2015年01月24日

言葉を超えて…

モーニング娘もそうだしAKB48もそうですが、グループを抜けた途端に人気が落ちますね。
その中でも大島優子さんなどは子役出身なこともあり踏ん張っています。

昨夜は中谷美紀さんが対談番組に出ていましたが、メイクが薄いのか痩せ過ぎているのか昔の面影がなくて少し複雑でした。

さて、このブログでは「幸せ』について10年近く語って来たように思いますが、それを言葉にした途端に全ての表現が陳腐になる気もします。

41才で自殺した芥川賞候補作家の佐藤泰志品さんの作品で映画化された『そこのみにて光輝く』に出演した女優の池脇千鶴さんがついこの前、毎日映画コンクールで女優助演賞を受賞しましたが、佐藤さんは幸せな人生だったのかそうでなかったのか?

かつて著名な作家は、「人生をトータルで考えてどうでしたかなどの質問は愚問だし意味がない」と言いました。

この発言も『トータル』と誰かが言った時点でその言葉は無力化するとの意味を含んでいるように思えます。

映画は、映像と台詞で観客に訴えかけ、観客はそれらを自らの感受性を持って心に残します。

私が映画『ルパン三世 カリオストロの城』が好きなのも最後のシーンのルパンの男の美学に共感するからであり、実際に離婚時もあっさりと言って良いほど印鑑をつきました(その後がいまだに大変で、美学を貫くのも命掛けです)

損得勘定で生きる生き方が資本主義社会で正しいのは理解していますが、私は財布に一万円しかなくても行き付けのお店のお気に入りの女性から「来てくれないかな」と言われれば飛んで行きます。

で、その結果が今です。
ただ、強がりであれ今の自分自身の状況に対して、私は誰の責任にもするつもりはありません。
その考え方は息子達にも徹底的に叩き込んで来ました。
と言うより息子達にはそれしか言っていません。

私は、漠然とはしていますが、人にはそれぞれ『天の運』『地の運』『人の運』があると思っています。
私は比較的『人の運』には恵まれていますが、「類は友を呼ぶ』と言われる通り自分自身の生きざまと他者との関わりがつながって行くのは間違いないでしょう。

話を戻すと、『幸せ』を言葉で表現出来ないとすれば、幸せもまた『言葉上の概念』だからだと思います。「悲しみを越えて」と表現するのと同様に「言葉を超えて」幸せを認識するならそれは、「今日という一日の私の生きざまを自分自身が選択出来る事実」に尽きます。


posted by tetsukazu at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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