手がなかなか良いことを言っている。
今年1年を振り返って下さいとの記者の質問に対し 「それはあまり意味のない質問だ」 と答えた。
その言葉を記者なりに解読すると 「1年区切りで競馬をしているわけではない」 となる。
また、「俺は、俺に任された仕事をする。それだけだ。」 とも語ったようだ。  一言で評価すると[クールな男]である。

相変わらず光テレビを観る毎日だが、『モテキ』 テレビ版を改めて最終話まで通して観た。
その中で菊地凛子演じる林田が幸世に 「女なんか土足で踏み込んじゃえばいいのよ!」 という台詞があるが、確かに女性は案外土足で踏み込む男に弱い気がする。
幸世が煮え切らない態度をとり続けるうちにトンビが油揚げ状態になるのも必然と言えば必然か。
だからと言って土足で踏み込む男が女性を幸せに出来るのかとなるとそれはまた話が別であり男と女の関係は複雑である。
12月24日は日本映画専門チャンネルで一日中モテキ祭り(テレビ版・映画版・秘蔵映像)だが賞金王決定戦のファイナルもあるので今から悩ましい。


ブログタイトルのこともありエレカシの明日に向かって走れを某所で唄ったが 「完成度ひくっ」 と言われてもおかしくない位のレベルなのでもう少し練習しなければ(汗)。
恋愛の方はもうドロドロしたものを避けたいとの思いでいるため純愛路線まっしぐらなのだが、段々幸世化してきている今日この頃だ。
1月末に観に行く予定のミュージカルの主役が森山未來なのもシュールすぎる。
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2012年12月18日

雑感−39

ブログタイトルを少し変更しました

それにしても日曜日の賞金女王決定戦を制した三浦永理選手(静岡)の割り差しは素晴らしかった。
2コースの日高選手とはスリット通過が同タイミングだったのに1マークで1コースの田口選手と2コースの日高選手の間に生じた僅かな隙間を縫うように割って入った。
テクニカルエリーとの呼び名で今シリーズは出場していたのだが最後の最後にその呼び名の通り素晴らしいテクニックを見せつけた。
モーターの力もあるにはあったが、あの展開で田口選手に逃げさせないためには唯一の手段だっただろう。
とにかく三浦選手、優勝おめでとうございます。師匠の服部選手も喜んでいるだろう。

競馬の方は注目していたクラウンレガーロがチグハグな競馬になってしまい不完全燃焼な結果となったが、外国人騎手恐るべし。


選挙の方は民主党の大惨敗になったが、日本未来の党の亀井静香議員が当選したので彼関連のことを少し書いてみる。

知っての通り亀井氏は死刑廃止議連の会長だ。
もし、自分が愛する家族や恋人が誰かにより殺害されたならその犯人を殺したいと思うのが人間の素直な感情。
しかし、その犯人を殺すことにより今度はその犯人の家族や恋人から憎まれることになるという 「憎しみの連鎖」 が生まれる。

死刑廃止議連は、報復の代行をする国家の殺人行為をも正しくはないとの立場。
恋人を作ったり成人して自分の家族を作るのは自分の意思で行うことになるので、愛する者をそばに置くことのリスクを負う覚悟が必要なのは理解出来るが、報復感情に優先する順法精神を常に意識しながら生きて行くのが人間らしい生き方と言えるのだろうか。
あまりにも奥深い問題だけに考えさせられる。
話がずれるかもしれないが、福岡県では暴力団入店お断りの表示が義務付けられてそれを守ったお店が暴力団による被害に遭っている。
この話などは順法精神があだになった例かも知れず、法を超えたところに正解がある可能性もある。

その他選挙関係では、私のボランティア仲間(年上)の娘婿さんが当選したので良かった。義理の父としては娘さん達の生活面でもホッとされたことだろう。

やはり日本人は原理原則論が嫌いなのだろう。自民党の持つグレーな部分も含めて国民性になじむのかもね。
とは言え、生活保護の現物支給などの自民党案を見るといずれまた揺り戻しがあるのでは。

TPP参加の問題だが、スポーツの世界では既に大相撲や競馬で黒船襲来は経験済みだ。
大相撲は番付上位のほとんどが外国人力士だし競馬のGTでも外国人騎手か地方競馬出身の騎手が活躍している。
農業分野で原則市場開放となるとぬるま湯に浸っていた組織や個人は大きな波に呑みこまれる可能性が高い。

個人的には親戚関係から何度も特定の候補者に投票して欲しいと電話があった。いつもならわかりましたと言って別の候補者に入れるのだが、よく考えてみると私が本当に誠実な人間なら、せっかくですけど別の候補者に入れると言えば良いはず。それを人間関係を損ねたくないものだから口では思わせぶりなことを言ってしまっていた。
要は頼む側の問題ではなく私自身の問題なのだ。
選挙のおかげで本当の誠実さとは何かを考えさせられることになってしまった。


選挙の話はこのへんにして、来年のカレンダーの発売数の1位がAKBで3位がももクロ。
そして2位は何とサッカー日本代表の内田選手(ウッチー)だそうだ。
私の知り合いにもウッチー大好き主婦(40〜45才位)がいるがウッチー恐るべし。
友人の吉田選手によると内田選手はあまり身の回りに構わない人間らしいのでそのあたりにも母性をくすぐられるオーラが出ているのかも。

好かれると言えば日曜日の賞金女王決定戦の地上波の番組のゲストの南明菜(アッキーナ)に違う意味で感心した。
相当長くボートレースのイメージキャラクターを続けているが、賞金女王決定戦競走の開催地の大村ボートレース場が競艇発祥の地だと知らなかったことがクイズを通じて明かされてしまった。
依頼する協会の方もアッキーナにそんな知識は要求するつもりもないだろうが、知らなかったアッキーナは悪びれる様子がまったくなかった。
引退した某大物お笑い芸人に誘われて毅然と断ったと言われる南明菜だけに根性が座って堂々としたもの。
周囲との受け答えもやはりゲストで出ていたシンクロの青木愛(顔面レベルは青木愛が上?)より洗練されていてプロ意識は感じた。
自分が何を要求されているかを理解しているのだろう。
テレビの企画でボートに乗ったりカートに乗ってもプロ顔負けの走りをするアッキーナはやはり何かを持っている女だ。

最後に、私の私見だが男は悪い意味で繊細で女はいい意味で鈍感に思う。
人間としてはいい意味で繊細かつ鈍感でありたい。


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2012年12月11日

雑感−38

怒涛の半日は終わったがハイテンション状態が続きすれ違う人全員に声を掛けそうな自分が恐い。

恒例の餅つきが日曜日に終わってからハイモードに突入したのだがそろそろ誰かに止めて欲しい。

今年もぜんざい担当は同じだったのだが、自分史上最高の出来栄えだった(10年以上続けている)。

正にたかがぜんざいされどぜんざいの境地。

まず、昨年までの出来を否定することから始めて、更なる美味しさを求めるためにどのような技術を駆使するか試行錯誤を繰り返す。

料理だけではなく創意工夫を続けるのは 「出来る人間」 の共通項。

昨日の自分に今日の自分が挑戦する気持ち。

自己肯定と自己否定を繰り返し高みを臨む。

今年は、まず小豆の水の含ませ方やアクを抜く過程から工夫を凝らした。

約12時間ほど水に漬けておきその水はまず捨て、小豆を数回流水で洗う。

その後、たっぷりの水で小豆を煮るのだが、70%程度軟らかくなった時点で一旦小豆を引き上げる。

そして煮出汁は捨てずにそのままとっておく。

ここからは例年通り、引き上げた小豆に砂糖を混ぜ込む(例年ならここで砂糖全体量の70%位混ぜ込むのだが今年は30%程度にとどめた)

数時間砂糖漬けにした小豆を先程の取り置き煮出し汁に戻し、弱火と中火の間位でじっくりと煮る(約1時間半〜2時間程度)

煮上がるまでに残り70%の砂糖を4回位に分けて入れる(一度に砂糖を混ぜると小豆が固くなる)

下茹での時と仕上げの時の火にかけている時間はアク取りのためほぼ付きっ切り(100回程度はアク取りを繰り返す)

今回は例年のような一度目の下茹で時の煮出し汁を捨てる過程を省いた(注:昨年までは下茹でを2回に分け1回目は沸騰した時点で煮出し汁を捨て、2回目に70%程度まで軟らかく煮ていた)ので、最後までエグミが抜けないかもしれないとの不安があったが、アク取りを念入りに繰り返すことで最後はエグミが消えた。

当日もいつもなら量を稼ぐため水と砂糖を足していたのだが今回は前日の深夜2時頃の完成品のまま当日に臨んだ。

勿論、煮物は冷やし方がキモなので必死になって鍋を冷水に漬けへらでかき混ぜながら急速冷却を目指した。

そして冷えたぜんざいを冷蔵庫で6時間寝かして提供寸前に温め直した。

結果の方は、私が言うまでも無く50人程度の人達により答えが返って来る。

今年は最高の味でしたとの言葉を聞けた時点で私の充実感は頂点に…


たかが、されどである。

何事も目の前の課題と真剣に向き合い常に自問自答しながら客観的視点を持つことが重要。

餅つきと前後して知り合いの70才前後の男性から 「健康のためにもマージャンのお相手をしていただけませんか?」 と声を掛けられた。
当然断る理由もないので快く引き受けたが、私のことだから全力で戦いに挑みそうだ(あっさり負けたりして)。

私は会社の会議でも人の話は真剣に聞く。昔から面接時や業務開始後によらず大切なことは必ずメモをとる(どの会社で周囲を見ていても私のメモ量は10倍程度)
新しい業務につく場合は担当者を深夜に及ぶまでつかまえて質問攻めにする。

そうして私は今までやってきたしこれからもやって行くと思う。

ブログ仲間とのオフ会においても、一日のレースが始まる前に既にスクラップブックにその日の全レースの準備資料や分析事項を貼り付けて臨んだ。

何故私がそこまでするかは、そこまでしたとしても抜けがあるはずなのだからやれることは全てやっておきたいし想定されるアクシデントにも落ち着いて対応したいからだ。

何だか自慢話になってしまったが、前エントリーの口直しの意味も込めて書き込みました。


「♪ ときめくだけの恋は何度もあるけれど こんなに切ないのはきっと初めてなのさ」

会えないと切ないのに会うと更に切なくなるよ。 

「♪ I Love you 届かないものならば見つめかえさないのに 瞳奪われて動けない」



ホンマ切ないよな。 アイドルのファンのように割り切れれば 楽なのに…
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2012年12月06日

雑感−37

「全世界に同情されながら滅亡するよりも、全世界を敵に回して戦ってでも生き残る」

これはイスラエルという国が持つ基本理念である。

モサドと呼ばれる諜報組織は米CIAよりも有能な組織と言われる。
世界中に散らばる同胞によってもたらされる密度の高い情報を核に組織的なスパイ活動を行う。

日本の今度の選挙では外交部分についても争点になるが、平和状態が続く中でスパイ天国と言われる状況は改善されるのだろうか。
福島第一原発の警備システムの一部を1年前からイスラエルの企業が請け負っている事実に裏がないことを祈ろう。

私は男だ。当たり前である。
しかし最近の日本の初等教育から中等教育にかけては性別による分け隔てはしないことを方針としているように見受けられる。
男としてや女としてではなく人間としてどう生きて行くかに力点を置くことを教育者が意識しているのだろう。
その結果かどうか不明だが、男女交際は面倒だとの考えを持つ若者の数は増えている(ようだ)。
男女の差による機会の不平等を無くそうとしているのだから、男でしかなれない職業や女でしかなれない職業は少なくなって来ている。

五輪で金メダルを獲り続けている吉田沙保里選手に力で優る成人男性は1割もいないように思う。
女子サッカーも女子レスリングも女子柔道も女子ボクシングも女子野球も女性による投てき競技(砲丸投・ハンマー投・やり投・円盤投)も普通に行われている。
ギャンブルスポーツである公営競技でも女性ボートレーサー・女性騎手はもちろんのこと最近では女性オートレーサーの誕生ややガールズ競輪の開始まで時代は進んだ。

男だけでしかやれないイメージの競技は相撲くらいかな(これもやがては…)

仕事に関しても長距離トラックに乗る女性もいるし宅配便などは4人に1人位は女性では?という位増えて来ている。
介護用の浴槽を背中で担ぐ女性を見た後などは、 「彼女は男性に何を求めるのだろう?」 と心配になってしまう。


冒頭の言葉に戻るが、それにしても何と力強い言葉なんだろう。
もし現代においても男が力強く生きて行くには少なくともこれ位の決意が必要だろう。

昨日はボクシングで亀田選手が外国人選手に何とか勝利したが、中盤まではガードを固めるだけの試合だったように思う。
相手の方が10cm近く身長が高いので、ガードを固めて頭から前進してくる亀田選手とは戦い難かったと思う。
ガードを固めた相手にはボディ攻撃が有効なはずだが身長差があるが故に相手のボディが遠く感じたのではないか。
その二人の比較で他に気になったのは胸囲の差。ウーゴ・ルイス選手は176cmの身長で胸囲が84cm。バンタム級のリミットは53.5kg。
身長で9.5cm低い亀田選手の方が胸囲は10cm以上上回る。
どちらの体形が理想かとの比較ではなく、目に見えない部分(例えばインナーマッスルの鍛え方)の強靭さやスタミナが問題なのだ。

TBS系列でやるSASUKEに一時出場していた台湾のプロロッククライマーのリー・エンチもかなりスリムな体形だったが、難関を次々と突破していた。
男として理想の体形はそれぞれの男にとって違うだろうが、私は自分の体重は重すぎない方が良いと考えている。
映画や劇画では敵を倒すシーンの連続なので室伏選手のような体形だと相手を威圧出来そうだが、そんな室伏だって相手が数十人だとかなわないのは当然。
そんな時に役立つのが逃げ足の速さや身の軽さだ。
意外に見落しがちだが、リアルな戦いの場ではこの逃げ足の優劣が勝敗を分けることもあるだろう。
逃げ足に秀でていれば勝ちはしなくても負けない戦いは出来そうである。

話は脱線するが、室伏選手が介護を必要とする状態になった時はこれほど世話が大変な相手もいないだろう。
省エネの観点からもエネルギーを多く必要とする巨体は非効率だ。

どんな男でも男に生まれた限りは志を持ち、体形維持以外にも高いレベルを求めるべきだと思う。
全世界を敵に回して戦ってでも生き残るためには自分自身の価値感や生き方にブレがあってはだめだ。
孤独を恐れず孤高に生きるためにも強くそして賢くなければ…

もはや男だというだけで社会の中で大きな顔が出来る時代ではない。
男を磨いた分だけ女性の魅力にも気がつくような気がするし女性もまた同じではないだろうか。


追記⇒前記事で魅力ある女性作家がいると書いてしまったので改めて実名を挙げようと考えてみたが、文学の方ではしっくりくる作家がおらず、映画の方のタナダユキ監督(100万円と苦虫女などの作品)なんかが当てはまるかな。
西川美和監督なども推したいが、彼女は普通に美人監督と言われているので内面からの魅力との表現には当てはまらないかも。


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2012年12月03日

雑感−36

テレビを通じての映画の視聴が止まらない。
12月からは光による動画サービスは実費(チューナーは既に有料)になるのだがそのまま続けている。
キャッシュバックのサービスも近々あるので(5000円相当)12月末まではお得状態が続く。
以下ネタバレありなのでご了承下さい。


昨日は高橋克典主演の 『誘拐ラプソディー』 を観たがなかなかの良作だった。
押尾学が出演者だったためお蔵入りになるところを、監督自ら代役として撮り直したエピソードを持つ映画だ。
高橋克典は監督に対して自ら作品への出演を希望した映画でもあるようだ。
誘拐することになる子供とのロードムービーなのだが、損得抜きに行動する子供と打算的に割り切れない未完成な大人を演じる高橋克典が互いに影響し合う姿に胸を打たれた。

そして今日は 『SP 革命編』 を観た。
私は男として生まれたので子供の頃からヒーローが悪と戦う物語に数多く触れてきた。
しかし、大人になればなるほど善と悪の境界は曖昧になり何が善で何が悪かが見え難くなって行く。
善と悪より損得や好き嫌いの基準の方が選択の決め手になる場合も多くなる。

この 『SP 革命編』 もやはり 「信じられるものや守りたいもの」 とは何かについて深く考えさせられる映画だった。

映画の中で 「このタフな状況の中で…」 との台詞が出てきたが、その通り人生とはタフな状況の連続だ。
タフな状況の中でどう選択しどう決断するかは人それぞれだが、そもそもタフな状況にならないよう避けて通る生き方もあるだろう。

世の中全般そうだろうが、簡単に手に入れられるものほど簡単に失うように思うし甘い汁には毒があるという言葉も無視出来ない。
内柴被告などはある意味教え子の肉体を簡単に手に入れたのだが、その代償は計り知れない。
私はこの3年女性の肉体とはすっかり無縁になったが、もしそればかり考えていたら一度位は桃色の時間を持てたかもしれない。
でも幸運なことに我に返る機会を与えてくれた女性と出会い、その後私は男磨きに邁進することになる。

そして現在は、何が自分にとっての喜びなのかや毎日をどう過ごすことが賢明なのかを考える良い機会だと思っている。
恐らくだが自分にとって幸せな状態は、会った上で一定の時を過ごしたいと思える相手と会いたい時期に会える状態であることだ。
そのためには時間的・精神的・経済的に備えておかないとならないし一人遊びに徹していては実現はしない。

『SP』 で岡田准一演じる主人公の井上薫は、堤真一や真木よう子が演じる同僚と固い絆を結んで行くのだが映画の中ではその絆が何度も切れそうになる(ドラマ時代からも通じて)。
しかし少なくとも井上からは絆を断ち切ろうとはしない。
そうであり続ける限りいつか相手に伝わる時もあるだろう。
人間関係は素晴らしくもあるが脆くもある。

やはり映画の中の台詞で 「破壊することも楽しいが支配することは更に楽しい」 とあった。
この台詞も人間の欲望の一面をついているが、原作者が読者・視聴者・鑑賞者に伝えたかったのは、
あなたにとって価値のある生き方や価値のあるものは何? だったように思う。
主人公の井上はそれが 『誇り』 であり 『絆』 だった。
そして井上は最後まで 『魂』 を売らなかった。

私は常日頃から年齢・性別・職業・収入・容姿などで人間を差別するつもりもないしそれらを武器にする者を凄いとは思わない(今までの記事との矛盾もあるが基本的には変わらない)。
もし身体を売る仕事をしているとしてもその仕事にはプライドを持てば良いと思う。
もし派手に稼いでいる奴や豊かに暮らしている奴を見て引け目を感じている者がいるとすればそれは自分で自分の値打ちを下げているようなもの。

自分が今幸せかどうかを確認することは簡単だ。
損得抜きに一緒にお茶や食事に行こうと誘ったら付き合ってくれる人間が一人でもいたらそれだけでも幸せと言える。
きっと目の前の相手は自分と対等に時を過ごしてくれるはずだ。


最近、「色気」 ってかなり重要なポイントのように思えて仕方がない。
いますよね、芸能人でもスポーツ選手でも 「色気」 のないタイプ。
女性の作家などでも、俗に言う美人ではないのだがどこか魅力が溢れる人が存在する。
内面からにじみ出る知性や感性などによるものなのだろうが、出そうと思って出せるものではない。
麻雀の打てる女性などにも色気を感じる私は少し個性的かもしれないが言いたいことを理解してくれる人がいることを願おう。


それにしてもジャパンカップダートの結果には考えさせられた。
断然人気のローマンレジェンドの前走が京都1800m戦で、57kを背負い1着。
今回JCダートを制したニホンピロアワーズはそのローマンレジェンドと同じレースで58kを背負いタイム差なしの2着。
ニホンピロアワーズもローマンレジェンドも今回は同じ57kなのだから数字上からは人気が逆でもおかしくはなかった。
3着のホッコータルマエも前走は上記2頭と同じレースを走り0秒1差の3着だった。
冷静に見れば狙えた馬だったのにマスコミの扱いのあまりの違いに一般ファンは目が曇ったとしか言えない。
やはりしっかりと自分の目で分析して判断することが重要であるとの良い教訓になった(私はレースに参加していない)。


「♪自分だけの STORY 作りながら生きてくの だからずっと、ずっと あきらめないで…」






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2012年11月30日

雑感−35

サウナから更新しています(正月にサウナで更新したのは覚えていますがもう一回位あったかも)

手元に大阪スポーツがあるが、3年間で28億7千万円馬券購入して30億円強の払い戻しを受けた男性が大阪地検から所得税法違反容疑で起訴されたらしい。
大阪国税局は6億9千万円を追徴課税するようだが、男性側は正味の利益は約1億4千万円しかないとの主張をしており、外れ馬券の27億4千万円分も経費に計上するべきとも述べているようだ。

所得税法では「収入を生じた行為のために直接要した金額のみが収入から差し引ける必要経費」としており杓子定規に当てはめた結果が今回の出来事。

この記事を見た者の感想はほぼ同じだろうから私も多くは語らないが、インターネットを利用しての購入だったようなので、派手な賭け方が通報される原因になったようだ。
主催社側には守秘義務があるだろうから大きく儲けた者を税務署に通報することはないとは思うが、捜査機関から情報提供を求められたら拒否するのは難しいだろう。

それにしてもばれなければ3年間で1億4千万円の利益を上げていたことに驚きを隠せない。
バクチで家は建たないと言われるが、1億4千万で建つ家は相当豪華な家だろう。
世の中が理想や既成概念で動くのでなく現実で動くとしたらこの現実は直視するに値するのではないか。


最近、『時間』 についてまた考え出しているので改めて記事にしたいとは思うが、人間が歳をとり老化するのは単に時間の経過と言うより、引力等の圧力にさらされ続けているからなんだろうなと思う。
つまり、時間に関係なく強い圧力にさらされ続けた場合は老化も加速するように思える。
極端に言うとF1のマシンに24時間乗り続けていたら(自動操縦可能として)人間はGの影響で生きてはいられないはず。
私が適当に話を持ち出さなくとも既にそのあたりは解明されているだろうが、自分の頭で想像力を働かせるのが楽しくもある。

これもありがちな話だがボールを壁に投げた場合、ボールと壁との間の半分をまず進み更にまたその半分を進み…… と繰り返したならボールは永遠に壁に到達しない。
あるいは時計の秒針が1秒から2秒に進む時、1秒と2秒の半分に距離を進み更に…… との例も同じようなもの。
理論的には慣性の法則などで説明出来るのだろうが、時間を1秒単位にするから時計として機能するのであり、時間の概念を100年で1単位とするなら人間一人が生きている間に時間は1単位も進まないことになる。
100年で1歳になるとするならば人間は永遠の0歳児となる。
便宜上細かく区切らないと何かと不都合が生じるためにそのようになっているのだろうが、その点に気がついてしまっている者は昔も今も年齢など大した要素とは考えていないだろう。

何せサウナからの更新なのでこのへんで終わりにします。
今日はこれから好きな女性のいるところへ行くかどうか悩みながら過ごしそうだがその女性がその場所にいるかどうかの確認はしていないので行ったとして居なかった場合は外れとして税務署に飲み代分を控除してもらおう(あっ?外れは控除されないのか!)
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2012年11月26日

雑感−34

酒井法子(以下人物名敬称略)が復活したり紅白歌合戦の出場歌手が発表されたりと芸能界の話題は尽きない。

昨日行われたジャパンカップについては、アンカツを応援するブログの管理人さんが仰るように
ルーラーシップの騎乗騎手が一定しないことがスタート出遅れを繰り返す一要因に思う。
勝ったジェンティルドンナの強さには脱帽だが、かなり長い時間二番人気を維持したようにファンの見る目の確かさにも驚きを隠せない。
注目していたダークシャドウについてはもう少しだけ前につけられたら…とは思うがそれは他の陣営も同じでありそこも含めて勝負なのだろう。
オルフェーヴルの強さも改めて感じたが真っ直ぐ走れないという致命的欠点を解消しないと今後も厳しいが兄同様有馬記念に期待したい。
それにしてもフジテレビの実況は酷かった。ジェンティルドンナとルーラーシップを間違ったらあかんやろ。実況のプロの自覚を持って欲しいものだ。

酒井法子は記者会見で 「再び薬物に手を染めることはないですね?」 と繰り返し質問を浴びたが、彼女は自信を持って 「二度と繰り返しません」 と言い切った。
言い難いが私は彼女のこの宣言を信用しない立場には立たない。

人間はあまりにも大きな犠牲が想定される時は踏み止まるだけの能力は持っていると考える。
芸能界に薬物使用を繰り返す者がいるのは事実だが、修復不可能なほど脳の機能が犯されていることによるものではないだろうか。
過ぎたるは及ばざるがごとしと言うが、24時間の内数分でもよいから自分自身以外の存在の気持ちになることが出来るならば脳は熱くいられるし熱いうちに自分の力で打つことで良い状態に出来るはず。
元ファンだけに何とか更生して欲しい ⇒ 僕も頑張りますから…

この前も書いたが、auひかりのTVサービスのコンテンツ視聴に忙しい(お前の勝手やろ!ですか?)
昨夜は日本映画専門チャンネルで深田恭子主演の 『夜明けの街で』 を観た。
2011年10月のロードショーの映画だが興行成績はパッとしなかった映画。
共演は岸谷五朗だったが、リアリティーを追求し過ぎて生々しくなったことがヒットしなかった原因なのかなぁ。
豊川悦司などを配役していたならもう少しはヒットしたのだろうか?

でも元妻帯者としては他人事に思えない場面が多くあった。
同じ会社で派遣社員で働く深田恭子演じる秋葉とバッティングセンターで会うことがきっかけで付き合うことになる岸谷五朗演じる渡部(妻子持ち)だが
もし自分の目の前で深キョンがニコッと微笑む状況を妄想するなら理性を保ち続ける自信はない。
ただ、映画上の渡部ほどもとことんのめり込みはしないと思うが…。

大きなお世話かもしれないが、深田恭子は女優として脱皮し損ねたようにも感じる。
思い切ってこの映画で脱いだ方が女優としてのステータスは上がったようにも思う。
確か今年30才になるはずだが(詳し過ぎやろ)あの吉永小百合だって1975年公開の 『青春の門』 で自慰行為を演じた(当時30才)。
同映画では大竹しのぶのヌードも話題になった(当時17才)。
吉高由里子も 『蛇にピアス』 で大胆な濡れ場を演じてその後若手女優の中では汚れ役も演じられる貴重な存在となっている。

話は逸れたが、男が仕事や家庭を捨ててでも追いかけるほどの女性に巡り合うことはそうない。
もし巡り合えたとすればそれは幸せなことなのかそれとも…
妻子のためと思い仕事一筋に生きても結果として妻に去られる場合もあるので男と女の関係は一筋縄では行かない。
そばに居て欲しい時に居てくれるパートナーに愛情を感じることが真理ならば愛情とは我が侭とイコールと言えないこともない。
互いが互いの我が侭を受け入れると共に互いが互いを思いやる。難しいけれどそんな関係が最高なのかもしれない。


12月はやはり日本映画専門チャンネルで 『モテキ』 テレビ版と映画版が放送されるので忙しくなりそうだ(仕事もしろよ!!)
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2012年11月25日

雑感−33

それにしても東京競馬場のレースは馬場状態に左右されるよな〜

今日の馬場状態も内目が伸びそうなのでペース次第では2分22秒台の決着もありえる。

馬主がサンデーレーシングの馬が、4番フェノーメノ・12番ローズキングダム・13番ルーラーシップ・15番ジェンティルドンナ・17番オルフェーヴル と5頭出走する。

これらの馬が上位争いすることは間違いないだろうが宝塚記念の結果だけ見てもとルーラーシップとオルフェーヴルが格上の存在。
フェノーメノに関してはダービーでの走破タイムがオークスでのジェンティルドンナより0秒2遅いだけに今回は厳しいようにも思える。
スローペースになる場合は、牡馬より牝馬の方が鋭い決め脚が使える。
その点ではペースが遅く4角を回りヨーイドンになった時にジェンティルドンナを無視出来ないがそのような展開にはならないとみる。

前走からの上昇度は10番ダークシャドウと13番ルーラーシップの2頭に目が行く。
印を付けないのが私の通常だが、もし付けるとすればオルフェーヴルとルーラーシップとダークシャドウの3頭になるだろう。

馬券を買う場合の私のスタンスだとダークシャドウもしくはルーラーシップの複勝または両馬のワイド、またはオルフェを加えた3頭のワイドボックス(オッズに応じて2・1・1の割合)、またはルーラーシップとダークシャドウの単勝とオルフェーヴルからルーラーシップとダークシャドウへの馬単2点を加えた4点 などの買い目になるだろうがこれだけ迷う時点で勝負に行くようなレースではない。
乗り替わりが多いこのレースを確信を持ち確実に仕留めるのは困難。

ウッドチップコースでの追い切りの効果で510k程度の馬体重で出走して来た場合は心の中でダークシャドウとデムーロに期待しつつレースを楽しもうと思う。


話題としては遅れたがリンク先のターフの真ん中、日曜日!BlOg のあらたさんが先週の競馬で79万強の払い戻しを受けているのに驚いた。
本命を頭に相手3頭の3連単で61万馬券を獲るとは凄すぎる。



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2012年11月21日

雑感−32

えっ??

ダークシャドウにデムーロが騎乗?

ナンテコッタ!!

ジャパンカップは観るレースで買うレースではないと思っているのだが理性が揺らぐ >>>


理性と言えば、最近のエントリーでも意志(意思)が大事だと主張している私だが

法律を守ろうとして実際に守れている個人としての現実は何により生まれるのだろう?

養老孟司氏などの脳科学者は人間は肉体の反応が先だとの説をとるが

それなら法律を守る行動より法律を無視する本能が勝ってもおかしくない

そうなると一番しっくりくるのは、このブログでも何回か話題にした 『メリットの法則』 かな

法律を守る方が自分にとってメリットが高いから法律を守るとの理屈

しかし、理性で理解が必要な法律を本能レベルのメリットとして肉体が反応することに疑問を抱く

この疑問を解く鍵は恐らく 『経験』 のように思う

あらゆる刺激による経験が知らず知らずに肉体にインプットされ複雑系の脳の判断システムに関与しているはず

そしてもうひとつの鍵を 『自分なりのメリット感』 と仮定してみる

自分なりのメリット感が客観基準から見ておかしな場合は、いつのまにかデメリットに転化しているかもしれない

自分の肉体がデメリットを単に 『刺激』 と捉えそれを 『快感』 に昇華させることで 『M』的な性質が形成される恐れがある

『痛み』 を快感とするのでなく 『征服感』 や 『達成感』 や 『一体感』 を快感とすることこそ本当のメリットと言える

ではどうすれば良いか?

それは 『良い経験』 を重ねることだ

もしわからなければ受験生や世界を旅する人にでも聞いてみるしかない

良い経験がわからないならばとにかく多くの経験を積む中で身体に覚えこますしか手はない


そんな思いを証明するかのように今日はサプライズな出会いがあり 輝くオーラを浴びたので風邪も治りそうだ わーい(嬉しい顔)


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2012年11月20日

雑感−31

福山競馬が廃止の方向で検討されているとのニュースを目にした。
福山市の市長が今年度で廃止する(来年3月末)との表明を近々するとのこと。
JRA開催のダービーの一着賞金が2億円になるとの記事を見た後だったため複雑な心境だ。
福山ダービーの一着賞金は約200万円。 平場のレースだと一着10万円程度しかない。
JRAの基準をそのまま当てはめるならば騎手の取り分は賞金の5%(騎乗手当除く)なので、JRAのダービーを勝てば1千万円で福山ダービーなら10万円。福山の平場を勝っても5千円しかない。
当然だが勝った騎手が5千円なのだから5着程度なら千円にも満たない(騎乗手当除く)。⇒訂正=[福山は平場(一般)レースの一着で16万円、四着で8千円。高知競馬の平場(一般)レースの一着で9万円。したがって福山の場合の一着の騎手の取り分は8千円、四着の騎手の取り分は4百円となる]
馬主も出走手当目当てに愛馬を毎週のように走らせるので最終的に福山競馬所属となった215戦55勝で地方競馬平地競走の最多勝記録を樹立したモナクカバキチ(アラブ牡13歳)のような馬も出現する。

そもそも法律で賭博を禁じている日本では畜産振興等の建前で実質はギャンブルの公営競技が施行されているわけだが、
民間に開放しないままで賭博運営が上手く行かないからと言って音を上げてしまう公的機関に問題はないのか。
勿論、日本らしい中央と地方の別運営などの問題はあるが、橋下氏並みに中央官僚に直談判した地方の有力者は居たのだろうか?
テラ銭(売り上げから主催者があらかじめ差し引く分)を建前25%(10円未満は切り捨てなので実質は25%を超える…本来209円の配当が200円)もとっていながら経営出来ないのは経営主体として向いていないことは明白。
賭博の完全自由化とまでは言わないが、議会制度だけでなく賭博運営もイギリスを少しは見習ったらどうだろう。
文化としての競馬として考えるとアラブ系馬が現役で走っていた福山競馬は貴重な存在。
JRAでも昔はアラブ系馬が62kや63kを背負って走っていた。
記録に残るところでは1951年10月21日の阪神競馬のアラブ系オープンレースでタマツバキが83kを背負って勝利している。
現代競馬でのスピード競馬も良いがアラブ系の馬が力強く走る姿は本当に美しかった(俺はいくつや!)。

結局最終的にはJRAの一人勝ちのような味気ない展開になりそうだが、そんなJRAだってカジノが解禁される頃(日本維新の会が頑張りそう)には苦しい展開が待っていそうだ。

資本主義陣営でありながら賭博については社会主義のような運営をして来た日本だが、何らかな形での民間企業の参入もそろそろ考える時期が来ているのでは?


それはそうと何年振りかで本格的な風邪を引いてしまった。
まさに絵に描いたような経過を辿り今に至るだが治りかけからがまた時間がかかっている。
調子に乗るのが私の個性でもあるのだが健康に関しては調子に乗るのは控えないと今度は重大な事態を招きかねないので、
「忘れるな!あの娘と交わした約束を」 との歳末の標語を胸に気合を入れ直さなければ。


そんなこんなで自分の生活に追われる日々だが、政治の世界では風雲急を告げる事態となっている。
各党が様々な争点で論戦を戦わせているが私は少し視点が異なる。

このブログでも繰り返し主張しているように、国にとっては少子化こそが深刻な問題だとの認識は変わらない。
太平洋戦争(第二次世界大戦)終結後に 『自由・平等・公平・権利』 などの意識が高まり結婚も個人の自由だというのが当たり前の世になった。
お見合い制度は風前の灯火になり、結婚相談所が横文字化してパソコンで相手を探す時代。
小中学校で男女による差別・区別を無くすことで男女間の垣根が低くなり、インターネットの進化と連動して異性への幻想を抱くのは困難な時代になっている。

そして結婚に関して経済力が不可欠(今に始まったことではないが…)になっているのだから富裕層における婚姻者が5人も6人も出産するのかと言えばそうではない。
それだけに非婚・晩婚・少子化の波がおさまる気配はなく、今後与党となる勢力は中国などからの移民受け入れを真剣に考える時期が来るだろう。

もしこのような状況が戦後の日本人の望む姿なら問題ないがそうでないなら男女の関係のあり方を中心に新たな価値観や枠組みや仕組みや政策の構築が必要となるだろう(例えばフリーターとフリーターの結婚に対する補助や男女共用のシェアハウスを増加させる等々)。

こんな状況においても私がかすかな期待を抱くのが文化・芸術・芸能分野。
歌の世界や映画の世界や小説の世界では恋愛を扱うのが王道と言えば王道。
あなた無しでも生きられるのが今の時代。あなた無しでも家事に困らないし性欲だってパソコンの画面で事足りる時代。
それでも歌手達は歌う。 「あなたに会えない夜は切ない」 「あなたと巡り会えたことが奇跡」
AKB48が 「会いたかった 会いたかった 会いたかった〜 君に〜」 と連呼することで、ひとりでも多くの若者が恋に目覚めるなら国は吉田沙保里さんより先にAKB48に国民栄誉賞を授けるべきだったのでは?


少し(かなり?)古くなるが薬師丸ひろ子さん主演の 『セーラー服と機関銃』 のラストシーンの台詞に 「私、愚かな女になりそうです」 というのがあったが 「愚かな女最高!」 と言いたい。
悪い意味で計算高く賢い女性ばかりになる世の中では味気ない。
「同じ騙すなら命がけで騙し続けるような男について行く」 とは 村生ミオの「SとM」 という漫画に出てくる台詞だが、
女性には最後の最後(心の奥の奥)のところで素直であって欲しいと強く思う。
恋愛の世界だけは政治家が関与する分野ではないように思うしどうせなら色気を感じる政治家が多く活躍して欲しい。


「愚かな女大歓迎!」 と愚かな男は思っています。









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2012年11月18日

雑感−30

ひとつのものの中にはひとつのものしかない。

真実の世界に真実なもの(こと)がふたつあるならそれは真実の世界ではない。

無限の中に個があるなら無限は無限でなくなる。


私という存在はあなたではない。当たり前だ。
自分を金太郎飴に例えるならば、いくら切っても同じ模様である。
自分の実力以上の成果は出ない。

個人の魅力はどれだけの振り幅があるかにもよる。
時には破天荒な生き方が魅力に映る場合もある。

自分らしく生きたいとは言うが、そもそも自分のことを理解出来ているのか。
ニュートリノという素粒子は毎秒数十兆個の単位で人間の身体を通過している。
人間の体も約60兆個の細胞で出来ている。
何を持って私と呼ぶかは私次第だが、主に言えば自意識が、統一した 『私』 という概念をもたらすのだろう。

NHKのアナウンサーが痴漢疑惑で逮捕されたが、彼をそういった行動に導いた力学はどのように働いたのだろう。
60兆個の細胞の連携によりそのような行動に至ったのならば罪なことをする細胞群である。
私は以前にこのブログで、「意志は遺伝情報伝達システムの微細な網をすり抜ける高次元エネルギーである」 と語った。

ニュートリノが私達の肉体を簡単にすり抜けるように私達の意志もまたあらゆる欲望の網に引っかからずにすり抜けることが可能だろう。
何故ならば私達の肉体を構成する物質と宇宙を構成する物質の間に何の違いもなく、私達の持つ意志も無限の力を秘めているはずだから。
無限の力を秘めるということは、無限によいこともするし無限に悪いこともするということ。
太陽が発するエネルギーの恵みで私達は生命を育むことが出来るのだが一方では紫外線による有害性にもさらされる。
つまり生命やエネルギー体は微妙で絶妙なバランスの中でしかその状態を維持出来ない。
有り余るエネルギーをどう利用するかは我々自身が我々の肉体を通じて日々葛藤することでもある。
外部の問題は内部の問題でもあるのだ。

人間はパンを食べるためだけの存在であらずと昔の西欧文明人は語ったが、どこか上から目線でもある。
確かにそうではあるが、謙虚に表現するならば 「人間は正しいことをするだけの存在にあらず」 と言っておいた方がよかっただろう。
パンだけで満足出来ない結果、麻薬や原爆やその他アンモラルな文化を生み出してしまった。
今更反省したところで金太郎飴は金太郎飴なのだからマイナーチェンジ程度の変化しかないだろう。

『意志(意思)』 という高次元エネルギーを獲得したことが他の生物に対するアドバンテージになるならそれを生かせない一部人間の未来は暗い。
五体満足な人々が障害を持つ人々より満足度の低い生活をしているのならそれは宝の持ち腐れであり怠慢以外の何ものでもない。
精一杯生きるの本当の意味は、与えられたプラスエネルギーをどれだけ活用出来るかということに尽きる。

エネルギーを蓄えるためには仕事をして食事や睡眠をしっかりととり恋も必要だろう。
無駄遣いを繰り返したり犯罪すれすれの行為を繰り返したり他者に迷惑を掛けたりする暇は一瞬たりともない。
人間は蝉ではないのだから一週間で全てのエネルギーを使い果たすような生き方はどう考えてもおかしい。
結果として短い人生に終わったとしてもそれは結果であり、自暴自棄になったりやけになったりして生き急ぐことは避けたいものだ。



18日はGTマイルチャンピオンシップ。
各陣営がプラスエネルギー全開で勝負に臨むとは思うが、枠や天候は運にも左右される。
決め脚にかけるグランプリボスやストロングリターンにとって有利とは言えない状況にも映る。相対的に見れば脚質と枠からファイナルフォームとガルボに魅力を感じる。
ガルボは寒くなる時期の好走例もあり、ファイナルフォームは鞍上がルメールというのも心強い。
とにかくレース開始までに馬場がどのような状態で推移するかで着順が変わるようなメンバー構成。真ん中までの枠から先行する馬に有利になるのは間違いないが内目の方に追い込み馬が多いという皮肉なことになっている。
休み明けのマイルを1分32秒5で走破したファイナルフォームだけにGT馬とも差のないレースが出来るだろうしやや重馬場での好走例もある。
どうしても1頭に絞らないとならないならファイナルフォームの複勝になるかな。









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2012年11月14日

雑感−29

「世界は数字で成り立っている」

世界には有能な物理学者が多くいるが、「世界・宇宙は実体はなく数学的法則が機能するだけである。」 と言い切る学者もいる。

私は、このブログを通じていつも語っているが基本的には人間社会も他の動物と同じで 『弱肉強食』 の世界だと考えている。
しかしそれでは無秩序でカオス(混沌)な状態が続くだけなので、人類は国家や法律や慣習などを活用して住み易い環境を作る努力を行ってきた。
そして数え切れないほどの同類の命の犠牲を経て民主主義と資本主義が 「よりましな体制」 として人類共通のものになりつつある。

ただしこれで人類の幸福が約束されたわけではない。
遠くない将来に 『水』 を巡る争いが起きるのは必至である。
中国が日本国内の水源地の土地を買い漁っているのもそれを見越してのことに違いない。

民主的な世の中では 『自由・義務・権利』 の三つの要素がほぼ同時進行で諸問題にかかわってくる。
ところが、それは綺麗事でもありその前に 『経済』 の持つ圧倒的影響力が世界を覆う。

そんなお金の価値を表すのはまさに 『数字』
人間の寿命も数字で表せるし一日も数字で表すし食事時間や睡眠時間や労働時間もほぼ毎日一定である。
冒頭で述べた学者の見解の根拠は 「宇宙の仕組みを維持する法則における僅かな計算値が狂うだけで宇宙はあっけなく消滅する」 だ。
人間もその中の存在なので何らかの規則性や法則性に基づいて存在していることを否定出来ない。

「いやそうでない。恋愛を数字で表せるのか?」 と反論する者もいるだろう。
しかしそれも性欲の量を数的に表せば必要恋愛量も示せるかもしれないし、恋愛を男女の距離感を縮める過程と考えればその距離感を数字に表せるかもしれない。
ただ 「好き」 との言葉で表すのではなく、一週間のうちに何日会いたくてあった日に何時間一緒にいたくてどの位の予算でデートをしてどの位まで個体の距離を近づけてどの位の交際期間をめどに一緒に暮らすことを考えどの程度の収入が確保出来ればどれだけの期間一緒に生活出来るか…
などなどの要素は、世の中に溢れる抽象的で感傷的な歌の歌詞に隠された具体的で数量的な現実に思う。
勿論、お互いがどれ位の年齢でどれ位の身長でどれ位の体重で右目と左目の距離はどれ位で…
などなども数字が関係している。


と、ここまで書いたが見ている方は 「こいつ頭逝ってるわ」 とお思いかもしれない。
それでもたまたま資本主義社会の世の中に産み落とされた個体である以上、一生数字のことなど考えないとの姿勢ではとても対応出来ない。
日曜日に トランス脂肪酸の毒性について語るテレビの出演者がいたが、パン祭りで有名な〇〇〇〇パンは昔から添加物を躊躇(ちゅうちょ)なく入れることが知られている。
その他安価なマーガリンも添加物でバターの代用になっており、蟻でさえマーガリンに寄り付かないとの話もある(蟻がマーガリンを食品と認識しない)。

私達は、〇〇〇〇パンにマーガリンをつけて美味い美味いと言って日々食べているが、もしそれが節約の一環と考えての消費行動であるならば、寿命の節約との皮肉な結果にもなりかねない。
お金を残すことが目的なのか長生きすることが目的なのかも深く考えるわけでもなく、収入が低いから安いものを選択するという理由だけならば単に買わされているに過ぎない。
やはり冒頭で述べた、民主的な世の中で与えられた自由や権利を行使するにも経済的裏付けがなければスーパーに行っての選択の自由もない。


日々、年齢という数字と向き合い、収入という数字と向き合い、無駄に使ったお金の量や時間の量と向き合い、努力不足だった膨大な過去の時間と向き合い、過去に犯した選択の失敗の数や大きさと向き合い、体のサイズと向き合い、髪の毛の量と向き合い、皺の本数と向き合い、仕事の量と向き合い、家族や友人の数と向き合い、私達は生きている。

何もかも捨てて恋に走ったとしても次の日から現実は迫る。
逃げることが出来ないならばそれらの数字(スケール)と向き合うしかない。
ギャンブルなどまさに数字以外価値はない。


規則正しい法則の中に存在する世界・宇宙の中に存在する我々はその力学から逃れることは出来ない。


某ドーナツショップのCMで 「この笑顔100円」 と言っているが、我々はどんなものにどんな価値を感じどんな笑顔を見せるのだろうか。
笑顔だけは物理的法則からすり抜けた特別なものであって欲しいと思うのは私だけだろうか。








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2012年11月09日

雑感−28

どうなるかは運次第。
どうするかは自分次第。
誰に何と言われようと自分の道を進む。


最近目にした言葉や最近考えたことで頭に残しておきたいことをまとめると上記となる。

前記事では迷惑を掛けるか掛けないかが人格判断の基準になるとは語ったが、身体に障害を抱える者などは迷惑を掛けたくて掛けているのではないので迷惑との言葉だけで説明出来るわけでもない。

歴史的に見て国民・民衆に迷惑を掛けなかった指導者が居たのだろうかとも考えてみたがなかなか思いあたらない。
チベットのダライラマ14世がかなりそれに近いかなと思って知人にその想いをぶつけたところ、
「チベットは歴史的に見てもかなり酷いと言ってもよいほど農奴制度が固定され続けてきた国なんですよ」
「中国は建前としてはチベットの農奴解放を主張して進出してきたのだから当時のチベットでは農奴の解放が歓迎された側面があるんですよ」
「ダライラマは自主的にそんな酷い制度を変えようとしてはいないでしょ」 と反論を受けた。

そうなのか。と思って少し調べて見るとどうやらダライラマ13世の時代に中国との軋轢(あつれき)が生じたようなので14世の時代には既に大勢がが決していたのかもしれない。
ただ、そうであっても現14世はチベットの歴史も踏まえて中国共産党を批判しなければならないとは思う。
このように、世界を見る場合は一面的には見ずに極力客観的な視点を持ち観察するべきとの教訓になった。

資本主義と社会主義の関係だって一見資本主義の圧勝に映るが、本来資本主義制度の中では過剰な社会保障は必要がなく、自己責任の原則を貫くならば生活保護制度など必要のないものだろう。
しかしそれでは国内の治安が保てないため懐柔する意味で社会主義の良いところをお金で買い取ったと見るのが正しい見方に思う。
確かにソ連を始めとする社会主義陣営は風前の灯火だが資本主義体制側に社会保障制度を売り渡したと考えればユートピアを目指した理念自体が意味のないことだったとまでは言い切れない。

社会主義(共産体制)とは性善説を根本思想として人間の叡智に期待したものだった。
現在地球上でそのユーとピア(国民全てが公平で平等で倫理感を失わないことを前提とした自由な社会)を具現化しようとして孤軍奮闘頑張り続けているのはキューバだが、
アメリカ合衆国政府は貿易を通じてキューバを兵糧攻めにし続けている。
これは一種の虐めに近いものがあるし世界中をアメリカ型資本主義社会に染めたい願望の表れでもあるだろう。
そして違った形で社会主義社会を作り上げたのが日本。
健康保険制度は世界の中では優れたシステムだし現平和憲法は国連憲章に優るとも劣らない位誇るべき内容だ。
国民が銃を持つ自由が決して平和に繋がらないことを知っている日本国民は賢いと思う。
私はこのブログで時には自国の批判をするが、 『敗北を抱きしめて』 という名著が示すように太平洋戦争に負けたことを教訓に平和な社会を作るのだとの意思を持ちつつ努力を続ける自国の人々を誇りにも思っているのも事実。

自虐史観に対する批判を持って国内で揉め事を繰り返すのではなく、自己責任の論理が普通に共有され言行一致が原則となる風潮になれば日本は品格を持つ国となり経済面だけでなく世界からも尊敬されるだろう。

また、これからの世の中を生きて行くのに大切なのは 『リソース(resource)』 だと考える。
リソースとは私的に解釈すると、何らかの目的を達成するために必要な資源・供給源・要素・資金などであり、要素の中には動機・やる気・内的エネルギー・哲学・世界観なども含まれると考える。

自分自身の中に蓄えられていないものを取り出すのは物理的に無理だし空回りするだけ。
裏付けのある自信を武器に進むしかない。

そう、どうするかは自分次第なのだ。
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2012年11月06日

雑感−27

押井守氏や宮台真司氏が立て続けに、ネットを利用して他者に非難中傷を浴びせる者に対して意見しているようだが何故か上から目線に感じて仕方がない。
押井氏は、(ドワンゴの会長が語る最下層の人間がネットにぶら下がっているとの話を引用)日本は収入が低い層の人もネット空間を利用する環境なのでそのような弊害も生まれ易いとの考えに共感しているようだが、そうであれば収入の高い人達の問題点も指摘して欲しいもの。

例えば政党助成金などは明らかに憲法違反だろう。
憲法第19条の思想及び良心の自由の侵害になるし第21条の結社の自由も侵害する。
自由な思想・信条を持ち、国家から独立して自由に政党を結成した団体に対しその政党も支持しないし共感もしていない一般の国民が等しくその政党の運営資金を負担するのはおかしい。
共産党はこの点を強く指摘して政党助成金の受け取りを拒否し続けているが、マスコミが共産党の主張を大々的に取り上げた記憶はない。
国民も大多数が共産党以外の政党に投票するわけであり、遠回しにこの状況を是認していることになる。

冒頭で私があえて個人名を挙げたのは、彼らがこういった憲法にかかわることを発言してきたのかとの点。そして同じく憲法第14条についてどう考えているのだろうかとの疑問があるからだ。

憲法第14条は

1.すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地(門地とは家柄や血統を意味すると考えられている)により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

3.栄誉、勲章そのた栄典の授与は、いかなる特権も伴わない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。


以上となっている。


収入の低い者は上記の社会的身分との表現の範ちゅうに入ると考えるが、収入の低い者は日常においてストレスが溜まり易いため攻撃性を持ち易いはずだとのステレオタイプ的な話は、バカは金が稼げないと話を置き換えてもよい話なので全く的外れと言うわけでもないが、高度資本主義社会においては資本家と労働者の壁が厚く、その壁を打ち破るためには相当な努力を要する。
しかし皮肉なことに収入の低い家庭に育った子供ほど努力に欠ける傾向がある可能性が高い。

結局、それでは私も押井氏と宮台氏と同意見になってしまうがそうではなく、私は人格や人間性を収入の高低と切り離して考えるべきだとの立場だ。
収入が低くても政党助成金はおかしいと声を上げる人間の方がずっと真っ当ではないかと思う。
そしてピラミッド型のようなイメージで国民を当てはめるのも私は嫌悪感がある。
確かに尼崎の殺人事件の容疑者などを見るとレッテルを貼りたくなるのは理解出来るが、絵に描いたような権力者にも相当酷い奴がいる。

個人的には、自由が約束された社会なのだから稼いだお金は自由に使って良いと思う。
しかし、20万円の収入の内、15万円をパチンコに使ってしまったのでは家賃も払えなくなる。
となると、家主に迷惑を掛けるわけなのでそれはただ 『我が侭』 なだけになる。

冒頭の話にしても、収入の低い者がネットを利用することに問題はないが他者に迷惑を掛けることが問題に思う。
知名度の高い有識者はそこまで踏み込んで発言して欲しいと願う。

何故私がここまで絡むかと言えば、それは正規社員と非正規社員の扱いのあまりの違いに納得していない点にもある。
政府や企業や国民がこのような状況を是認し続けることに私は憤りを感じる。
底辺の人間がネット空間で暴れることを問題とするのでなく、底辺層が生まれ難い社会を実現させるために努力することこそが俗に言う 『インテリ層』 の役割ではないんですか?

このままではますます非正規社員の割合が高くなるだろう。少なくとも仕事の中身に応じた賃金体系に改めるべきだし政府(役人含む)・企業は改善に向けて努力するべきだろう。
前のエントリーで、経団連が法人税40%は高いと言っているが大企業は実際にはそれほどの負担はしていないと書いた。
実際にキャノンで約16%程度。大手銀行に至ってはほぼ0%(公的融資を受けたことなどによる)だ。
近年に派遣法の改正はあったが、正規社員の割合が大きく増したとの話は聞かない。
何故そうなるかと言うと、経営者側が労働組合に対し解雇権の緩和を要求すると必ずその要求を蹴られるからでもある。
つまり労働者側が自分で自分の足を引っ張っている側面があるし公務員組合や大企業の組合の幹部が現状の正規従業員の保護を優先しているからだろう。

20代や30代の非正規社員の今後のためにも、ある程度の解雇権緩和とセットに努力出来る立場の大人達は状況改善に取り組んで欲しい。

追記=私が以前のエントリーで、日本の繁栄を考えると大企業が世界の市場で勝つことと書いたことと矛盾するようだが、国策に近い形で世界に通用する企業をバックアップした方がよいとの考えなので全ての大企業を優遇した方がよいとのことではない。


繰り返すが、どんな立場であれ個人として成すべきことは、自由を謳歌しつつも結果として他者や社会に迷惑を及ぼすことのないよう日々心掛けるべきだ。



最後に、一票の格差も第14条に反していると判決が確定しているのだからさっさと仕事して下さいね。国会議員の皆さん。


お詫び=押井守氏のことが学氏となっていたため訂正してお詫びします。押尾と押井でとごっちゃになっていました。
内容についても押井氏が別の人の話を引用していた部分が抜けていたので一部変更しました。





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2012年11月04日

雑感−26

連休もあっと言う間に終わろうとしている。
二日も休んでCSの番組でJUJUの歌が連発されているのを目にすると恋愛話のひとつもしてみたくなるのでオッサンの恋愛話が 『♪UZA♪』 の方は今日のエントリーはスルーして下さい(汗)。

浅田真央さんがグランプリファイナルシリーズの中国大会で優勝したが、今までのように難易度の高いジャンプに比重を置くのでなく全体の構成で勝負する方向にシフトしたように見えた。
フィギュアスケートは元々芸術性が高く評価されるべきであり回転少女的なところにスポットを当てていると14〜16才位が全盛期になってしまうのは当然のこと。
浅田真央さんは一時期競技を続けようかどうか迷ったと思うが、安藤選手がほぼ不在なだけに浅田選手の現役続行は喜ばしいことだし更に進化した演技を見るのが楽しみだ。

噂では安藤選手のスランプ(精神的?)の原因は前コーチの男性との関係にあると言われているが、もし本当に前コーチとの公私に渡る関係の消滅により精神が不安定になっているならそれは 『依存』 と人間の密接な関係が色濃く出ているような気もするので、彼女にはつらいだろうけど自分自身と向き合い孤独と折れ合いをつけて欲しいと願う。
逆に浅田選手はこれから恋愛もするだろうけどお前のことが何よりも大事だと言ってくれてその想いをずっと持ち続けてくれるような男性と出会って欲しい。


引越しにより長男の自宅が私の自宅から自転車で気軽に通える距離でなくなって約1ヶ月と少し。
引越し荷物の手伝いで一度だけ会ったがそれ以外は私の自宅に誰一人訪問があるわけでもなくずっと一人の生活である。
私は昔から友人と一緒に出歩くタイプではないので(仕事終わりに行動することはあった)いまだに休みの日に誰かとどこかへ行くこともない。
それだけに余計に私は妻と子供に依存してきたのかもしれない。
独身になってから約3年になるが(私は印鑑を捺しただけなので元妻が一人で行った届出提出日を正確に覚えてはいないが役所から自宅に届いた用紙の日付が3年前の11月)3年前の離婚成立日にブログ仲間のご夫妻に寄り添ってもらったことだけははっきり覚えている。

当日は大阪梅田の夜の街を目的もなくぼーっと歩いていた。
そしてこのまま歩き続けていたらろくなことがないと思いそのご夫妻に連絡をとり、来ても構わないとのことでお伺いした。
前にも書いたと思うが、ご夫妻は私の悲しみと涙をだまって朝まで受け止めてくれたので本当に救われた。けん♂さん、けい♀さん。 あの時のことは感謝します。 
他人の離婚直後のそれもオッサンが汚い涙を流すそばで嫌な顔もせず居続けることが出来る方などそういないと思う。

そして3年。
結論から言えば起きた事態そのものは吹っ切ることが出来たが寂しさ自体はやはり無くならない。
現在進行形で好きな女性もいるが年齢はかなり下であり、独身であるその女性にふさわしい男性は私よりずっと年下の男性だろう。
とは言え、その女性の邪魔になるまでは相手してくれれば幸せでもあるし生活の張りにもなる。
これが私が妻子持ちならまた別だが中途半端な時期に中途半端に独身になってしまったものだから相手の都合の許す限り一緒に時を過ごしたいとの気持ちをどんな形にすれば良いかに戸惑う。
余談だがその女性が、空気を読めない女性に対してSKY(スーパーに空気が読めない)と表現したのにはウケた。SKY48がデビューしないことを祈ろう(笑)。


先日、中井貴一と小泉今日子主演のドラマ 『最後から二番目の恋』 のスペシャルを観た。
連続ドラマとしてやっている時にかかさず観ていたので今回も楽しめた。
中井貴一は50才の役で妻とは死別の役。 今回のスペシャルでは、 「この歳だからこそ女性とそういう関係になることを大切にしたいんです」 との台詞があった。
私もこの3年はチェリー状態なのでドキっ!とした台詞だったがかなり共感度は高かった。
周囲の男からは 「さっさと彼女を作れよ!」 と言われるが特定の女性とお付き合いすることがこれほどハードルの高いものとは…

3年があっと言う間なのか長かったのかはわからないが、時なんて所詮過ぎた過去はあっと言う間であり未知の未来は手探りで前に進むものなのだろう。
安藤美姫さんは有名人なので彼女の苦悩は身近に感じるが、普段外を歩いている時に行き交う人が苦悩を持っていたとしても気がつくはずもなく一見悩みがないように見える。
でも、30〜40才位で一度も結婚していない人はそれなりの葛藤もあるだろうし私のように恋愛に一歩踏み出せない人もいるだろう。
それはやはり安藤選手のような結末があることを深層心理の中に感じているからでもあるはず。
好きになればなるほど相手を失った時のダメージは大きい。
大恋愛の末にその恋が結婚までに至らず、尚かつ相手のことを嫌いで別れていないケースなどはなかなか次に進めないしその大恋愛以上の恋に巡りあうことは難しいだろう。

そんな一度も結婚していない人に比べれば私が寂しいなどのたまう資格はないのだが、人を好きになり切ない気持ち(去って行かれる不安)になることは人間らしくなれる瞬間でもある。
異性を追い掛けなくても楽しいことは山ほどあるとの意見に対して否定はしないが、私の未熟な経験を踏まえると女性を追い掛ける以上に充実感を得られることなどそう多くない。
私の経験上では、事業の立ち上げ時にそれに近い達成感はあったが次の日からはそれが日常になるので苦しみの比重も高くなる。
その点、好きな異性と居る毎日なら一緒に食べる食事のたびに喜びを味わえる。
そんな異性と巡り合えることだけでもラッキーなのだが更にお付き合い出来るとなればこれほどの幸せはない。
一度結婚した私がその環境を失った上での見解なので少しは説得力があるのでは?
今お付き合いしている人が居たり結婚されている方はどうぞ相手の方を大事にして下さい。
人間はモノではないので失ってしまうと代わりはそう現れません。
今日あった何気ない出来事をだまって聞いてくれる人が存在する有難さは他には代えられないものです。

これも私が今まで生きてきた中で思うことですが、私を大きく変えてくれた存在は女性。
自分自身より大事なものがあると思える瞬間があるなら私にとってそれは女性だろう。
もしこれから特定の女性と仲良くなれるなら常に声を掛けスキンシップも大切にしたいと思っている。
その関係性も依存関係ではなく、互いが刺激し合い尊敬し合い励まし合うことで、日々に張りややりがいや生きがいが生まれるのが理想。

そして最後から二番目の恋でなく最後の恋だと相手に言えたら最高だ。
posted by tetsukazu at 22:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月03日

雑感−25

米国の格付け会社でシャープやパナソニックの評価が大きく下がって来た。

企業に浮き沈みがあるのは当然だが、パナソニックは5年前に手持ち資金が2兆円と言われていたのに5年間で大変な事態となっている。
円高が企業業績低下の主要因と言われてはいるが、私の見方は違う。
経団連などは日本の法人税が高いと繰り返し主張しているが、租税特別措置の恩恵を受けるため課税対象額そのものが抑えられるので大企業の実際の税負担は軽い。
都合の悪いことがあるとしか思えない位、大マスコミも政府もそのことについては一切触れない。
みんなの党などは消費税アップの前にすることがあるはずと主張しているがこのあたりのからくりを熟知しているからこその意見だろう。

日本の大企業(主に製造業)は中国など人件費や土地代の安価なところの生産が中心なのだから本来であれば韓国企業などに価格競争で大負けするのはおかしい。
しかしこの点はやはり円高の影響もあり外国企業のホワイトカラーのドル換算年収と日本企業のホワイトカラーのドル換算年収では差があり過ぎる。
因みにパナソニックの従業員は約33万人で平均給与は年800万円。ドル換算では約10万ドルになる。
米国では平均給与を出した統計が少なく推測するしかないが、調べた限りのデータでは例えばシアトルでの男性の年収は約4万ドルとなっている。
い1ドル(米ドル)80円で換算すると約320万円。
大企業以外の会社も含めての日本人男性の平均年収は約500万円。ドル換算では約6万ドル強。

やはり企業体トータルとしての経費が日本企業に重くのしかかっていそうだ。
パナソニックにしても7000億円の巨額赤字が発生しているのだから年間10万ドルもの給料を支払っている場合ではない。

と、ここまでが今日の話の前置きであり、本題はここからになる。
以前のエントリーで物事には主要なこととそうでないことがあると主張したが、定期的に自戒を込めないと意識から外れるので久々に語ってみる。

最近のヨーロッパの退潮は加速度的と言ってよい位急激なものだが、私にはその理由がなんとなくわかる。
つまり人間という生き物は、基本的に 『どうやって食べて行くか』 が主要命題でありその他のことは刺身で言えば、大根の[けん]や わさびのようなもの。
それなのにヨーロッパの多くの国は、 『文化・芸術・ジョーク』 などに力を注ぎがちに見える。
勿論、マグロのぶつ切りをいきなり目の前に出されても美しくも何ともなく刺身には 『つま』 や盛り付ける器も重要なのだが肝心のマグロがしょぼくては話にならない。

宗教的にも戒律の厳しいカトリックの影響が強い国は商売がへたに映る。
フランスなどはカトリックの影響が強く、イギリスは俗に言う英国国教会でありカトリックとプロテスタントの両方の良いとこ取りみたいな側面がある。
ドイツはプロテスタントのルター派の影響が強く、スイスも経済的にはドイツと密接な関係にあるし宗教もカトリック教徒とプロテスタント教徒の数が拮抗している。
同じキリスト教と言っても最早カトリックとプロテスタントは異教徒と言えるだろう。
北欧諸国も商売上手だが、ルター派教会はオランダ・デンマーク・スウェーデン・ノルウェーなどにも発展していった。

イタリアはローマにバチカンがあるのでカトリックの本場とも言えるが、イタリア人自体は快楽主義的なところがあり、『信仰心が厚い快楽主義者』 のイメージ。
お金儲けを是認しているプロテスタントの影響が強いドイツ人が堅物のイメージなのも面白い。

どちらにしても世界中が資本主義社会に染まっていった今、個人も企業も国家も生き残るのが主要命題。
残念ながら経済的な都合や目的の中では 『倫理・道徳』 は先程述べた刺身のつまに過ぎない。
それどころか 「恋愛で飯が喰えるかよ!」 との捨て台詞も間違っていないと言うしかない。

とは言え、社会の中で生きて行くためには体裁(ていさい)や建前だけは保たないとならない。
若くて綺麗な女性がお金持ちに近付くとして心の中では 「一生楽して暮らすわよ」 と思っていても表面上は 「あなた無しでは生きて行けないの」 と言うべきである。
男の場合はやはり脳を極限まで使い脳内のネットワークの網を細かく張り巡らせて少々網が破れても代わりの経路が生きているような状態にしておく必要がある。
そして実際に頭を使っているのかどうかは鏡を見れば一瞬で答えは出るだろう。

さて、現在の国内の状況だが日本の国はポーカーで言えば手の内にフラッシュかストレート程度の手は揃っている。
それを無理してストレートフラッシュにしたいためにカード入れ替えようとしたが(自民党⇒民主党)ソフトバンクなど一部の企業を除きこの3年で大企業中心に株価は暴落した。
さて次の選挙で国民はどんな手にしたいのだろうか?
橋下氏が主張するように手の内の5枚のカードを全て取り替えロイヤルストレートフラッシュでも狙うと言うのだろうか。

本題と言っても結局は経済の重要性を語っただけだが、フランスの経済学者であり思想家でもあるジャック・アタリ氏(菅直人前首相が在任当時に書店で彼の著書である=国際債務危機=を購入したとの報道がなされた)が述べていることも、
マルクスが言ってきたことの用語を変えただけで、哲学と経済と政治が軸となり国家や組織はより良く運営されると分析したに過ぎない。
哲学的素養や政治的センスがなければ経済力も生まれないわけであり、個人においてもそれは言える。
特に政治的センスについては説明がし難いが 『まとめる力(総合する力)・バランス力(攻守の軽重や物事の優先度の見極め)・先見性・責任力・交渉力・分析力・人間性・人間力などを備えること』 により豊かな生活を生むことにつながる。
結局、富は意識し過ぎて追いかけ過ぎると逃げるような気がする。
ひたむきに真っ直ぐ物事に取り組むことの連続により少しばかりのご褒美を貰えるのではないだろうか。



土曜日の競馬はあえて狙うなら京都メインの京洛ステークスだが、ツルマルレオンをデムーロに任せ6番のハクサンムーンに騎乗する小牧騎手には逆らえないように思う。
母父サクラバクシンオーの血に加え、京都内回り芝1200mのBコース使用初日であり枠も3枠6番で偶数番の後入れという先行馬にとっては願ってもない好条件。
2枠4番のツルマルレオンと5枠9番のサドンストームも人気するだろうから複勝で130円つけば狙う価値はあるしツルマルレオンもしくはサドンストームとのワイド1点狙いも考えられる。
ツルマルレオンとハクサンムーンとサドンストームの単勝3点買いの合成オッズが投資金額の1.3倍以上になるようならハクサンムーンの複勝1点より賢い選択かもしれない。

投資額の1.3倍という少しばかりのご褒美を貰えるだけの努力をしたと言えるのなら結果はついてくるだろう。


追記
おいおい!! トシキャンディ!!!
逃げ争いはええけどテンのスピードで負けた時点でちょっとは引けよ。
陣営の指示もあったのは理解出来るが、あれでは人気馬を潰しただけの競馬。
ハクサンムーンを交わしきったならまだしも騎乗馬は4角で既に脚がない始末。
麻雀でもよくあることだが、3万5千点前後で競い合う2人がいる場合、ラス目で5千点の奴は余程の好手が入らない限り場を汚すことはしない。
麻雀は4人でやるゲーム。そこはやはり暗黙の紳士協定があってもおかしくない。
大リーグでも大差がついた終盤で勝っているチームが盗塁しても記録にならない。
例えが悪かったかもしれないがトシキャンディはあそこまで人気馬に喧嘩を売った以上馬券圏内に入るべきだと思う。
結論から言うと私はハクサンムーンの馬券は買わなかった(展開に危惧を感じたことと人気3頭の単勝3点買いの合成オッズが1.15倍程度にしかならなかったため)。
ただ、もし当ブログの見解を少しでも参考にされた方にはお詫びします。
それだけに意見を言う資格はあると思う。 喧嘩を売ることに文句があるのではなく共倒れになったことで国分恭介騎手に勝負への美学を感じなかったから。

今日は、auひかりのTVサービスでミュージックON!TVのカラオケランキングベスト50を視聴していたが、6位がStory、5位がキセキ、4位がハナミズキ、3位がヘビーローテーション、2位が栄光の架け橋、1位が女々しくて(ゴールデンボンバー)だった。

そうか、確かに1位の曲は盛り上がりそうやもんな。
個人的にはStory ( AI )の 「自分だけのStory作りながら生きてくの だからずっと ずっと あきらめないで…」 の 「ずっと ずっと↑」 のメロディーラインに痺れる。
6位、5位、4位、2位の4曲についてはどれも奥深い世界観(恋愛観)を感じるので幅広い層に支持されるのは理解出来る。
今日の深夜1時30分〜3時30分はスペースシャワーTVプラスでSKE48の2時間スペシャルを視聴する予定(オッサンいくつやねん!とのツッコミはご遠慮下さい=笑)。 


完全に引越した長男からメールがきて、東西のメインの勝ち馬を両方1点で的中させたとの内容だったのでネタ交じりで、「金貸してくれ」 と返したら 「千円位なら…」 と返ってきた。
さすが我が子。金銭感覚が優れている。ふたりの息子には100円の大切さを繰り返し伝えてきた。
20才を過ぎたふたり共が健全な金銭感覚を持っていることにホッとする。
因みに長男は秋の天皇賞でダークシャドウの複勝300円とトーセンジョーダンの単勝100円とカレンブラックヒルの単勝100円を買っていたようだ。
GTを500円で楽しんでくれていることを知り少し心が和んだ。
そして少なくとも私はひとりで生きているわけでないことも実感した。

先日から嬉しそうに語っている 『100万回生きたねこ』 大阪公演のチケットが2枚届いた。
公演があるシアターBRAVAは1100席強の劇場なのだが、横に40席位並んでいて2階席は1階席の中央あたりにかぶる程度にせり出していて舞台上から2階席最後部までの平行距離が26mほどしかないらしい。
とれたチケットは縦列だと1階席の中央付近になるがそれでもかなり臨場感がある中で観ることが出来そうである。
一緒に行く女性にも伝えたが楽しみにしてくれている。
私にしてみれば行く頃にその女性が心変わりしないことを祈るばかりだが、こんな心境になるのもある意味悪いことでもないかもね。


明日はずっと続けているボランティア清掃を行う日だが、年配の女性(女性版ライオンズクラブの方)から一緒に活動していいかしら?と声を掛けてもらえた。
前回の清掃時はやはり年配の男性(身体的に障害をかかえている方)に新たにお手伝いしていただいたのでこうして毎回ひとりでも協力者が増えることは私にとっての喜び。
別にこちらからお願いしているわけではないが自発的に協力してくれる方が存在することを実感することで世の中まだまだ捨てたものでないということに気がつく。
12月は餅つきの行事もありそろそろ忙しくなってきそうだ。
私自身が、人の温かさに触れることこそが何よりも幸せなことだということに気づいた時、自己満足に終始する日々も終わるのだろう…
posted by tetsukazu at 03:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月31日

雑感−24

人類が獲得した最も素晴らしいものとは?

いきなり壮大な問い掛けから話始めているが、それは 『火』 でもないし 『二足歩行』 でもないし 『言葉』 でもないと私は思う。

では何か?

私の今までのエントリーの全てを並べてみても出る結論になるがそれはやはり 『自由』 だと思う。
世界中の人々に 『自由』 という価値が行き渡った今、後戻りは出来ない。
永続的に社会主義を実現させようと考えた国々の指導者でさえ 『自由を実現させた社会主義』 を理想としていたのではないだろうか。

小さな存在である我々が過ごす日々に起きる悲喜こもごもの出来事も 『自由』 をキーワードにしてみると説明がつく。

前エントリーで触れたARBのボーカルだった石橋凌にしても(以下人物への敬称略)、カッコの良い楽曲を作ったけれど原田美枝子と結婚して三人の子供を育てている最中にアメリカ人女性との間に5歳の隠し子が存在することが存在した。
発覚後の会見では石橋凌は全てを認めると発言したが、男を下げたことに変わりはない。
隠し子については戸籍関係にはならず経済的援助に徹することになるのだが、女性二人が男性を奪い合う関係にならなかったことでかえってアメリカ人女性にとって石橋凌が何が何でも必要な存在でなかったのか?とのあらぬ憶測を呼ぶこととなった。
別に私は彼の作った楽曲に文句があるわけでもなく、人間は正しい道を歩き続けるだけの存在ではないことを自戒も込めて改めて心に刻もうと思ったからだ。

他にも男を下げた例を挙げればきりがないが、あの石原慎太郎だって隠し子(最終的に認知)の存在を否定し続けていたが女性に認知を求められ本意ではない結末となった。
始めから堂々としていれば男を下げることもなかったのだがウルトラ右翼と呼ばれる彼でさえこの様である。

有名なところでは布袋寅泰が高岡早紀との関係について 「火遊びが過ぎました」 とコメントしたことに対して保坂尚輝が激怒して布袋寅泰に直接のケジメを迫ったが、布袋寅泰は逃げ回ることに…
体格では逆の展開になってもおかしくないのだがこの例もまた男を下げた例。

女性問題ではないが今また民主党の現役首相が男を下げようとしている。
「近いうちに」 とは言ってみたもののご自分でも近いうちの定義がわからなくなっているのでは?との状況。
私は個人的にこのような姿を子供達に見せることが教育上良くないと考えるが、甘い考えだろうか。
親が子供に 「早く真剣になって勉強しなさい」 と言っても 「近いうちに本気を出します」 と言っておけば良いわとなったりする危惧。

ただ、もっと大きな視点で見れば先の女性問題や今回の近いうち発言問題も、形而上学と弁証法の違いで考えると説明がつく。

繰り返し言ってきた通り、水と氷は別ものと考えるのが形而上学で水がやがて氷になるとの考え方が弁証法である。
例えば、野田首相の発言を政治家の発言と割り切り形而上学的視点で見ると、政治と道徳・道理は別ものと考えることが出来る。
芸能人の異性問題だって上半身と下半身は別ものと割り切ればおかしくはない。
形而上学の本場は恐らくイギリスだが、いまだに資本家と労働者は別ものと互いが割り切っている側面がある。
現在では二大政党とは必ずしも言えなくなっているが、『保守党』 に対して 『労働党』 との名前はイギリスらしいネーミング。
法律や各種ルールにしても極力明文化せず慣習や過去の事例を根拠に運用するのが一般的。
そうでないとひとつの空間を暗黙のうちに身分によるエリアわけするなど出来ないし、競馬場に入るのに正装が条件などとはならない。
イギリスの意外な点はブックメーカーを通じてギャンブルがほぼ合法的に無制限に開放されている点。
このあたりは身分に関係なく自己責任の論理が毅然と成立していることと大人を大人扱いするという意思表示だろう。

イタリアなども首相の下半身問題と政治的能力は別と割り切っていそう。
そこは国民のリテラシー(物事や情報を自己判断で正しく選別する力)が働いているのだろう。

日本の子供達にしても良い意味でリテラシーを向上させ政治家は仕事をしっかりやってくれれば少々の矛盾点には目をつぶろうとなることが民度向上になるかも(ならないかも)。

資本主義社会の中で、自由に金儲けが出来て、住居を自由に移せて、基本的に言論の自由もあり、結婚の選択や就職の選択も自由である。
民主主義でもあるので、建前上は性による差別や職業による差別や住む土地による差別もない。

我々は、朝起きてから夜寝るまで建前上は自由が約束されている。
この状態からはもう後戻りが出来ない。
どのような自由を行使してどのような自由は行使しないかも自由。
そしてどのようなことに歯止めをかけるかも自分自身に委ねられている。
こんな時代に生きるひとりの人生は、自由の扱い方で90%方向性が決定するだろう。
自戒を込めて改めて 『自由』 と向き合いたい。


*追記=新着記事にもカテゴリー(日記)記事にも反映されないので(昨日の記事もそうだったようだ)おかしいなと思いブログ設定を見たら 記事非公開 となっていた。 えっ? 光にしただけなのに昨日からトラブル続き。
記事公開と設定し直したので次のエントリーから改善されると思います。
ただ何故か昨日と今日の記事自体は閲覧可能だったよう。記事タイトルからの訪問者はほほゼロだったのに訪問者自体は存在したため気がつくのが遅くなりました。


*訂正
形而上学の本場は恐らくイギリスと表現しましたが、本場はヨーロッパとの表現に訂正します。
イギリスの場合は思想的には経験論がベースになっており、形而上学も含めた思想から発展した末に達した結論なので国ごとにひとつの表現で思想的背景をはっきりさせるのはやはり困難です。
しかし今までも私が形而上学との言葉を使ってきた責任もありもう少しわかり易く表現し直しておきます。

形而上学は言い換えると二元論という考え方になります。
二元論を説明する際にデカルトの形而上学を引用する場合が一般的なので形而上学との言葉を使いがちですが日本語として一般的でないため二元論との言葉の方が自分自身も含めてより理解が進むかもしれません。
例えば、精神と物質にそれぞれ絶対的独立を認めるとすると、その二者間は無媒介性の性質を持つものとなります。
つまりその二者間は交わることがない要素同士ということになり仲介・中継・橋渡しするものもないとの前提となります。
私がイギリスを強調したのはこの二元論的特徴を感じたためでした。

対して一元論については精神を柱とする唯心論と物質を柱とする唯物論がありますが、唯物論的一元論との立場をとることが自然科学者達の中でも一般的になってきました。
しかしこの場合、人間の特徴である精神部分と肉体部分の合一性を説明出来ないことになります。
二元論で語ると精神と肉体が別ものになるし一元論になると精神も含め人間の存在が単なる物質のかたまりになってしまう。
この点は現代科学を持ってしても解決しない課題となる。
比較的しっくりくるのは、脳を中心とした脳主体の一元論になるかもしれません。
依存症の問題やうつ病の問題なども脳の機能に何らかの原因があるとされるのが一般的になりつつある。

とにかく一元論・二元論の問題はあらゆることに繋がる話であって私が今後生活して行く上で意識・無意識にかかわらず関心を持つべきことに思います。
時間があればもう少し勉強した上でエントリーに繋げられたらと思います。



posted by tetsukazu at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月29日

雑感−23

なんだかんだとバタバタしていて天皇賞の最終判断の記事の更新が出来なかったが、
前記事で思わせぶりに書いていた通りフェノーメノが4番枠を引いた時点で軸馬は決まった。
ただ、まさかまさかの一番人気。複勝の直前オッズは1.3倍〜。
う〜ん?? これではリスクとリターンのバランスが悪過ぎる。
フェーノーメノ・ルーラーシップ・ダークシャドウ・カレンブラックヒルの4頭の内1〜2頭は展開ひとつで複勝圏から外れるわけであり、枠有利とのアナウンス効果の影響もあった上での押し出された一番人気馬のオッズとしては他の3頭と比較して売れ過ぎな印象。
ただ、言い方を変えるとこんな予想の難しいレースでこのはっきりとした支持率で結果も2着というのはファンの目が肥えてきている証拠でもある
そのような状況なので結局、天皇賞は見(ケン)するとの判断に至った。

それにしても勝ったエイシンフラッシュはスムーズに進路をとれた。勝つ時は全てが上手く行くのだろう。それは馬券を買う側も同じ。
デムーロは4角で内が開くと信じて騎乗したことで幸運が巡って来た。
勝負の世界は、実力がなければ運の要素に頼るしかない。実力があれば技術が9で運が1位の割合で勝負に臨めるのだ。
デムーロは9の実力があったからこそ1の運も味方したに違いない。


私の持論だが、人間はいくつになろうが自分自身で成長の歩みを止めなければ実力・能力(生きて行く力)はアップすると考えている。
私がよい歳をして女性を追いかけているのもただただイイ男になりたいからだ。
少し前の記事で、ミュージカルの 『百万回生きたねこ』 大阪公演を観たいと言ったが、何とかチケットを2枚とることが出来た。
あのドラマ版 『モテキ』 で息の合ったところを見せた森山未來と満島ひかりが主演だけに今から楽しみだ。
勿論、2枚とった以上誰かを誘わないとならないのだが今一番気になる女性に声をかけたら快諾してくれたので楽しみは一気に数十倍になった。


今日はハードなトレーニングで痛めた足をいたわるために新しいランニングシューズを購入した。
いつも私のことを嘘でも 「カッコいいですね」 と言ってくれる男にトレーニングの話をしたら 「俺も月間150km程度は走ってますよ」 とのこと。
[俺の半分か、まだまだやな」 と言葉を返したが自分自身でハードルを上げてしまったかも…

先に述べた舞台は来年1月末から2月始めにかけてのものなので、今度は一緒に行く女性から 「なかなか雰囲気ありますね」 位の言葉を貰えるよう進化を続けないとね。

良い人間関係とは、お互いが影響し合うことでお互いが成長し尊敬し合えることだと思う。

前にも少し語ったが長男の更なる引越しのとどめとして金曜日の深夜に50インチ近くのブラウン管テレビをマンションの階段で下まで下ろしたのだが半端でない重さだった。
足の小指の休養中だったのだが、父親としてはそんなことも言えず最後まで運び切った。
当然ながらダメージは体全体にきたが人間関係は持ちつ持たれつが基本。私が長男に救われることもあるのだから頼られるうちが華。
以前に書いた記事の内容で 「複数の人間が同じ場所に居合わせることで心が生まれるのであり、一人でいる時には心は発生しない」 との知人の発言を記したが、
周囲の人にまた会ってみたいなと思ってもらうためにも心と体の健康維持に努めたい。
そして人間は己の欲望を完全に制御するのは困難だが、越えてはいけない一線だけは越えないよう強く心掛けたい。


それにしても天皇賞のレース後にデムーロジョッキーが、天皇皇后 両陛下に対して敬意を表した瞬間は感動的やったな。


posted by tetsukazu at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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