2013年06月10日

雑感-63

お久し振りです。
なかなかの忙しさで日々過ごしていました。
国民的大イベントのアイドル総選挙も終わり世間は夏に向けて充電中かと思われます。
その選挙では、私が「こいつはしっかりしてるよな」と思っている子は第6位でしたね。

さて、最近の私は忙しさの中で時間を見つけては「日本は何故負ける戦争をしたんだろう?」
との疑問を解消するため文献を参考にしたりしながら課題に取り組んでいます。

砂糖水は当然、砂糖と真水が混じったんものです。
国にせよ人間にせよ何かの要素と何かの要素が合わさった出来ていることに違いはないはずです。
日本の歴史を辿れば、明治維新の前後からヨーロッパの国々などの法制度や議会制度を良い意味で真似て近代化を遂げました。
それなのにどうしてか昭和に入る頃から自国の国力を客観視する目線を失い自爆への道を進んでしまいました。
それは何故なのか?

当時は、ソ連の南進の防衛のためにも中国大陸の一部の権益は確保しておきたいというのが政府・陸軍・海軍、そして国民・マスコミの共通意見だったように思われます。
そうした背景の中、参戦にあたり決定的決め手となった米国による中国大陸からの撤退要求に対し、御前会議で対英米蘭開戦を決定したのも仕方がないことだったのかもしれない。
ただ、皇道派と呼ばれる者の中には米国を敵にした場合は物量面でかなう相手でないことを認識している者もいた。
しかし二・二六事件などがあり、皇道派の中心人物は開戦時には国の中枢から外れていた。
結局、肝心の開戦時にはオールジャパンで戦う体制が出来ておらず、東條英機にしても押し上げられるようにトップに立った状況だった。

その他にも天皇が時の首相を叱責したりしたことが歴史を変えた一因だったとか諸説はあるが、要は人格・人望・見識・学識・統率力に秀でた人材がいれば歴史は違ったものになっていたかもしれない。
だがそれは、国民やマスコミをも敵に回す覚悟も合わさってのものであり天皇をも懐柔するだけの器量が必要だっただろう。
天皇・政府・陸軍・海軍の間での闘争があり、それぞれの組織内での闘争もあり、流され易い国民・マスコミの存在もあり、成熟した近代国家と呼ぶにはまだまだ欠けている要素があったのだろう。


そして、平成25年となり今の日本はどのように変化したのだろうか。
成熟とは書いて名の通り、時間をかけて初めて辿りつく境地。
我慢して我慢してもういいかなと思ってもそれでもまだ我慢を続けて成せるもの。
飲む打つ買うにうつつを抜かす者とそうでない者の差は、暇があるかどうかの差に思う。
成熟した大人になるために、もし暇があっても寝る前に一人ウイスキーをロックで嗜む程度の格好良さは持ちたいものだ。

成熟した国に住み、成熟した大人として生きる。
砂糖水は湯せんにかけて水分だけを蒸発させると砂糖だけ取り出せる。
人間ももし不純物が精神に入ってきていると感じたら、何かの触媒により不純物を排出したいものだ。

最後に、誰かに届けこのメッセージ。ごめんなさい今月は最後まで忙しいです。


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2013年05月29日

雑感-62

あー昨日は楽しかった(詳細は省略)。

ただ、今日になり書きたいことが出てきたので某場所から更新している。

個人が何らかの行動を起こす場合、本来は何らかの実利を見込んでのもののはずだが、
対象が欲望と密接に関係している時は等価交換ではなく不等価交換である場合が多い。

稼いだ金をどう使うかは実は自分自身が試される大きな試練の瞬間でもある。
私は、人間は10代にするべきこと。20代でするべきことがあると思う。以下各年代でするべきことへと続く。
10代でするべきことはやはり勉強であり、20代でするべきことは数百万で良いから貯えることだと考える。
20代後半から30代にかけてはその金で家の購入の頭金にしても良いし(私は住宅ローン反対派)結婚資金にしても良いし事業資金にしても良い。
実際に私は貯蓄を20代後半に結婚資金と事業資金に充てた。

成長する過程においての男の場合、女性に対するイメージを持つことが重要になってくる。
これについては私が散々言ってきた通り、「身も心も金も女性に捧げる」姿勢が重要になる。
これは何も私の偏見でなく、他の動物のオスの多くもこの姿勢でメスの歓心を得ようとする。
つまり、男(オス)が女(メス)を選ぶのではなく、女性に選んでいただくのだ。

何故なのかは説明しなくても良い位だが、女性の立場に立って私という男を見た場合果たして選ぼうとするだろうか?と考えると答えは早い。
自分自身で鏡を見てそばに預金通帳を並べてみれば選ばれるかどうか位5秒もあればわかる。
一人の女性に選んでいただくのは男にとっては大事業なのだ。
20代の時点では間違っても稼いだ金を自分の欲望のためだけに遣おうなど考えてはならないし男の人生が面白おかしいものだと勘違いするべきでない。
勿論それは私のような元妻帯者にも言えること。

私は最近改めて、自身の存在意味や存在意義、そして自分が生活する中で起こる出来事の意味や意義について考える。
ハイデッガーではないが私もずっとこの世に存在するものや発生する出来事にはそれぞれ意味や意義や理由があるはずと思ってきた。
しかし、時と共に存在理由がなくなって行くものもあるし存在価値が大きくなって行くものがあることに気がついてきた。
日本共産党などはそろそろ賞味期限が切れてきた気もするし党員はもっと目の前の票数に意味を考えるべきだろう。
とは言えやはり現に存在するものや現に発生することには意味や意義や理由があると思いたい。

私自身も日々意味を感じながらこのまま体を鍛え脳を鍛え続け何とか選ばれる男になりたいが、小さい声で「精一杯尽くしますからせめて可愛い女でいて下さい」 とだけは言わせて下さい。

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2013年05月28日

雑感-61

携帯での投稿も出来なくなっており、サウナから投稿しています。
そういう状況なので次の更新はいつになるやら(いい加減パソコン直さないと)。

世間はやぐっつぁんの件で盛り上がっていますが、ある意味あそこまで男性との接点があるのは凄い事やわ。
一生のうちにたったひとりの異性からも告白されない人間もいるのに一体何人から愛されたのやら。
ただ、女性の値打ちを下げ幻想を崩壊させた点では罪深いかと。
非婚・晩婚・少子化は更に加速するかもしれませんね。

さて、私ですがここに来て超絶な忙しさです。
そんな中、仕事関係の若い女性から「またお会い出来ましたね」と言われたことが嬉しくて、「何としても死ぬまでに最低ひとりからは愛されるぞ!」とへんなテンションが持続中です。
当然、矢口的な方はご遠慮します(その前に向こうが相手にしないと思うが)。
鍛える方は、やはりあと2年位続けないと理想の体にならないですね。
女性の前に肌をさらすのはそれからになりそうかなぁ(長い〜〜)。
サウナに来ると余計にまだまだ感におそわれます。
6月後半位からは、タンパク質などを多目に摂り年末までに体重を5キロ位は増やしたいですね。

では、皆さんも男(女)磨きに励んで下さい。
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2013年02月27日

雑感−59

今日はお薦めの書物を紹介します。

以前にも単行本刊行時に少しだけ触れましたが、羽生善治(永世名人)著書である 『捨てる力』(PHP文庫) です。
単行本の時のタイトルは 『羽生善治の思考』 ですが、今年になり文庫本として出されました。

内容については省略しますが、羽生氏は私が 「こいつだけは凄い」 と思える何人かのうちの一人。

それでも私なりにまとめた中でひとつだけ抜粋すると 「日々発見をし知識を積み重ね整理しそれを知恵に変える」との言葉は、頭では理解出来ても実践するのは難しい。

もし本当に知恵が備わっているのなら日々の選択に間違いは少なくて済むだろう。
私はギャンブルをするが、鉄則として心に強く刻んでいることがある。
例えば、ひとレース目で5000円負けたとする。その負けを次に賭けるレースだけで取り返すそうとするとかなりの確率で失敗する。
私がもしそのような局面を迎えた時に本気でその5000円を取り返したい場合、最低ふたレースをかけて取り返す方向に気持を持って行く。 それこそが 「知恵」 
何もギャンブルだけでなく、体調が低下した時の回復の仕方とか人間関係のトラブルに遭遇した時の対処の仕方などにも 「知恵」 は重要な機能を果たす。

とにかく何十冊も本を読む根気があるのならこの本を一冊読めば数十冊分になることを保証します。


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2013年02月18日

雑感−58

フェブラリーSはテスタマッタに注目していたが、直線に入り何度か進路がふさがり影響を受けてしまった。
結果的にはテスタマッタの進路に対して妨害したとの理由でワンダーアキュートに騎乗の和田騎手が2日間の騎乗停止になったのでやはり影響は大きかったのだろう。
テスタマッタがすぐ右側にいる中での和田騎手の右ムチはテスタマッタへの嫌がらせにしか見えなかった。
しかし勝負事は結果が重要なのでこればかりはどうしようもない。
新基準での制裁なので降着の対象にはならなかったが、今後も馬券を買う者は厳しい進路争いを覚悟して馬券を買うしかない。
勝負事にたらはないが、数年前に私がスプリンターズSでダッシャーゴーゴーの複勝を4万円買っていて降着で涙をのんだレースも現基準ならOKだったのかなと考えてしまう。


昨日はLaLaTVで結婚できない男の一挙放送を観たが、今放送中の最高の離婚の瑛太が演じている役と阿部寛が演じている役のキャラには共通点があるように感じた。
どちらも男前だが自分の生活パターンのこだわりがあり、他者と折れ合いをつけるのが苦手な点だ。
片方は結婚出来ないで、もう片方はしたけれども上手く行かなかった(現時点)との違いはあれど、ある程度現実の世界にもいる男をモチーフにしたものだろう。
共に、格好良いだけが異性と上手に付き合う要素ではないことがよくわかるドラマだ。
このような個性の強い男は、そんな男をしなやかにコントロール出来る女性と巡り会えて初めて幸せや安らぎに気がつくんやろな。



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2013年02月16日

雑感−57

自分で選んだ道なのだが、何故か少しだけほんの少しだけ賑わいがまぶしいかな。

久々にチョコゼロイヤーになった。

自ら知り合いに甘いものは間に合っていますとメールをした私が泣き言を言うのもおかしいのでここはさらりと流そう。


昨日から今日にかけての私の最大の関心事は岡山地裁で判決が出た、元同僚女性を殺害した男に対する死刑判決だ。

裁判員裁判が始まって以来死刑判決が出易くなってる印象だが、一人を殺害しての死刑判決は2002年に静岡県三島市で起きた女子短大生焼殺事件がある。

加害者は帰宅中の被害者に声をかけたが相手にしてもらえなかったことに激昂し、自分の車に連れ込んで監禁し強姦した。
その後、道路工事現場で生きたままの被害者を縛り上げ灯油を浴びせて焼殺した。
地裁では無期懲役の判決が出たが、高裁で死刑判決に変わり最高裁で刑が確定し2012年に執行された。


岡山の事件は、被害者とは別の女性との婚約が破棄となり自暴自棄になっていたとの話もあるが罪もなく優しく接してくれた同僚女性を倉庫に連れ込み性的暴行を加え殺害し遺体を切断して川などに遺棄したという痛ましい事件。
裁判長は、「被害者の数は一人ではあるが、被告の罪責は誠に重大で、死刑の選択をするほかないものと言わざるを得ない。その反省や謝罪は、不十分と言うほかない」 と述べた。

判決を受けて会見に臨んだ被害者の父親は、「私どもの中に達成感はないです」 と語った。


私は最近、「人間は突き詰めれば自分のために生きている」 と思わなければ理解出来ないことに直面することが多くなった。
結婚して直ぐに離婚する夫婦を見ていても、結婚も自分のためだし離婚も自分のためなんだろうなと思うしか心の整理が出来ない。

人間とその他の動物の大きな違いは、『余暇があるか無いか』 だろう。
近代になり生産力に飛躍的発展があり、一日8時間か9時間の労働で生活が成り立つようになり睡眠時間を除くと平均して5〜6時間の余暇が発生し、休日はほぼ半日が余暇に当てられる。
人間も大昔は睡眠している時以外は、食料の確保に一日中走り回っていたはずだ。
そんな時代であれば5〜6才の子供だって食料を確保するための協力をしていただろうし12〜13才にでもなれば一族の主力となり働いていただろう。

時代は変わり、6〜7才から21〜22才までは学校に通うのが仕事のようになるのだが、果たしてそんなシステムが効果的に機能しているのだろうか?
重大な犯罪を起こす者だって子供の頃は一般的な教育を受けていたはずだ。
それがどうしてこのような事件を起こす大人になってしまうのだろうか。
何か歯車が狂って来ているように思えて仕方がない。


そこで、一人の殺害での死刑判決への私の見解だがまだまだ整理がつかないので問題点を指摘しておこうと思う。

@一人殺害すれば死刑になるなら、一人でも数十人でもどうせ死刑なのだからと無差別大量殺人事件への予防策と反対方向に行く不安。
つまり、一人殺害した時点で犯人に対して 「今ならまだ間に合うから次なる犯行を思い留まれ」 と呼びかけることの意味が薄くなる可能性があるということ。

Aどの程度の残忍さであるとかどの程度の殺意があったとかの判断基準を設けるのは困難だし、交通事故により死亡させた場合でも危険な乗り物を運転する時点で、不測の事故に対する予見性の認識は持つ状態だったと言えないこともないわけであり、殺害人数による基準の方はっきりするが、複数の加害者がいた時(例えばコンクリート詰め殺害)に個々の量刑をどうするかで判断が難しい。

B本来、報復権は被害者本人が持つべきもののはずだが現実問題としては死んだ被害者にその行使は不可能。
死刑制度を存続させるならば将来的には死刑執行を親族が行い、その方法は公開によるものとするなどの検討を行い、重大犯罪の抑止策につながるような対策を講じるべきではないか。

C国際的には死刑制度は廃止の方向にあり、終身刑の導入なども含め死刑制度に対して国民的議論が必要だろう。


最後に一言。
村社会だった昔の日本ならば、近くの商店や近所の人との人間関係がおかしくなっても住み続けストレスをかかえ続けて生きなければならなかったが、
今はそこそこの都市に住んでいれば近くのAというコンビニの店主と喧嘩してもBに行けば良いし、好きな異性に格好悪くふられたとしても2〜3年もすれば誰もそんなことは噂もしなくなる。
もし学校や職場でいじめに遭ったとしても行かないという選択が最良の選択と言われる時代だ。
先進国化・都市化を選択した我々は、個から孤になろうとも強く生きなければならない。
岡山の事件の被害者は、犯人にとって魅力的な女性で優しく接してくれた女性だったようだ。
殺人犯を厳罰に処することは重要だが、被害に遭わないための最大限の努力を怠らないことも同じ位重要。
日々興味のあることに時間を割きたい気持は理解出来るが、このような事件を他人事とせずに教訓として少しは時間を割き自分の頭で考えることも大切だと思う。



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2013年02月13日

雑感−56

ライアーゲームのシーズン1の一挙放送を観たが、正直者で人をすぐ信じるヒロインから何を教訓とすれば良いのだろう? と複雑な気持になった。

ドラマの主要人物である秋山の母親は、マルチ商法の犠牲となり自殺してしまうのだが、秋山は復讐心を胸に加害者達を追い詰める。

そもそも日本は、死刑容認国である。
死刑を容認しているのは他でもない我々国民であり、死刑囚に対しては我々一人一人が間接的に殺人者であるとの自覚が必要である。
つまり我々は選挙や議員を通じて 『報復権』 の行使を是とする意思表示をしているわけだ。
目には目をの考え方であるし悪い奴には罰を与えるとの理念を法律として具現化している。

では、死刑制度は 『悪制度』 なのだろうか。

恐らくだが、この世には 『絶対悪』 はあれど 『絶対善』 はないだろう。
ライアーゲームのヒロインは自分自身をある程度 『絶対善』 の立場との自覚があるのだろが、それなら人を殺めた人間は殺されて当然との立場に立てるのだろうか。
もしそうであるなら秋山の復讐心を認めて支持するべきに思う。

そこで私は 『必要悪』 との概念で説明をしてみたい。


私は個人的には、国家そのものが必要悪と考えている。
生産には、●物質的生産 ●生命的生産 ●精神的生産 の三つがあり、生命的生産とは子孫繁栄で精神的生産とは 『教育』 のこと。

主に、義務教育段階での教育の目的は労働力の再生産であること位は教師も理解しているはずだ。

つまり、教育現場においては  [自分の頭で考えたことを自分の手足で達成する人間の養成ではなく、他者(主に支配者)の頭で考えたことを自分の手足で達成する] 人間の養成こそが求められる。
決められた時間通りに決められたカリキュラムをこなすことが生徒・学生の役割となる。
そしてそこから落ちこぼれて行く人間の一部はやがてアウトローとなるのだが、アウトローの捨て台詞である 「社会・世間が悪い」 には違和感を覚える。
どちらかと言えば自らが望んでアウトローへの道へ進んだ可能性が高いのではないか。
ほとんどの人間は自分の発言や行動を正当化する。 「自分が悪いんです」 と謙虚になる人間は少数だろう。
アウトロー達が、「悪は社会の方だ」 と主張したとすると体制側や一般市民は ?? となるが、そんな体制側や一般市民も自信を持ち 『絶対善』 は主張し難い。

資本主義なんて所詮しょうむない(つまらない)仕組みではあるが、これもまた必要悪な仕組みと言える。
国家も資本主義も死刑制度も必要悪だし、生活指導のコワモテ先生の存在も必要悪だろう。
恋愛もギャンブルも飲み屋もエンターテインメントもある意味全部必要悪と言えるかもしれない。

私は以前から、人が行動する場合の最大の判断・決断要素は 『好き嫌い』 だと言ってきた。
ただ、人間はライオンや虎ではなく、前頭葉の発達により 『理性』 を獲得した存在でもある。
本能を理性によりコントロールするのは困難な作業にはなるがそれでも葛藤は続けないとならないと思う。

山に登る動機は 「好きだから」 だろうが、準備もなしにエベレストに登れるわけがない。
いくら好きなことであれ、無茶はしてはいけない。
中学生が家出したところで、3日もすれば腹がペコペコで自宅に戻るのがオチ。
冒険とは綿密な計画があって初めて成功するもの。 ただ好きだからと言って安易に行動しても結果は出ない。


必要悪だらけの環境で、身勝手と身勝手の集まりの人間社会が形成される。
好き嫌いや損得や善悪などを価値感の基準とするのでなく、『自由・平等・博愛(友愛)』 の精神を人間の理想精神と掲げたのがフランス革命。
しかし、自由と平等は相容れないし、友愛精神を育めるなら戦争は絶えているはず。
企業家は、本来は手段であるはずの金儲けを目的化してしまっている。
金持ちの存在もまた必要悪と言えるが、その金持ち達が貯めこんでしまったままでは社会が円滑に立ち行かない。


話を元に戻そう。

我々は知らず知らずに為政者から与えられた情報のすり込みに大きく左右されて生きている。
当然のようにどこかの会社に勤めたり公務員になったりしているが、それは社会の歯車に組み込まれている証拠でもある。
「自分の頭で考えたことを自分の手足で達成する」 との本来あるべき姿になるためには、一度立ち止り本当に自分が望むものが何かを考えないとならない。
与えられた場所や枠組みの中で欲望を解消するだけが欲望の達成手段ではないはず。
自分の頭で考えるためには、現在の自分を正当化していてはだめだ。
もし自分がたどり着くべき幸福の場所や箇所があるならば、それは 『自分自身』 で作るもの以外には存在しないだろう。



最後に、長男に就職を急いだ動機を聞いてみたところ 「何パーセントかは魔法少女まどか☆マギカの影響がある」 と言っていた。
一人の人間の方向性を変える一翼を担ったとすれば、サブカル(日本のアニメは今やメジャーだが)恐るべしだ。
ついでに、AKBグループの中のイチオシを聞いてみたら 「SKE48の高柳明音」 らしい。
昔から声優のファンだった長男でアイドル事情やゲーム事情にも精通している長男だけに選ぶ目はありそうなので何かの機会があれば注目してみようカラオケ







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2013年02月06日

雑感−55

先日、弱肉強食とのエントリーで色々と書いたが、実際は肉食獣が草食動物を食べ尽くしてしまうと自分達もやがて絶滅するんですよね。
そのため肉食獣は無意識に共存共栄を考えている可能性はありますね。
ところが、人間はバカなのかもしれないが行き過ぎるところがある。
森林伐採なども限度を越えているし砂漠化の大きな原因も水資源の循環を考慮しないことによるものだろう。
果たして今後人類は叡智を持って諸問題を解決出来るのだろうか。それとも恐竜と同じ道を辿るのか。

尖閣を巡り一触即発のムードが高まっているが、AKB48のメンバーの男性問題の方に関心がある者も多いだろう。

アイドルグループを管理する者達にとっては週刊文春などの雑誌媒体は迷惑な存在に違いない。
とは言え、裁判にでもならない限り記事を出す段階では一応合法なプロセスを経て世に出ている。
それでも橋下氏に対する週刊朝日の記事はあまりにレベルが低すぎて訴訟されることを承知で確信犯的に記事を出したわけでもないことが後に判明した。

人類の最大の発明は 『自由』 であると個人的意見を述べたのは他でもない私。

アイドルグループが建前を言いながら純真なファンの応援を受けながら歌手という職業を続ける自由と、
スキャンダルをネタに読者の興味を引く記事を作り出版する自由を駆使する出版社と、二つの自由がぶつかり合いせめぎ合う。

そもそもAKB48は 『制服が邪魔をする』 という楽曲中に、
「制服を脱ぎ捨てて もっと不埒な遊びをしたいの 何をされてもいいわ 大人の愉しみ知りたい」
と元気に歌っていたグループだ。
今更彼女らに処女性を求めるのもいかがなものか?
週刊文春側が雑誌を売りたい気持はわかるが、誰に対して何を訴えたいのだろう。
もし、恋愛禁止の掟を破って男性と会っていることに問題提起をしたいのならそんな記事を書いている側こそ問題があるのでないか。
この関係をどっちもどっちと呼んでしまえば話は終わってしまうが、自由を謳歌することがこの程度の開放感でしかないのなら自由も底が知れている。

ただ、根底に流れているのは間違いなく経済の問題。 アイドルだって出版社だって飯を喰って行かなければならないのは同じ。
最初に述べた共存共栄の論理はここでも働いていそうにない。

今回ターゲットとなったアイドルは、ファン向けには7000円程度のバッグを使っていますと言いながら40万円以上のバッグを持ち歩いていたようだ。
つまり週刊誌側は、稼いでいる人間が悪で偽善も悪と言いたいのかな。
AKB48のファンには小学生もいるだろう。
自由を謳歌するのは良いが、双方に道徳感や倫理感の欠片でもあればぎりぎりのところでエンターテインメントに徹することが出来る気がするが…

本質的に芸術と言われるものは、人を元気にさせるもの。もしくは人に良い意味で何かを感じさせるもの。
決してあきれさせるものではない。
エンタメと芸術は一部で繋がりがある。
私はこんな記事を見ても元気にはならないし良い意味との面では何も感じない。
悪い意味で感じることがあったのでこうして書いている。

先日、ある中年女性に質問してみた。
「私の周囲には女はバカだと言う男がいるんですがホントにバカなんですか?」 と。
聞いた直後にえらいこと言ってしまったと後悔しかけたが、時すでに遅し。猛烈な反論が返ってきた。
「だから男はバカなのよ。女はみんな女優なのよ。バカなふりなんていつでも出来るのよ」
[でも、女性は結婚後も装飾品や旅行や美味しい食べ物に強い興味があるんで物欲が強いように思えるんですが」 と更に失礼な質問をぶつけた。
すると 「それは旦那がそれらの事柄以上の魅力に欠けるからよ。おとといおいで」

私は、「承知しました。二度とバカ呼ばわりしません」 と心を込めて言葉を返して会話は終わった。

演じることがエンタメ精神ならば、出版社はどんな役割りを演じているのかを明らかにして欲しい。
ピエロであるならば笑えないし、トリックスターと言うならば悪意を持った行動が良い結果につながらなければ賞賛を浴びることはないだろう。


私はいつもブログの記事を書きながら自分自身にも言い聞かせているのだが、今日の記事で何か教訓となるものは見出せるのだろうか?
『自由』 をほぼ万人が享受する時代に我々は生きている。
アイドルが仕事を終えて男性と合コンするのも自由だし週刊誌が著名人の私生活を暴露するのも自由に違いないがそれを良しとして済ませる世の中はどうなのか。


私の今の楽しみは肉体を鍛えることだ。
何のため誰のためにそんなに鍛えるの? と聞かれても答えは出し難い。 ただし「成果の確認をすることが生きている実感になるから」とは言える。
肉体が日々変化して行く過程を確認するのは楽しいし、この3年間やたらスナック通いをしたので確実に以前より声が出るようになったことも楽しい。
忘れかけていた恋愛らしき感情も持てたしこれも生きていて元気に活動出来るからこそ。
こうして人間は、変化を実感することで生きていることも実感出来るのだろう。


尖閣付近で仕事をする方々は日本の領土の防衛のため日々戦っている。
私達がボーッとしていて良いわけがない。 変化し成長し続けなければ戦いの場に立ち続けるのは難しい。


自由な社会を維持するために自由な毎日を過ごすためにそれぞれがそれぞれの立場で戦い続けなければならない。
戦いを放棄した人間には不自由な日々が待っているとしか思えない…























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2013年02月05日

雑感−54

少し前にブログで何気なく紹介した映画 『テッド』 が大ヒットしている。

女優の瀧本美織さんなどは自分のブログで、「えろぐまさん★」 とのタイトルで記事にまでしていた。

「ふわふわでかわいいから付き合いたいなー(笑)」  


   ↑

て!? 女心は理解不能です(笑)


えろぐまは明らかにアウトローに徹しているが、一般人は自分自身の立場を明らかにしないことが多い。
比較的はっきりしているのは見るからにそれ風のお兄さん方くらいか。

今、問題となっているいじめや体罰の問題にしてみても、「私は善人だ」 との立場を表明しても私には 『偽善者』 にしか見えない。
何故ならば、その善人達は自分達のそばでいじめや体罰が行われている時に、勇敢に立ち向かっただろうか。
そうでないならば、 「私は誰よりも自分が可愛いんです」 と言い換えるべきだろう。

柔道協会の会長がもう直ぐ強化担当理事から事情聴取をするらしいが、実態を知らなかったとの立場をとるならば茶番だし、マスコミ各社の報道も白々しい。

本当の正義の味方は異端だ。ウルトラマンだって仮面ライダーだってアンパンマンだって異端。
いじめや体罰に立ち向かう勇敢な人間は社会では異端扱いだろう。
名古屋市長なども自ら質素な生活をした上で減税政策を表明しているが世間の評価は異端。
教育委員会に勇敢に立ち向かう橋下氏も異端。ただし、教育委員会の独立性を無視した進め方については大阪の風土だから許容されることを自覚するべきかと。
とにかく自身の立場を明確にすればするほど周囲から見ると異端に映る。

そこで経済的な個々の立場についてだが、日本の全世帯の中の3割が貯金ゼロとの統計結果が少し前に出たが、マイナスでなくゼロ状態ならまだましな立場と思うべきに思う。




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2013年01月30日

雑感−53

今週は感じることが多過ぎて逆に書き出せない状態が続いている。

先日、報道ステーションに出ていた作家の高村薫さんが言ってたことも考えさせられた(私の記憶の中で私の言葉に変えて再現)。

「今は、個人で発信可能なツールが身の周りに多く存在するので、思いついた言葉を簡単に発信する傾向にあると思います」
「しかし生きることが考えることであるならば、そう簡単に言葉は出てこないはず」
「心の底で感じたことや言いたいことを搾り出す過程を辿る場合は、必ずどこかで行き詰るはず。その時に試行錯誤して次の言葉を搾り出すことが考えるということ」
「ひとまずの結論が出たとしてもその結論が正しかったかどうかを常に自問自答しながら前に進むことが重要と思います」
「一人の人間を取り巻く環境のそれぞれの要素においては何一つとして一言で説明出来るものは無く、複雑な構造や関係性の中にそれぞれが絡み合うもの」

「私はやはり生きることとは考えることだと思うので物事に対して極力疑問を持ちながら考え続けたいですね」


高村さんは作家なので、思考することに関しての含蓄は私も共感する。
ただ、動きながら考える場合もあるはず。
私は、「抑えられない気持になった時に人は大きく動くもの」 との考え方でずっと来たしこれからもそうだろう。
人の行動動機は 「善悪・損得」 なども大きな要因となるが、一番影響するのは 「好きかどうか」 になると思う。
株に手を出す人間は、損得を念頭に事を始めるが結局多くの者は得をしない。
やはり株に手を出すことが好きだったからとの客観的分析の方がしっくりくる。

どうして山に登るのですか? に対して、そこに山があったからと答えるのは古典的問答。
しかし一般論としては、山が好きだからと答えるのが自然だし強弱はあるが好き以外の複数の理由もあるだろう。
ただ、人を好きになるのは少し違う(特に愛や恋)。
あなたのことを愛していますとの言葉の裏には、私のことを大事にしてねとの感情が大きい場合もあるだろう。
それよりも、あなたのそばに居たいんです。と表現するべきに思う。
そうであるならば、嫌いになった時でも 「そばから離れたい」 と言えばわかり易い話となる。

複合的(様々な事柄)な抑えられない気持に対して理性を武器に優先順位をつけるのだが、最後に残る抑えられない事柄が正しい選択の結果であることを祈るしかない。


話は変わるが、競馬の安藤勝己騎手の引退が発表された。
ネットでの感想の中で、「アンカツは巧いし色気があって格好良いんだよね。闇に咲く華という感じ」 というのがあったが共感した。
あの武豊も 「アンカツさんを見てると自分が小さな人間に思えます」 と言うくらいなのだから別格の存在だったのだろう。
寂しくはなるが、今まで多くの感動を与えてくれたことに重きを置き、アンカツの未来にエールを送りたい。 お疲れ様でした。ありがとう。元気に過ごして下さい。


アンカツのことを考えていたら何故かカイジが頭に浮かんだので少しだけ語ってみる。
福本伸行は 『カイジ』 の物語の中で言いたいことが多くあったと思うが、カイジが地下労働を行う中で、給料日に馬鹿高いビールや焼き鳥を買う場面はかなり強いメーっセージ性があるように感じる。
つまり、リアルな社会でも一般の労働者は給料日を含め一ヶ月に数日しか贅沢出来ないほどギリギリの生活しか出来ていないと。
では、その解決方法をどう示しているかだが、「真剣に、本気で、真面目に生きろ」 との精神論になってしまう。
「大人は質問に答えない」 との台詞も出て来るが、どうしたらよいかは自分で考えろとのメッセージに他ならない。
でも、アンカツを見ていると真剣さや本気さや真面目さは感じないし他の騎手のように節制して生活しているとの話も聞かない(あくまで私見です)。
それらの要素より、男はだまってミッションをこなすとのイメージが強いし良い意味で肩の力を抜いているように思う。
リーディング争いなどに目もくれず、賞賛される場にはまず居ようとはしない。
1999年の東海Sで12番人気で単勝39倍の8歳馬キョウトシチーを勝たせた時など、
「キレないけど前に行けばしぶといイメージだったのでそう乗った」 とクールに言っただけ。

馬に乗り続けたいとの抑えられない気持が最後に残ったアンカツの判断は結果として正しかった。
私も今後、様々な抑えられない気持に直面すると思うが、心の底から望むことを最優先して選択して行きたい。


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2013年01月26日

雑感−52

先日、たまたまテレビで(最近よく観すぎ−笑)女性芸能人がそれぞれのお気に入りマイバッグ
ベスト3を語るとの企画を目にした。

渡辺直美さんや安田美沙子さんなどがそのバッグの値段も含め語っていたのだが、私には違和感ありありだった。
渡辺さんは25才、安田さんは30才だが稼ぎは相当あるので高価なバッグを持っていることに文句はないのだが、もし自分の嫁が彼女達だったらと思うと(まずあり得ないが)ぞっとした。
一位にしたバッグは確か30〜40万だったはずだが、私は恐らく死ぬまでそんな高価なバッグは買わないだろう。
その一つだけならまだしも二位も三位もあるし二十位くらいまでありそうだ。
女性は慰安旅行に行くと決まっただけで服やバッグを買いたくなるらしいが、男に生まれてよかったかもしれない。
彼女達と将来結婚することになる男性には彼女達の欲望をずっと満足させ続けるぞとの意気込みでいて欲しい(私にはとても無理)。
ブログ上にひとつのレースだけで20万円分の馬券をアップしている私に何の説得力もないのも事実だが…


それにしても尖閣の問題が緊迫化している。
米軍が戦闘機などの配備増強に向かっていることを考えると不測の事態もあり得る。

中国は共産党の一党独裁体制。
そもそも共産党の持つ政治思想の根本は社会主義の実現。
身分による抑圧政治から資本家による経済支配に変わってきた歴史の中で、圧倒的多数の労働者が団結して資本家を逆支配しようとしたのが共産革命。
ピラミッドの頂点が大資本家だったとすると、共産革命はピラミッドをひっくり返して多数の労働者が少数の資本家を支配しようと試みたとの構図。
どちらにしても人が人を 『支配』 する構造に変わりはない。
支配しない人間関係は 『無政府主義=アナーキズム』 として理念上は成立するのだが、それぞれが自由に振舞うことで秩序を保つのは非常に困難。
人間関係の中では、必ず出し抜けをする者が出るし裏切り者も出る。
性悪説がデフォとなってきた現代においては 『管理・法規』 などの道具を駆使しないとカオス(混沌)な状態となるだけ。

話を戻すと、資本家から私有財産を奪い公有化して共産党の幹部達(主な例は旧ソ連)が理想の世の中を作るために身を捧げるはずだったのだが、ひとたび権力の座につくと、「人・モノ・金」 が面白いように集まることを実感してしまい、資本家以上に権限や富の集中を招いてしまうという皮肉な結果になり最後は崩壊した。

そんな世界の潮流の中、今の日本はブルジョア資本主義であり、ブルジョア政党の代表である自民党にプロレタリアートであるはずの一般国民が投票するのだから、真の意味での賢者による政治の実現までにはあと数百年はかかるだろう。

賢者の支配が良いのか、富者の支配が良いのか、武者の支配が良いのか。
それとも支配などとは無縁の世界がユートピアなのか。

尾崎豊はかつて言った。 「この支配からの卒業」 と。

武者である中国。富者であり武者である米国。賢者であり富者である日本・ドイツ・スイス・北欧諸国など。
連立方程式を解くには、賢者と富者と武者が協力するしか方法はない。
個人が生きて行くためにもこの構図は当てはまるし個人として賢く豊かに強く生きることが出来るように努力するしかない。


最後に、Hさん お店の開店予定が決まりおめでとうございます。やりがいある仕事に就くことは素晴らしいことです。陰ながら応援しますわーい(嬉しい顔)


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2013年01月23日

雑感−51

息子達から 「とんだ茶番やで」 との言葉を聞くことが多い。

日本の若者(特に男)の質が低下したと言われることも多いが、『茶番』 との表現を日常で用いるセンスを私は評価する。

ある意味世の中の出来事は、ほとんどが 『茶番』 かもしれない。

小学校から親しむ教科書にしても世の中で役立つ事柄がどれだけあると言えるか。

むしろ真面目に学び過ぎてしまう方が将来にとってマイナスに成りかねない。

それでも社会に出て仕事をしたり家庭を持ち子育てをする行為は茶番ではない。

だが、パチンコ店における三店方式の黙認やストリップ劇場の定期的摘発などは警察ぐるみの茶番であり、
NHKの受信料がいつまで経ってもスクランブル方式にならないのも政官一体の茶番。

一時、画期的方法と話題を呼んだ 『レーシック手術』 についても政官業一体となって知らんふり。
欧米では、レーシック手術(近視矯正)後の副作用(トラブル)について警笛を鳴らしているのに日本では情報隠蔽が著しい。
これなども眼科医の利益保護を優先する茶番に映る。
因みに、レーシック手術を受けると角膜をレーザーで削ることになり近視は改善されても極度の遠視になり易い。
また、角膜にある無数の神経やリンパ液を通す細い管が断裂するためドライアイにもなり易い。
将来、白内障になっても手術出来ないし、緑内障になった場合はレーシック手術前以上の近視になる。
角膜の混濁により視野がかすむなどの影響があったり、頭痛や肩こりを引き起こしたりもある。
このように、政官に影響力を持つ団体や天下りによる利益共同体の影がちらつくケースは正に 『茶番』 が横行する。
薬害エイズの問題発覚後もこのような状況なのだから一般国民が知らされることのない隠蔽が日常的に行われているはずだ。

私が知る限り、日本の大手商社で50才位まで勤め上げる社員の多くは、億に及ぶ裏金を手にしている。
何十億。何百億のプロジェクトに関与するわけだから帳簿に載らない裏金があるのは当然。
そのうちの数%〜数十%が政官に流れていても何ら不思議でない。これも茶番。

ソフトバンクの孫氏は若者の間ではカリスマらしいが、上場時の創業者利益にかかる税は当時の法律では源泉徴収による10%のみ。
現在進められている法案が成立すると20%になるが(訂正⇒20%へは既に移行しているかもしれない)当時は儲け得だったと言うしかない。
ホリエモンだってあんなことが無ければ今頃は孫氏と並ぶ位な立場になっていたかもしれない。

茶番を世界規模に持って行くと、第二次世界大戦もある意味茶番。
そもそもモンロー主義だったアメリカはドイツや日本の破天荒な戦い振りを傍観していた立場。
恐らく、イギリスあたりから 「アメリカさん。ちょっと助けてーな」 的な話があり重い腰を上げたというのが正しい歴史認識かと(少なくとも私はそう思う)。

今、アフリカでの軍事政権が問題となっているが、第二次世界大戦時の日本も大政翼賛会の政治状況に乗じる形で東條ら軍事官僚に牛耳られた歴史がある。
近衛内閣の誕生自体が茶番(みこしを担ぐとの意味で)だったとしたら日本の歴史の側面は茶番の歴史も秘めている。

私は、イラク戦争時に小沢一郎主導で税金を原資として巨額の戦費をアメリカに振り込んだことに対して未だに納得がいかない。
戦争終結後に日本がアメリカ合衆国政府に対して明細書の提出を求めたが却下されたとのエピソードも茶番以外のなにものでもない。
とにかく相手になめられていたと言うしかない。



茶番茶番と連発してしまったが、私は茶番を悪いと言っているわけではない。
どちらかと言えば茶番を楽しむしかないとの立場。

結婚を茶番とは言いたくないのはやまやまだが、男にとって結婚することのメリットがあるとすれば、子供が生まれることを除くと、
妻が家事をこなしてくれるお陰で仕事に専念出来ることと、性欲を安定した状態で満たせるという点。
ところが、10年もするとパートナーの体形がみるみる変わってしまう。
別に男側からだけでなく女側からも意見があるだろうが、肉感的な妻であり続けるからこそ一刻も早く自宅に戻ろうと思うわけであり(例により女性訪問者を減らした)、
人類のトド化の研究をしているわけではない(これで女性訪問者ゼロ)。

話を戻すと、今時の若者は男も女も自分で家事が出来て仕事も持っているならパートナーが必要ではないことに気付いてしまったのだろう。
私は個人的にはその考えは正しいと思う。
男の収入が、一人で暮らすには多すぎるという状況なら 「女子供を養うことが男の本分だ」 のような心境にもなるだろうが、
現実は、核家族化の中で自分の食い扶ちを確保するのが精一杯の状況。
仕事を持つ女の方も結婚後に生活レベルがダウンする位なら独身で構わないと考えるのは極自然。

資本主義社会は茶番を楽しめる人間に向いているシステムに思う。
茶番を楽しんでいない人間が、一日でギャンブルに数万円突っ込んだり数時間のキャバクラ滞在で数万円も散財しないだろう。
茶番を提供する資本家と茶番を喜んで受け入れる庶民で成立するのが資本主義社会であり大衆消費社会。

茶番と距離を置きシニカルに社会を観察しニヒリストとして生活する若者はある意味資本家にとっては迷惑な存在。
神様が存在するとすれば、結婚するのは人間としての使命だとのメッセージを発し続けていたはずだが、日本人に対しては 「勝手にしろよ」 となっていそうだ。

そんな神からも見放された日本人は今後どこへ向かうのだろう。
その答えは、私が好きな森山未來君が、 「エンターテインメントの世界で真剣に楽しむことの出来る仲間と仕事がしたい」 
と語った言葉にヒントが隠されていそうだ。

細かい理屈は抜きに今を精一杯楽しみつつ、衣食住は最優先にすることだけは忘れないようにしたいし余裕があれば性欲も満たしたいね揺れるハート

こら茶番! どっからでもかかってこいや(笑)
 



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2013年01月21日

雑感−50

「自分を好きになって下さいね」 
と言いながら一筆書いた色紙を渡す路上筆人がいる。

「弱さを見せる強さを持って」
と書いたポストカードを手にしたのが2012年の初頭。

そして私は去年一年で、自分を好きになり強くなったのだろうか?


「ダンスのように抱き寄せたい」 は、松任谷由実の作品。

歌詞

ダンスのように もう踊れない

誰もがいつか 気づいてしまうけれども

あなたとなら それでいい

あなたに会えてよかった




あなたに会えてよかったとの歌詞ではあるが、個人的には 「私に巡り会えた」 との思いも含まれるように思う。

自分を好きになれないのに人を好きになれるわけがないと言った素敵な女性は未だに独身だ。

その女性は今、恋をしているのだろうか。

それとも自分を好きになるために努力を続けているのだろうか。



話が繋がるかどうかはわからないが、年末に行きつけの店に行った時の常連の女性の一言には少しドキッとした。

私がポツっと 「僕は恋愛体質なんですよ」 と言ったのを受けて、

「でも私は対象ではないんですよね」 と、5つ位向こうの席から言葉が返って来た。

失礼な言い方をすると、そんな言葉が出て来るイメージの女性ではなかったのでビックリした(パートナーらしき男性と来ることも多い)。

私はいつもカウンターの中の女性ばかり意識して飲んでいるため、まさかの言葉に上手く反応が出来ず 「そう来ましたか」 と言うしかなかった。

3年も通っている店でありその女性とも何回も顔を合わせていたのだが、私から話しかけることはまずなくこんなドラマのひとコマのような展開は予期していなかった。

これまでもそうだったしこれからもその女性に恋愛感情は起きないと思うが(恐らく人妻)、スタイリッシュな夜のひと時となった。

私はこのブログを通じてこれでもかと理屈を繰り返すが、日常なんてこのようなエピソードの連続であり理屈だけで構成されているわけでもない。


CSでの特集でも誰かが語っていたが、ユーミンの出現位から女性がする恋の絶対量が増えて来たのは事実に思う。

そんな女性達に太刀打ちするための私達男の武器は乏しいのが現状(ひょっとして俺だけ?)。
自分のことを好きになれるほど真っ直ぐにひたむきに生きることは出来るだろうか。

そんな中、森山未來がキネマ旬報の主演男優賞を受賞したのは私の中ではかなり嬉しい出来事。

私と一重繋がりの森山君(向こうは迷惑かも)であり、身体を鍛えることでも共通点がある(これも勝手に)彼にはこれからも活躍して欲しい。
一重と言えば他に有名なところでは、高橋克典やX JapanのYoshikiがいるかな。

気のせいか一重芸能人はストイックな人が多いかな(ホンマ気のせい)。
夜のひと時だけでなくストイックでスタイリッシュに生きることが出来たら最高だしそばに素敵な女性がいてくれたらもう後は何もいらない。

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2013年01月17日

雑感−49

期待以上にドラマ 『最高の離婚』 が面白くなってきた。

今日の回で真木よう子が瑛太に言った 「死ねばいいのにと思っていた」 には度肝を抜かれた。

過去に一緒に暮らしていた頃のことについて瑛太が 「最高の思い出」 だったと言ったことに対して返した言葉なので余計にだ。

真木よう子、尾野真千子、綾野剛、といった個性派揃いの出演者なのでこれからも楽しみ。



さて、前々回のエントリーで触れたが、過去の記事で言いっ放しになっていることも多くそろそろ続編のようなものを記して行きたいと思う。


そこで、ジャンルは横断するが今まで書いてきたことを集約出来そうなヒントらしきものが見えてきたのでそのさわりだけ…


「解釈が言葉の意味を決めるのでなく、行為による言葉の裏付けが言葉の解釈を確定させる」 との仮説をまず立ててみたい。

つまり、何を言ったかどうかでもなく、何を行なった(あえて送り仮名に[な]を加えた)かでもなく、ある行為により何が起きたかが重要なのだ。

競馬で儲けると豪語しても馬券を買っても 「勝つこと・儲けること」 の証明にはならない。

馬券を買った上で実際に利益を上げる以外に 「馬券を買えば儲かる」 ことの証明は出来ない。

土曜日の時点でタイムマシンに乗り日曜日のメインレースを観たとしてもそのメインレースを観戦する自分の状況が馬券で負けた状況とすると、
土曜日に戻ってきて日曜日になった時に、メインレースの馬券を買ったとしても外れることになる。
その外れる状況は、タイムマシンを信用出来なくて別の馬券を買ってしまうか、現実の日曜日の結果がタイムマシンで観た結果と異なるケースの2通りになる。
タイムマシンに乗った行為により何が起きるかは何かが起きてからしか説明は出来ない。

「君を一生幸せにする。だから僕と結婚して下さい」 とのプロポーズが正しかったかどうかの証明は50年かかる。


もし言葉そのものに意味があるとするならば、「儲かる可能性がある。幸せにする可能性がある。」 程度だろう。

面接での会話の正しいやりとりがあるとすれば、「私は御社に多大な貢献をする可能性があるので採用して下さい」 に対して、
「我が社は君の将来に対して大きな力になれる可能性があるので是非我が社で活躍して欲しい」 と言うべきだろう。


時間がある時に今までに語ってきた、決定論・自由意思・運命論・時間の概念、等々について更に掘り下げてみたい。


1月17日は忘れもしない関西で大震災があった日。今こうして生きていることに感謝の気持ちを持ち続けたい。









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2013年01月13日

雑感−48

昨日のエントリーを終えて言いたいことはほぼ言い尽くしたはずだったのに、グーグルやヤフーのワード検索を通じて訪問して下さる内容を確認したら再び書く気が湧いた(勝手ですいません)。

その気になったのは、たまたまワード検索分をチェックしていたら、2010年の7月12日にエントリーした 「欲望と時間」 というタイトル記事に対しての訪問者がいたこと。

「欲望 時間」 「時間 欲望」 のどちらで検索しても私の記事が1番目か2番目に出てくるのだが、これは意外だった。
もう2年半も経過しているのにそんなに上位に出てくることに驚いた。
それだけなら書く気には繋がらないのだが、その記事の内容の最後に 「書ききれないのでまたの機会で…」 と書いていた。
考えてみれば、このエントリーだけでなく様々なエントリーで 「またの機会」 と書いているように思う。
そう言いながらも続編らしきものを書いた例は少ない。 「栄養の話」 などは5回位に渡り書かないと書ききれないだろう。


ただ、今回の動機となった 「欲望と時間」 については私が常に掘り下げているテーマだし、ある意味人生は時間と欲望の追いかけ合いでもある。


そこでまず復習の意味で以前のエントリーの冒頭部分を再掲してみる。
    ↓




アンリ=ルイ・ベルクソン{(1859〜1941)フランスの哲学者 }は時間の量と質の違いを説いた。

ベルクソンは、我々の「意識の流れ」それ自体を「流れる時間」といい、時計で示される時間を「流れた時間」と呼んだ。「流れた時間」は空間的な量を示すものであり、時間そのものを表現してはいない。本当の時間は、意識における質的な「流れる時間」のことであるとベルクソンは主張する。そのような流れる時間を、彼は「純粋持続」と名づけた。
 「純粋持続」は音楽を例に考えると分かりやすい。音楽においては、音の流れ=メロディーを一瞬で聴くことはできないが、始めの音と次の音とのつながりを意識の中で持続することによってメロディーを理解することができる。通り過ぎてしまった音はすでに消え去っているにも関わらず、意識の中でつながりを保持しているからこそ、我々は音楽を鑑賞することができる。1つの音を記憶し、思い出して次の音との関係を考えて我々は音楽を理解しているのではない。ゆえにその瞬間の音だけしか聞くことができなければ、我々は流れるメロディーの存在を認識することができない。
 このようにベルクソンは実際に我々が意識において感じている「流れる時間」を「純粋持続」と呼んで、空間的に規定される物理的時間と区別したのである。

以上、ネット記事参考。

   ↑
ここまでが前回のエントリーの冒頭部分。



この 「純粋持続」 についてはロジカル(論理的)に思考する者が言葉を整理しても他者に伝えるのは困難に思う。
そこを長いブログ生活の経験を駆使して挑戦してみようと思う(今日のところは一言だけ)。

まず、ベルクソンの述べる、流れる時間(純粋持続)を基準とした 「音楽への理解」 を他の要素に置き換えてみる。


「人生への理解」「仕事への理解」「性への理解」「愛情(恋)への理解⇒感情への理解」「年齢への理解」「自己存在への理解」「他者への理解」 など。


1分間の音楽の中身が濃くて10分間の音楽の中身が濃いというわけでもない。
同じ様に、10年の人生より100年の人生が充実していると言い切れるものでもない。

意識の中で繋がりを保持している事柄については、無理やり意識から排除しようとしても排除は出来ない。
問題は、それぞれの事柄が 「美しいメロディー」 かどうかである。

「雑音」 の中で生活していると心の平静は保てない。

まず、子供の頃から持続して 「美しいメロディー」 と感じている事柄を中心に生活をする中で、人生の純粋持続時間を 「快適」 に過ごしたい。


余談として、もうすぐ映画版 「ストロベリーナイト」 が公開されるが、西島秀俊と大沢たかおとの間で揺れる竹内結子は 「快適」 な時間を過ごしたんやろな。



*最後に、武豊騎手 3500勝おめでとうございます。4000勝を目指しますとの言葉に打たれた。





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2013年01月12日

雑感−47

新年会

新年会終了(写真はコースの一品目)。


いつもホテルの一室で行うので係の女性が一人つくのだが、今回の女性は年齢が高目で、一瞬ん?とも思ったが、
接客が始まると満面の笑みが出だして私の印象は180度変わってしまった。やっぱり笑顔は大事やな。
現金なもので時間と共に料理が下げられる瞬間に、「とても美味しかったです」 と声を掛ける私がいた。


無事に会は終了し、さぁ〜次は?と歩いていたら、あれっ? 2次会は? あっそうか。いつもの呼びかけ人がおらんようになったんやわ。
と思っていたらあっと言う間にバラバラに。
私以外の人達は自宅に帰れば誰かが待っているので何も不思議ではないのだが、私は完全に浮いてしまった。
で、仕方がないからフテ寝していたが、せめていつも二次会に行くメンバーのひとりに連絡しようと思ってしたフテ寝前のメールに返信が来て起こされた。
内容は 「あら、ゴメン。今、娘とカラオケの最中なのよ。誘えば良かったわね」 と…


えっ?? 何という噛み合わなさ。やっぱり今日は俺が声を掛けるべきだったのか(涙)。
仕方がないので、ガテン系(今時死語かも)が好きな娘さんに夏までにはムキムキの肉体をお見せしますとのメッセージを伝えて下さいと返信をしておいた。


というわけで、中途半端に目が覚めてしまいこうしてブログを更新している。


このまま起き続けるなら何とか夜をやり過ごさないとならないが本当に男のひとり暮らしは性質(たち)が悪い。


飲みに行く義務などないのに誰かの顔を見たり誰かに話を聞いて欲しいとの一心で夜な夜な飲み屋に繰り出してしまう。
お酒を飲まない男はこんな時どうしてやり過ごすのだろう?恋愛シミュレーションゲームでもするのかな?
でもそれやと益々悶々とするのでは?


先程話に出した女性は10年以上前に御主人を病気で亡くされているのだが、それ以降男性とお付き合いする気になったことは無いそうだ。
家で同居の娘さんのこともあるだろうが(息子さんは既婚)そっちの欲望と決別出来た彼女がある意味羨ましい。
男の場合は一定のサイクルで生理的に女性を意識するしかない肉体を持つため、いくら頭から異性を排除してもゾンビのように沸いてくる。


生まれ変わるなら男と女のどちらが良いかとの質問に答えるのは難しい。
普通なら男に生まれて一杯稼いで多くの女性とお付き合いしたいとなるのだろうが、私の場合は一杯稼いでも女性以外につかいそうなので男に生まれる意味はあまりないのかも。
因みに和田アキ子は、男に生まれ変わったら結婚せずに女をものにしまくるらしい(納得)。


木曜日は楽しみにしていた 『最高の離婚 フジ系午後10時』 を観た。
予想通り 「わかるわ〜」 の連続だった。
私は小学校の低学年位までは、教科書の折り目をつけるのも嫌な位神経質だったのだが、同級生に貸すたびに折り目だらけで戻ってくる苦い経験を経て、
高学年の頃から180度考え方を変えて、一切細かいことには気にしないようになった。


それが良かったのかどうかはわからないが、結婚してみると様々な生活習慣の違いに驚きの連続。
折り目が気になる昔の私のままだったなら3日と一緒には暮らせなかっただろうしそもそも結婚が出来ていなかっただろう。
他者と暮らすためにはガチガチのこだわりは邪魔になるだけの気がする。


この3年は女性とお付き合いする気がなかったのではなく、する気はあったのだが身の回りの状況が揃わなかったとの表現が正しい。
身の回りというより私の身そのものと言った方が良いかも?
加藤茶パターンなら相当あっちの方で頑張らないとならないし、八嶋智人パターンなら結婚を意識する相手の女性が働く夜のお店に一年間毎日通い続ける根気と熱意は必要。
どちらにしても経済的なバックボーンは大前提だが、そこは自分自身の年齢により必要量も変わる。


今の私は、結婚を前提としないお付き合いならしたいが玄人相手の割り切った関係は勘弁との心境。
一言で言うと 「おととい来いよ」 との突っ込みが的確なほど現実味がない。
一般的には、結婚を前提のお付き合いもしくは割り切った関係でのお付き合いの二択だろう。
やはりどう考えてもリセットするには10年遅かった。せめてあと10年早く独り身になっていたら再婚に向けて意欲も出ただろうに(髪の毛に対し少しはやる気を出せと言いたい)。


ぐちぐち言っていても始まらないので、ムキムキ化計画を着実に進行させるか3月にあるハーフマラソンにエントリー(参加料4000円以上)するかどうかの選択に力を注ぐか…





















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2013年01月10日

雑感−46

明日は新年会なので今日は大人しく過ごすためにもブログ更新に励もう。

一昨日は久々にやさぐれてしまい取り乱してしまったが、昨夜ホンマでっか!TVを観て少し落ち着いた。
男性は45才〜55才位にかけて、意欲(幸福感)が急激に低下することがあるそうで 「ミッドライフクライシス」 と呼ぶらしい。

私の年齢はさておき(勝手にさておくな!)名前が付く位なのだからそれなりに信憑性があるのだろう。
私の場合ははっきりしていて、急激な目的意識喪失によるものなのかもしれない。
「お前が子供を育てるなど何のギャグやねん」 と言われながら二人の息子を大人になるまで見守ってきた。
計算が狂ったのは、次男がまだ高三の時に母親が家を出て行ったので次男の弁当のレベルが低下したことと私の肉体変化(KBTからのKHY⇒急な弁当作りからの急な8k痩せ)。

未だに体重は元に戻らないが、開き直って筋トレを3年続けている。
それだけならよかったのだが、飲みトレも博トレも続けてしまい気が付けばあっという間の3年間だった(にょトレはなかった)。
しかし、昨年末ふと我に返ると3年間何ひとつやり遂げていないことに愕然とした。
飲み屋に通い博打を打ちブログを更新しトレーニングをし最低限の仕事をするだけの日々。
予定では子供がそれぞれ家を出て行くタイミングで会社とは契約関係を切り事業に専念するはずだった。
ブログ上では格好いいことを述べてきたが、ショックの大きさの分だけ散財しまくった(生活費外の貯え分などから軽く500〜600万)。
このままではやばいので、この一年は軌道修正して本来向くべきだった方向に照準を合わせようと思っている。

そんな折、世間では大変なことになっている。
大阪の市立高校でのバスケットボール部員自殺問題だ。

新聞紙上やテレビ番組などでも幅広く意見が出ているので今更私の見解を述べても仕方が無いが、やはり若者の命が失われるのは悲しい。
体罰の問題は、戸塚ヨットスクールにおけるスクール生死亡事件の頃から議論されてきた(戸塚ヨットスクールを支援する会の会長は石原慎太郎氏)。
石原慎太郎氏と同じ政治グループである橋下徹市長の行政下で起きた問題なのは皮肉でもある。

戸塚ヨットスクールの場合は、戸塚宏校長の「本能が弱い子の本能を呼び起こすためには時には痛い思いをさせないといけない」
との持論を実践したため事故に繋がり本人も4年間服役したのだが、彼は今でも 「量と質のうち量を間違ったことに反省の気持はあるが正しい体罰はある」 と述べる。
私も数年前にこのブログ上で、戸塚氏が主張する脳内から分泌される物質(セロトニンなどの分泌を活性化させる)について調べた上で見解を述べたが、必要で身につけるべきことを体罰ではなく本来の手段であったはずの訓練で身体に覚えこませるのはひとつの手段だとは思う。

例えば、いつも肩からショルダーバッグをかけているとしてその中に貴重品を入れているとする。
それがたまたまバッグが見当たらず、そのへんにある紙袋の中に貴重品を入れ手に持ち出掛けた場合に、ふと気が付けば紙袋を持っていなかったとのようなことはないだろうか?
貴重品だから気も付けるが手帳程度位しか入っていなければどこかに置き忘れてもおかしくない。
他にも、雨が途中でやんだ後に傘を忘れるとか携帯を忘れるとか…
携帯電話(今はスマートフォンか)の場合は、人類の遺伝情報として携帯を持ち歩くという情報がまだ刷り込まれていないから身に付かないらしいが。

私も仕事を始めた頃の師匠(上司と呼ぶにはいかつ過ぎる)に言われたのが 「とにかく何かを使用したら必ず元の場所に戻せ」 とのこと。
それを守らないと毎回強く指摘されたため身体が反応するようになった記憶があるしその習慣は今も変わらない。

結婚や恋人関係なども、相手がいることが当然になってしまうと、お笑い芸人のTKO木下のように、奥さんと別れた後も風呂場に入る際に娘の名前を呼んでしまうことが続いたとの話のように身体が先に反応してしまうのだろう。

私のような人間に対して土日になると出馬表に目を向けさすJRAはちょっとした週末限定の 『愛人』 のようなもの。
愛人らしく毎週のようにお手当まで要求しやがる(笑)。


少し話がずれてきたが、今回の出来事に対する捉え方は人により千差万別だろう。
「ぬるいこと言うな!本当に愛があるなら教え子の前で死んでみせろよ」 との意見にはちょっと共感しそうになる。
愛のある体罰であるなら究極の愛情表現は相手のために死ぬことなのだろうから…

「結果や責任を語る奴ほど自分の招いた悪い結果については目を背ける」 との意見は私のブログのタイトルをディスってるのか?

「結果が全てのこの世の中で結果を出せる強い人間を育てるには殴ったり罵声を浴びせるのは当然」 との意見は今度は私のブログのタイトルを評価しているのか?

「所詮、言うことを聞かない犬を蹴飛ばすような奴と同じメンタリティ」 との意見も辛らつ。

「指導者が教え子に強さを教えると言うのなら、自分が殴られて強くなったとしても自分は絶対殴らない位の意思の強さが無くてどうする」 との意見もなるほど。


しかし私が一番しっくりくる意見は、「名コーチ兼暴力コーチとのレッテルが妥当。どちらかの要素を否定する必要は無い」 だ。

頭の良い人の意見はこのように冷静かつ客観的視点に立ってのものになる。


どちらにしても死んでしまった高校生はもうこの世に戻っては来ない。
そして指導者の方は一生この問題をかかえて生きて行くのかそれともそれを忘れる位の太い神経の持ち主なのだろうか。


人を育てる親の役割は、加害者になっても自殺しない心を育てるべきなのか、自殺してでも加害者にならない人間に育てるべきなのか。

三島由紀夫の身長(推定163cm)がもう少し高かったなら自殺はしなかったのでは?との説(他でもない私の説)もある。
人が命を絶つには近因・遠因があるとは思うが、今回の部員のケースは指導者との関係によるものが遠因と言うには無理がある。
仮に絶対的要因ではなかったにせよ日時上の因果関係を考えても状況証拠的には反論材料が乏しいのではないか。


話をまとめるには根深い問題過ぎるが、良い意味で何かを身体に覚え込ませるのは悪いこととはどうしても思えない。
自分の問題に置き換えて私がやれることは、俺は死なないぜ!と子供達に強がる位だ。


謹んで亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。










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2013年01月08日

雑感−45

久々に非社会的な弾けた内容で…  立ち入り禁止の看板を見てあくまで守る方はこの先はご遠慮下さい爆弾





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2013年01月07日

雑感−44

それにしても私の周囲での家庭崩壊が目立つ。
今年に入っても、25才の女性が旦那と上手く行かずに実家に帰って来ているし、子持ちの女性と結婚して1才の子供を設けた30過ぎの男性も話し合いの末にその子供を引き取った上で親の家に戻るようだ。
11日にボランティア仲間との新年会があり、恋の歌のひとつも歌うことになりそうだが、そのうちに恋の歌を歌っても共感を呼ばない時代が来るのかもしれない。

昨日は日本映画専門チャンネルで 『少年メリケンサック』 を観たが、宮崎あおいが可愛いと思ってしまった私はやはり恋愛スキルが低そう(以下人名に敬称略)。
AKB48の指原や宮崎あおいの魅力は恐らく男女交際を重ねる中で人懐っこいフェロモンが熟成されたのだろうから親父達に人気があるのも頷ける。

のだめを演じる上野樹里理を可愛いと思ったこともあるが、宮崎あおいにあって上野樹里にないものは多そうだ。
岡田准一と仲良くなった宮崎あおいと、オリラジのチャラ男と仲良くなった上野樹里では男を見る目も違うのだろうか。

何だかんだで面白かった映画の主演女優を直ぐに気に入ってしまう私の節操のなさは何とか改善しなくてはあせあせ(飛び散る汗)

月刊文藝春秋の新年特別号に特別寄稿した伊集院静が書いているが、彼はこの十数年、海外に出る目的はほとんどが絵画鑑賞だそうだ。
夏目雅子を射止めたとの一点だけで私は彼を最大評価するが、ただの麻雀好き競輪好きのおっさんではなかったことに驚きを隠せない。
私になくて彼にあるものが何かを垣間見た気がした。

年末、ビートたけしが新聞紙上で述べていたが、文科省での対談時に数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞を39才の時に受賞した森重文に対して、
「何の研究でフィールズ賞をとったんですか?」 と聞いたところ
「代数多様体の極小モデル理論といって、球体における〇〇空間のそれを平面にしたブランク定数の…」 と答えが返ってきて頭が痛くなったとのこと。

司会者の文科省の審議官までも 「整数範囲の問題は昔からフェルマーとかみんなやってて…」 と話を続けたらしい。

私など未だに 「博打で勝つにはコマの上げ下げを熟慮することと勝ち逃げに徹するしかない」 との必勝理論さえ習得出来ていないというのに…(次元が違う)

私がこのブログ内でいくら理屈を並べても上には上がいるとの現実に直面するばかり。
ただ、それを自覚しているからこそ理屈を並べ続けているのであって、亀のような歩みであっても休むわけにはいかない。


そう言えばこの前、頭は確実に良いであろう巨大掲示板創設者のひろゆきと勝間和代が対談していた(ネット上で観る事が可能)。

その中でひろゆきは、「日本では、若い女性が夜道を一人で歩けるし水道の蛇口をひねれば飲み水が出てくる。安全と水が確保出来ることで十分に幸せな状態と言える」 と語っていた。
勝間和代は、「日本には流動性がなく若者にチャンスが与えられ難い」 と主張するが、ひろゆきは大企業がスケールメリットを利用して安価(例えば清涼飲料水)に消費者に提供している現状を肯定していた。

地頭の良い人同士であり男と女の対談でもあるので興味を持って観ていたが、それぞれの価値観に違いがあるので平行線に終わる議論が多いように感じた。
幸福を一般化したり一般論で述べるのは困難だが、ひろゆきは一定の見解を示したので私には彼の話に説得力を感じた。


私は、僕は、「それなりに努力している」 と言うのは自由。
問題は、客観的に見てそれがどれほどのものでどれほどの成果を出せているかだ。
昨年来、このブログで私の月間走破距離を語っているが、月間300kmの数字は客観的に見て私の年齢(20才過ぎの息子が2人いる年齢?)で言うと評価される数字だと自覚している。
残念ながら知的分野においては強く主張するものがないがそれでも主に経済を教えている大学教授と一週間と置かず議論を重ねている(彼は英語と仏語にも堪能)。
その教授からは次から次と推薦書の名前が出てくるがとても追い付けるものではない。
今年は英語とフランス語を同時進行で学んで見ない?と言われているが、えっ?と反応してしまった。
彼曰く、英語とフランス語は発音が異なるだけで基本構成は大して変わらないし言語を学ぶ時は2カ国語同時が理想だそうだ。

それでもその教授からは、「思索を重ねる者とそうでない者では顔付きに天と地ほどの違いがあるよ」 と言われているが、私のことは思索していると評価してくれているようなので期待に応えないと失礼だ。

そのついでに、「思索している人を具体的に挙げることが出来ますか?」 と聞いたら、
「まあノーベル賞受賞者はやはり思索していると思うよ。でも安倍現首相は思索している顔には見えんな」 とのこと。

「私は思索を重ねていて努力し続けていて限りなく正解に近い選択をし続けている」 と言い切れる人間はどの位居るのだろう。
出来ればその3点の要素のうちひとつでも自信を持ち明言出来るレベルにしたいものだ。



posted by tetsukazu at 22:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月03日

雑感−43

肉体強化グッズ

未婚率や離婚率の上昇により、2.5世帯で形成される住宅が増加しているらしい。
具体的には、親+親が産んだ子供夫婦+親が産んだ未婚の子供または結婚後に離婚して親元に戻ってきた親が産んだ子供(こぶ付きの場合有り)が同居のケースなど。

元嫁の親族にも母親がもう70歳を過ぎていて(父親は20年前に死亡)子供ふたりが未婚(長男が49才で長女が47才?)の家庭がある。
長男は特大企業に勤めるエリートでマンションも購入してそこに母親と妹も同居している。
もし長男が結婚したなら2.5世帯ケースになるのだが長男は結婚願望が薄いらしい(ひょっとすると妹のことを気遣っているのかも?)。
簡単に未婚・非婚・晩婚・少子化・離婚率上昇とは言うが、このような細かい問題も内包されている。

私の周囲にも色んなケースがあるが、私と同じ歳の女性の長女が結婚して子供ができた後、あっと言う間に離婚して実家に舞い戻ったが、
その長女は 「一瞬芸やったわ」 と語りあまり悪びれた様子もない。
やはり知り合いの女性の次男(長男は独身)は20代にして2度目の結婚をした(一人目の奥さんとの間に子供がいるが奥さん方に行った)。
どうやら2回とも出来ちゃった結婚ぽいが、私の周囲の若くして出来ちゃった結婚後の離婚率は75%位の確率のように思える。
離婚率は今や3組に1組位まで上昇しているようなので何も珍しくないが、子供の気持になるとそれで良いのだろうかと複雑な気持になる。

そんな私だが、年末に元嫁がそれこそ一瞬芸のように子供達と待ち合わせて会いそして去って行ったが、子供達にとっては大感動の瞬間でもなかったよう。
私に似たのかどうかは不明だが、何ともドライな息子達だ。母親の土産だったはずの実物大ガンダムの写真やクリスマスプレゼントも私の家に忘れて行った位。
母親は命掛けで育てたというのにこのギャップは何なのだろう。
自責の念で何度も命を絶とうとした母親のことを知ったら子供達は何と感想を述べるのだろうか。
想像だが 「ただのメンへラやん」 とか言いそうだ。
彼女はこれからも子供達の幸せを祈り続けるのだと思うが、子供達は母親が元気に働き楽しい毎日を送ることを望んでいるのではないだろうか。

次男のことだが、昨年は人生を左右するほどの出来事があり私もその渦中に巻き込まれたが、何とかバイトも再開して日常を送っているようだ。
年末ジャンボ宝くじを1枚買ったとニヤニヤしていた位なので何とか前向きに暮らして欲しい。
大学生活については遠回りになってしまったが、これも良い意味で私の性質を受け継いでくれているなら打たれ強くしぶとく凌いで卒業に向かってくれると信じている。

長男は相変わらずもがき続けているが、彼は友人という貴重な財産を持っている。
私が教師になれなければ反面教師でも良い。本人が後悔しない人生を歩んで欲しい。
私は、周囲の人間に対してポツンと一言投げ掛けるだけでくどくど語りはしない。
子供達に対してもそのスタンスは変わることはなく私の後姿を見せているだけ。
どんな後姿になっているかは不明だが、自分の下した選択に対して言い訳や後悔はしたくないと思って生きてきた(反省はする)。
誰しも自分のことを最優先に生きるのだが時には他者を優先することで廻り廻って自分に還ってくる場合もある。
何が正解なのかは一生わからないが、不正解なことは何となくわかる気がする。
不正解かどうか判断するのは直感が重要。その直感を磨くのは経験であり努力することだ。

元フジテレビの女子アナ(旧姓千野)が人身事故を起こし相手は死亡した。
絵に描いたようなセレブ人生を送っていたはずの彼女でさえこういうことがある。
森(元)首相の息子も若くして命を落すことになったし、今回の衆院選挙の近畿比例区で当選した西村議員(日本維新の会)の息子さんも以前に飛び降り自殺をしている。
世間では一般的に経済的に成功すれば幸せに繋がるとされるが、当事者もしくはその親族に幸福感を問うとまた違う意見を聞けるかもしれない。
とは言え、20万ほどの給料の独身男性が、家賃を5万払い食費その他で10万位かかるとして残りの5万でどうして彼女を作れるというのか。
風俗で思いを達するにはマックスで1回約3万程度。デートしてもトータルだとやはり一日3万位はかかりそうだ。
男としての本能に忠実に生きて月に2回だけ女体と接するだけで貯金も出来なくなってしまう。
私が結婚出来たのも、結婚相手が年中の喫茶店デートだけで我慢してくれたからであり他の女性とお付き合いしていたなら数百万の金はたちまち無くなっていただろう。

私の今年のテーマは前のエントリーで藤山直美さんが語っていた 「捨てること」
何かを得たいなら何かを捨てないとならない。
ここ数年で私が得ようとしてきたのは 『鋼の肉体』
好きな女性がいることもあり飲み屋さんに頻繁に通ってきたが、一度行くと2〜3日は確実にトレーニング量が減少する。
恋も筋肉も手に入れたいと考えてきた結果、今のところどちらも完全な形では手に入れられていない。
不純な動機かもしれないが、鍛え出したのも 「男女のお付き合いの末のあの神聖な瞬間」 の時に無様な肉体を晒したくないとの思いがあったから。
幸か不幸か(多分不幸?)まだその瞬間はきていないので、コンビニで偶然目にした肉体強化グッズを衝動買いした(爆)。
この歳でこんなものを衝動買いする奴は全国広しと言えどほとんど居ないと思うが他人は他人であり我が道を行くだけだ。

完全体の肉体になった時にお見せするお相手が居なかった場合は鏡を見てにやけるしかない(笑)。






posted by tetsukazu at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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