2015年01月27日

悲劇はどうして繰り返し起きるのか。

この場では今まで何度も男女や親子にまつわる事件を取り上げて来ました。

そしてそれらの事件は今も起き続けています。

最近では、26才の既婚男性警官が、交際相手であった23才の女性を殺害した事件もまた衝撃的でした。

人間は、どんな近くに存在する場合でも他者の気持ちを完全な形で理解するのは物理的にも困難です。

だからこそ人は自分の気持ちに正直でいたいと思うし、被害者の女性も相手を好きな気持ちが抑えられなかったのでしょうね。

一方、男性はと言うと結果的に相手を殺してしまったわけなのですから、どこか深層心理の上での『殺人願望』が闇の存在として心に巣くっていたのかもしれません。

被害者の女性にはお悔やみ申し上げますが、不謹慎ながら愛する男性に殺されたことで他の男性を愛することも出来なくなったのですから『殉愛』を貫いたことになりました。

そうであるならば、加害男性が被害者の女性に対してどのような『質』の愛情を持っていたのかが同性としては気になります。

仮に『性のはけ口』の要素があったとすれば、いかに自分の頭で考えることなく生きて来たのかが推測出来ます。

週刊誌の『美しくなるためのセックス』などの特集は無責任としか言えないし、バージンロードという言葉の語源と資本主義社会の概念がいかに解離しているかがはかり知れます。
23才の女性にとってはバージンロードを歩き始めてたつもりが、目線の先に別の女性がいたようなものだったのでしょう。


以前にも書きましたが、人間も動物なので『メリットの法則』に従って生きているおり、原理的に『他者への愛情』を優先するのは困難です。

加害者にとって被害者女性が『デメリット』な存在となった瞬間、『眠っていた原始的な動物本能』が目覚めてしまったのでしょうね。

そして殺害のその時、理性に理性を積み上げで出来た人間社会の法律・ルール・道徳・礼儀と言ったものを動物本能が凌駕したのでしょう。

動物の要素を捨てることで人間になるのか?それとも「他者を愛することこそが本能をも満たす究極の自己愛の裏返し』なのか?

私達は今日も己の肉体と心をもて余し、そしてつまずきながらも誰かと互いを磨き合いながら生きて行くしかないのだろう。


posted by tetsukazu at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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