2015年12月28日

◎目的◎

有馬記念は僅かな位置取りの違いが明暗を分けましたね。
そして勝てる位置を確保した騎手の巧みさも目立ちました。私が注目していたラブリーデイはもう一列前で競馬をしていたらもう少しは順位を上げたかもしれませんね。

中山の最終レースは今年を象徴するようにデムーロ騎手とルメール騎手の一騎打ちになりました。
彼らは後方に待機してもほぼ確実に直線で伸びるので馬券を買う人間にとっては頼もしい限りですね。
特にミルコ・デムーロ騎手の11月後半から12月に入っての重賞での信頼度は傑出していました。

競馬の大レースは大井での東京大賞典を残すのみですが、競輪・オートレース・ボートレースはまだ大きなレースを残しています。
買うのも公営ギャンブルの醍醐味ですが、年末の各レースは観戦するだけでも楽しめますね。


さて、博打は負けた分だけ哲学が生まれると語ってきたのは他でもないこの私ですが、今年一年の数百万分で得た思いは、「人生の目的とは目的を手に入れること」です。

何のこっちゃ!?と言われそうですが、その日の最初に賭ける瞬間と負けた直後に賭ける瞬間とを比較すると、負けた直後の方が100倍はモチベーションや集中力が違ってきます。

それはつまり、「何としても勝つ」との目的が明確になるからでしょうね。

古いタイプの経営者が過去の成功体験にすがることに批判的な人間もいると思いますが、それは成功体験と失敗体験のバランスが偏った場合であって、ギャンブラーもやはり数えきれない勝負の数をこなしているのだから、どんなモチベーション時に勝ってきたか位は記憶にとどめておくべきでしょうね。

冗談ではなく、女性が「私の夢はお嫁さんになることです」と言って結婚に至るケースは願望の具現化であり目的の達成です。

私達男共も「僕の夢は100万円貯金することです」位から始めてみたらどうですかね。

目的や目標は誰かが与えてくれるものではありません。

劇団[ポツドール]を主宰する三浦大輔氏は舞台化した『愛の渦』では、乱交パーティーに自ら参加して作品にリアリティーを持たせました。

私の好きな大根仁監督やAV業界の鬼才のカンパニー松尾氏なども生々しい人間を描くことに長けています。

やはり私の好きな役者の森山未來さんも海外に役者としての修行(国費で)を積んだりして自ら目的や目標を手に入れています。

そんなエンタメ界の人達に親和性を感じつつ私も来年を迎えたい。


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2015年12月25日

復活△

無事に退院して日常生活に戻りました。

お腹に三つの穴を開けての手術だったので昔と違い傷の痕跡も小さく医学の進歩を感じました。

痛みは残っていますが、日にち薬で徐々に緩和して行くと思います。

それはそうと全身麻酔の説明を聞いた時に副作用の説明を受けたのですが、術後にギャンブルが嫌いになったとの副作用は残念ながらありませんでした(笑)

ありがたいことに当ブログへの訪問者はまだいて下さるので、規模は縮小傾向ですが、破天荒エピソード記事もたまにアップしたいですね。

そしてこれは期待込みの予感ですが、人生山あり谷あり理論が真実ならば、しばらくは私の身の上に幸運が訪れるかもしれません(ホントに期待込み☆)


そんな傷も癒えない中気が付けば日刊スポーツを手にとっていました(訂正:スキップしながら買いに行きました)

そうすると有馬記念の記事の中に、記者が中山芝2500mの馬場を自分の足で走破したとありました。

外ラチ沿いを最後まで通った場合、260mも余分に走ることにらしいですね。
勿論、そんなアホな馬はいませんが、ラチから1m外を走るだけで9.42mのロスがあるとのこと。
その点で2300mあたりから伸びが止まると言われているラブリーデイの4番枠は、軸馬選定が困難だったレースの様相を変えるかもしれませんね。

私のスタンスからはそんなラブリーデイの複勝もしくは同馬からのワイド2点とかになりますが、その前に今日のナイターボートレース丸亀の第10レースの1号艇前田将太選手の頭からの舟券が堅すぎて仕事が手につきません(って、逆に余計に好きになる副作用出とるがな)

では、皆様も[ギャンブルのやりすぎは心身の健康に重大な影響を及ぼす可能性がありますのでお取り扱いには十分にご注意下さい]



最後に、私の生きる活力源であるBEBYMETALが今日夜のミュージックステーションに今年最初で最後のテレビ出演(音楽番組でのパフォーマンス)として登場します。

この日だけのために地デジの録画再生機(レコーダー)を買おうと家電量販店に行きましたが、どうやら国内大手家電メーカーの独占状態になっているようで4万以上の価格になっていました。

私に残された道はひとつだけ。
それはギャンブルレジスタンスの使者としてレコーダー代を稼ぐこと(やはり肉体の最上部に副作用はあるみたい)
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2015年12月13日

奥原選手頑張れ!

バドミントンスーパーシリーズ・ファイナルで日本女子の奥原希望選手が決勝進出を果たしました(男子の桃田選手も決勝進出)

いやーラグビーに注目している隙にやってくれましたね。

女子のバドミントンと言えばダブルスにスポットが当たり続けて来ましたが、若干20才の奥原選手がシングルスで快挙を果たし(日本女子選手初の決勝進出)現在決勝戦の最中です。

J-SPORTSで観戦中ですが第一セットを接戦でものにして第二セットに臨んでいます。


スポーツではありませんが、モンドTVで11月からテキサスホールデムポーカーを扱った番組が始まりました。

番組最初の企画では日本の中での選りすぐりのプレイヤーが戦いを繰り広げましたが、女性プレイヤーの栗田優布さんが優勝しました。

スポーツは勿論のことギャンブルや株式でも『冷静沈着』な振る舞いをした者しか勝ち残れないと言います。
そして栗田さんもまた勝負の押し引きに長けていました。

テキサスホールデムポーカーはプレイヤーに2枚すつカードが配られ場の5枚と合わせて手役を作るのですが、栗田さんは最初に配られたカードの数字が悪い(10以上のカードが少ない)と躊躇なく勝負から降ります。
そのあたりの見極めはさすがですね。

更に、彼女の良いところはゲーム中の仕草や振る舞いや佇(たたずま)いです。
とにかく格好が良いし美しいし自信に溢れています。
航空機なども美しいフォルムなほど性能が良いとされています。

ギャンブラーというと反社会的な意味合いで使われることも多いですが、出場者の皆さんは人間の中でもまれることが成長につながると思っているはずです。
彼ら彼女らは敗戦もまた糧として勝負の道を極めるのでしょうね。

奥原選手、栗田さん、今私が最も注目しているBABYMETALのボーカルの中元さん。彼女らは自分の選んだ道でそれぞれ輝きを放っています。

人生の本質が「理屈抜き」であるならば彼女達は理屈抜きに眩しく美しい存在です。

そんな彼女達を応援しながら私もまた格好良い存在を超えた『美しい』存在でいたいものです。。
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2015年12月10日

徒然に(14)

入院入院と言うわりにいつまで書き込んどるんや!
と指摘されそうですが、「安心して下さい。来週ですから!」

などと余裕をかます状況ではないのですが、書き込みたいことが多いのでご了承下さい(勝手にかけや! ですね。 はい、そうします)


例の大沢さんと喜多嶋さんとの間のDNA鑑定を巡る騒動ですが、ネットを見るとあの夜回り先生の水谷修さんも朝のテレビ番組でコメントしたらしいですね。

記事をそのまま信じる前提で書きますが、どうやら「育ての親と言ってるらしいけどふざけるなですよ。僕は夜回りを通じて抱きしめた子供達全員を自分の子供のように思っています」と語ったとのこと。

勿論、水谷氏は何らかの真意があり語っただろうし抱きしめた他人の子供ひとりひとりに財産分与しようと考えての上での発言ではないでしょう。

ただ、だからこそメディアリテラシーに基づき視聴者に誤解を招く発言は慎むべきだと思います。

大沢さんにしてみれば、自分の財産分与に関して血のつながりは無視出来ないし、過去の養育に関して法的に義務があったのかなどとの兼ね合いがあります。

水谷氏は芸能人でも連れ子がいる女性と結婚して我が子のように育て上げる男もいるとの思いがあるのでしょうが、予め覚悟して結婚するのと虚偽の申告により我が子と思い込んで育て上げるのと一緒にするのはどうかと思います(あくまでも先般のDNA鑑定の結果を尊重した場合)

水谷氏がマスコミに登場し始めた頃はまだこれほどインターネットなどのツールは発展していませんでした。
だからこそ彼の発言に賛同があったし講演会にも引っ張りだこでした(元妻も行った)

しかし、今はここで私が感じたようなことがリアルタイムでネット上に飛び交います。

そんな時代ですから『虚像』は虚像のまま伝播してしまいます。
そんな状況や背景の中では言説・行動に余程の説得力がないと老若男女全てに耐えうる存在にはなれません。

あの秋元康氏の作詞した楽曲の歴代総売り上げが1億枚突破らしいですが、「会いたかった、会いたかった、君にーー」の君ってどんな相手を指すのか秋元氏に聞いてみたいものです。

大沢さんと喜多嶋さんの息子さんは、父親はいなくなるし母親は別の家庭を持ち自分は母親の両親と養子縁組みをしてなぜだか法律上は母親と兄弟になってしまった事実を今頃どう受けとめていて
[走り出すバス追いかけて… ]誰に向かって大好きだと言うのだろう。
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2015年12月09日

徒然に(13)

私は、ギャンブルをしたり飲みに行ったりしないと「人生なんてつまらないな」とすぐに思ってしまいますが、「人生も捨てたものじゃないな」と思える時もあります。

私がこのブログを通じて語ってきたことのひとつは「現代人は所詮先人達が作り上げた枠組みにのっかっているだけであり、原始の時代と人間そのものは変わっていないのだから本質的には外敵に怯え熟睡も出来ない中で日々餌を捕る毎日だった時代と変わらない」的な考え方です。

今回、私は現代医学に身を委ねますが、原始の時代には勿論オペなどありません。

自分自身が努力しなくても見えるものが多すぎて本来見るべきもの、本来感じるべきことをないがしろにしていると、科学文明の発展とは裏腹に様々な弊害が出てもおかしくありませんが、その弊害を最小限にするために工夫も必要です。

最大の冷え対策は冷えに慣れることだそうなので、やや抽象的表現ですが、最大の生存対策も『生きることに慣れること』なのかもしれませんね。
そんなことを感じる最中、本質を見落とし易い現代の象徴のようにカンニングの疑いをかけられた高校生が学校の4階部分から飛び降りて亡くなりました。

原始の時代であれば、種としての同類から「お前俺の餌パクったやろ!」程度の言いがかりによるストレスで自殺する奴はいなかっただろうし、ひょっとしたら餌のパクり合いが日常だったかもしれません。
相手は相手の人生を生きているわけであり、辛くなるような言葉を投げかけられても常に現実は受けとめるしかありません。


そして入院前のこの機会にと長男に対して「人生は退屈なものか捨てたものではないかどっちや?」と聞くと、「人生を深く探求する気はないしどんなアプローチの探求も明快な結論は出んやろ。惰性とか暇潰しとか言われようが淡々と日々生きるしかないわ。ただ、だからこそ趣味を持つことは必要やと思う」と。

良くも悪くも我が息子のそんな達観発言に責任は感じますが、私もまた親の影響を受けているわけであり、考え過ぎたり責任を感じ過ぎたりしてもキリがありません。
『人生とは?』で頭を使うのを少し控えてマクロ視点で見れば『とてつもなくちっぽけな存在』の自分自身に極力自覚的でありたいですね。
ただし、人生を探求し過ぎない過程でのたったひとつの注意点を挙げる必要があります。
難しく考えないで生きるのは賛成ですが、犯罪者になると結局自分自身そして人生と嫌でも向き合うことに…
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2015年12月05日

徒然に(12)

マイナンバー制度の本格活用が来年から始まるようですが、建前とは別に政府の本音のひとつには『国民の大小の不正直による大小の虚偽申告を通じたお金の捕捉』にあるはず。

私は、このブログを通じて主張してきた通り、「どこまでが悪い人間でどこからが良い人間か」などの曖昧な人間観は無く、「人間を性悪説で捉えるべきであり、教育などを通じてかろうじて善の部分を身につけるのであって、良い男とか良い女とかの基準で無く、よりましな男とかよりましな女などの基準の方がしっくりくる」との考え方です。

更に言えば、『性バカ説』を主張したくなる瞬間があまりにも多いですね。
勿論、このような論理展開の時に「私も含めてですが」と付け加えると、「そんな付け加えは傲慢でしかない」と批判を受けるのがデフォです。

そうなると人間である私が人間を語るのは生涯タブーだしそれはそのような批判をする人間も同じです。

つまり一個人がする主張など無視に徹したら良いし違う言い方をするなら誰がどのようなコメントをしても良いと いうこと。

とここまで書いて言うのもなんですが、それでも自分の人生を楽しむ工夫をするのが人間です。

私事ですが、現在同居中の長男とは金曜日になると土日の競馬の話題でそれなりに盛り上がれるし、私が「この歳になるときゃっきゃして椅子から転げ落ちるような楽しい時間て無いのよな」と長男に語ると、「その点、子供時代は少しの刺激でも楽しめるよな。それに大人だとしても途上国で生活する人間や日本国内でも都会以外で住む人間は渋谷あたりを歩くだけで結構刺激はあるかもな」と返答が返って来ました。
どちらにしても都会暮らしの大人の男は楽しみがインフレーションを起こしていて刺激心がマヒしているのでしょうね。

数年前までは、飲み屋の姉さんと食事に行くことが楽しみ度80%程度はあったのに、ここ最近は週末の深夜一時頃までやり過ごしさえすれば女性との交流が楽しみの上位の鉄板でも無くなって来ました。

それよりも長男とのとりとめのない会話の方が精神衛生上も財政健全上も優れていますね。

ただ、このままだど色気の無いおじさん街道まっしぐらになるのでせめてギャンブルで勝ち越して女気を保たなければ(なんでやねん!どないやねん!)

入院前なので今年はもちつきで活躍は出来ないので『性バカ』の生き物なりに小さなウキウキ感を創出出来るよう工夫して過ごしたいですね。
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2015年12月01日

心境。

もう少しで入院日となりますが、全身麻酔の説明を聞いた後はさすがに人生観が少し変わりますね。

普段は能天気にギャンブルなどに関わり過ごす日々の私も、会社員の方(ほう)の立場での仕事引き継ぎのために連日に及び作業に追われています。

私のペースとは関係なく代行の人間が気合い十分に接してくるため、仕事は生活するためのものと常に割りきってやっている者にとっては少々面を喰らいます。

とは言え、私のようなアウトサイド寄りの人間より常識を持ちながら人生の王道を歩む人間の方が圧倒的に多いのだから、私の一見ソフトな人あたりは別として向こうは向こうで「えっ?この人この程度のエネルギーで仕事をこなしていたの?」となっていることでしょう。

前にも語った通りあのスティーブジョブズが生前に残した「朝起きて鏡に向かった時、今日が人生最後の日だとしたら今日の予定に後悔はないのか?と自問自答する」との名言ですが、今の私はかなりの部分で共感出来ます。

私のようなきっかけで心境に変化が生まれる場合もあれば、小さい頃に既に覚醒している場合もあるでしょう。

いずれにしても結果として実は人生には『意味』があるのかもしれませんが(命をつないで行くことなど)意味を求めると意味が逃げて行くとも言います(勝ちを求めて勝ちが逃げて行く私のギャンブルは?)

とにかく入院までの日々は何十年にも及ぶ横道街道から若干でも本道へ近づく良い機会なので、このまま仮会計の如く人生の仮精算の日々を過ごします(^_^)v

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2015年11月23日

資本主義と恋愛・個人の関係(2)

私の話は少し置いて、先ほどテレビ番組でインタビューを受けていたラグビーの五郎丸選手の話も資本主義社会と個人の関係を表しているように思いました。

偶然ですが、私の少し前の記事の中で「楽しむとの言葉が楽するとの意味を込めていた場合は意味が違ってくる」と語りましたが、五郎丸選手もまた「スーパーラグビーでオーストラリアのチームにに入りますけど楽しんできます。ただ、楽しむといっても趣味を楽しむなどとは意味合いが違います」と言っていました。

五郎丸選手は、結婚後のプロ契約でのヤマハ所属時の廃部危機に社員として残った時がありました。
一流のスポーツ選手でさえ資本主義社会の論理の中では個人は時に埋没してしまうんですよね。

そんな五郎丸選手ですが、僅か数年前までは「俺は日本代表として必要とされている選手なのか?」と思っていたそうです。
そんな状態の中、エディジャパンに召集されていた現場でコーチから「お前がいるからチームを安心して見ていられるんだ」とのメッセージを受け取ったらしいです。
そしてそれを見た五郎丸選手はその場で号泣し「生まれて初めて自分が誰かから必要とされている人間なんだと感じた」とのエピソードを語りました。

長男は「皆、知ったような口ばかり叩きすぎる。何億通りもあるうちのたった一通りの人生を歩んだだけで人生を語りすぎ。最近ならイスラム国(通称)の問題について語る大人も多いけどちょっとシリア近くまで行って現実を肌で感じてくるわと言っている奴など皆無や」と。

確かに五郎丸選手はプロ野球選手はお金を貰いすぎなどと言いません。
それは自分がプロ野球の内情を知らないからだろし彼らしい態度です。

彼には黒歴史もあり、高校時代に花園のフィールドに立った時に舞い上がり、能力以上のものを出そうとしチームにも自分が自分自身に対してかけていた期待も裏切ることになったと。
その時の映像は一生観ることはないとのことですが更にステップアップした時には向き合えるかもしれませんね。
ただ今は名の通り前だけを見て『歩んで』いるのでしょう。

五郎丸選手がワールドカップの舞台で語った「ラグビーに偶然や奇跡などありません。これは必然です」と語った裏には彼にしかわからない過程があったからなんだと改めて理解しました。

果たして私はいつになれば良い意味でこの現実は必然だと言えるのだろう?

タイトルと記事との整合性については次回(3)以降で…
posted by tetsukazu at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

資本主義と恋愛・個人の関係(1)

本当は『資本主義と種の保存の光と影』のようなタイトル予定でしたが、例によって「面倒くさそうなタイトルやな」となりそうだったのでタイトル偽装?しました。

さて、私は誰が何を言おうがギャンブル依存症です。
それを治す気があろうが無かろうが体の隅々まで侵食されていて毒が回っていない部分は極僅かでしょう。

侵食つながりだと大阪のダブル選挙での自民党や公明党や民主党や共産党などはご都合主義であり組織にも何らかの病理が存在しているのでしょうね。
勿論、維新が真っ当だとは言いませんが最初から是々非々主義だと公言しているだけわかり易いです。
私の知り合いは共産党にしか投票していなかったのに今回の大阪市長選挙だけは自民党系の候補者に入れるしかないのは心苦しいと語っていました。

今までにも再三語りましたが、男の場合は飲む打つ買うに関わっている限り常に穴の開いた財布を持ち歩いているようなものです。

では、家のローンを組んで真面目に働いている者に死角はないかと言うとそんなことはなく、会社の業績低下や倒産などにより家は失うわローンの残債は残るわの例も生まれます。これがアメリカ合衆国あたりなら自宅をとられたらローンも払わなくて済むのですが、日本の場合は自動車や家を銀行などにとられた上で売却後の借金は残ります。

冒頭で述べた依存症の話もそうですが、ギャンブル場やパチンコ店の入場規制もなく、酒類の購入数制限もなく、金銭を伴う性行為(公・私に限らず)の上限もなく、カードで高級品を買おうが海外旅行に行こうが「そんな使って払いきれますか?」と言われることはありません。
これもいつも言うことですが、資本主義社会とは「何をしても何を買っても何処へ行っても何も言わないけど、その結果や結末に文句は無しでね!」です。


あれ?
恋愛のことを全く語ってなかった。

ギャンブル毒の解毒に役立つものを考えてみましたが、ベビーメタル(実際は英文字)の『紅月→(個人的には神曲)』を聴く時や、『掟上今日子の備忘録→(個人的には画面上の新垣結衣さんは女性の魅力度としてほぼ完璧)』を見たりする時かな。
後は対象の女性スタッフの毎年の誕生月にスパークリングワインでお祝いしているショットバーに行き「何ヵ月振りに会っても全く変わらないですね」「そっちこそいつまで経っても僕の中では地域ナンバーワン女性やで」のお決まりの会話の時かな→女絡みばかりかよ!
次に続く…




posted by tetsukazu at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

徒然に(11)

炊飯器が暴走気味で、保温状態まま炊飯ランプが作動したりします。そんな時は一旦水温が上がりその後で改めて炊飯状態になるので芯が固いまま炊けていたりで悪戦苦闘です。
そんなこんなで知り合いにポツッと「炊飯器が手に負えないんですよ」と話したら「3合炊きで良ければ新品の余ってるのがあるよ」となりありがたくいただくことになりました。

パソコンでは息子に世話になり今回は知り合いにと周囲の温かい好意に甘える今日この頃です。

さて、エリザベス女王杯は馬場状態や枠順や騎乗停止者や外国人短期免許などのアヤが交錯して難解なレースになりました。

ヌーボレコルト軸が安全なのはビギナーでも理解出来ますが、「運営側が馬券を多く売りたいからなの?」と思ってしまうようなヌーボの最外枠が勝ち馬選びの難解さを加速させましたね。
そして終わってみれば上位馬の生産者はノーザンファームと社台ファームばかり。
勝ち馬のマリアライトもクリソライトやリアファルの兄弟(兄妹?姉弟?)という良血。

終わってみれば順当な結果だったかもしれませんね。

それにしてもラキシスに騎乗のムーア騎手はエリ女時点で疲れきっていましたね。
時差調整をする間もなく土日に多くの騎乗をこなした末に最も力を注ぐべきレースに余力が残っていませんでした。

土曜日の競馬で浜中騎手が乗る人気の差し馬が直線で伸びていたレースを目にしただけに、タッチングスピーチは怖いと思っていたので長男にはタッチングが怖いでと前日にメールしていましたが、ラキシスが内に突っ込んで一瞬行き場を無くすのは想定外でした。

最終的に長男からはヌーボとラキシス軸で相手にマリアライトとタッチングを含む3連単マルチ馬券を頼まれていたため全力で応援しましたが、ヌーボが上がって行った時にラキシスがついて行かなかった時点で「終わったな」と思いました。


今度の日曜日はマイルチャンピオンシップです。
マイルを含む京都芝実績で3着まで率100%のフィエロに逆らうのは危険ですが、このレースで6歳は有利とは言えません。
モーリスは安田記念で鞍上が仕掛ける前のラスト3ハロンから馬が自分でスパートして1ハロン(200m)11秒を切るような時計を出しています。
今回もラスト3ハロンから同様に脚を使えたら他馬は引き離されてもおかしくありません。
ただ、やはり鞍上のムーア騎手の体調が気になりますね。
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2015年11月08日

宝物。

先日、保険医療行為に関する不正請求のニュースを目にしましたが、不正請求に加担した芸人だけで100人を超えるとされています(訂正→芸人など数百名)

一人あたり1万や2万の報酬を条件に名貸しをしていたのかもしれませんが、小さなこととはいえ良心に反する行為に違いありません。

俗に、「産まれてくれてありがとう。あなたがいるだけで私は幸せです」との思いを子を産む母親は共有すると言います。

私が男だから、息子が存在していてくれたら他に何も求めないとならないのか、男とか女とかではなく単に私が『自分大好き人間』なのかわかりません。

私は物欲に欠けるため『お宝』らしいものはありません。
自分の子供の存在もある意味『お宝』であるならば宝を持っていることになりますが、そうであるならば宝の扱いに問題があります。

妻の存在にせよ『お宝』として接することが出来なかったことが別れにつながったことになるのかもしれません。

また、お金を最大のお宝と位置付ける場合でも私にはその扱いに難があります。
冒頭に書いた不正請求の問題にせよ『良心』が心のお宝ならそれもまた守るべきものを守れていません。

現時点での私は『健康』をどう捉えるのかを試されていますが、ギャンブル=息子>仕事>読書・映像観賞>健康>恋愛 のようなイメージになります(5分後には変わるかも?)

勿論、お金をどこかに入れることにはなりますが、全ての要素にお金は関係するので、『前提』としての位置付けになりある意味ジョーカーやどら焼き牌のようなものですね。
というのもお金は持っているだけならただの紙切れだからです。


書き進めながらこのお宝問題や死守すべきもの問題は簡単に語りきれるものではないことに気付かされます。

というわけで今日のGUアルゼンチン共和国杯(ブラジルカップの立場が…)の予想でお茶を濁します(笑)

目黒記念2着馬のレコンダイトですが、最近出遅れが目立つミルコデムーロ騎手から柴田善臣騎手への乗りかわりはかえって良い方向に出る気もします。
枠も絶好の6番枠なので何とか複勝圏に突っ込んで欲しいですね。
相手はヴァーゲンザイル、ブロモントーリオ、ゴールドアクター、メイショウカドマツ(蛯名騎手は先行して内ピッタリの競馬は一級品)かと。

ただ、いつも通り馬券としては買う買わないは別としてレコンダイトの複勝一点ですね。
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2015年11月06日

負ける方が楽?(1)

体調が悪くなりだしてからは、極力人生を総括するようにしています。

手術や入院はきついですが、改めて家族を持った尊さも実感します。

入院手続きひとつとってみても結婚もせず両親が先立った後では、兄弟さえいない場合は親戚関係などに頼るしかない局面も来るでしょう。

さて、総括の件ですが『勝ち負け』についても考えました。

ラグビー日本代表の例を出すと、南アフリカに負けるのは当然との気持ちで戦う方が『楽』に決まっています。
『楽』を訓読みすれば『楽しい』につながります。
楽しむために生きることが楽することであるならば、「人生を楽しもうぜ」などと軽々しく言えません。

ラグビー日本代表の堀江選手は首付近の頸椎(けいつい)の手術跡が痛々しいですが、楽して競技に臨もうなど思っているならそこまで身体は張らないでしょう。

受験戦争にしてもさっさと戦いからドロップアウトしてゲームをしたり恋をしたりした方が楽です。

真偽は別として有名なセクシー女優は事務所から「仕事以外は鉄のパンツをはいていると思え!」と教育されているそうです。
国民的アイドルグループのスキャンダルを考えると『処女性』や『清楚さ』って一体何や?ですね。

一方、私が楽しんで来たギャンブルにせよ負けることは簡単だし楽です。
飲み屋に行くにしてもお金さえ出せば可愛いお姉さんが相手してくれるのですから、日常の場で口説く手間を考えると楽しています。
ただ、飲み屋に行く行為が『負け』と定義付けるのは少し無理がありますが、あえて言うと、お目当ての女性がかぶった時にライバルが100万使って自分が50万しか使わずライバルに負けることになった時には「いくら使ってもモノにしたい」とまでは思わなかったわけで、ある意味楽な方に逃げたことになるかと。

この前、テレビでマツコデラックスさんが、「業界内の憧れの存在を憧れのままにしていたら永遠にその人間を越えられない」と語っていました。

その話も含め人間も動物の一種である以上、『生存競争』を避けては生きて行けないのでしょうね。

実は長男は今、丸一日仕事を休む日がありません。
私の自宅で暮らすことと合わせて短期間でお金を貯めるためですが歯を食い縛り仕事に行きます。
長男曰く、「睡眠(健康)・お金・余暇時間などのどれを得てどれを犠牲にするかで生き様が変わる」です。

私自身どの時点からか『勝負』を避けていたならば向き合い直さないと…
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2015年10月30日

低貸し時代(パチ・パチ)に思うこと。

最近は1円パチンコや5円スロットが流行りですが、俗に言う『アベノミクス』政策とは逆行してパチンコ・パチスロはデフレ時代です。

そうなると私達がそれらにかかわる動機と向かい合うはめになります。

そんなに多くの機会ではないものの行く時は私ももっぱら5スロになります(20円スロットなら千円で50枚のところ5円スロットは200枚)

もしもこのまま2.5円スロットなどの時代に突入するなら実質3円スロットのゲームセンターと変わらなくなります。
そうなるとゲームセンターの方が設定が良い場合、遊ぶことだけを目的とするなら満足度は断然ゲーセンが優ります。

『射幸心』を満たす要素として、『換金』が主な要素なのか『当たり』が来る瞬間が主な要素なのかは人により異なるとは思いますが、割合の違いだけで恐らくどちらの要素も含まれるだろうし、脳内分泌物質との関係は深いと思われます。

さて、私の場合はと言うと『現実逃避』との側面が強い気がします。
そしてもうひとつとして『負けることによる現実回帰』があるように思います。

結局、「ストレスがたまり解放しようと非日常にワープしたものの一見退屈とも言える日常に戻って来たな」との心模様を繰り返すだけです。

ただ、それを繰り返すことで繰り返す前より状況がプラスになっていれば歓迎すべき行為ですが、ただ嫌なことから逃げているだけなら自分自身を取り巻く環境は『悪化』しかねません。

体調の問題で近々大きな病院で処置することになりそうですが(こんな時に長男が側にいてくれて本当に救われる)副作用としてアルコールを摂取しなくなりました(病気とは関係なし)
それでもノンアルコールビールはたまに買って飲んでいます。
すると不思議なことに飲んだ気分になるんですよね(今までの飲酒習慣は惰性だったのか)

このように、様々なことで本来の目的と手段がつながっていないものがあるはずなので見直せるものは見直したいですね。

『なんちゃってギャンブル』『なんちゃってアルコール』のように『なんちゃって家族』や『なんちゃって妻』などが出てきても不思議ではないですよね。
冗談は抜きにしてもロボットが『なんちゃって友達』になる日も来るだろうし、さんまの番組では「犬を飼うことでの幸福感はセックスの幸福感と同等」と言っていました。


どちらにしても子供銀行紙幣を貯めての『なんちゃって貯金』は流行りそうにはありません(蛇足)

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2015年10月26日

人生クソゲー理論の考察(2)

菊花賞も終わったことですし『クソ博打人間』として前回の考察の続きをします。

それにしても菊花賞は56kや57kを背負い慣れた東西のトライアル1着馬と2着馬の4頭ボックスでとれていましたね。
あくまでも結果論ですが…

とは言え実人生は結果論の連続とも言えます。

前回の考察では、生まれてから死ぬまでの単純な長さで評価が決まるとは言えないと語りましたが、つまりそれは勝者と敗者を決めたり金儲け競争が人生の本質ではない可能性を示唆したことになります。

少し前のラグビー日本代表の大畑氏は、選手としての年俸がマックスで2千万だったらしいですね。
彼のほぼ同級生でプロ野球に進んだ人間の中には2億稼ぐ奴もいたらしいです。

だからと言って大畑氏の評価や功績がプロ野球選手の10分の1にはなりません。
つまり、私が思うには自分の歩んで来た道(足跡)そのものの『作品性』が問われるのであり、A氏は何十億も資産を残したとなっても『偉人』の仲間入りは果たせないでしょう。
仮に偉人になるならば、稼いだ金全てを慈善事業に費やし家族にさえ財産は残さなかった場合でしょう。


さて、クソゲーながらも我々プレイヤーはどんな『作品』を残せたか程度は意識し自覚するべきに思います。

極端な例を出すなら、過去に小学生の命を奪ったが、現在は表の社会にいて本を出版した人間にも『作品』はあるかもしれない。

勿論、極端に良くない作品ではあるけれど、『クソゲー』にふさわしい作品と言えなくもありません(当然、犠牲になった方のことを思うと不謹慎ですが、間接的に死刑制度を支持している我々日本人全員が合法的な殺人者であり、そんな簡単な問題ではない)

本題に戻りますが、私は一年のうち365日は「今日で博打はやめよう」と決心しますが、同じ日数だけ「あーやっぱりやってしもた」となります。

大人しくしていたら家の2軒ほどは買えていただろうし、妻に去られることもなかっただろうし、息子達は今頃留学でもしていたかも?

人生はやり直しがきかないから面白い反面、やり直しがきかないから辛く悲しいものにもなります。
面白さや辛さや悲しさやらの無限大の数の絵の具を混ぜて歩んで行く我々の人生において、過去と言う大きなキャンバスにどんな絵を描くのか?

少なくとも既に何枚かの作品は残せたはずですが、筆を置くか置かないかも含めそれぞれの人間にとっての未来が試されそうです。 次回へ続く…
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2015年10月24日

真実・事実・選択

私は物事を掘り下げる性格のようで、シンプル思考に難があるのですが、今までのエントリーを白紙にして人生をあえて三つの要素に集約すれば、『真実・事実・選択』になると思います。

現肉体の人生が有限であるのは真実だし、どの場所でどのような状況で産まれ落ちるかは客観的事実と言えます。

そんな制約の中でも個々として一定の選択の余地があります。

しかしその選択が正しいか間違いかは一概には言えず、納得するかしないかで心象は変わります。

この前のエントリーで人生クソゲー説の立場で記事を書きましたが、スクエアエニックスの元社員は、独立後の著者で、5500円のドラクエソフトに自分の人生が面白さで負けてはたまらないと主張します。

ゲーム上なら対戦相手に負けたら経験値はそのままだが、実人生は負けても経験値はアップするのだからそのメリットを最大限生かすべきとも語ります。


読まずに死ねるかとか観ずに死ねるかと言って死ぬ直前まで小説や映画と関わっていた人間もいます。

さしずめ私の場合は、『金の価値に代わる真実を自信を持って語れるまで死ねるか』ですね。

以前にも語りましたが私の父親の口癖は『世間をなめるな』でした。

そんな父親ですから私がどんなに苦労をかけても私を尊重し続けてくれました。

金より価値のあるものに気付くまで、更に気付いてからもお金との葛藤は続くでしょう。
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2015年09月25日

ウシジマくんの表情が変わるとしたら。

いつも面倒くさい文章ばかりと言われ続けて長年経ちますが、誕生日を目前にして少し異質の内容で書き込みます。



今更ですが、お金の性質上『遊び』の要素が入っている場合は出て行く一方になります。

『遊び』をキーワードとすると読書などは微妙ですが、遊興費・娯楽費・教養費を『非仕事・非労働』と捉えると読書もまた生産性はありません。

『仕事・労働・たまにウサギや亀」の闇金ウシジマくんは日常生活を営む上で、基本的に笑顔はなく他の感情も抑制気味です。

お金が人生の99%を左右するなら私達はウシジマくんの生き方や考え方に学ぶところがあります。


で、そんなポーカーフェイスのウシジマくんが「マジか!!」と表情を変えるのはどんな時かを考えてみました。


例えば、110円つくはずだった競馬の複勝馬券が、自分の買った金額が大き過ぎて最終的には100円になった瞬間。

例えば、たまにはあっちの方のデリバリーでも頼もうと「痩せてるよりはぽっちゃりの方がいいです」と電話をしたけれど、派遣されて来た子が3桁体重だった時。

例えば、螺旋(らせん)階段を軽快に2段飛びで駈け降りていたら、なぜか最後の1段の幅が広かったため『ガクン』となった時。

地域振興のプレミアム商品券を買うために朝の9時から2時間並んでいたら「7時にお配りした整理券をお持ちの方が優先になりますと言われて、自分のふたつ前の人間で商品券が完売した時。


センスがあればもっと想像出来るはずですが、今回のタイトルを思いついてから直ぐに書きはじめたのでこの程度しか例を出せず、爆笑記事を期待した方々には謝罪いたします(誰も期待してないしそもそも訪問者ありきとは傲慢な奴→街の声)


そんなグダグダはさておき、要はウシジマくんにとって人生はそんなに華やかなものではないし、きゃぴきゃぴはしゃぐようなものではないのだろう。


きゃぴきゃぴと馬券を買い続けて借金まみれになるより、無表情でも自分の稼いだ金で毎日の食事代を賄うとの当たり前の生活を続けることこそが人間としての最低限の在り方だとの自覚があるからこそ信念を持ち自分の生き方や考え方を貫けるのだろう。

たかが漫画の主人公と揶揄(やゆ)するのは簡単ですが、空飛ぶ乗り物があればいいなーと夢想しながらノートに飛行機の落書きをしたところから飛行技術は発展しました。

「ウシジマくんになりたいな」が具現化したとして何の違和感もない。
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2015年09月22日

人生クソゲー理論の考察(1)

以前に長男が「人生なんてクソゲーや!」と語ったことを記事にしましたが、ネット上で見つけたコメントで「なるほど」と思えるものがあったので一部を引用させてもらった上で考察したいと思います。


その「なるほど」と思った言葉は、「人生というゲームのエンディングはもれなく[死]であり、いち早くゴールするためのキーワードはどうやら[樹海]らしい」


以上が要点です。

確かに人生というゲームにおいては早くゴールにたどり着くのが勝者なのか、最後まで盤面のイベントを楽しんで同世代のプレイヤーの最後にゴールするのが勝者なのか微妙です。

長く楽しんでも最後の方で身体はガタガタだわ認知症になるわでは楽しむ余裕もなくなります。


最近のトピックと言えばラグビー日本代表が南アフリカを撃破したことですが、彼らはマップ上の「ワールドカップ参加券」とのアイテムを手にして戦いに臨んでいる最中です。


我々は、同世代と共に『ポン』とマップ上のスタート地点に放り出されたところから人生が始まります。

ナビゲーターだったはずの親が亡くなった後は自らの経験を脳に保持しその経験値を武器にコマを進めます。

以前、人間は成長を目指しながらも同時に死に近づくとの永遠の矛盾の渦中にいると語りましたが、「人生クソゲー理論」はそれを更に平たく表現したものなのでしょう。

これも以前に書きましたが、元競輪選手の松本整氏が「人間それぞれの背中には寿命を表す『砂時計』があるのだが、背中だけに自分自身はまだ落ちていない砂の量を確認出来ない」と語ったことは有名です。

それを考えると我々が進むマップの先は一人一人には見えず、「俺(私)が歩いた後に道が出来る」とのイメージが適切かとも思います。
つまり生きて行く上での未来のイメージとは、ボードゲームの人生ゲームのようなものでもアナログ時計でもなく、暗闇の中で手探りで前に進むお化け屋敷か表示されて初めて時を刻むデジタル時計のようなものかも知れませんね。

宵越しの金は持たねぇの解釈は様々あると思いますが、今日で人生が終わるとすれば間違いでもありません。

「そうは言っても明日は来る」と言われたところで個人にとっての明日など何の保証もありません。

人生という名のロープレのパーティーの先頭だと思っていましたが、長男が先頭に立とうとしている今、そっと群れを離れるか群れの後ろから進むかの選択に迫られます。 (2)に続く…
posted by tetsukazu at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月14日

徒然に(10)

前回の更新からあっという間に1ヶ月近く経ちました。

この期間に下腹部に思いもかけない変調が発生したため慎重に時を過ごしていました。

と言っても私がそんな急に大人しくするはずもなく6割程度の割合では好きなこともこなしていました。

そんなこんなの状況の中、今年も誕生日が近づいて来ました。
先日、いつもの議論相手と話す途中で「資本主義社会では経営者は従業員に対し、食べて寝て着る費用の他は僅かな教養費・嗜好品費・娯楽費程度しか余分には給与に盛り込まんよな」で意見が一致しました。

つまり一般労働者が貯蓄しようと思ったら娯楽費を削るしかないとの話。

『貯めるか遊ぶか』のニ択ですね。
まさにリアル『カイジ』です。

小学生の頃から他の子供が遊んでいる時にも勉強に励み、デートなども我慢した末に安定した職に就く。
しかしそれが終着点ではなくそこからまた延々と競争が続き、そこまで努力を続けてやっと30代半ばでローンで自宅を手に入れる程度の貯蓄が生まれるとの話。


プロテニスの全米オープンの車椅子の部で国枝選手が連覇しましたが、彼ほどの実績でも月収にしたら40万ほどにしかならないそうです(遠征費をスポンサーや協会が負担する分を除く)
同じく車椅子の女子の方も日本の上地選手が決勝に進出していますが彼女は更に厳しい状況だろうと想像します。

彼や彼女らにとっては貯蓄と夢のニ択のうちの夢ややりがいを選択したのだと思います。


このブログでは人生の選択での優先順位が必要だと言い続けて来ました。

しかし選択以前に『リソース→資源・供給源・財源』が大前提になります。
ある意味、健康や家族や友人知人もリソースになり得るし、やる気の供給源としてなら好きなアイドルやら好きな趣味もリソースと言えます。


本当に賢い人間は本質的に何が重要かを無意識下でも悟っているはずです。

元旦や誕生日は過去に自分が賢い生き方をしたかどうかと向き合う日でもあります。

何のためのリソースなのか?
それはどう考えても中長期的な将来に向けてのものです。

それが破滅に向けてのものでなく幸せに向けてのものであり続けるためにも『謙虚』な気持ちを失いたくはありません。


それにしても来年から京成杯オータム田辺ハンデと名称を変えてはどうですかね。
ハンデキャッパー仕事出来すぎ(笑)


posted by tetsukazu at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月17日

徒然に(9)

4日間の夏休みもあっと言う間に終わりましたが、来月にはまた誕生日が来るためそろそろ自己確認が必要な時期かなと思っています。

昨日(15日)はEテレで京大総長の山極氏と冒険家の関野浩一氏が対談していましたが、人類の祖先の誕生から700万年の歴史の中で我々の種が最も大事にして来たのは『安定した生活』だとの見解に刺激を受けました。

それと言うのも私が常にかかわっているギャンブルは、「安定とは真逆」のものだからです。

それを考えると私は人類の王道を歩んではおらず、サブでありイレギュラーな存在なのかもしれません。
ただ、その一方では二人の息子を育てたしギャンブルにおいても『張りぼて本命の呪縛』から抜け出せません。
つまり完全にアウトローになったわけではなく、結局は常識の範疇の中でしか生きていないのでしょう。

数時間前に見たテレビ番組で世界的なボルダリングの選手(女性)が足に大きなタコを作っている映像を目にしましたが、どんな世界でも肉体の一部が変形する位でないと『一流』にはなれないのでしょうね。

長男は社会経験を積むにしたがい「世の中クズだらけ」と語ります。
そんな中で私までもが信頼に欠ける存在になると長男の絶望の度合いは上がってしまいます。
癒しの役割も含め、『安定した生活』の確保も私の残された使命なのかもしれません。
土曜日も日曜日も長男は一日中仕事でした。
私は、せめて自宅に居て「お疲れ」と言うべきかなと思いどこにも出掛けませんでしたが、『生活の安定と心の安定』がセットであるならば『家庭』の意義は大きなものであるはず。

生活の安定と好きなことの共存は難しいですが、今日のエントリーの内容の一部に私の目指すべき方向性が示唆されているかもしれません。

そしてこんな思いに至ることこそが夏休みの大きな意義なのかもしれないし、こうして人並みに休みをとれる私は収入は別としてある意味勝ち組かもしれないですね。

これからの私が体や心のどこかに大きなタコを作る位本気になれた場合に限り、来月に来る私の誕生日が違ったものになることでしょう。



それにしても日曜日の新潟競馬の関屋記念は難しいレースでしたね。
同じメンバーで10回走れば5頭か6頭の勝ち馬が出てもおかしくありません。
当たった人間も外れた人間も『過度な自信や過度な失望』を持たない方が良いと思いますね。

posted by tetsukazu at 02:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

徒然に(8)

インターネットの発達も伴い、誤魔化しも人のせいにも出来ない時代が来ているように思います。

「こんな立場・こんな環境で生まれ育っていなければこんな状況にはなっていなかったはず」と言いたい心を『ぐっと』おさえて『ギリギリ』のところで自分自身がやって行くしかありません。

金にもならない理屈を言っているその瞬間にも己の命が尽きるかもしれないし、誰かを誹謗中傷したりしているその瞬間にも人生が終わるかもしれないし、最近亡くなった元力士のように妻以外の女性と密室にいる時に息を引きとることだってあります。


そもそも太平洋戦争時は、自分の意思とは別に国家の意思が優先していました。つまり国家として与えられたものの一部が国民であり国家のためならば国民の命さえも犠牲にしても仕方がないとの仕組みです。

このブログを通じて私が主張して来たことのひとつに「人は己に与えられた要素をどう利用するかにより人生の方向性が大きく変わる」があります。

与えられたものとは、命や時間や生まれ持った容姿や資質や家庭環境や収入やパートナー等々です。
幸い、今は自衛隊を通じての志願兵が一般的なので一個人の命が全て一国家に委ねられることは無くなりました。
それでも世界では経済的背景の下で生活のために軍隊に志願する者もいることでしょう。

日本人として日本に暮らす中で、国家のために死んでくれと言われることもなく与えられた明日という一日をどう活用するのか?
何のために誰のために生きるのか?

大切な瞬間のために集中力を高めて行くのは当然として、特に大きなイベントのない明日に向けては集中力を高める必要がないと言えるのか?
いや、きっとそんなことはないはず。

個人の命が国家に委ねられていた時代の緊張感と自由過ぎるほど自由な選択が可能な今とで比較した時、自信を持って個人個人の振る舞いの質が向上したと言えるのだろうか?

70年前に国家(伝統・国土・子孫)のために死んで行った方々からの恩恵の一部を享受しているとの自覚を少しでも持つならば、今を生きる私達にも緊張感や集中力がよみがえるようにも思えます。
そのためにもこの夏に少なくとも自分自身の本当の意味での尊い生き方や毅然とした生き方を考えてみても損はないと思います。

posted by tetsukazu at 06:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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