2014年07月21日

改めて幸福について語ってみた。

改めて過去を振り返ると、今年の4月前後に送ったメールの内容がドラマ『マルモのおきて』の中の台詞の「未来に対して一番必要なのは幸せな今じゃないかな」を引用して語っていたことを思い出します。
そして3ヶ月以上経った現在、私自身は幸せを感じる日々を送れているんだろうか?
約5年で100回はスナックなど夜のお店に通った理由は間違いなく人恋しさです。
馬券にせよパチンコ店にせよ麻雀店にせよそこには人が存在するだけに私が無意識にそこに人を求めているのなら触れ合いに飢え過ぎだろう。
それなら金の力を借りてでも女性とのスキンシップを求めるのが近道なのだが…

そんなことを考えている際に偶然見た昨夜のテレビ番組では、黒子のバスケを巡る事件で威力業務妨害の罪に問われている渡辺被告の『無敵の人』論が特集されていました。
被告の語る無敵の人とは、お金もなく地位もなく守るべき人もいない人間のことを指し、だからこそ犯罪へのハードルも低くなるとの分析です。
そして未来に希望がないのも無敵の人の特徴だと。

男にとってのギャンブルは、性欲の代用(代償)行為だと主張して来た私ですが、その考えは今も変わりません。
しかし性欲や食欲や睡眠欲は、それそのものでしかありません。そうなると基本的には個人の幸せとは単純ですが三大欲求が満たされた状態と言えますよね。
無敵の人と表現した被告がもし食欲と睡眠欲を満たしていたとすれば残るは性欲。
ただ、建前でしか円滑に回らない現代社会にとって性欲の扱いはデリケートになるんですよね。
そして金で性欲が満たされても幸福感を感じないなら幸福感とは何なのかの疑問が生じます。
金で満たす性欲<<性欲の代用行為であるなら被告はだまって馬券を買うべきですが実際は普通の彼女との心の交流と性欲上のつながりを渇望していたかと。
しかし渡辺被告の思考は理屈の世界なんですよね。
皮肉なことに彼が渇望する女性が最も敬遠するのが理屈。
夜の世界の姉さん達にしても理由などどうでもよく要は私達が来てくれれば良いわけです。
渡辺被告にしても理屈の世界にいる限り、彼に金と地位と女が出来てもきっと理屈の世界で不足するものを追いかけるでしょう。
そして幸せをが形として説明出来ないものならば私はブログ上で永遠に結論を出せません。
そこをあえて言葉で表現するならば、幸せ=『ある事象や状態や存在を通じて心が満たされる場面(シーン)』と表すのが精一杯かな。


posted by tetsukazu at 03:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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