2014年11月17日

映画の力(2)

前記事からの続きです。
まず訂正から
『ガール・スパーク』は『ガール・スパークス』が正しい表記です。

予定調和との視点で見ると、男女が良い雰囲気になった時に電話が鳴って雰囲気が壊れるシーンは他の監督などが多用する手法ですが、石井監督は、観客からしてみれば想定外の台詞を役者に語らせることで物語の一方向の流れを一旦断ち切ります。
そしてその後は方向性を観客の想像力に委ねるわけでもないし監督がその意図を説明するわけでもありません。

もしメッセージ性があるとすれば、「一寸先がわからないからこそ面白いしおかしいし怖いし切ないしときめく」というようなものですかね。

渡辺大輔氏の言葉を借りれば、映画史におけるゴダール登場から始まる、オブジェクトレヴェル(具体的表層)とメタレヴェル(類的観念や記号作用)との拮抗関係から意味を派生させるとの手法に対しての更なるアプローチというような整理の仕方になります。

どちらにせよ私が見る限り石井監督は古今東西の数多の表現者の作品に触れそれを消化し、尚且つ言葉の持つ記号性についても分析し尽くした上で、人間の内面性を映像中でどう表現するかを独自の感性で生み出したのだと思います。
内面性を表すためにシュールな表現を活用しているのは心情を丁寧に描いたところで人間の即物性・俗物性に近づくだけで、人間を『おかしな存在』としての位置付けにしている方が人間の振り幅の表現がし易いと考えているのだと思います。

石井監督は当然気づいているだろうし私も気づいていることですが、映画の中では背が高くミステリアスな男に女が寄って来て、見た目が冴えない男を対極に置きます。
このあたりのリアリズムはきっちりと抑えていますし、人間の魅力に『ギャップ』『他者性』が欠かせないことは熟知しています。

とにかく石井監督の映画は登場人物の台詞が多いし狂言回しの台詞も多用するため西鶴などの影響を受けているのは一目瞭然です。

「時代を愛し人を愛し自分を愛す」
石井監督の裏メッセージはこのあたりにある気もしますし合理的に人間を観察すればするほど情緒的な部分が浮かび上がるのでしょうね。
曽根崎心中ではないですが、恋愛の究極の形が同時に死ぬことであるなら、映画の中の「好きなら態度で表してよ」の返事は「一緒に死のう」ですね。
本当の愛が遠くに存在するからこそ人は今日も愛を探しにそして近づくために歩き続けるのでしょうね。また次回へ…


posted by tetsukazu at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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