2016年06月16日

愛の神、欲の神。

前エントリーまでの内容で、終了したドラマ『僕のヤバイ妻』のことについて言及しましたが、このドラマの大きなテーマは「欲望を描くことで愛情の尊さを訴える」のはず。

しかし、子供が出てこないことで愛の感情が滲み出るシーンに至らなかったとの印象があります。

元々他人同士である夫婦間の愛情を「打算」抜きで語るのは無理があるし、愛情の本質が『自己犠牲』であるなら結婚式の誓いも「隣にいる伴侶の幸せのために私は自分自身の幸せを犠牲にしても尽くします」でないとおかしい。

つまり結婚はお互いが相手の幸せのために尽くしてこそ意義があるわけで、一方的な犠牲の下での結婚生活なら「主従関係」の間柄にしかならない。

私がBABYMETAL好きなのは理由があり、楽曲の多くは男女間での愛だの恋だのに終始していないからです。

私のダントツ一番推しの『紅月』の歌詞の抜粋


幾千もの夜を超えて
生き続ける愛があるから

この身体が滅びるまで

命が消えるまで守り続けてゆく

紅く染まれ 真っ赤に染まれ



果たして命をかけて守り続けたいものとは?

競馬の監督官庁は農林水産省。
競艇(ボートレース)の監督官庁は国土交通省。
競輪の監督官庁は経済産業省。

公営ギャンブルに溺れて離婚・破産・犯罪につながるケースは昔も今も変わらなくあります。

過度な飲酒習慣で体がズタズタになるケースも一緒です。

なのに政府は公営ギャンブルを廃止しないし酒類の販売もやめません。

何故か?


『愛の神』VS『欲の神』

前エントリーまでで、『ラスボス』について語り始めましたが、ラスボスは役人でも政治家でも経営者でもなく、心の中にある相反する『支配者』なのかもしれません。


今リアルタイムで自宅の中の備品がダイヤル式の黒電話ひとつだというような人間がいたら化石クラスですが、そんな人間の心の中には『欲の神』は降臨しないはず。
しかしそんな人間の下にも『愛の神』なら近づく気がします。

『愛情』が『欲望』に勝つとはつまり『自己愛』が外的刺激に勝つことでもあり、「自分を愛せない人間が他者を愛せるわけがない」にもつながる。

自己愛と自己愛性人格障害は紙一重でもあり、一歩間違うと良からぬ方向へ行くが、幾千もの時を超えて守り抜くものの最初に自分自身が入っていても何ら不思議はないと思いたい。




posted by tetsukazu at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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