2014年08月15日

映画『告白』。

息子二人と私が集まっての年に二回の恒例の夜通し遊ぼう会ですが、今年は二人が仕事先(次男はバイト)からの直行だったのでゲーム機は用意出来ませんでした。
で、仕方なくポーカーと三人麻雀で遊んでました。
ただ、次男は不完全燃焼だったようでこのまま長男の家に行ってゲームをしようとかボードゲームの『カタン』を買いに行ってやろうとかラウンドワンでボウリングをしようとか次々と提案が出ましたが、結局二人共眠りにつき横で寝ています。
考えてみたらそんな20歳を過ぎた息子と私の関係は私と息子だけの関係でありそれがまさに歴史なのでしょう。
そんな中は少しは真面目な話もしましたが、次男に対しては日本映画チャンネルで見たばかりの映画『告白』の感想を語りました(以下ネタバレあり)。



この映画は、松たか子演じる主人公が愛する男性との間に子供までも授かったけれど、その男性はHIVのキャリアであり、男性は自分の子供を抱くことも主人公とも結婚生活を営むことも断念することに…

そんな状況の中で、担任するクラスの生徒二人に愛する娘が殺されるとの更なる悲劇が悲劇が主人公に降りかかる。
そして主人公は生徒への復讐を無表情・無機質に実行して行くとのストーリーです。

そして次男に語った私のこの映画を見た感想の内容ですが、「主人公は幸せを希求するからこそ異性という他者と愛を育み生きて行こうとしたのに結果的に求めた幸せ以上の不幸が襲ってきた。これをどう理解したらええと言うの?俺のは個人的な考えは、主人公が主体的に他者との接点を持つことから起こって来たことなんやから自分を取り巻く環境の中で誰かが何らかの行動を起こすことも本来は覚悟してないとアカンと思うけどな」というものでした。
それに対し次男は、「幸せは結局本人がどう感じるだけでこの映画の主人公は生徒に復讐を誓うほどに娘と娘の父親を愛していたんやからトータルで見れば殺される前の幸せの量は殺された以降の不幸の量と変わらん量かもわからん。人間はジャストタイムの[今]が人生の全てと思いがち。幸せは主観的なことだけに目の前の状況だけに幸せの尺度を持ち込むと道を誤る気がするわ」

さすがに現役大学生。聞けば哲学に関係する講義も時にはあるらしい。
娘を本当に殺されたくなければ24時間不眠不休でそばにいるしかない。しかしそれが幸せの形と言えるのか?ただし私は自信を持って「笑顔で集うこの瞬間は偶然でない」と言える。


posted by tetsukazu at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。