2015年12月09日

徒然に(13)

私は、ギャンブルをしたり飲みに行ったりしないと「人生なんてつまらないな」とすぐに思ってしまいますが、「人生も捨てたものじゃないな」と思える時もあります。

私がこのブログを通じて語ってきたことのひとつは「現代人は所詮先人達が作り上げた枠組みにのっかっているだけであり、原始の時代と人間そのものは変わっていないのだから本質的には外敵に怯え熟睡も出来ない中で日々餌を捕る毎日だった時代と変わらない」的な考え方です。

今回、私は現代医学に身を委ねますが、原始の時代には勿論オペなどありません。

自分自身が努力しなくても見えるものが多すぎて本来見るべきもの、本来感じるべきことをないがしろにしていると、科学文明の発展とは裏腹に様々な弊害が出てもおかしくありませんが、その弊害を最小限にするために工夫も必要です。

最大の冷え対策は冷えに慣れることだそうなので、やや抽象的表現ですが、最大の生存対策も『生きることに慣れること』なのかもしれませんね。
そんなことを感じる最中、本質を見落とし易い現代の象徴のようにカンニングの疑いをかけられた高校生が学校の4階部分から飛び降りて亡くなりました。

原始の時代であれば、種としての同類から「お前俺の餌パクったやろ!」程度の言いがかりによるストレスで自殺する奴はいなかっただろうし、ひょっとしたら餌のパクり合いが日常だったかもしれません。
相手は相手の人生を生きているわけであり、辛くなるような言葉を投げかけられても常に現実は受けとめるしかありません。


そして入院前のこの機会にと長男に対して「人生は退屈なものか捨てたものではないかどっちや?」と聞くと、「人生を深く探求する気はないしどんなアプローチの探求も明快な結論は出んやろ。惰性とか暇潰しとか言われようが淡々と日々生きるしかないわ。ただ、だからこそ趣味を持つことは必要やと思う」と。

良くも悪くも我が息子のそんな達観発言に責任は感じますが、私もまた親の影響を受けているわけであり、考え過ぎたり責任を感じ過ぎたりしてもキリがありません。
『人生とは?』で頭を使うのを少し控えてマクロ視点で見れば『とてつもなくちっぽけな存在』の自分自身に極力自覚的でありたいですね。
ただし、人生を探求し過ぎない過程でのたったひとつの注意点を挙げる必要があります。
難しく考えないで生きるのは賛成ですが、犯罪者になると結局自分自身そして人生と嫌でも向き合うことに…


posted by tetsukazu at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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