2016年05月26日

全てが途中経過。

最近、ガラケーやスマホで文章を打つ時に 。を使う奴はおっさんおばはんとの基準があるとの話を聞きますが、まさに私の話ですね。

ブログエントリー時のタイトルにも 。をつける位です。
、をつける箇所も正しい使い方になっていないでしょうしそのあたりは慈悲の心でお願いします。

さて、『全てが途中経過』についてですが、最近のニュースを見ても色々思うことがあります。

例の女子大生シンガーソングライター切りつけ事件にしても加害者・被害者・被害者親族に対して感じることがあります(警察等については別記で)

まず、加害者は犯行後に何故自決しなかったのか?
もしそうしていれば極僅かでも自己愛以外の感情に言及することも可能だったのに生きて捕らえられた時点で自己愛性型の人格障害の可能性が強いとの判断が妥当に思います。

母親は京都の警察に相談したらしいですが、娘のライブに付き添いで行くまでは無理だったのだろうか?被害者もライブを断念することまでは考えなかったのだろうか?など今更ですが未然に防ぐことが出来なかったのかを考えさせられます。

加害者・被害者・関係者にとってはあまりにも大きな出来事とは言え客観的視点としては『時系列上の通過点』との位置付けとなり、これからも過酷で苦難な日々が続きます。

特に加害者にとっては自決しなかったことへの落とし前をつける日々が待ったなしにやって来ます。

「自分がこれほど愛したのに彼女はその愛に応えてくれなかった」との弁解など聞きたくはなく、その弁解に共感するのはやはり似た思考を持つ者だけだろう。

ただ、与えた愛の見返りを求める思考は男女の関係だけに発生するわけではなく、親子や師弟や友人関係などにもあることであり、芸能事務所が手塩にかけて育てた自社タレントが独立を言い出す局面などもそうだろう。

全てが途中経過との点で言えば昨日までの良好な関係が当日一変するような状況はあり得るのだから、一喜一憂し続けるか常に冷静沈着であり続けるかは本人次第。

私のギャンブルにしても買った馬や騎手や選手や座った台にに対する一方的な思い入れでしかなく、裏切られたところで結果は自分自身が負うしかない。

。を使う古い人間の私の価値観に固執しても良いししなくても良いのだろうけど、何かに対しての過度な幻想や妄想からは距離を置くべきかもしれない。

最後に、女性グループのリトルグリーモンスター(本来英字)は完成度高いわ。


posted by tetsukazu at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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