2014年11月21日

究極の個人問題(1)

衆議院が解散した途端、私のところに美人運動員がやって来ました。

私は、政策重視・人物重視で投票先を決めますが、芸能人でもあるその運動員は毎回熱心に候補者を持ち上げるなどその応援姿勢には頭が下がります。
ビジュアルだけなら国会のどの女性議員にも勝っているし私でなくとも彼女にハニートラップを仕掛けられたらイチコロでしょうね。

とにかく彼女の推す政党のフットワークは他の政党の比ではないし、彼女のような才色兼備の運動員が全国にゴロゴロいるのでしょうね。

前置きが長くなりましたが本題です。

大阪ではまた3才の女の子がベランダで放置され亡くなるという事件が発生しました。

こんなことが起きる度に私は、生きることは『究極の個人問題』との思いに至ります。

亡くなった子供を可哀想とか虐待した親に鬼畜とか言うのは簡単です。
私は酷なようでもこのような例でさえ運命や宿命も含めて当事者達の個人的問題(背景)の領域だと考えます。

結婚や出産が合法行為である以上、第三者が事前に犯罪を抑止するのは困難です。
生まれた子供は全て公的機関が育てると言うなら別ですが、現実は違います。
そしてそれが現実であるように親子間で起きたこともまた現実です。

それを前提に私が以前書いた記事を思い返すとこう私は次のように語っています。

「人生にもし目的が存在するならそれは[成長させてくれる他者]に出会ための努力をすること」


私は常に「自分を成長させてくれる存在は女性に尽きる」と主張して来ました。
「女なんて金喰い虫」と語る男もいるし、実際に横領した男がアホみたいに女性に散財するケースも多いです。

しかし私は十代の時に母親に家を追い出されていなければダメ人間のまま大人になっただろうし元妻と出会っていなければ、40才位までに雀荘かその他の博打場で野垂れ死にしていた可能性が高い気がします。

そしてもうひとつ言えるのは、人生の節目節目で出会うべき他者に出会っているように思えます。

現在の私はひとりで暮らしてはいますが、もしかしたら今の私を成長させてくれる他者に既に出会っていてその他者は近くに存在しているかもしれません。
後は私が気付くかどうかですしその他者がひとりとは限りません。

幸い私は親の虐待もなく自由に過ごせて来ました。
どうしようか迷っていた女性との食事も決定しましたし(女性との食事は約一年振り)これからどう成長するかは私次第です。


posted by tetsukazu at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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