2016年05月22日

職業に貴賤は?

晩婚少子化と言われますが、江戸時代も庶民の既婚率はしれてたんですよね。

それを福澤諭吉の「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」や世の中の公平公正を謳った『水平社』が流れを変えたのですが、その後の水平社は被差別者の旗印に変貌し福澤諭吉の思想は皮肉なことに慶応大学や早稲田大学の発展と共に貧富の差を助長することになった。


昨日ファンに刺されたアイドル(元アイドルで現在女子大生ミュージシャンとの報道もあり)にもネット上で「芸能の仕事なんて所詮賤業だ」と書き込む人間もいますが、貴業と賤業の境目はどこにあるとの表現なしでの書き込み。

仮に公務員が貴業であるなら彼ら彼女らは税金で飯を食っているし、芸能の仕事をする者が支払う税金の上前をはねているのだから『貴業』と言えるのか?
最近問題化している東京都知事の問題を見ても知事から『貴業感』は伝わらない。

大手テレビ局にしても格安の電波利用料で莫大な利益を生み出し、『報道しない自由』を最大限行使している。

被害に遭った女性は今までの事件と同じく警察にストーカー対策を求めていたよう。

もしも警察や事件当時の周囲の大人が内心で「所詮人ごと」と捉えていた場合は、自分自身の身を守るのは自分になる。
そしてその場合は貴業も賤業も関係がない。

『思考や思想に貴賤なし』と仮定した場合は今回の犯人の思考や思想を止めるすべはないし行動を制限する権限も発生しない。


さて、何が言いたいかが曖昧になって来ましたが、人類単位・世界単位・国単位で考えると『貴賤』『善悪』などもキーワードになるように思う。

ただ、個人単位だと『過去』『現在』『未来』の流れ中での「情報の個人化」への対応がほぼ全て。つまり個々人の行動動機を他者が分析したり、職業や生育過程と行動を結びつけた主観的意見に絶対的正義や絶対的価値は生まれにくい。

個人にとっては過去から連なる現在の自分の立場や心身状況がほぼ全てであり、今回の事件の犯人も被害者に対してプレゼントも送っていた過去があったよう。

人は日々起きる現実に対して主体的・間接的にかかわる。そしてその結果をどう受け止め一秒先の未来にどう向かうのかにより天国にも地獄にもなる。

目の前の簡単な課題をスルーして解けないような難問に向かいがちなのが生身の人間。過去現実未来の順番は変わらないのだから言い訳の暇はなく、思考や行動を改めるチャンスに貴賤はない。



posted by tetsukazu at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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