2014年08月31日

悪魔の証明。

STAP細胞の検証実験が『悪魔の証明』だと言われているらしいですが、ネットでの悪魔の証明の解説を見る限り、私達の実人生でも悪魔の証明的な側面を感じます。

何かがあることを証明する場合は対象になるものを探し出せば良いが、何かがないことを証明するには全ての範囲を探し出す必要がありそれを悪魔の証明と指すのが一般的だそうですが、何かがあるとの前提で探し出すのも大変だとの説もあり、前述の検証実験も「ある」「ない」のどちらの証明のための実験せよ困難なことに違いはありませんね。

悪魔の証明の話は、月の裏側にはウサギが存在するかしないかの例を出す場合もあるようです。

その結論を出すためにはどちらかを証明をするにせよ地球人が月に行き、くまなく見てまわる必要があります。
ただ、もしそうしたとしてもある地点を確認したすぐ後にそこにウサギが現れる可能性を否定するわけには行かず、どちらの証明も実質は不可能だと結論付けるしかなく、「いるかもしれないけれどいないかもしれない」としか言えなくなります。


と言うわけでそんなことは実社会で山ほどあります。

結婚する相手を目の前にして「この相手と一緒になると幸せになるかもしれないけど不幸になるかもしれない」とは考えないですが、実際は『悪魔の証明』にかかわることの覚悟が必要なのかもしれないですね。
そうであるならば2年や3年で成功・失敗の判断をするのは早急だし、相手の良い部分を引き出せない、もしくは気付かないまま結論だけ下したかもしれませんね。
ギャンブルについても「勝つことの証明」なのか「負けることの証明」なのかで取り組み方も違うだろうけれど、そもそも結婚にせよギャンブルにせよ「証明」がどうとかの理屈抜きでかかわることがほとんどだと思います。
それだからこそ「理屈」の部分にしっぺ返しを喰らうことがあるだろうし、真摯な態度・姿勢がないと自己責任を回避することになり他者にまで悪影響を及ぼすことがあり得ますね。

(故)笹井芳樹氏や歌手のASKA氏を見ていると、「強さ」と「弱さ」が隣り合わせであることを感じます。
両人にとっては、家族への責任と自身の気持ちとの葛藤があったと推測はしますが、客観的にはその人間がとった行動を見て判断するしかありません。
彼らは行動を通じて『人間の弱さ』を身を持って証明したのか?
「己の下した判断は間違いかもしれないが間違いでないかもしれない」に結論は必要ない。


posted by tetsukazu at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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