2014年12月18日

雑感−81

一年数ヵ月前に行き付けの店のお気に入りの女性が退店した時、その店で働く別の女性から「今から始まるんですよ」と言われたことがありました。

その女性にしてみれば、今までは店のスタッフと客の関係だったけれどこれからは違うと言いたかったのでしょうが、それこそが私にとってはときめきや切なさを遠ざける言葉であり、私自身は一人の女性が辞めたからと言っていきなり距離感が変わる方が不自然であり思惑の世界の話に感じます。

女性はリアリズムの世界に生きているということは私の愛読書の著者である動物行動学の学者の竹内久美子さんが再三語っていますが、例えば夫が仕事に出かけている最中に間男が乱入して来て「子供に危害を加えられたくなかったら俺と寝ろ」となった場合は、その間男の言うことを聞く可能性が高いだろうと…

結局、脈々と種を絶やさすにここまで人類が生き延びて来たのはこういったリアリズムの世界が繰り返し起きて来たからだと推測します。

では日本の男はどうかと言うと、第二次世界対戦(日中【支】戦争・太平洋戦争)に突入する直前に国連を脱退するなど『リアリズム』哲学はあったのだろうか?
確かに当時のアメリカの言いなりになり『蹂躙』されズタズタ・ボロボロになったとしても戦争という手段をとらずに守るべきものはなかったのか?

今となっては開戦に踏み切ろうがそうでなかろうが『もし』の世界でしかありませんが、少なくとも陸軍と海軍の軋轢などを見聞きする限り『リアリズム』に徹したようには映りません。

今年の大晦日は私と息子二人に加え元妻も我が家に泊まることになりました。

『リアリズム』とはまさにこんな時に意識することであり、情報が個人化した時の対応こそが未来を決定付けるのだと思います。

別れたからと言って全く疎遠になる必要もないしかと言って復縁を意識する必要もない。
私のこのスタンスは今回の記事の最初に出した、誰かが辞めても私のかかわり方に大きな変化はないとの考え方に繋がります。

この五年の積み重ねがあって今年の大晦日を迎えるのであり元家族の四人がこの五年でそれぞれどう成長したかを試される日でもあります。
最後に私らしくギャンブルの話題を。

朝日杯FSはこの前のJFの傾向を見るとマイルの経験とディープ産駒がキーワードになりそうですね。そうなるとクラリティスカイとダノンプラチナに注目ですね。ボートレースの賞金王は超抜モーターの仲口に注目します。


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2014年12月16日

雑感80の追記。

前記事続き。

それでも楽しみにしている子供達などのことを考えると嬉しい疲れかもしれません。
おぜんざい担当でもあるので前日から仕込み始め納得の出来に仕上がりました。

ボランティア仲間の高年齢化の話をしたので寿命の話を少ししますが、実は日本人の男女共の平均寿命が50歳を超えたのは1947年なんですよね。
そこからの寿命の伸びはすさまじく、67年間で男は30.15歳、女は32.65歳も寿命を延ばしています。

地球の現在年齢が46億歳なので、この67年間の日本人の変化は地球自身も驚くしかありません。
この話はもう少し掘り下げたいのでまたの機会に。

最後に、夜のお店の女の子にラムチャンコスプレ服をプレゼントすると言った手前、全く無視するわけにもいかずドンキに見に行って「これかな」となったのが写真のものです(前記事


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雑感−80

image/2014-12-15T23:59:22-1.jpgダノングラシアスの複勝を2万円買って外れはしましたが、強がりだと思われようと後悔はしていません。
ロカの複勝を買って負けるよりは自分の予想を貫いた結果なので次に繋がると思います。

選挙は予想通りの結果となりましたが、私が繰り返し話題にする貯蓄ゼロ世帯3割と同じ割合の人間が自民党に投票したのでしょうね。

ただ、同じ3割でもピラミッドの上から3割と下から3割の違いがありますね。

私は、昨日は恒例のもちつき大会の主力メンバーだったので土曜日の夜から日曜日の夕方まで休む間なくバタバタしていました。
首筋や腰や手がが尋常でないダメージを負ったため今この瞬間も自分の体でないようです。

とにかく30kの餅をつき終わるまで(2kずつ位×約15連チャン)つきてもしくはつきてのサポート役を続けるので手は真っ赤だわ肩は上がらないわ首はおかしな状態になるわで昨日の夜から今日の朝まで死んだようになっていました。

私の年齢はお察しと思いますが、15年一緒にやってきたボランティアメンバーも60代から70代が中心で80代メンバーもいます。
世間では私はおっさん中のおっさんなのにもちつき大会のメンバーの男の中では下から二番目ですので若手扱いです。

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2014年11月17日

映画の力(1)

メイショウマンボが直線でズルズル下がって行く姿を見ながら「マンボちゃんは何かのタイミングで機嫌を損ねてやる気をなくしてるんやろな」と感じながら外れ馬券を眺めていると長男から「500円しか買ってないけど馬連一点で当てた」とメールが来ました。
「えっ?」マジかよ!
と複雑な思いでいると今度はYちゃんから「今から美容院に行ってきまーす」との明るいテンションのメールが来たので、負けを取り返すぞとの熱い思いは現場に置いたまま帰宅しました。
とは言え帰ってから飲み物と食べ物をバカ買いしたりしたので結局は早く帰った意味があったのかどうか(笑)

夜は日本映画専門チャンネルで石井裕也監督(舟を編むが代表作)特集を見続けた後に松尾スズキ監督の映画まで見たので徹夜になりました。
石井監督作品は『ガール・スパーク』『ばけもの模様』の二作品でしたが、それにしても石井監督は女優さんの撮り方が上手いですね。
満島ひかりさんが石井監督に惚れこんだのも納得します(主演映画後に二人は結婚)。

ガール・スパークスの井川あゆこさんも魅力的でしたし井川さんは、ばけもの模様でも出演しています。

今回見た二作品はほぼ自主制作映画だった時代のものですが端々に才能を感じます。
ばけもの模様は井原西鶴に影響されて作ったもののようですが、普通の感性で平成の世をに生きていたらそこに引っ掛かって表現活動は行いません。

ばけもの模様では「私、埼玉のカルメンなのよ⇒埼玉でなければ記憶違いです」との台詞が多用されますが、埼玉という言葉の響きとカルメンという言葉の響きが合成されることである種言葉の『意味性』を消す役割を果たしています。

「私のこと好きと言うのなら態度で示してよ」との理不尽な要求をする女に対して童貞男が何とかしようとあがくシーンも出て来ますが、一見童貞男が自分自身で発した言葉の重さと向き合うことで言葉に意味を感じさせるシーンながら実は女が発した「好きなら態度で示しなさいよ」は、相手に結論を委ねているだけでありその言葉自体に意味性があるわけではありません。
前述の埼玉のカルメンの話にしても精神的に問題を抱える女の台詞として出たものですが、正常な人間が同じ言葉を発しても違和感があります。
つまり誰が言ったかでなく何を言ったかです。
となると、言葉の意味性がなくなるどころか正常と非正常の意味性も超える力を持っていることになります。

(2)に続く。
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2014年11月09日

雑感−79

昨夜は行きつけのお店で久々に弾けました。

深夜12時過ぎから飲んでいたのですが、自宅でワインを飲んでからの参戦なので加速がつきました。

そして2時半頃からは客は私がひとりでお店の方がママも含めて3人でした。

昨夜行ったのはママが私の9月の誕生日のプレゼントを渡し損ねているのを知っていたからでした(ただ行きたかっただけかも)が、予想外のハーレム状況が文句なしに素晴らしいかどうかについてはかなり微妙です。

閉店間際に私の右側にはママが座り私の左側には長くの知り合いのお店の女の子が座り、どちらも考えられないようなハイペースで飲むし気がつけばママは足を絡めて来るわである意味別次元のカオスでした。
カウンター内にいた最近入ったばかりの女の子も本来の勤務時間の2時を過ぎてお店に残ったのも初めてのようで私達のはしゃぎ振りを新鮮な目で見ていました。

なかなかの金額の精算直後には柄にもなくママをお姫様だっこした私ですが、その瞬間に二人の女の子のうちのどちらかが「いいなー」と言った気がしました。それをどちらが言ったか聞き分けられなかったかが色々な意味で痛恨(ヨッ!エロオヤジ)

それでそんな中、ママから「今からご飯でも連れて行ってあげてよ」と、入ったばかりの女の子とのアフターの指示を受けました。
予期せぬ展開の中「オッケーです」と言ったもののよく考えたら夜中の3時半に空いてる店なんかあったかな?
と思いつつ隣りを歩く女の子(女の子と言っても立派な三十代の女性)に空いてたらどこでもいい?と紳士的(紳士が夜中の3時半にうろうろするかよ!)に確認して5時までやっていた某和民(念のため某いらんやろ!と自分で突っ込んどきます)で閉店までいました。

バクラー??の私は、女性と二人だけでお店に入るのは人生の中でのトータル数だと手足合わせた二十本の指で足りる位少ないですが、そんなことを相手が知るはずもなく、見るからに清純派っぽい目の前の相手は「女扱いうまいんでしょうね」位のことは思っていたかも?
それでも最後の最後の別れ際の「自由が何より好きっていう考え方には共感出来るかも」との彼女の言葉で気持ち良く一日を終え、眠い中今日は朝からモンドTVの麻雀番組視聴です(勝間さん見たさ)

楽しんだ分のしわ寄せは財布の中に来てます(泣)が、みやこSのクリノスターオーの複勝を○○万ほど買って福沢さんに戻って来てもーらお(キリッ!)→バカオヤジ確定。
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2014年08月05日

雑感−78

気になるニュースが数件ありました。
中でも注目したいのは、船橋オートレース場でのオートレース開催が2015年度の開催を最後に終了するとのニュースと第二回全国麻雀選手権でアマチュアが優勝して賞金500万円を獲得したとのニュースです。

船橋オートレースといえば、私が生涯を通じてこんな男になりたいと思ったふたりの内のひとりである(故)島田信廣選手がホームグラウンドとしたレース場です。
仕事の都合で東京に居た数年間に船橋オートレース場に通った回数は50回を超えています(休みの日に開催していればほぼ毎週)。
当時は岩田、片平、島田が船橋を引っ張っている頃で、40mや50mのハンデを苦にもせず最後の最後に一着になっていましたね。
近くには船橋競馬場はあるわ中山競馬場はあるわで私のような人間にとっては空き腹なライオンに生肉を投げ込んだような環境でした。
また、そんな私と対極である女性オートレーサーの坂井さんは慣れない環境の中で船橋所属として精一杯命の炎を燃やしました。
練習中の事故で殉職した彼女でしたが、師匠の永井大介選手を始め同じ船橋所属の選手達や彼女の同期のレーサーは彼女の分まで頑張ろうと誓ったはずです。
オートレースといえばマイカーのトランクの中に日本刀を入れていた選手もいたとの逸話がある位に殺気立った世界でもありました。
昭和の色がどんどん薄れて行く流れの中にオートレースが入って行くのだとすれば寂しいですね。

思えば、若者の野球離れや車離れに始まり最近は音楽離れや恋愛離れまで叫ばれます。
競馬界で武豊騎手が引退し将棋界で羽生名人が引退する頃にはすっかり昭和の色は消えているんでしょうかね。
とは言え船橋オートの閉鎖が決まった以上、開催している間に誰か(出来れば素敵な女性)を誘って行きたいとは思います。そして坂井さんに花を手向ける場所があればたとえ一輪でもそっと置いていきたいと思います。
最後に麻雀の大会の件ですが、何と何と決勝卓で大三元を完成させた上での優勝だったようですね。
誰にも言えない私の夢は旅打ちを続け生活することですが、もし公営のレース場が次々と閉鎖されフリーで打てる雀荘も廃れて行くのならノンビリしていられません。
まずは子供達に置き土産(換金可能な財産)をした上でもうひとりのあこがれの男である阿佐田哲也さんに少しでも近づきたいですね。
男の人生とは賭け続けることだと強がりを言いながら笑ってくたばるか…
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2014年02月04日

雑感-77

怒涛の5日間が過ぎ、「失恋は人を成長させる」などと勝手に妄想していましたが、失恋と言っても告白もしていないわけなのだから勝手に遠くから見つめていて勝手に失恋したと言い張っているだけなので、とにかく妄想抜きの『成長』を遂げないと、私はかつてあんなおっさんに好かれていたのかと思われかねません。

そこで自分自身を見つめ直す絶好のチャンスである今のうちに集中して生活パターンの改善に取り組んでみます。
実は昨日までの5日間に結婚生活を営まれている方々の苦悩を知りたいと思い調べてみました。
すると、結婚10年で子供もいるけれど妻とセックスをする気になれないしたまに相手が積極的に迫って来る時もどうしてあんなに興奮状態になれるんだと醒めてしまうとの悩みを打ち分ける男性がいました。
民法では、婚姻関係においてセックスの回数に規定や罰則はありません。
あるのは同居の義務や子供に対する扶養の義務や家庭生活維持のための平等な分担の項目だけです。
アメリカなどでは夫婦の夜の生活の頻度が原因で離婚につながるケースもあるようですが、日本の場合は性格の不一致などとオブラートに包まれます。

そしてそんな悩みを持つ男性に対しての一般的アドバイスは「夫婦生活は細くて短いロウソクの炎をいつまでも消えないようお互いに努力することだし、いかにしたら相手が喜ぶかを考え続けること」のようなものになります。

木曜日からの5日間は私の人生の中で稀な位人と触れ合った日々でした。
そして今日は誰からもメールや電話が来ないし私からも連絡しないひとりの生活に戻ったのですが、何故か「ん?変な感覚やな」との思いになりその原因を考えるに至り、ひょっとして自宅に帰った時に「お疲れ様、先にご飯食べる?」的なものが不足しているのでは?と離婚後初めて感じました。
もし、帰って来て誰かがいて一緒にご飯を食べたりテレビを見たりしてそれが幸せならば誰だって一歩も外へ出ないよな…

そう、結局私は今日も外へ出ていったのです。そして出て行った先はあえて伏せます。
昔の話になりますが、私の父親は夕食時や休日に自宅にいることがほとんどありませんでした。
それでも私が小学校高学年から中学時代にかけての一時期、毎週のように日曜日にいることがありました。
私には6歳下の妹がいるのですが、両親と妹と私とで日曜日にトランプやボードゲームで遊ぶことが私にとって最大の楽しみであり永遠に日曜日が続けばよいのに… と思っていました。
全く私らしくないないエピソードですが、私の幸福の原点はここにあります。
しかし幸せな時代はそう続くものではなく、やがて母親と父親は12年にも及ぶ別居生活が始まりました。
父親が母親のところへ帰ってきたのは母親が精神的に参ってしまった結果すっかり変わり果てた時でした。
母親は家事をする気力もなくただただ父親の作る食事を食べるだけでした。
私は両親が別居期間中の10代の時に母親から家を出なさいと告げられひとり暮らしを始めていたので、父親が戻った時にはそこにいなかったのですが、父親から家を移すので一旦戻って来いと言われたためアパートを引き払い合流しました。
そう、10数年振りに4人家族復活です。母親はただいるだけで毎日たっぷりの薬を飲むだけの存在でしたが、妹は自分の部屋がやっと出来たと喜んでいました。
ただ、妹はあっという間に結婚したため4人での生活は一瞬でしたしその後は私も結婚して家を出ました。

別居と簡単に表現しましたが、父親は会社の独身寮に12年間寝泊まりしていました。
あまり言いたくはないですが、別居開始時に母親の精神状態は既に問題をかかえており父親が母親のそばにいれば何が起きるかわからない状態だったためその手段をとるしかなかったというのが実情です。
先程の男性の悩みに件に当てはめると、正に消えかけたロウソクの炎を細々と燃やし続けたことになります。
父親は死ぬ直前まで母親の食事を作り続け、洗濯をし続け、掃除をし続け、通院に付き添い続けました。
わけのわからぬまま家を出された父親の心境ははかりしれないし、普通の男なら離婚しているでしょう。
でも、母親がそうなったのは自分に非があると言い続け、一切の愚痴をこぼさず人生を全うしました。
そして私はその息子です。
こうして長年ブログを更新している私を文章を通じて知って下さっている方には今日書いたエピソードがどういう意味を持つのか察して下さることと思います。

あの父親の息子だけに私も辛かったことは胸に秘める性格です。
けれどもしその性格が無理のあるしんどい人生になっているならば父親と同じ道を進む必要はありません。
父親は自分が死ぬ直前、私に対して最初で最後のお願いをしました。
それは、「お前達にお母さんを残して死ぬわけにいかん。俺がお母さんを遠いところに連れて行って一緒に死ぬからお前の承諾が欲しい」と。
今から思う返しても父親とそこまで真剣に向き合ったのは初めてでしたし一緒に過ごした期間があまりに短かかった(私が生まれてすぐの時も結核になり長い闘病生活期間あり)ので相談事などしたこともなかっただけに父親の言葉に一瞬絶句しました。

私は、「ちょっと待ってくれ、お母さんの両親のこと知ってるよな?俺が親父に望むことはふたつだけや。離婚しないで欲しいことと自殺をしないで欲しいこと。一生に一回に頼みや。それだけはやめてくれ。それと母親のことを考えて心中するって言うてるけどそれがホンマにお母さんのためになるんか?ボロボロになってもお母さんはお母さんの人生を自分の力で全うするべきなんや。お母さんのことは俺と妹に任せてくれたらええから」と声を振り絞り伝えました。

親父は「わかった」と一言だけ言葉を発しました。


元妻のことも含め私が日頃から自殺と離婚は何としても家系から断ち切りたいと強く思うのも私の子供達に負の連鎖を起こして欲しくないからです(離婚については残念なことになりましたが)。
前にも書いたと思いますが、前述のやりとりの前後に私が、「親父とお母さんには迷惑かけっ放しやったな。悪かったごめん」と伝えたら、父親は「家族の間に迷惑なんて言葉は存在せんのや。気にするな」と。
私はこのやりとりを父親の葬儀の喪主挨拶の時しましたし私の息子達も列席してその言葉を聞いています。
その後、母親も天寿を全うし父親との約束は守りました。

前の記事でリミッター解除しますと宣言していなければ唐突な記事になったと思いますが、私の幸福感の原点を思い出すことで私の今後に繋がる気がしました。
私にとっての幸福は恐らく万馬券をとることでも一億のギャラを貰うことでもありません。
笑いながら家族で楽しんだトランプこそが私にとっての永遠の幸福です。

私は少し肩に力を入れすぎていたかもしれません。
思い出に浸ることだけは避けて来ましたが、思い出と向き合うことは無駄ではないと思います。
怒涛の5日間。そして過去と向き合った今日。
未来は過去と現在と無縁ではないことを信じて明日に希望を持ち生きて行きたいです。






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雑感-76

更新頻度が極端に低下しているにもかかわらず今訪問者数を数か月振りに確認したら頻繁に更新していた頃と大差ない事実に驚きました。
コメント欄を利用して都度の思いは綴って来ましたが、やはりきちんと記事にするとなると意識に違いは出ます。

今日の更新は、ここ数年に渡るトレーニングの成果が肉体や精神にようやく影響を及ぼし出したとの実感を持てたのことと自分の中のある種のリミッターを解除しようと思ったこと、そして好きなドラマのスペシャルが2月8日に放送されるのがきっかけです。

離婚して4年強、私のバイブルはそのドラマ『最高の離婚』です。
中でも尾野真千子演じる結夏の台詞の数々にはぞっとさせられます。
「あなたの好きなのは自分だけなの」「好きな人とは気が合わないし気が合う人は好きになれない」等々。

好きだから一緒に暮らすはずなのにどこかすれ違って行く男女。
ドラマの中のひと台詞ひと台詞が心に突き刺さります。
先程、リミッターを解除すると宣言したのはひとつの理由があります。
このブログを始めて以来、リアルな私を知った上で訪問して下さる方はごく少数でした。
しかしそれでもその方達を意識しながら更新する時もありました。
ただ、それも今回を起点に自由に書き連ねようと思います。
もしそんな生々しい私を見るのは避けようと思われる場合はそうして下さい。
わざわざこんなことを語るのも大きなお世話かもわかりませんが私の中の何かが変化しようとしているのは事実なのでこの後の文章である程度理解していただけると考えています。
では、話を進めます。




まず、ここ数日にあった出来事と私の心の移り変わりから語ります。
私は結婚前も結婚中も自分の意思の通り過ごして来ました。
それが、離婚をきっかけに人に流されるのもいいかな?との思いで飲み歩いたりしていました。
先日も離婚後直ぐに知り合ったママ(当時はお店のスタッフで一年前に独立)から「絶対に絶対に一周年には来てね」と言われていました。
昔の私ならそんな言葉も気にかけず自分が行きたいかどうかだけ考えていたはずです。
正確に言えば、そんな昔の私も20年以上連れ添った元妻との関係だけは我を通していませんでしたね。
で、結局お店にお祝いの品を持って来店し日付が変わるまで飲んでいました。
トレーニングを続けるためにはそんな時間の過ごし方はマイナスなのですが、この4年間で私も少し変わったのかママの気持ちに応えようとしたのは事実です。
そして結果的には行って正解でした。
行ってなかったら私の今の心境に至らなかったしこうして再び意欲的にブログを更新する気にもならなかったでしょう。

当日の時間的経過を辿ると夜9時頃に二人で来店し、2時頃に連れを送り届け再びママの店に舞い戻り、3時過ぎから5時過ぎまで次の店で死にかけながら飲んでいました。最後の店は飲み放題だったのに2時間でグラス半分のビールを飲んだのみでした。
最後の店をフラフラで出て自宅に帰りかけたその時、最初の店のママから電話(2年振りかな)があり、私の店に舞い戻った時に既に様子がおかしかったけど大丈夫?と気遣ってくれました。
電話で会話するなんて4年で3回目位かな。同伴もしたことないし休みの日に会ったこともないけど最初に会ったその日から私の下の名を呼び捨てにし今でもそのまま。
年齢はかなり下で初対面から呼び捨てなのに違和感がない不思議な感覚。
実は、ママが独立前の店にいる時に別のお客さんが「俺も呼び捨てにしてくれ」と言ったことがあり、当時は一スタッフだった彼女が実際に呼び捨てにすると「やっぱりやめてくれ」とのオチがつきました。

人間関係は「しっくりくるかどうか」の要素が大きい気がします。女性だって「お前」などと軽々しく呼んで欲しくない相手もいるでしょう。
テレビなんか見ていてもビートたけしが後輩にお前と言ってもしっくりくるのにタモリが後輩にお前と言うと違和感がありますよね。そのへんの違和感の中身は私には説明出来ますが、一般的には「しっくり」感覚の共有は難しいですね。
話を進めると、木曜日にママのお店に行った時に「肝臓の数値が悪いから日曜は休肝日なの」と言っていたので日頃から体に気を付けてねと言って来た私は改めてそう伝えました。
そして日曜日、私は何気なく行きつけのショットバーに入るとそのママが先に来ていました。
「えっ?」実際に店でアルコールを飲んでいたかどうかは確認していませんが、家でゆっくりしてたらいいのにとの思いになりました。
私はレッドアイを一杯だけ飲むとママに「お先です」と声をかけて20分程で店を出ました。
私の精神状態を心配して電話までくれたのに自分の体のことは考えないのかなぁ。と言うより一緒に居た男に言いたい「お前ホンマにママの体のこと考えてるんか?」と。
その男とはママを巡って取り合いしたこともないしママにしたら大きなお世話になるけど俺がママの男なら来ると言っても家でゆっくりしてろと言うけどなぁ。まーしょうないわ。
でも肝臓の数値が正常値の2倍超えなのはどう考えてもやばい。
ママが昼の仕事と夜の仕事のダブルワークをしている時、どちらかに絞るとすればどっちが良いかな?と相談されたことがあるけど、その時は自分の体のことを最優先にして、自分が無理なくやれる範囲で後悔しない道を選べばいいとアドバイスした記憶があります。
そして、もし夜の仕事を選ぶなら肉体関係を迫られた時にそれを受ける位に覚悟はいるよとも伝えました。

その後、私の知らないところで彼女は独立しました。1年前までは「どこも悪いところがないの」と言っていたのにやはり毎日店に入り酒の抜けない日々が続くことでダメージが蓄積されたのだと思います。

そして月曜日、私は昔からまず夜のお仕事の女性との同伴はしません。やったのは20年で3回ほどかな。
月曜日の午前中「今日7時にカラオケのあるバーに行きませんか?」とメールが来たので、これはその後に同伴しろということやなと思い、5時間後位に「同伴は無理やけどバーだけなら行くよ」と返しました。
すると、「わかりました、では夜に」と返信が来て私はややとまどいながらも行くことに決めました。
そして1時間飲んで歌って恵方巻きを食べて「じゃあまた」と言って別れました。
「ん?一体何が起きたのか?」とわけもわからぬままかなり久々にパチンコ店に入りパチスロAKBを打っていました。

ざっとこんな流れですが、金曜日には一年に一度ほどお茶する年上女性(年末にはギフト券もくれた)とお茶もしたし土日は久々に競馬も楽しんだしこの5日間は中身の濃いものになりました(そうそう金曜の夜に長男も泊りに来ました)。
月曜のメールの主はママの店に行った後にへろへろで辿り着いた店のスタッフの女性だったのですが、半分位は記憶になく、かすかな記憶として「またカラオケに行こうね」と会話が交わされたようなそうでないような。
とにかくバーに行ってその子の年齢を改めて考え「あかん、俺何してるんや」とハッとしたと同時に、そのあとのパチンコ店で鏡を見た時鏡が「おいおい、お前自分の歳わかってるんか?」と言っているようでおぞましかったですね。
それにしても、同伴は出来ないと言ってるのによく一緒に行く気になったよな。
そのくせあっさり「またね」と帰るし相変わらず女心はさっぱりわからん。

12月に何人かから来ていたお店に来てねのメールも私が全く行く気がないものだからとうとう誰からも来なくなり飲みにも行かなくなり1月は順調にトレーニングを積んでいたのですが、この5日間はペースがガクンと落ちました。
さて、明日からまた日常に戻ります。前述のママの誕生日の11月までは圧力がかからなさそうなので、やっと夜の世界の呪縛から抜けられそうです。

話がえらく長くなった割に、最高の離婚の話とリミッター解除の話がどっか行きました。
出て行った元妻はきっと「こいつとは話が合わんな」と思っていたことでしょう。
コメント欄にちらっと書きましたが、人間はどれ位生きられるかなんて保証されているわけではありません。
物事である意味一番大事なのは『前提』です。
命が約束されていないことが前提なのにあまりに当たり前過ぎてそのことに目を向けないのも人間。
私が表現するリミッター解除とは、今日一日でそんなことまでするの?出来るの?との限界を取っ払うことであり、そんなに人に流されていいの?という境界も取っ払い、そんなに自分の意見を主張していいの?との抑制も解き放つということです。
そのためには体力・精神力・経済力が必要でした。
精神力については12〜13歳でほぼ完成していた私なので、その後にある程度の強化をすれば良いだけでした。
体力についてもこの一年で自信を持てるレベルまで来ました(この年齢で一日10キロを一年以上走り続ける奴は日本中でさがしても少ないはず)。
最後に経済力ですが、ネックになっていたのは子供達の教育ローンと私の飲み代と私の博打代でした。
ふたつまでは何とかクリア出来そうですが、飲み代または博打代のどちらかが残るかその二つが女代に変わるかの可能性は残ります。

今年こそは温泉に行くぞと言いながら丸4年。さすがに今年はそれに近い状態にしたいですね。
彼女いない歴4年超えの私としては体力・精神力・経済力が揃いそうな夏頃にはせめて誰かと一日デート程度はしてみたいものですね。
結局、大したことは書けなかったですが、明日が約束されていない人間としての自覚を強く持つことになることだけは間違いありません。
これもコメント欄に書きましたが、一時的な結果も意味がないし結果につながらない過程も意味がない。
結果を出し続けるということは命の火を燃やし続けるということでもある。精一杯生きたという結果を出し続けるためにも我がままでも良いから自分だけのストーリーを作り続けたい。そして誰かのストーリーにも少しだけ顔を出したい。






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2014年01月20日

雑感-75

記事としては今年最初になります。
それにしても1ヶ月間も更新しない程忙しかったのかと思ってしまいます。
とか考えながら画面に向かっていると、「ん?」LOVELOGが3月末で終了しますとの告知が…

現在登録しているユーザーはSeesaaブログに移行可能なようですね。
いつかこの日が来るとは思っていましたが規模が規模だけに仕方ないですね。
移行時はまた面倒な作業が待っていそうですがこのまま続けたいと思っています。

さて、久々に更新する気になったのは、ふと感じることがあったからです。
ここ数ヶ月に渡り、「難しく考えなくていいですよ」と指摘されることについて思いを巡らせていましたが、
ちょっと待てよ。これってもっと単純なことが含まれているのでは?と気付くに至りました。
書物や映画・ドラマなどでは様々な言い方で、「人間には2種類の人間がいるんだよ」との表現が成されます。
そこで私も「人間には2種類の人間がいて、考えて生きる人間と考えないで生きる人間に分かれる」と言ってみる。
私が再三指摘される「難しく考えなくていいですよ」とかの問題でなく、簡単に考えることすらしない人間は難しくも考えないと仮定する方が理解し易いなと。

資本主義の始まりは「禁欲と勤勉を旨とするプロテスタントの行動倫理により形成された」とするマックス・ヴェーバーもいれば、
資本主義の始まりは「配偶者外との性愛のはびこりが資本主義形成につながった」とするヴェルナー・ゾンバルトもいる。
そのどちらが考えて生きる人間の傾向であるのかについての見解はさておき、考えていようがいまいが、何らかの行動による結果を見て判断するしかない。
夜の世界で従事する女性は稼ぎのために血の滲む努力をするが、稼いだ金をホストにつぎ込む場合もある。
この場合は客観的に見て「考えて生きてはいないな」と評価するしかない。
こんな例は山ほどあるし、ほとんどの人間はサービスを提供する側でもありサービスを受ける側でもある。
時には考え時には考えないとのバランスは人間の性質上難しいように思う。
世の中の人間の中で常に考えている人間にとって、常に考えていない人間はありがたい存在だろう。
そして常に考えるより常に考えない方が楽に決まっている。

今まで私自身は、二つに分けるとすれば考えない方に入っていたのだと思う。
わたしが気付かなかっただけで、考え続ける生活にも楽しさはあるのだろうからものは試しに考える生活に挑戦してみようと思う。
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2013年12月21日

雑感-74

ボートレースの賞金女王決定戦でデビュー時から応援を続けている平山智加さんが優勝したことについて遅くなりましたが「おめでとうございます」と言わせてもらいます。
17才年上で同じボートレーサーの福田選手と結婚した後での快挙なので私生活も順調に行っているのでしょうね。
優勝のコメントでは「今まで大きなレースの優勝戦で期待に応えられなかった経験も無駄ではなかったと思います」と語っていたのが印象的でした。
私は昔も今もアスリートが大好きですし私自身もスポーツに関わり続けています。
喜びは一瞬だけかもしれませんがその一瞬の喜びを味わえるのは一握りの選ばれし者だけです。
どんな分野であれ人間同士がやることなんて紙一重の差でしかなく、その僅かの差をつけるには日夜努力を続けるしか方法はありません。
仮に恋愛であってもライバルとの差は100と95位の差でしかないだろうしその5の差をつけることが大変です。
やはり応援を続けている卓球の平野さんもメダルをとったし応援している選手が活躍するのは素直に嬉しく思いますし私自身も刺激を受けて何らかの結果を残したいと思います(今日のエントリーはですます調です)。

12月に入り何かとバタバタしていて20日の夜もこたつでついウトウトしてしまいました。
すると、元妻から電話があり正月に息子達と食事をしたいのでそっちに連絡があれば予定を聞いておいて下さいとのことでした。
どうやら元妻の母親が喜寿を迎えるとのことで息子達にも祝って欲しいとのことのようです。
電話があるのも珍しいので「体調はどうなん?」と聞いたら「心臓の精密検査を年明けにやる予定」と言われ少し複雑な気持ちのなりました。
「原因は?」と聞けば「ストレスと肥満」とのこと。とにかく私のところを出て行ってからは膝の靭帯の損傷等々心身共に病気のオンパレードになっています。
一緒に居た時には大病を患うこともなかったし心のバランスが極端に崩れることはなかったのに…
用件以外のことで会話が長引くことは避けたいとの気配を感じたので「父親が頼りないのだから母親だけでも元気でしっかりしてよ」とだけ告げて電話を切りました。
「幸せを願うなら同意して下さい」との経緯だっただけにこのような現状にはやはりやり切れないものがあります。
元々は私がしっかりしていれば良かったのですが今更言っても始まりません。
20日に昼にいつもの知人と話をしていて「お金に困っていると言って人に話しても人が代わりに支払いを済ませてくれるわけでもないし、病気になっても誰も変わってはくれない-と言うか代われないよな(たとえ肉親でも)」との結論となり、「結局自分自身が頑張る以外にないよな」で会話は終わりました。

小学校で子供達を殺害した宅間死刑囚は生前「身分や収入や肩書や容姿で差別される理不尽な世の中なんて無茶苦茶にしてやる」と言っていました。
彼を非難するのは簡単ですが、無茶苦茶にしてやる以外の言葉はそれほど的外れでもない気もします。
本当の勝負はそんな理不尽さに気付いた後から始まるのではないだろうか。
「俺は(私は)こんなに頑張ってるのに周囲や世間から評価されない」と言っている奴の声をそのまま受け取るほど世の中は甘くない。
書き始めに語ったように人間同士の差なんてほんの僅かなものでしかない。
全員が福山雅治や石原さとみのようになれない以上、自分なりに日々努力を続けるしかない。
私のことで言えばつい最近4年前からの知り合いのところに会いに行って「最近朝起きるたびに俺老けたよな〜と思うんや」と伝えたら「全然老けてないし逆にスケールアップしてるよ」と言われ少し自信になりました。
なんやかんやでチューブトレーニング+ランニング+腹筋+ストレッチのコンボも丸一年になりました。
今日はさぼっても良いかなと思ったことは度々ありましたが何とかさぼらずにやれました。
そろそろ更なる負荷をかけようと考えていた矢先に浴室であばら骨を痛打してしまい現在様子を見ている最中です。
このように災難はいつやってくるかわからないので元気に体が動く間はこれからも手抜きせずに続けようと思います。
ネット喫茶から更新していますが自宅に戻れば長男が帰って来ているはずです。
私自身、去年の今頃と今年の今を比べるとほんの少し成長出来たとの実感があります。長男にもその『ほんの少し』のマインドを伝えたいと思います。
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2013年11月04日

雑感-73

今日は大阪梅田界隈を探索したが、昔に比べて様変わりしていた。
Round1なんかは私が若者なら一日楽しめそうな空間に思う。
食べ放題・飲み放題2500円の居酒屋もあったが昔では考えられないデフレ価格。
グランフロント大阪も立ち寄ってみたが、気になっていた世界のビール博物館は逆に価格の高さに驚いた。
ほとんどのビールが800円。ソーセージの盛り合わせも2000円前後していて気軽には入れないなと感じた。
なんとかラボのオンパレードだったが要は最先端の科学技術のフロントショップ的なものなのかなと。
歩いている人々も結構な数でオシャレ星人がいたが、やはり最低限風景に溶け込むファッションでいないと浮いてしまう気がした。

話題としては遅いけれど楽天が優勝しましたね。
腹のサイズの差で勝った気もするが真面目な話をすると、ファンも選手も監督も田中投手を信頼し田中投手もまたその信頼に応えたように映った。
レベルは違い過ぎるが私も公営ギャンブルの予想をし出して何十年にもなるしブログを通じても7〜8年になるが、自分自身が信用に値するのかどうかが常に試される。
才能や努力やひらめきなどあらゆる要素の総合力により結果が導き出される(予想もその結果も)わけであり言い訳は通用しない。

武田鉄矢さんが言うには、芸能界にいる人間にも醸し出されるオーラに違いがあり、上戸彩さんなんかは飛び抜けたオーラが出ていると。
誰よりも演技が上手いというわけでもない彼女が何故そこまで輝けるのか?
自信という文字が自分を信じるというところから来ているならば彼女は自信を胸に芸能界を渡ってきたのだろうか。
その点についてやはり私は自信だけでオーラが出るわけではないと思う。
彼女が周囲の人々から愛されているのは間違いないと思うし、いくら売れても謙虚な姿勢でいることも想像がつく。

誰しもが自分と向き合う瞬間など作りたくない。
何故ならば「私はこれでいいのだろうか?」などと答えの出ないことに思う悩むことになるからだ。
向き合わないで済む一番の方法は「明らかに他者と言える他者」との交流を持つこと。
そしてその他者から認められることだろう。
時にはアニメやドラマの主人公に勇気付けられることもあるだろう。
「俺が俺が」でなく、常に向上心を持つことで人生が魅力的なものに映ることは間違いない。
そして気がつけば自分自身も何らかのオーラをまとっているのではないだろうか。

信じるに値する自分を獲得するためにはあれやこれやと横道に逸れている暇はない。
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2013年10月19日

雑感-72

毎日のように運動をしていると、「やっぱり正しい方向性ってあるよな」との心境になる。
絶対善や絶対悪とは言わないがイメージとしてはそれに近い。
相対善や相対悪については時代背景や住んでいる環境により変化があるので一概に善悪を語ることが難しい。
生き方は人それぞれ。知り合いの女性はブログなどやっていないのだが「もしやるとしたら毎日どれ位の文字数を書き込めますか?」と聞いてみた。
すると、「2行程度かな。今日は暑かったわとか今日食べたお菓子は美味しかった程度の日が多いと思います」との答えだった。

ネット上に書き込むことが万人にとって正しい方向性でないことは確かだが、心身を健康に保つために努力することはかなりの確率で正しい方向性に思う。
私の場合は「身」については努力しているが「心」についてはまだまだだ。
その「心」を絶対善の方向に導くためには私がまだ気づいていない知恵を獲得する必要がありそうだ。
そのためにもこの場を利用してああでもないこうでもないと葛藤しながら前進したい。

以前にもこの場で、私は重大犯罪と出産(物理的に無理)と刺青以外は経験してきたと言っているが、勿論正確には他にも経験していないことはある。
ただ、私以上に経験が豊富な人間もいるだろうが大人が100人いたら私はベスト10に入る自信はある。
このブログでもそれらの経験に基づいて語っている側面が大きいのだが流石に不適切なことを書き込むのは避けてきた。
女性に関することなどはその最もたるもので、ひとつ間違えばただの自慢になるしもし私に批判的な方がいるとするならば虚偽の事柄を書いていると思うだろう。

ドラマなどを見ていると、そこそこ仲の良い男女がいたとしてそのうちの女の方が別の仲の良い男と会話を交わすシーンが出てくるが、
大抵の場合、そこそこ仲の良い男との会話内容を別の仲の良い男に伝えるシーンが流される。
それが相談という形もあれば愚痴の場合もある。
それは男女を入れ替えたとしても成立する設定なので、女の方が口が軽いとまでは言うつもりはない。
それでも、ふたりだけの会話としてどちらもが誰にも内容を漏らさないとの関係を保つのは困難。
そうなると愛する男女の関係においても言葉選びは大事になる。
本当のことを言っても他者の耳に入るし嘘をついても同様に耳に入ってしまう。

話を戻して、私は様々な経験もしてきたが様々な人間とも接点を持ってきた。
その中で思うことは、自分以上に口の堅い人間と仲良くなることはないということ。
相手から「こいつは信頼が出来る」と判断されて初めて親密な会話が成立するわけでありそれはこちらからしても同じこと。
私は結婚生活もそこそこ長かったし夫婦間の話として留めていることも多かった。
そしてそれ証明するように夫婦どちらの親や兄弟や親戚や友人に最後まで実際に漏れなかった。
えっ?どうしてそんなことを親戚が知ってるの?という局面はあったがそれは夫婦以外に知り得る立場の2〜3人の口から漏れたものだったようだ。

私は別に「秘密主義」というほどの人間ではないが、ブログ仲間と会う時にも自分のプライバシーをほぼ明かさない。
だからこそ色々な話が出来るのだが、飲み屋に行くと「お仕事は?年齢は?」と聞かれることもある。
まー私以外の多くの人はそんな時でも気さくに答えるのだろうが、聞いたからどうなると言うのだろう。
例えば、「どこの大学を出られているんですか?」と聞かれた時に俗に言うFランク大学だった場合はどのように会話を繋げるというのか。
「凄いですね」とはまずならないし「馬鹿大学ですね」とはもっとならない。
障害者手帳を持っている人も想像以上の数いると思うが、「あなたは健常者ですか?」と聞くことはないし自分から障害を持っているとも言わないだろう。
つまり聞ける範囲だと思うことを自分の基準で聞いているだけであって、人の持つ底知れない可能性に想像が及ぶことがない。
私のごく身近にいる町の有力者にしても私に対して「橋下市長の父親がああいう筋の奴やから橋下もヤクザ気質なんや」と言ってくる。
私の父親がその筋の者である可能性がゼロでないことなんかに想像が及ぶこともなく屈託なく会話を進める。
このエピソードひとつとっても人間同士の会話は奥が深いし想像力に乏しい人間の場合は会話が上滑りになる。

ここまで書いて「心の絶対善」について何かひらめくことがないのかと自問自答するが、私のウィークポイントはやはりひとりになっている状態の時の自己コントロールに思える。

「言ってはいけないこと」は徹底して守り通せるのに「やってはならないこと」を守り通せない。
何故かは自分が一番わかっっている。
『甘さ』以外のなにものでもない。
仮に拳銃をこめかみに突き付けられ続けて、「やったらあかんということをやった瞬間に引き金を引くで」と言われ続けてそれでもやってしまう奴は少ないだろう。
人間は突き詰めると「命」がかからない限り本気になれない生き物なのかもしれない。

私に足りないのは間違いなく、ひとりで行動する時の「緊張感」
緊張感を持ち甘さを克服するしか「心の絶対善」は獲得出来ない。
せっかく「肉体の絶対善」に気づこうとしているのだから心身をセットとしてそれを獲得したい。

言ってはいけないことを守れる私に、やってはならないことを守れないわけがない。

明日は菊花賞。全く予想をしていないが、角居厩舎というだけでフルーキーに期待してしまう。

来月は久々の再会が待っている。あまり時間も残されていないが万全の調教を積んだ上で出会いの場を迎えたい。



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2013年10月18日

雑感-71

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」4時間一挙放送スペシャルがMBSで10月26日(日付は土曜日-実際は25日深夜)にあるが、噂では大人が観ても人生観が変わる位の内容なそうなので起きていられれば観ようと思う(エエおっさんが何言ってるの?とのツッコミは御遠慮下さい)

それにしても時代は猛スピードで様々なものを消費して行く。
三鷹女子高生ストーカー殺人のニュースももう少しすれば忘れ去られるのだろう。
我々は、衣食住を通じて大量且つ猛スピードで自然界の動植物を消費している。
しかし我々もまた一個体としてあっという間に消費されるのが真実。

ある武道の師範は、「他者に対して減点法で評価するべきでない。100点満点の人間なんていないのだから100点がどういったものかなど理解出来る奴などいない」
また、「鍛えるとの考え方はよくない。常に自分が弱い存在だとの意識が伴うからだ。そう考えるより体を動かすことで気持ちいいと感じ結果として強くなるとのイメージの方がよい」
そして「相手が弱さを見せることで相対的に自分が優位に立てるとの考えも好ましくない。強い相手であるからこそ自分も強くなる」と。

ある意味自然体のすすめのように聞こえるが、見方を変えれば師範自体が減点法で他者に接する人間に対してマイナス点を与えているようにも思える。
100点を理解出来る人間がいないとの前提であるなら、他者に対してアドバイスが出来る人間もいないとの認識が真っ当だろう。
したがって、師範が言いたいことの本質は「私の見解も評価する必要がない」となる気がするが恐らく師範自体が意識しているわけではないだろう。
つまり私が何を言いたいかというと、言葉により誰かに何かを伝えきるのは困難だということ。

それよりもきゃりーぱみゅぱみゅのバックダンサーを見て「凄いダンスやな。キレキレやん」と感心・感動することが「伝わる」ことの本質に思う。
もちろんファッションも含めてきゃりーさんのパフォーマンスも人を魅了するが、やがて彼女も消費されて行くだろう。
浜崎あゆみさんなども消費のされ方に加速がついてしまっている印象。
私自身も危うく肉体が賞味期限を迎えそうだったが、ここ数年の鍛錬(師範的に言うと、楽しく体を動かした)の成果で何とかまだ最低10年位はやりたいことをやって、行きたいところへも行けそうだ。

そんなことを考える中、相変わらず知人の大学講師と議論を交わすのだが先日も「人間なんかたんぱく質のかたまりなだけで、男と女やら大人と子どもの違いなんて些細なことや」と言葉が返ってきた。
私が「俺は思うけど、子どもから大人になると言うけど大人になりきってない奴があまりにも多い気がする」と言ったことに対しての答え。
確かに子どもと大人の違いにしても男と女の違いにしても声高に言うほどの差はない気もする。

その知人は毎度毎度「寂しさの本質はお金がないこと」と言うので、私は何とか「お金とは関係なしに俺は意識を高めることでいくつになっても成長出来ると考えているし、思考することや努力することが重要やと思う」と反論する。
するとこれも毎回、「意識って言うても抽象的な表現やし俺にはわからんな。時間とかお金とかもっと具体的な表現で示してくれ」となる。

三鷹の事件に戻るが、恋愛の本質を履き違えると地獄になるとの例となってしまった。
「愛情」とは家族間でもあることであり、本来は近親相姦的な側面があり仲良くなればなるほど攻撃性や破壊性を秘めた性行為とは遠い存在になるはず。
つまり、他者を対象とした異性間においては、家族間で発生するような愛情も培って行かなければならないし、一方ではエロスの対象としての他者として性行為に及ぶことになる。
それを考えるとあまりに安易な交際では、そのような愛情の劇的な裏返りもなく底の浅い恋愛になる気がする。
そしてこのような事件の当事者に残る感情は「攻撃性」だけになり「愛情」には裏返らないのだ。
これほどまでに人が恋愛に熱を上げるのは単に子孫繁栄だけのためでなく、人間のあらゆる感情が凝縮するからだろう(家族間では通常攻撃性がスポイルされる)。
ギャンブルなども感情の凝縮という意味では恋愛に近いものがありそうだ。

今日の話の結論が見えなくなってきたが、人生の中では自己主張すればするほど他者からの意見(反論含め)も出るし、かかわる人数の多さだけアンチも出てくるもの。
タフな精神を養うためには経験を積まなければならないが、自分の思うようになる時ばかりでないことを学ぶ機会を出来るだけ早期に持つことで少しは養えるし、優しくもなれるはず。

アナログ人間と言われようが私は原稿用紙にすれば10枚以上の走り書きを毎日している。
活字中毒なのはほぼ確実で起きてから寝るまで何らかな文字と向き合っている。
世の中の仕組みも知りたいし恋愛の本質も知りたいし寂しさの本質も知りたい。
そしてそれらを知るためにはいくら時間があっても足りない。
運動もしないとだめだし気がつけば誰かしらの誕生日も毎月のようにやってくる。
土日になれば競馬もある(笑)。
とてもでないが攻撃性だけの感情で他者に対峙するような暇はない。

「たかがたんぱく質でも意識を高く持ちたい」との気持ちに変わりはない。




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2013年10月08日

雑感-70

月曜日の深夜はちょっとした衝撃があった。
何気なくスペースシャワーTVを見ていたら[岡村靖幸]のPV特集がやっていて思わず見入ってしまった。
私は彼の曲をまともに聞いたのはドラマや映画の「モテキ」を通じて位のもので、30分近く視聴したのは初めてのことだった。
現在は48才位のようだが、薬物摂取により数度に渡り司法の世話になっている彼の実際の活動期間はそう長くない。
私があまり知らないだけでサブカルに精通している人なんかだとカリスマに近い人なのかも?
いや、そうではなくバリバリのメジャーなのに私が気付かなかっただけなのか?
まー私のかかわりは置いといて、驚いたのはダンサーでもあるということ。
ダンサーというと、橘慶太や三浦大知が頭に浮かぶが、格好良さの点では岡村靖幸が遥かに勝る。
何度もの逮捕歴がなかったならBoowy位のメジャー性を持てたのかそれともそんな破滅型だったから才能を凝縮出来たのか。そのどちらなのだろう?
野外フェスやクラブイベントなどに縁が薄い私が本物の音楽シーンを見逃していたことを悔いても仕方ないので、違う形で格好の良い最近の彼の映像を見ることが出来ただけでも良かった。

それにしても尾崎豊や岡村靖幸が私の目に魅力的に映るのは私の中にも共感するものがあるからに違いない。
煩悩は108つあると言うけれど、そんな数多くの煩悩と戦うためにはそれに対抗する108つの何かが必要に思える。
それが仕事なのか好きな女性なのかお金なのか友情なのか理性なのか経験なのか無の心なのか何かはわからない。
ただ、人間らしい生き方とは最初から悟りを開くことではなく、煩悩との葛藤の中で知恵をつけて行くことかなと思う。
それでも私が名前を挙げた二人はその「知恵」をつけることさえ拒絶しているようにも見えるし私自身もまた小さくまとまることを否定して生きてきた。
とは言え本当の意味で自由に生きて好きな道を進むには、誰かに迷惑をかけ続けることとセットでは良くない。
大人になりきれない方がある意味魅力的に映る場合もあるだろう。
だが、108つの煩悩に対抗するためには「大人」というアイテムが不可欠なのは間違いない。

魅力的であり続け大人でもあり続けるのは難しいが、難しいが故に到達する価値もある。
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2013年10月07日

雑感-69

オルフェーヴルは完敗でしたね。
規格外の馬を優等生として教育した結果がこうであるなら複雑な気持ちになる。
ただ、勝った馬が強すぎたための結果でもあるので、オルフェ−ヴルとキズナにはお疲れ様とありがとうしか言えない。

それにしてもいつのまにか日本は様々な分野で世界と戦うことになっている。
TPPの交渉も農業分野の5品目の関税維持を断念する方向になっているようなので産業・教育・スポーツ・文化・人材交流・その他、世界を意識しなければ取り残される時代になった。

そんな話と関連があるかはわからないがつい先日、長男が仕事のことで私に話がしたそうだったため食事に誘った。
私は、人間というのは年齢や経験に応じてスポンジが水分を吸収するようなタイミングがありそのタイミングを逃さず言葉をかけないと効果が薄いと思っている。
子供達に対しても私があれこれ指図することはないが、ここぞという時には手紙を書いてでも伝えるようにしている。
今回の件は面接時の話と実際のシフトでのギャップについて納得いかない部分があったようなので、「それはお前が事前リサーチや面接の時点での確認が足りなかった結果でもあるのだからもう少し細部に気を配って日々を過ごさないとだめだと思うよ」と言葉をかけた。
更に「くれぐれも甘い見通しで社会を捉えるのはよくない」とも伝えた。
そして「とにかく最終的には自分自身の心身が疲弊して前向きになれない状況を招く前に何が大事なのかをよく考えた方が良いよ」と話をして食事を終えた。

竹内義和氏の言葉を借りれば「自分のことをわかってもらえないという人がいるけれども、それはあくまで自分のせいであって、他人のせいじゃないわけですよね。例えば女の人にモテたいのにモテないのであれば100人の女の人に声をかけるとかしないとね。100人でだめなら1000人に声をかけるとか自分で努力することで願望に近づけるわけでしょ。それをその努力なしでいきなりモテたいとか思っちゃうわけでしょ。自分は注目されたいと思っていても努力しないなら思うだけ無駄。努力出来ない人は無能な立場のままでいるしかないわけですから。世の中は残酷なんですよ。そしてその残酷さをそれぞれが意識しないとだめなんですよ。能力のない人はどうしたらいいいの?との質問をするような奴には、そりゃ知らんがな、お前の勝手やん。と答えるしかない」


日本が世界を相手にするように学校も職場もライバルが同性や同じ国の者だけではなくなって来た。
もはや才能だけで通用する場所などないのかもしれない。
ただ綺麗なだけの女性やただ力持ちの男性の居場所がどんどん無くなる時代だとするならば日々やるべきことは山ほどありそうだ。
内面を磨けていない男が外見を磨く女性を批判する資格などない。それならまだ外見だけでも磨く方がましではないだろうか。
どちらにしても世間は「見た目」や「結果」で判断する場合が多い。本当の意味で「自分を大切」に出来た時、誰かも大切に出来るような気がする。




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2013年08月28日

雑感-68

ご無沙汰しています。
記事としては一カ月振りになります。

昨夜は衝撃的な出来事がありネット喫茶で更新しています。
それというのもこのブログで度々登場しているKちゃんが今月末で夜の世界から身を引くことになったからです。
知り合って2年以上になるし一緒に舞台も観に行ったりしたので今後お店に行っても会えなくなることは私にとってはかなりつらい出来事です。
口ではKちゃんに「俺は何が起きても想定内や」と言って来たものの、いざとなればショックが先に立ちます。
彼女がやめることになったきっかけが朝方までの私との付き合い(遅くまでやっているお店で一緒に居た)だったと知りつらさは倍増です。
やめる話を聞いたのは昨夜だったので無理を言ってつい先ほどまで付き合ってもらいました。
そこでは気がつけば言わなくても良いのに私の結婚時のエピソードまで語っていました。
とにかく一分でも長く一緒に居たかったので話し続けましたが滞在するお店は私達のみだったので気を利かせて会計を済ませお店を出ました。

この2年以上私は彼女の私生活について一切干渉はしなかったしそれが彼女に対する私なりの気持ちの表現方法でした。
幸い、彼女は焦るわけでなく現在の生活を楽しんでいるようなのでホッとしましたが、これからしばらくは私自身の心の整理が大変です。
あと数時間で仕事が始まりますが今はこうしてブログに書き連ねるしか方法は思いつきません。
Kちゃんは私のブログのタイトルを知っているのでこの記事もいつか目にするかもしれませんが、前にも語りましたが私の身近で私のブログのタイトルを知っているのはKちゃんとK君だけです。
Kちゃんは私の記事を見て「面倒くさい奴やな」と思っていたかもしれませんが当初から訪問されている方にとっては日常営業と思っていただけるかと。

こんな日が来ることは想定内だったはずなのにこの喪失感は何なのでしょう。
今週もう一日会うチャンスはあるのですが行くと悲しさが増幅しそうでどうしてよいのかわかりません。
小説の重要な登場人物がいなくなることで「恋愛編」も更新出来ないかもしれません。
Kちゃんのお陰で私はやり残したことにチャレンジ出来ています。
マスターズ陸上に出場して何らかの種目で世代別の日本記録を狙うとの意気込みでトレーニングに励めています。
そのことはKちゃんにも伝えたので有言実行となるように本気で取り組みたいと思っています。
小学校時に大阪の大会では優勝した経験もあり(中学時はバスケット部)可能性はゼロではないと考えています。
人生にとって確かに恋愛は重要なことですが、それ以外にも情熱を燃やせることはあります。
本当に記録を出せた時にはKちゃんに報告したいと思います。
Kちゃんのダイエットも順調に行っているようで最近は「堀北真希に似てますね」と言われるらしいです。
私の見る目に狂いはなかったのだと自画自賛したい気持ちです。

女性にもてる男とは「良くも悪くも女性に影響を与える男」らしいですね。
私も「居ても居なくてもどっちでもいい男」にならないよう心掛けて生活したいと思います。
昨夜はモーターボートレースのSG競走であるモーターボート記念のドリーム戦が開催されましたが、テレビ中継の中で私がデビュー時から推している平山智加選手へのインタビューの映像もありました。
彼女は10数歳年上の同県の先輩と結婚したのですが、「つらい時期に支えてくれたことで絆が深まりました」と語っていました。
最初からなのか最後にそうなるかは別として男女の仲に「心の繋がり」がないとうまくは行かないのでしょうね。
出会って間もないころにKちゃんとコンビニに行ったことははっきりと覚えていますがここに来る寸前も一緒にコンビニに行きました。
何気ない出来事ですが最初に行った時とほぼ変わらぬ気持ちでいることが出来ました。
私に誇れることなど少ないですが、彼女と出会えたことは贈り物と思いこれからも大事にしたいと思います。
これから彼女とどこで遭遇するかはわかりませんがいつ会っても「あの時と変わりませんね」と言ってもらえる男で居続けたいです。

Kちゃん本当にありがとう、そしてお疲れ様。本当に感謝します。これからはお昼のお仕事頑張って下さいねわーい(嬉しい顔)





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2013年07月29日

雑感-67

人には「やりたいこと」「やれること」「やるべきこと」があると言います。

日本は豊かな社会か?との質問に対して世界の多くの人々は「豊かだ」と答えるでしょう。
豊かさとは?
一般的には「欲望が満たされ文化的にも成熟すること」になるかと。

では、国内における現在の少子・晩婚・非婚化の減少はどう説明するのだろう。
テレビ画面に出てくる若手(20代〜30代)の独身の言論人がその問題を語る姿を見るたびに「お前が先に結婚しろよ」とつい言いたくなります。

確かに食べる・寝るの欲望は満たされているとは思いますが、性欲が満たされていないからこその少子化ではないかとの個人的感想を持ちます。
人間は自己採点が50点の場合、50点またはそれより少し低い点の異性を選ぶと言います。
そうであるならば現代に生きる日本の独身男性が、自分が好きになった女性を見た時、恐らくは鏡を見ている心境になるのではないかと思われます。
余程の自信家でない限り鏡に映る自分自身の姿を見てほれぼれはしないでしょう。

間違っているかもしれませんが、私の受ける印象ではまだ日本は豊かな国に見えません。
もし独身男性にとって結婚が、やりたいことでもやれることでもやるべきことでも無いのなら欲望を満たす以前の問題です。

ここまでは他者目線の感想ですが、私自身にとっての「やりたいこと・やれること・やるべきこと」は何なのだろう?
少し前に書いた通り私は以前にある会社の経営者から「やりたい部署とポストを言ってみろ」と言われました。
そこで私は「お任せします」と伝えたところ、新たな部署が作られ係長の辞令が出ました。
新たな部署だけにスタッフは数人程度で食材の研究センター(全国500事業所程度に内食・外食に食材を提供)のようなものでしたが、ギョーザの皮の開発やあらゆる食材の真空パックのテストやラーメンスープを作るための材料をメッシュ(お茶パックのイメージ)の入れ物に詰めるテストや調理済みのカレーを一時間でも長く品質を保たせるテストなどに明け暮れる日々が続き、毎夜毎夜社長がそのセンターに現れて試食を繰り返していました。
徹夜などは当たり前で、何か言おうものなら「任せると言っただろ」と言われそうでだまっていました。

結局、数か月後には数十店舗の統括のような仕事をしたのですがそれも中心店舗(本社の1階‥会社の本業は外食産業ではない)のリニューアルの手伝いがきっかけでそうなったので(一時期は何故か強引に和食の板長代理も)、最後までやりたいことを伝える機会はありませんでした。と言うよりやりたいことが見つかりませんでした。

考えてみれば私の人生に本当に「やりたいこと」があった時期ってあったのだろうか。
結婚にしても「独立を選ぶの?私を選ぶの?」との問いに、「えーい両方やったれ」となり同じ年に両方実現したのが真相であり、ほぼ勢いのようなものでした。
それを考えると今の私が独身に戻っているのも当然の結末に思えて来ます。

私は人に対して、「自分自身の年齢も人の年齢もあまり興味が無い」と言いますが、「そんなことを言う奴ほど年齢を意識しているはず」とも言われます。
そうなると、「私は年齢に興味津々です」と言った奴ほど興味が無いことになる。
つまり、「やりたいこと」や「伝えたいこと」って本来は公言するようなものではないのかもですね。
やりたいことや伝えたいことが今日と明日で変わることだってあるだろうし今日と明日で好きな人が変わる場合もあると思います。

では、今日やりたいことを日々繰り返すのが正解なのか?
確かに今の私は毎夜毎夜飲みに行けば当面の寂しさは紛れますが本質的には何も変わらない。
それは博打を繰り返しても同じこと。

女優さんを例にとると、女優になりたいとして実現し続けたとしても独身のまま年齢を重ねる方も多い。

何かを得ようとすると何かを捨てないとならないならば日々の選択こそが最も重要になる。

これも以前同じことを書きましたが、今またもし「お前は何がやりたいの?」と聞かれたら何て答えよう。


ひとまずはこう答えるしかないのかな。


「やったことがやりたいこととしか言えません」 と。


既に行ったことが、やりたいことでもありやれることでもありやるべきこととするならば、
これからの行いも結局そうなのかもしれない。

ある瞬間にそばにいてくれた女性はやはりその瞬間には一緒に居て欲しい女性だったに違いない。








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2013年07月27日

雑感-66

ありがたいことに更新しないでコメント欄に書き込んでいるだけの状態でも毎日ページビューで500程度閲覧があります。

離婚して4年近くになりますが、正直心が折れ掛けています。
気になる女性とは年齢がかなり開いているため一定の距離から見つめる状態が続いています。
だからと言って別の誰かを好きになる気もなくkちゃんの身の回りに劇的な変化が起きるまではしばらくはこの状態が続くのでしょうね。

昨夜はそのkちゃんに例の応援馬券(ハッピーカオル単複)を渡すことが出来ました。
ダートのオープン馬なのにいきなり芝の1200mに出走したのには驚きましたが、最低人気に近かったのに7着に突っ込んで来たのには更にビックリ!

もし3着にでもなっていたら換金してkちゃんに渡せないことになっていたかkちゃんが換金することになったのかなぁ(せっかくプレゼントした意味ないやろ!笑)。

明日は大阪の梅田で開催されるアマチュア女子ボクシングの大会を観戦します(自由席5千円)。
チケットは私以外の分もとれたのですが、誘う相手がいないため涙をのんで一人での観戦です。
何でkちゃんは土日が仕事なんや(プンプン)。

というわけで、昨日の満足度100から今日は満足度マイナス90位の孤独感に襲われています。
孤独は死に至る病であると誰かが言いましたが、私の禁女性生活も限界近くになっています。
あれほど避けて来た風俗通いに踏み出さないとならないほどの状態になる前に健全な男女交際が始まるよう祈るしかありません。

少し前から言って来たように9月末を迎えた時点で私の中の優先順位の一位(最悪でも二位)に女性が入らなければ何らかの病が発症しそうです。

あと2カ月、私は一つの目にチップを張りルーレットを回します。
35箇所ある孤独という目に転がるのかそれともたった1箇所の愛情という目に落ちるのか。
人生最大のギャンブルに臨みます。



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2013年07月02日

雑感-65

フゥーッ。

男稼業は楽じゃないわ(詳しくは後で)。
まずその前に、気になるあの子のスリム化は順調に進んでいるようだ。

私は私で肉体強化を続けているので刺激し合える関係でありたいと思う。

と言っても気になるあの子が完成体になった時には私から遠いところへ行きそうなのでほどほどにして欲しいものだ(困)。

繁華街を歩いていると無制限に欲望が解放されていることに嫌でも気付く。

本当に値段がついているわけではないが、男も女も胸に値札を付けて歩いているようにしか見えない。

女性の場合は値札に偽りは無さそうだが、男性の場合は財布補正が入るので金持ってるでアピールが必要かと。

しかししかしすっかり女性に対して告白が出来なくなって来ている。

お付き合いして下さいどころか、お食事でもどうですか?とも誘えなくなって来た。

私がギャンブルから足を洗えないのは理由があり、それはやめた瞬間から欲望が対女性に集約しそうだからだ。

私がやたら体を鍛えるのは体力面での補正をかけることと見た目補正をかけることもある。

行きつけの飲み屋で私は「僕は口説かない男ですから」とわけのわからないことを言っているが、自信があればそんな言葉を出ないはず。

人生後半でまさかの展開になり、そのうち新しいパートナーが現われるやろと思っていたら、あっと言う間に4年近くになって来た。

そんなわけでさすがにのんびりとしてられなくなって来たので9月の誕生日までに退路を断って行こうと思う(結局一人で生きて行くとのオチも含め)。

つまり断捨離にとりかかる。

この数年間でわかったことは、本当に好きな異性ならばいくら忘れる努力をしても無理だと言うこと。

なので、まず好きな異性一人以外は視野に入れないことにする。

そしてその異性がどのような人生を辿ろうが、私は私の気持ちを大切にして心の平安を保とうと思う。

無理に好きな異性を作る必要も無いし、好きで居続けるだけなら先方に迷惑もかからないだろう。

そしてギャンブルだ。

これについては最難関。ひとまず誕生日までは断つ。

後は自宅の持ち物の整理になるが、実は元妻が家を出た瞬間の状態からほぼ変わっていない。

キムタクファンだった元妻がところ狭しと貼っていたポスター類もそのままだしスマップ関係の本やビデオやCDもそのままだ。

冗談ではなく、ある日突然出ていったまま荷物を取りにくることもなく今に至っている。

荷物については最低限のものだけ私が彼女の住む関東地方へ宅配便で送ったが、とんでもない数の服やバッグや靴などがそのまま置いてある。

これらの品々もそろそろ保管期間を終えようと思う。

勿論、私の数少ない衣類も処分の対象となる。

友人については元々少ないので整理も何も関係は無い。

これについてはこの25年ほどで10回以上は引っ越ししているので友人自体が私についてこれていない。

そして子供達の思い出の品がまた多い。

ガンダムのプラモだけで何体あるか数えきれないしその他大小フィギュア類やカード類も数多い。

学習参考書や小中学校時代の絵画なども全部残っている。

子供机も二つともいらないだろう。

既に不用品となっている炊飯器や扇風機なども処分しなければ。


とここまでは良いのだが、処分の後に何を置くかが問題。

イメージとしては、[結婚できない男]での阿部寛が住んでいた家だが、音響機器を充実させて深夜にウイスキーやブランデーをロックで嗜みながらリクライニングでくつろいでみたい(笑)。

そしてやはり筋トレグッズもかかせない。最低限ダンベル・バーベルの類は置きたい。

そうそう入浴タイムも楽しみたいな。バスローブなんか着ちゃったりして(きもっ)。


妄想タイムはさておき、4年近く止まっていた時計の針を進めないと何も始まらないように思える。


先日終了したドラマ[空飛ぶ広報室]で  [飛行機は美しいから飛ぶんです」 との台詞があった。

この話を気になるあの子にしたら「性能が良いから飛ぶんでしょ」と言われガクッときたが、

私は、実は美しさとは最高に近い価値であり、ただ美しいだけに留まらず機能面・実用面においても優れているのだと解釈した。


私の人生、そして現在の私の姿・行動・考え方・自宅の風景などが美しいのか?

とてもじゃないが美しいとは言い切れない。

今の私の関心事は朝ドラの[あまちゃん]。ヒロインの能年玲奈を美しいと言わないならば世の中に美しいものなんか無い。

結局最後に物事は「単純な結論」が出る。

私がこのブログで言いたいことも既に開設のその瞬間に言えている。 そう [結果が大事] だと。


自分で止めた時間は自分で動かすしかない…。


posted by tetsukazu at 21:56| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月25日

雑感-64

月2回ペースの更新になってきましたね。

閉じられた空間での自由や欲望と開かれた空間の自由や欲望は違う。
開かれた空間の中では自分と他の人間の違いはほとんどない。
そんな状況で自信を持つことは困難。
学校のクラスや特定の職場の中での比較ならば自信を持てる場合もあるだろうが。

私は人から「難しく考えなくていいよ」とアドバイスされることが多い。
難しく考えないとは、何も考えないと同義語のようで私には理解し難い言葉だ。
「やってみて結果が出てから考えたらいい」と言う人にしてもそれは何をやってもよいとは思っていないはず。

結果が出てからでは遅いことも多くあるだけに「正解」を出し続けることは難しい。
まして「大正解」を目指す場合は遠い遠い道のりになる。

誰とも遊ばない(飲みにも行かないし誰かとお茶することもない)日々が20日以上になり一人で日々を過ごすことに慣れかけてはいるが、何かが足りない気もする。
今の私にとっての正解とは何なのだろう?

女性の多くは自分自身を磨くことに熱心に映るがそれは何のためなのだろう。
お化粧をして服装にも気をつかいアクセサリーにまで興味の範囲を広げる。
男の場合もそれが正解ならば私は明日から毎日ファッションビルに通うのだが…

私は以前、「必要条件と十分条件は違う」と言った。
テストで0点をとるための十分条件は答案用紙に自分の名前を書かないことで、テストで100点を目指すための必要条件とは例えば努力するということ。
努力したからといって100点の確約はないのだから必要条件にしかならない。
つまり100点をとるための十分条件とは事前に問題内容と答えを知ることとなるがそんなことして100点をとっても達成感など生まれないだろう。

成功が約束されていることに取り組んでも達成感の面では得るものが少ないのは皮肉な話。
先日最終回を迎えたドラマ「ラスト・シンデレラ」で主人公を演じた篠原涼子は、一緒に居て落ち着く藤木直人ではなく一緒に居てドキドキする三浦春馬を選んだ。
脚本家の願望も含まれているかもしれないが藤木直人の気持ちを思うと切ない。

恋愛は成功が約束されていないから必死になれるのだろうか。
相手との恋が成就するための十分条件はなく、必要条件の積み重ねでもありタイミングでもあり相手に対する熱量でもあるのだろう。

毎日働いて毎日鍛えて毎日食べて毎日寝るだけの生活に満足出来るのならばさぞかし健全な日々ではないかと一見思うが、人間は健全なだけの存在でもない。
「自分を表現する」ことに対してどのような手段で臨めば良いのか?
体を鍛えること以外の表現手段を模索する日々は続く…


posted by tetsukazu at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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