2016年05月23日

自己分析と崖話。

『カイジ』の中で崖のシーンがよく出て来るが、私自身を自己分析すると崖の例えがしっくり来る気がする。

以前から私はこの場で、自傷行為に走る人間は流れるその血を見て生きている実感を味わっているのだと語った。

そして先日、長男が私に「親父は勝つことがギャンブルの目的なのではなく、スリル要素も含めてその行為自体に喜びを感じているように映るわ」と言った。

実は、今年の桜花賞当日に長男と私は阪神競馬場にいた。
馬券自体はふたり共勝ったり負けたりの繰り返しだったが、その日のプレゼンテーターはあの藤原竜也。

レース直前、藤原竜也が観覧席から身を乗り出した瞬間、場内の観客は一斉に上を見上げ、さながらコンサート会場状態となった。
そして誰よりも歓声を上げた私がそこに存在していた。

私は大レースの発走直前に大歓声を上げる観客に否定的な立場だが彼が顔を出したその時だけは思わず大声が出てしまった(発走直前ではなかった)

少し話がずれたが、ベビーメタルであろうが藤田菜七子であろうが私の生き方を完全に変えるだけの影響力を持たなかった(現時点)以上、現在の自己状況を自己分析をするしかなく(今までも何十回と似たようなことを言い続けていて説得力はないが)上記のエピソードなどを通じて私自身が何を求め何に流されながら日々生きているのかを再確認するしかない。

そして今回のエントリーのタイトルの一部である「崖」。

当然ながら崖っぷちで下を見ると死を意識することになるが、だからこそそれ以上に「生」も意識することになるはず。
カジノが解禁されていない日本では、パチンコ店に行く行為や公営ギャンブルにかかわる行為は崖っぷちに向かうようなもの。

仮にそんなことはないし俺は100円の豆券で遊んでいると主張する者がいたらそれは崖下3メートル程度の危険度だろう。

以前にニーチェについて語ったエントリーで、「男は危険と遊びこそが最大の快楽だ」との彼の言葉を紹介した。

浮気にせよギャンブルにせよ危険と遊びの合体なのだから男のうちの何割かは潜在的な自滅願望があるように思う。

やはり男はブロックを高く積み上げる快感よりそれを壊す快感の方がより強く感じる生き物なのかもしれない。

既婚者は浮気の有資格者であり、蓄財は散財のための絶対条件と言えば言い過ぎか?

どちらにしてもベビーメタルのフロント3人や藤田菜七子より魅力的な男がいないのは大問題だ。 続く…


posted by tetsukazu at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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