2014年02月04日

雑感-77

怒涛の5日間が過ぎ、「失恋は人を成長させる」などと勝手に妄想していましたが、失恋と言っても告白もしていないわけなのだから勝手に遠くから見つめていて勝手に失恋したと言い張っているだけなので、とにかく妄想抜きの『成長』を遂げないと、私はかつてあんなおっさんに好かれていたのかと思われかねません。

そこで自分自身を見つめ直す絶好のチャンスである今のうちに集中して生活パターンの改善に取り組んでみます。
実は昨日までの5日間に結婚生活を営まれている方々の苦悩を知りたいと思い調べてみました。
すると、結婚10年で子供もいるけれど妻とセックスをする気になれないしたまに相手が積極的に迫って来る時もどうしてあんなに興奮状態になれるんだと醒めてしまうとの悩みを打ち分ける男性がいました。
民法では、婚姻関係においてセックスの回数に規定や罰則はありません。
あるのは同居の義務や子供に対する扶養の義務や家庭生活維持のための平等な分担の項目だけです。
アメリカなどでは夫婦の夜の生活の頻度が原因で離婚につながるケースもあるようですが、日本の場合は性格の不一致などとオブラートに包まれます。

そしてそんな悩みを持つ男性に対しての一般的アドバイスは「夫婦生活は細くて短いロウソクの炎をいつまでも消えないようお互いに努力することだし、いかにしたら相手が喜ぶかを考え続けること」のようなものになります。

木曜日からの5日間は私の人生の中で稀な位人と触れ合った日々でした。
そして今日は誰からもメールや電話が来ないし私からも連絡しないひとりの生活に戻ったのですが、何故か「ん?変な感覚やな」との思いになりその原因を考えるに至り、ひょっとして自宅に帰った時に「お疲れ様、先にご飯食べる?」的なものが不足しているのでは?と離婚後初めて感じました。
もし、帰って来て誰かがいて一緒にご飯を食べたりテレビを見たりしてそれが幸せならば誰だって一歩も外へ出ないよな…

そう、結局私は今日も外へ出ていったのです。そして出て行った先はあえて伏せます。
昔の話になりますが、私の父親は夕食時や休日に自宅にいることがほとんどありませんでした。
それでも私が小学校高学年から中学時代にかけての一時期、毎週のように日曜日にいることがありました。
私には6歳下の妹がいるのですが、両親と妹と私とで日曜日にトランプやボードゲームで遊ぶことが私にとって最大の楽しみであり永遠に日曜日が続けばよいのに… と思っていました。
全く私らしくないないエピソードですが、私の幸福の原点はここにあります。
しかし幸せな時代はそう続くものではなく、やがて母親と父親は12年にも及ぶ別居生活が始まりました。
父親が母親のところへ帰ってきたのは母親が精神的に参ってしまった結果すっかり変わり果てた時でした。
母親は家事をする気力もなくただただ父親の作る食事を食べるだけでした。
私は両親が別居期間中の10代の時に母親から家を出なさいと告げられひとり暮らしを始めていたので、父親が戻った時にはそこにいなかったのですが、父親から家を移すので一旦戻って来いと言われたためアパートを引き払い合流しました。
そう、10数年振りに4人家族復活です。母親はただいるだけで毎日たっぷりの薬を飲むだけの存在でしたが、妹は自分の部屋がやっと出来たと喜んでいました。
ただ、妹はあっという間に結婚したため4人での生活は一瞬でしたしその後は私も結婚して家を出ました。

別居と簡単に表現しましたが、父親は会社の独身寮に12年間寝泊まりしていました。
あまり言いたくはないですが、別居開始時に母親の精神状態は既に問題をかかえており父親が母親のそばにいれば何が起きるかわからない状態だったためその手段をとるしかなかったというのが実情です。
先程の男性の悩みに件に当てはめると、正に消えかけたロウソクの炎を細々と燃やし続けたことになります。
父親は死ぬ直前まで母親の食事を作り続け、洗濯をし続け、掃除をし続け、通院に付き添い続けました。
わけのわからぬまま家を出された父親の心境ははかりしれないし、普通の男なら離婚しているでしょう。
でも、母親がそうなったのは自分に非があると言い続け、一切の愚痴をこぼさず人生を全うしました。
そして私はその息子です。
こうして長年ブログを更新している私を文章を通じて知って下さっている方には今日書いたエピソードがどういう意味を持つのか察して下さることと思います。

あの父親の息子だけに私も辛かったことは胸に秘める性格です。
けれどもしその性格が無理のあるしんどい人生になっているならば父親と同じ道を進む必要はありません。
父親は自分が死ぬ直前、私に対して最初で最後のお願いをしました。
それは、「お前達にお母さんを残して死ぬわけにいかん。俺がお母さんを遠いところに連れて行って一緒に死ぬからお前の承諾が欲しい」と。
今から思う返しても父親とそこまで真剣に向き合ったのは初めてでしたし一緒に過ごした期間があまりに短かかった(私が生まれてすぐの時も結核になり長い闘病生活期間あり)ので相談事などしたこともなかっただけに父親の言葉に一瞬絶句しました。

私は、「ちょっと待ってくれ、お母さんの両親のこと知ってるよな?俺が親父に望むことはふたつだけや。離婚しないで欲しいことと自殺をしないで欲しいこと。一生に一回に頼みや。それだけはやめてくれ。それと母親のことを考えて心中するって言うてるけどそれがホンマにお母さんのためになるんか?ボロボロになってもお母さんはお母さんの人生を自分の力で全うするべきなんや。お母さんのことは俺と妹に任せてくれたらええから」と声を振り絞り伝えました。

親父は「わかった」と一言だけ言葉を発しました。


元妻のことも含め私が日頃から自殺と離婚は何としても家系から断ち切りたいと強く思うのも私の子供達に負の連鎖を起こして欲しくないからです(離婚については残念なことになりましたが)。
前にも書いたと思いますが、前述のやりとりの前後に私が、「親父とお母さんには迷惑かけっ放しやったな。悪かったごめん」と伝えたら、父親は「家族の間に迷惑なんて言葉は存在せんのや。気にするな」と。
私はこのやりとりを父親の葬儀の喪主挨拶の時しましたし私の息子達も列席してその言葉を聞いています。
その後、母親も天寿を全うし父親との約束は守りました。

前の記事でリミッター解除しますと宣言していなければ唐突な記事になったと思いますが、私の幸福感の原点を思い出すことで私の今後に繋がる気がしました。
私にとっての幸福は恐らく万馬券をとることでも一億のギャラを貰うことでもありません。
笑いながら家族で楽しんだトランプこそが私にとっての永遠の幸福です。

私は少し肩に力を入れすぎていたかもしれません。
思い出に浸ることだけは避けて来ましたが、思い出と向き合うことは無駄ではないと思います。
怒涛の5日間。そして過去と向き合った今日。
未来は過去と現在と無縁ではないことを信じて明日に希望を持ち生きて行きたいです。








posted by tetsukazu at 22:44| Comment(30) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつものようにコメント欄を活用します。
ドラマ『最高の離婚』のスペシャル版の放送を前に本放送の再放送を工夫して視聴していますが、真木よう子演じる灯里が「もう10代でもないんだから人は変われないのよ。今の自分が自分なのよ。変わるというのは借金を重ねて生活するようなもの。今の給料でやるしかないのよ」との台詞には愕然とさせられます。
灯里はお腹に子供を宿したことにより一度は関係が壊れた綾野剛演じる諒と暮らすことを決断します。
涼が瑛太演じる光生に「離婚最高ですよ。最悪なのは仮面夫婦ですよ」と言っていただけに、子供のためにある意味仮面夫婦の関係になる覚悟を決めた灯里が今後諒と末ながく暮らせるのか気にはなりますが、人は変わらないものだと思っていた灯里が「人は変わらなくても成長という形でスケールアップするんだなぁ」と思える日が来て欲しいとも思います。

ドラマを見れば見るほど正しい考え方や正しい生き方とは何なのかについて考えてさせられますが、時代は私の葛藤などお構いなしに進んで行きます。
それでもその進み方が正常な方向に行っているかと言うと疑問です。
3秒ルールがあると言われるスマホ通信での返信強要の異常さや既読スルー問題について私は「スマホ奴隷」と読んでいるのですが、100人の集団の中で90人が異常を異常と思わなければそれが正常になる場合もあります。
ただ、どう考えても一日中スマホが手から離せないのは異常な状態です。
端的に表現すれば一種の依存症ですね。
依存症に関しては私も大きな声では言えないですが、本来異常である状態に99人が存在しそれを正常とされる世の中になっても残りひとりの本当の正常者でいようと思う姿勢は失いたくないですね。

先週から今週にかけて発生した出来事は4年強のフワフワ状態の私を我に返らせるには十分な出来事でした。
心から人の幸せを願うことも難しいし心から自分自身の成長や賢明さと向き合うことも難しいのだなと感じました。
数年前のある女性との出来事を通じて我に帰るはずが、その女性が近くにいたために甘えに繋がっていました。
距離を置くことになった今、やっとその時の思いを実にする時が来たように思います。
本当の良い男化計画はやっとスタートしたのかもしれません。
そして良い人間になり良い父親になった時初めて過去の全ての経験が実を結ぶのでしょうね。
私のテーマソングの「全てが僕の力になる」のように…
Posted by tetsukazu at 2014年02月07日 07:10
後少しで『最高の離婚』が始まりますが、視聴する前の心境を少し書いておきます。

昨日は夜にEテレで物理学の白熱教室を見ました。
「エネルギー保存の法則」については、力を加えずにある高さからボールを落とすとボールがはね返った時に元の位置以上の高さにはならないとの説明でしたが、つまり「Aが純粋に持っているエネルギー以上の結果は生じない」ということ。
ドラマ上もリアルな私も離婚を経験したわけですが、離婚するだけのエネルギーがなかったなら成立していないことになりますよね。
離婚以外でもある要素で何かが破綻した場合は破綻するだけの(負の)エネルギーがあったことになります。
もうひとつの側面としては、離婚する場合、肉体的な絆も精神的な絆も経済的な絆も切れた状態ではないかと。

持っているエネルギーを破綻に向けて放出するか修復や創造に向けて放出するかで上下えらい違いです。
過去にもしも大事なものを壊してしまったならば、それは自分自身のエネルギーの規模のものでしかないので手に負えないほどではないはずです。
過去にどれだけの量の正負のエネルギーを使ったかを振り返り、もし手を抜きながらのものだったなら挽回するにはある意味ラッキーです。

『最高の離婚』の登場人物はまだ若いので何度でもやり直しが効きますが、時は待つのでなく追いかけてくるもの。
失敗を何度も許されるのはアマチュアだけです。
生きて行くことそのものが「人間としてのプロ」ならば、観客を楽しませるパフォーマンスのひとつも魅せたいですね。
Posted by tetsukazu at 2014年02月08日 20:45
予想通り例の節分カラオケの女性から何度となく「今日暇ですか?1時間だけでも飲みに来て下さいよ」とメールが来て、私は心の中で、「暇を共通言語にするなよ。仕事や食事以外の時間を全部暇扱いするのなら暇になるけど、仕事に備えエネルギーを蓄えるのも重要なことだし私のような活字中毒の人間にとっては、読書時間を24時間以外の別枠でとりたい位と思っている人間もいる。
トレーニングの時間も毎日確保したいこともあり、それを匂わす内容の返信をするのですが、「そんな簡単に私は切られちゃうんですね」とのメールが最後に返って来ました。
そして「やっぱり俺は女の機嫌をとることに向いてないわ」とのいつもの状態に。
これで商売か商売抜きかは別として異性からメールが来ることもほぼないでしょうあせあせ(飛び散る汗)
そもそも私は仮に誰かとお付き合いを始めたとしてもデートに毎週誘ったりもしないでしょうしそんな私が結婚して子供も育てたのは「奇跡」に近い感覚です。

と近況報告はこのへんにしてドラマスペシャル『最高の離婚』の話を少し。
脚本家デビュー後すぐに『東京ラブストーリー』が大ヒットした脚本家の坂元裕一氏はその後も『わたしたちの教科書』『Mother』『それでも生きてゆく』『Woman』など話題作を世に送り出していて、現存する脚本家の中では最も私の心の琴線に触れる仕事師です。
そんな思い入れのある私が今回のスペシャル版『最高の離婚』を見た後どんな感想を持つのか楽しみでした。
そして2日経過した今改めて頭に浮かぶのは「アイデンティティ(ー)」との言葉です。
Wikipediaではセルフを頭につけた場合の訳語として[自己同一性]とします。
出産にアイデンティティを求める結夏に対して大ざっぱで軽い行動をとりがちな結夏の保護者のような立場の自分にアイデンティティを感じる光生(私の私見)。
人が大人を迎える頃に「忠誠性」を獲得して自己同一性の確立につなげるという のが自己同一性との概念を生み出した人物の考え方。
会社などでボスに忠誠心を持ち、そんな中で得た報酬も大事に大事に扱うとの状態が、自己確立した人間のノーマルな姿でしょう。
ただし、正常な形で「忠誠性」を獲得出来なかった場合は、「カルト宗教・非行・過度な依存」といった誤った忠誠の方向に向かうのだと思います。
「結婚」も真の忠誠性を獲得した男女間で成立すれば問題ないのでしょうが、解決策が授かり婚というのも…続く。
Posted by tetsukazu at 2014年02月10日 15:05
五輪終了までは寝不足が続きます。
今大会もカーリング女子にはまっていますが彼女達が魅力的なのは氷面が自然のレフ板の役割を果たしているからかも。
急遽セカンドを任された吉田選手の表情の豊かさにも魅せられますしイギリスチームの今大会屈指の美女を確認するのも楽しみです。

前のコメントで示唆した『最高の離婚』の感想の前に二年前に殉職した女性オートレーサーの坂井宏未さんについて語ります。彼女のことは私のブログ上でも何回か記事にしましたし命日であった昨年の1月15日前後には記事もアップしました。
今年の命日も同期のレーサーの青山選手と岩田選手は自分達のブログに彼女の名前を出していました。
今年記事にしなかった私が例外などではなく、彼女の名前は時と共に人の記憶から徐々に消えて行くのでしょうが、たった一行でも二行でも名前を出した同期の彼らは義理堅い人間だし思いやりのある人間だと思います。そしてそんな彼らに近づけるよう私も内面を磨かねば。
坂井さんは『最高の離婚』どころか『普通の結婚』さえすることなく遠い世界に旅立ちました。
私はこのブログ上で、「約束された時間など人間には与えられていないからこそ日々悔いなく過ごしたい」と言って来ました。
坂井さんもそんな思いで無意識に生き急いでいたかもしれませんが、彼女のことを語り続ける人間がいることは彼女が生きた証です。
生涯通算勝利は一勝でしたが、その価値は千勝レーサーに劣ることはありません。
楽な方向に流されがちなところを踏ん張り、自分自身の持ち時間を有意義に過ごすことこそが、道半ばで倒れた人間のへの本当のはなむけではないかと思いますし言行一致でありたいです。

本題であるドラマの感想の続きに戻ると、このドラマのキーワードのひとつを私は『守破離』ではないかと考えています。
守破離とは、武道や茶道などにおいての師弟関係から来ている言葉ですが、型を作り型を破り型を離れ自由になるとの意味を持ちます。
結婚は、師弟関係ではないので何をもって『型』とするかは微妙ですが、離婚という形で型を破り型を離れた時に何を思うのか?
それともふたりの生活には『型』などはなかったのか?
『型』もないのに破るのはただの「自由奔放」前述の坂井さんも型作りの最中だったと思いますし彼女のライフプランが間違っているというより練習場でもあったレース場や運営機構側の持つ『型』との親和性の問題も多きかったかと。再び続く…
Posted by tetsukazu at 2014年02月13日 18:03
最近、誤字が多く色々な意味で気をつけなくては…
ひとつ前のコメント欄の最後の部分で、[親和性の問題も多きかった]となっているところは勿論[‥大きかった]が正しい漢字です。

昨日は坂井宏未さんのことに触れた日だけにおとなしく過ごしたのですが、坂井さんには感謝します。
彼女のことを思い返せていなければ昨日の夜も悪さして痛い目に遭っていたでしょうね。
それはギャンブルでもあるし女性絡みでもあったはずです。
毎年毎年この時期が来ると「俺だけはチョコをチョコっともいらないんで」と??いやいや、そんな昭和初期のようなノリではなく「俺には一円の金もつかわなくてええからな」と伝えていたのにです。
実際、今回誘ってくれた女性の用意したチョコも数年連続でもらわないまま生チョコの賞味期限が切れています。
まーどちらにせよ数百円のチョコを貰いに行くのにこちらは万札が飛ぶわけなので、余程のチョコ好きでないと高い買い物になります。

結局、ドラマ『最高の離婚』の感想はまたの機会に記事としてエントリーすることとして、唐突ながら私が好きな女性のタイプを無意識領域から少しだけ意識領域に持ってきたいと思います。
こんなことを語り出すのは最近『切れ長目美女』を目にして「ドキッ!」としたからです。
基本は奥二重ですが、一重でも二重でも良いし素敵な笑顔が理想ですね。
などと妄想に浸っているのでなくその系統の芸能人を探してみました。
するとやはり好きな女性が含まれていました(以下敬称略)。
石川梨華、森高千里、永作博美、イ・ヨニなど。
文化人も含めると私が好きな中江有里(ほぼタレントですが出筆活動も)、目加田説子(大学教授)なども切れ長目系でしょうか。
その他切れ長目系芸能人は、吉高由里子、加藤あい、水川あさみ、中谷美紀、工藤夕貴、倉木麻衣、田中麗奈、常盤貴子、安田美沙子、吉岡美穂、大塚愛、栗山千明、チェ・ジウ、ケイト・プランシェット などなど。綾瀬はるか、柴咲コウ、北川景子などのお目々パッチリ系も切れ長目に入れると、無敵ですし新垣結衣さんも入れときましょう。結局非切れ長目系は堀北真希、佐々木希、浜崎あゆみ、藤原紀香、相武紗季、前田敦子などですかね。
少し分け方が大きくなり過ぎたので次回は輪郭やスタイルも要素に入れベストを決めよう(勝手にしろ!ですか?)
と浮かれていると「ハイこれ」とチョコを渡されました(キャっ!スキ!)切れ長目どっかいっとるがな。
Posted by tetsukazu at 2014年02月14日 14:32
今回もカーリング女子日本代表の試合を堪能しましたね。
解説者の的確な解説にも感心しましたし今回の解説者は元日本代表であると同時に現役の漁師さんらしいですね。
小笠原さんと林さんにしても主婦業をこなしながらの選手生活はさぞかし大変なことと思いますし強豪各国とは練習量も違うのでしょうね。

そんな彼ら彼女らにとっても私達にとってもやはり生きて行く上で軸になるものはあると思います。
カーリングではAプランとかBプランとか頻繁に出て来ますが、実生活においても計画を立てその計画に沿って物事を進めて行くことが重要です。

では、我々はどんな要素を軸に進めばより良く生きて行けるのだろう?
テレビで有名なビッグダディは最近自分が経営するマッサージ店でちょっとした人生相談的なこともやっているそうです。
そこでは、恋愛に慎重な女性に対して「あまり先のことまで考えず現在の自分が思ったことを素直に実行してみようよ。物事な上手く行く時はどんな形でも上手く行くものなんだからチャンスを多く作る方が良いに決まってるよ」とアドバイスするらしいです。
でもそれってAV作品の出演者を探す時の決まり言葉に近い気もするし、今問題になっているリベンジポルノ問題にもつながるようにも思えます。

一般的には『お金』を軸に生きて行くのが正解に近いとされますが、『愛』を軸にと考える中二的な人間も少ない数ながらいるはずです。
ビッグダディさんなどは『本能』を軸に考えていそうです(勿論、何本かの軸の中の大きな軸との意味含む)

ドラマ『最高の離婚』の中で、「結局妻は鬼嫁になるか泣く嫁になるかしかないのよ。結婚なんて茶番よ」との台詞が出て来ますが、茶番と言ってしまえば全てが茶番です。
あの手塚治虫が死んだ後も人々は漫画に親しみ続けるしそんな途方もなく軽い存在の自分と折れ合いながら生きて行くしかありません。
実はそれぞれの目の前には今すぐやるべきことが山ほど転がっているのに面倒なことから逃げるし『最高の離婚』の光生タイプは「面倒くさい人ですね」と一言で片付けられます。
私も頭の中が異性とファッションとグルメと旅行だけしか(お金は言わずもがな)入っていないような人とは一生縁が薄いと思います。
確かに茶番なのですが『壮大な茶番』なのだから自分自身の頭で考えて生きることは不可欠になると思います。
ある意味、茶番の代表かもしれない今日のクイーンCはマジックタイムの複勝で。

Posted by tetsukazu at 2014年02月18日 15:04
LINEで「死んで」と送信してそれを受けた元交際相手(元と言ってもそのやりとりの直前に別れ話)が翌日に飛び降り自殺したことで、送信した慶大生の男が自殺教唆の罪で逮捕されたり、男が元交際相手の女性を拳銃で射殺した後に自分の命を絶ったりと嫌な事件が続きます。
私もこのブログ内で再三指摘して来ましたが、男女があっという間にくっつく分だけ心が離れるのも一瞬の気がします。

私自身のことですが、飲食業で不規則な生活が続いていた頃に体調が最悪になり日常生活に支障を来すほどになったことがありました。
ちょうどその頃に知り合ったのが元妻で、彼女は私の最悪な状態の時を見た上で私と親しくすることを決めたことになります。
私自身が「この状態から一生抜けられないかも」と弱気になった時も、険しい山道を何時間も歩いて山奥の湧き水(万病を治すと言われていた水)を汲みに行ったり、あちこちの漢方薬店を渡り歩いて私のために漢方薬を買ってくれたりしていました。
結局別れることになったとはいえ、感謝の気持ちが消えることはありませし自分以外の誰かのために損得抜きに行動出来る女性はそう多くはいません(自分が産んだ子供に対しては一心同体のようなものなので別次元)。
LINEで「死んで」と送信した男は「新しい彼が出来たので別れて欲しい」との内容に対しての返信のようですが、その男にとって愛情とは何だったのでしょうか?
もしその彼女が重い病を患ったとした場合に身を捨てて行動出来るだけの想いを持って付き合っていたのだろうか。
もしそうでないなら結局は自分にとってのメリットのためだけに彼女の存在があったと言われても仕方がない。
ただ、だからと言ってそんな自分自分の男が特別なのではないのだから別れを切り出された時ぐらいは相手の気持ちを最優先しろよと言いたい。

ところで今日はフェブラリーステークス。
私と言えば今日は朝からボランティアの 清掃を終え夜はその仲間とおそ〜い新年会。
昼間間も深夜も仕事上の雑務があり競馬にかかわる暇はないのですが(ブログしてる暇はあるんかい!?)予想だけでも…
今年は混戦なのかどうなのかよくわからないレースですが、騎手の能力と馬の能力のミスマッチが原因なのでしょうね。
そこで馬の能力だけを考えて評価するとやはりニホンピロアワーズの仕掛けにのるであろうホッコータルマエが複勝圏内から外れることは考え難いので予想はホッコーの複勝一点で。
Posted by tetsukazu at 2014年02月23日 11:48
昨日は昔からお世話になっている知り合いの男性と雑談しました。
彼は仏教に精通し西日本(四国含む)のお寺巡りと法話を受けるのがライブワークです。
彼は、仏教は東洋哲学の範疇に入ると考えていてその根本にある思想は『無』と『煩悩』だと。
そしてそれらとどう向き合うかは個々人の問題で、釈迦はあくまで自分自身の修行を通じて何らかの境地に立ったのであり信者に価値観の押し付けなどしていないと。
そして釈迦にとっての最後の煩悩は『食欲』だったらしいです。
そんな説明を受けた後に私は「では、人間は自分のために生きるのか他者のために生きるのかどちらが正しいんですか?」と聞くと、「そんなことを頭だけで考えるんやなく、在りのままの自分でええんや」との返答でした。

う〜ん…

在りのままの自分がわからん。

その答えを探すために雑談が終わった後
、その日の残り時間にやりたいと思ったことを一通りやってみました。
そして最後に向かった先は行きつけのショットバー。
その店の女性スタッフに「俺の在りのままって何やろ」と疑問をぶつけると「真剣に在りのままの意味を考えてるあなたのその姿勢こそがあなたらしさだし在りのままなんですよ」と。
そうなると『自分の生き方の全肯定』が哲学的表現としての真理かもしれないですね。
親の葬儀日に競馬をするのも人間だし浮気相手の家で腹上死するのも人間。
エネルギー基本計画を議論する場にカメラが入っているのに談笑する委員達(原発事故被災者の気持ちは複雑)
食欲さえ煩悩だとすると、一切煩悩を持たないためには生まれた瞬間に死を選ぶしかない。
仮に脱出困難の樹海の中に複数の遭難者がいて目の前に一人前の食料しかない場合、食料の奪い合いが発生する可能性が高いかと。
そんな極限状況での自己の振る舞いを良い悪いの問題にせず『全肯定』することしか「苦を楽に」出来ないでしょうね。
仏教では『生・死・病・老』を苦と位置付けますが、苦のまま終わらせないためにはそれらを受け入れ前に進むしかありません。
予定調和が嫌いな私がギャンブルを好きなのはある意味自然ですが、かなり考え方が近く「ワクワクする日々でありたい」がモットーの宇野常寛氏のマルチな活躍に比べて私の過ごし方はまだまだ。
例え在りのままでも脱皮位はは可能なはずですよね。
と言いつつ今日の阪神競馬11Rの9‐10ワイドか中山9Rの2番単が鉄板と思う在りのままの自分(^_^;)
Posted by tetsukazu at 2014年03月01日 10:11
LOVELOGの実質終了まであと2週間。
結局引っ越ししないままフェードアウトする可能性も出てきました。
というのも移転する手続きの中で返信メールを受け取るはずのマイパソコンが故障のままだからです。XPなのでほっとけばいいわと楽観していたのに新しいパソコンも買うに至っていません。
ですので今日からは常に最後の書き込みのつもりでコメント欄も利用します。

最近感じたことですが、人間社会って様々な要素のヒエラルキー(階層)の連立方程式の中に成立しているように映ります。
無論、経済的な階層が最も影響を及ぼすことは確かなのですが、その他にも容姿における階層・努力の量と質による階層・人間認識や社会認識における的確度による階層・精神と肉体の強靭度による階層・合理的自己コントロール技術の差による階層・学習能力を基礎とした再現性の両極端さによる階層(経験がプラスに転じる場合と非合理的事象を繰り返す場合の大きな違い))・徹底して自己の幸福追求に取り組む(主観客観両方)姿勢の強弱による階層 等々…

ほとんどの人間は後悔のない人生を送りたいと思っているでしょうし思いたいはずです。
しかし実際は個人の想いなど関係なく現象・事象が常に優先します。
人間は想定外のことも平気でするし周囲に想定を超える現象・事象が発生するのも日常です。
では、ひとつの要素であれ階層の上部に位置するためにはっきりとイメージし正しく世界を捉えるとすれば?

まずは若いは正義ということ。
美しいかどうかは主観が入るので若さに留めます。
元AKB48の篠田さんが少し前にランドセルを背負って歌っていましたが軽〜いイジメかと思いました。
20才を過ぎる頃からの彼女達を見ていると「男で良かった」と思ってしまいます。
そして次なる正義は「努力」ですね。
若くして努力家なのはかなりの確率で人生の成功が望めますね。
さしさわりはありますが、体型の維持などは努力の範疇にあると思いますし与えられた収入の中から蓄財するのも努力の範疇です。
モテるが正義とか思いきりが正義だとかの考え方もあると思いますが、努力抜きのモテるや思いきりは別ものですね。

そして最後の正義は 「自分らしくあるために自分を捨てる覚悟」としておきます。
本当は愛こそ全て家族こそ正義と言いたいところですが照れるので?やめときます。
自分を捨てる覚悟分野でのヒエラルキーの頂点に立った時が自分らしさを取り戻す時。
Posted by tetsukazu at 2014年03月16日 21:30
やってもたあせあせ(飛び散る汗)
急な次男の引っ越しの手伝いで京都でトラックを借りて夜11時過ぎにオイルを入れて返そうとしたらスタンドが全くなし(≧∇≦)

で断念してレンタカー店で清算したらぼったくり
あげくには大阪に返る電車もなくなり今から河原町でサウナに入ります。
それはそれでしょうがないけど、引っ越し荷物をおろした時に「初めまして○○です」と女性登場。
「おいおい、いきなり彼女現れてるやん」
チラッとは聞いていたけど一緒に住むのは事実だったよう。
あまりにいきなりだったので5秒ほどの絶句の後「息子の父です。親御さんは許可してるの?」と声を出すのが精一杯。
人間あまりに突然だと頭が真っ白になるのがよくわかりました。
息子が新居の鍵を忘れていなかったら彼女が登場することもなかったのですが、コソコソすることもなく堂々と挨拶してくれました。
それを見てしまったせいで彼女と息子を連れて美味いもんでも食べに連れていかなあかんなとつい思ってしまいました。
息子が選んだだけあって地味そうながら芯がしっかりしていそうな女性でした。

混乱の中とにかくサウナに入り始発で大阪に帰ります
ε=ε=┏( ・_・)┛
Posted by tetsukazu at 2014年03月19日 00:36
かつて翼の折れたエンジェルという歌がヒットしましたが、「飛べない鳥は鳥じゃない」とすれば、人間が人間であり続けるのはどういった状態のことを指すのだろうか。
多くの映画は目的のために手段を選ぶか選ばないのかとの裏テーマがあるけれど、そもそも目的なんてそう簡単に生まれるものではないですよね。
「俺は女や子供を養うことを使命と思ってる」と言う男がいたとしてもそれも所詮『性欲・生殖』といった本能から来ているだけかもしれないし。
もう少し科学が進歩したらドーキンスの言う「人間は遺伝子の乗り物に過ぎない」との説が現実味を帯びるかもしれないですしね。

日曜の朝に長男が仮眠のため一時間だけ滞在し再び仕事に向かいました。
長男が「弟の引っ越しは無事終わったんか」と一言だけ言って来たので、「無事には終わったけど夜の引っ越しやったから結局京都に泊まりになったわ」とだけ答えて会話は終了しました。
考えてみれば次男の引っ越し手伝い時も会話と言えば「俺は今まで仕事の休みの日に草野球で骨折して仕事を休んだりスキーに行って骨折して仕事を休んだりしたことはない。当然ゴルフをし過ぎて腰を痛めたこともない。それは俺には体しか資本がないことを自覚してるからや。それだけやなく精神的な病にかからないために金がかかっても日々をやり過ごす工夫もして来た」と私が息子に語っただけ。

このブログでも『メリットの法則』によって動物は行動するとか、人間の行動動機は「本能・好き嫌い・損得・正義かどうか」のいずれかが根拠になっているとか言って来ました。
私の周囲の高年齢の男女を見ていると70才を過ぎてバリバリ動けているのは圧倒的に女性です。それは『メリットの法則』を遺伝子レベルで理解しているからだと思います。
つまらない面子にこだわらないことや利益にならないことを避けて来た成果が結果的に他者の足手まといにならない現実を生むことになるのでしょうね。
人間以外の動物と人間の違いは「飛べなくても生きて行ける」点です。
ただ、そんな優しさに満ちたように見える人間社会も競馬における繁殖の実態を見ると違った風景となります。
それは正に優勝劣敗の世界であり、特に活躍出来なかった牡馬の末路は哀れです。
私についている羽根は元々決まった数なのかそれとも妻子の存在も羽根となっていたのかそれとも能力に応じて羽根が強化されるのか。

少なくとも「動けない豚・鳴けない豚」にはなりたくない。
Posted by tetsukazu at 2014年03月24日 10:12
コメント欄で何気なく『優勝劣敗』との言葉を使いましたが、深い理解もなしに簡単に引用しない方がいいですね。
この言葉は別の言い方をすると『適者生存』となるのですが、ネット上で詳しく調べる限りどうやら簡単な理解度で用いる言葉ではなさそうです。
これらの言葉は『同語反覆=トートロジー』であると主張する者もいるらしく、「生き残って来た者は生き残って来た」とか『馬鹿は馬鹿』と言っているだけだと。
それだけだと単に揚げ足とりなのでもう少し丁寧に説明する場合(以下、私の言葉を足して説明)『優者』『適者』は、ある環境や条件下で結果的に生き延びて来たことに対する表現でしかなく、時間的な概念を考慮するなら『適者』は過去を指し『生存』は未来を指す言葉になり、現時点までの環境下において生き延びて来た者でも明日以降の生存へのパスポートを持っているわけではないとなる。

馬鹿がある時点から馬鹿でなくなる可能性があるように優者もまた、ある条件下では劣者になるということ。
この解釈の仕方は私がこのブログで再三引用する『弁証法』の概念につながります(繰り返しますが弁証法とは水は水、氷は氷との考え方でなく、水はやがて氷に変化するとの考え方)。
物事を固定して考えるのはよくないし現実の上でも常に変化は起きます。

では、人間は生きて行く上で一瞬たりとも気を抜けないのか?となりますが、突き詰めれば「その通り。一瞬の気の緩みで死を招くことだってあるし、肉体的な死だけでなくその気の緩みが原因で社会的な死を招くこともありえる」との答えになりますね。

いずれにせよ「未来」に対してどれほどの希望を持ちどれほどのエネルギーを注げるかは自分自身の精神年齢が大きく作用するはず。
老若男女関係なく前向きに未来を語り合える人間が周囲にいるならそれは大切にした方がよい。
40才を過ぎる頃から人格や教養が顔に出ると言われるけれど、それだけでは優者にも適者にもなれない。
それ以外にも心身の強さや勤勉さや大胆さや慎重さや繊細さやその他あらゆる要素が身に付いていないとならないかと。
小学生並みの表現をするなら「今生きていて未来も生き延びて行けるのはスーパーマンのみですわ」となります。
女性であれば組織やチームのパワーを味方につけて切り開けば良いと思いますが男に関しては個人としてスーパーパワーを手に入れるしか道はないと思いますがね(ニヤリ)。

Posted by tetsukazu at 2014年03月24日 22:21
どうもです(^^)/

生き残ったものは生き残ろうとしたから生き残ったのか、
そもそも生き残りたかったのか、なんとなく
生き残ってしまったのか、その辺りも生きる上での
目的意識に関わってきそうですね。

私自身は遺伝子の乗り物かもしれませんが
私の遺伝子は行き場を見失ったのではなく、
そもそもどこにも行きたくない・・・つまり
乗り物であることを否定しているようです。

とりあえず生き残れなくなるまで生き残る感じでいますが
・・・根本的に劣者なのかもしれませんね(爆)
Posted by けん♂ at 2014年03月25日 12:58
>けん♂さん
コメントありがとうございます。

私から見ればけん♂さんは「スーパーパワー」の持ち主に見えますね。
確か大リーグでは先発投手が確実にイニングを消化することをイニングイーターと言うらしいですけれど、けん♂さんの場合は「スーパースリープイーターアンドタフネスブロガー」ですよね。
睡眠時間を削るという意味なので誉め言葉にはならないかもしれないですが(汗)
その意味ではハードライフ界の『優者』です。

以前に語りましたが、私の知人に言わせると「絶対が無いのが絶対だ」となります。
ただ、それだと無いことがあるとの言語矛盾となるため結局は言語で世界や宇宙を語るのには限界があります。
ほぼ正しい理論とされる不確定性原理の考え方からすれば「神はサイコロを振る」なんですよね。
天才アインシュタインの「神はサイコロを振らない」との仮説がほぼ否定された以上、世界は「カオス=混沌」に突入しています。
となると共通項となるのは「現象」しかない気がします。
競馬に例えるとレースが終わった後の掲示板の表示が現象であり『神が振ったサイコロの目』となります。
どんな目が出るかは神さえ予測不能です。

前置きが長くなりました。
生き延びて来たの話ですが、そもそも一億匹に及ぶ精子の中の一匹の頑張りから生命が誕生するのですが、その一匹一匹の頭の部分に遺伝情報が満載なんですよね。
どう考えてもあのおたまじゃくしもどきは運び屋です。
それを考えると生まれてきた我々には何らかの『ミッション』を完遂せよとのプログラムが搭載されているようにしか思えません。
そうなるとミッションコンプリートしてしまうと消される恐れがあるので未遂の方が身のためです(冷)
もし人生の楽しさを量として表せるものだと仮定出来るのならそれは『自由意思』起点の願望を具現化する時の期待感・ワクワク感をどれほどの頻度で持てるかではないでしょうか。
ひょっとしたらけん♂さんも私も既に運転手がどこかに行ってしまった乗り物かもしれないので(爆)いっちょこれからはどこかにぶつかって止まるまで暴走しましょうかねぇ。

それはそうと中京芝1200のG1は予想が難しそうですね。
坂を下ってからまだ200m以上直線が残るだけにラスト1ハロンの鬼足があるサンカルロでも届くかもしれませんしね。
私はまだ10%程度の分析量ですが今のところストレイト?(あれ?ガールやったっけ)を注目してます。
Posted by tetsukazu at 2014年03月25日 22:36
毎回が最後の書き込みにになる可能性のあるこのブログも初めて8〜9年になります(離婚直前に一旦全記事消去。再開後4年半)。
その過程では多くの方と親交を深め多くのコメントも貰いました。
友達少なさコンテストがあれば上位確実(10代からあらゆる博打場をひとりで回っていたのでそんな奴に付き合える者などそういない)の私には一生分の知人が出来たようなものでした。そしてコメント欄への書き込みが中心の今も、けん♂さんからコメントをいただきました。
また、今まで私のブログに女性でコメントをくださったのは、そのけん♂さんの奥様とあのKちゃんの二人を含め全部で四人くらいかな(超すくねぇ〜)
そうです「ただの理屈好きの面倒くさい奴」のブログに清々しくて潔い女性が関心を持つはずもありません(笑)
あっ!?勿論コメントをくださった方への批判ではありません(汗)
そしてKちゃんが一度だけコメントをくれた時の内容の一部が「結局、変わろうとするフリをしているだけなんですよね」でした。
自分自身や一般論を指してだとは思いますが私にすれば「俺は変わるフリどころかそもそも変わる気があるんやろか」と考えさせられた瞬間でした。
先日も24才の女性との会話で「日本の人口って3億人でしたっけ?」との衝撃の内容にコケそうになりましたが(少子化解決しとるがな)実際は普通に生きているのは私ではなく彼女なのでしょう。
恐らくですが本当に大事なことは日本の人口を正確に知ってることでもはないはずです。
SKE48のとあるメンバーが「カードの審査に通らない」と嘆いていましたが、そのメンバーもまた[何が大事か]とこれから向き合うのでしょう。
元ヤクルトの投手の石井氏は「何よりも友達が大事」と語ります。
ただ、私が理屈を語るのは100回の内の1回のミスが個人や集団の致命傷になった例を学びたいからでもあります。
本当に大事なものを考え変わる気があるのかが疑問な私自身ですが、ドラマ「最後から二番の恋」の最終話では、「未来の自分に恋が出来るかどうか」とのナレーション台詞がありました。
そうであるためには素敵な自分でなくてはだめだし素敵な仲間に囲まれた上での素敵な自分であれば最高ですね。
今のままが素敵なら変わる必要はありませんが遺伝的・社会的に負の遺産を引き継ぐ場合もあります。
その際、「誰かのためそして自分のために本気で変わろう」は最善でなくても次善の策にはなる気がします。
Posted by tetsukazu at 2014年03月29日 09:55
このまま移転手続きをしないと本当に終わりになります。
自宅のパソコンが壊れていても可能な方法があるのかもしれないですが、私の中で「何としても」との気持ちにならないのかもしれません。
強がりは言って来たものの離婚後は歯の治療も怠りまともな歯はなくボロボロです。
離婚後はプロアマ問わず女性との性交渉もゼロ。
この4年半に費やしたギャンブル代と飲み代の約一千万で愛人契約の半年ほどなら出来たかも?
ただ、その事実をかみしめることで私は人の父親として家庭を持ったことへのプライドは保てたかと思っています。
少なくとも息子達には女性問題が離婚の直接的原因でないことは示せたかと(独身でさえ女に走らないのにまして…)

話は変わりますが、競馬の騎手やボートレースのレーサーは「所詮バクチの駒でしかない」と言われます。
前回までのコメント欄で「神はサイコロを降る」と言いましたが、言い方を変えると「神でないものはサイコロさえ振れない」となります。
かつてチャップリンが、人間を機械の歯車の中へ入れるという描写で当時の社会を風刺しましたが、その後も『箱庭の自由』との概念が一般的にも支持され個人の生き方の指針となっています。
私が事業を起こした時に父親から「俺にはそんな勇気がなかった」と言われたことは以前も語りましたが、肺結核を克服後の若かりし父親は、[酒に花札に麻雀に競馬]にとそっち側の豪胆さはありました。
しかし私の母親との長い別居生活を終え再び同居を始めた頃(父親40代)からはその母の介護もあり仕事に出る時と買い物以外一切外出しなくなりました。
そんな生活での楽しみは仕事を終えてからと休日の昼から飲むビールと自宅で観戦する高校野球とマラソン観戦でした。
私の妹の子供と遊ぶのも楽しみだったと思いますが、死ぬまでの10数年間は『箱庭の自由』でした。
そして私はというと、独立した頃と変わらず自らサイコロを振り続けています(何を示唆するかは勘のの鋭い方にお任せします)
型にはまりきらない無限の自由を求め続ける諦めの悪さが私のモチベーションになっているのも事実ですが、いつの日か箱庭に納まる日が来るとは思っていました。
晩年の父親は私が顔を見せると冷蔵庫にあるビールを飲ませてくれ手作りのつまみを出してくれました。
本当の幸せはそんな瞬間にあるのでしょうね。
LOVELOGが終了し自宅の冷蔵庫にビールがストックされた時、何かが変わるのだろうか。
Posted by tetsukazu at 2014年03月29日 21:51
LOVELOG最後の日の最後の時間なのでコメント欄にはなりますが一言だけご挨拶させていただきます。

今まで訪問して下さった皆様には本当に感謝いたします。
ありがとうございました。


明日からは新規投稿も記事やコメント欄の編集も出来なくなります。
閲覧に関しては6月末まで可能らしいですが、それがブログ主のことなのか訪問者も含めてなのかよくはわかりません。

先程、笑っていいとも!もフィナーレを迎えましたが、私も4月を年度始めと私自身の再生と位置付け新たな気持ちで臨みます。

これまでブログ内では何百何千と決意の弁を述べて来ましたが、実際の実行率は酷いものです。
それでもトレーニングに関しては有言実行でした。
今後はそれ以外のいくつかのことで成果を示して行く所存です。
とにかく目に見える部分でどれだけのことが出来るかによって自己評価も変わって来るはずです。
単に安易にやり過ごすのでなく本当にやりたいことをどれだけやれるかにかかっています。

このブログで学んだことを最大限生かせるよう努力します。

ではまたいつか。
Posted by tetsukazu at 2014年03月31日 23:59
コメント欄はまだ使えそうですね。

尊敬する阿佐田哲也さんの言葉を借りるまでもなく「本物のバクチ打ちはバクチ以外の全てを失う覚悟でやる」
当然と言えば当然ですが連れ合いが去り二人の子供達も私の手を離れようとしています。
ただ、全てを失う覚悟を持てないのも事実です。
二十代の時からのバクチ仲間で40才の声を聞く頃に力尽きてあの世に行った奴がいます。
私がまだそいつと交流がある頃、一ヶ月後に結婚を控えている女性の知り合いがそいつと私のところに挨拶に来たのですが、私はお祝いの言葉だけでその女性とサヨナラしたのにそいつは鬼畜にもその女性とホテルに行きました。
まーそいつもそいつですがその女性も問題ありますね。
そんなことのバチが当たって早死にしたと言ってしまえばそれまでですが、そいつと私とは鬼畜さを除くと非合法のバクチをやっていた点も含め違いはほとんどありません。一念発起して私が二十代後半で事業を始めた時にすぐにそいつも独立すると思っていたのですが、酒の飲み過ぎがたたり長い闘病の末に結局力尽きました。
看護婦をしながらそいつを支えて来た奥さんも最後は去って行ったようです。
そらそうですよね。飲む打つ買うの三拍子の末に
Posted by tetsukazu at 2014年04月25日 22:45
前コメントが途中で切れてしまったので続けます。

>飲む打つ買うの三拍子揃っている奴に同情なんか出来ませんよね。

ただ、命を含めて本当に全てを失ったそいつこそが『本物の無頼』だったのかもしれません。
それに比べれば全てを失う覚悟を持ちきれないどころかマスターズ陸上で花を咲かせてやると言っている私のことは中途半端にしか映らのやろな。

私の数少ない趣味のひとつの映画の世界では魅力的な女優さんが次々と現れています。
すっかり知名度を増した満島ひかりさんの後を追うように二階堂ふみさんや黒木華さんや門脇麦さんなどが活躍しています。
彼女らは絶世の美女とは言えないのかもしれではないですが演技する姿が輝いていますしやがては本物の女優と言われるのでしょうね。

今のところ何においても本物になれていない私が輝ける場所はどこにあって命を燃やし魂を燃やせるのだろう。

もしヒントがあるとすれば「男は一歩外へ出れば七人の敵がいる」との言葉を噛みしめることかな。きっと戦い続けるしかないんやろな。

待ってろよ。お前のように命の火を燃やし尽くしたらそっちに行くからあの世でボトルを用意しといてくれよ。
Posted by tetsukazu at 2014年04月25日 23:15
昨日(4日)は卓球女子日本代表の平野選手が強靭なメンタルで日本の勝利に貢献しました。
一昨日には雀鬼と言われる桜井章一氏から花束を貰って感激していた姿も微笑ましかったです。
卓球と結婚しましたと語る平野選手を応援して来た私はと言うと比べるまでもなく自分に負けている日々です。
原因は自分でも理解していて、恐らくですが小学生の頃から積み重なった『ゲーム脳』が背景にある可能性が高いと感じています。
脳の問題で言えば中学生の一日におけるスマホの使用時間が6時間にもなるケースがあるようで、自治体レベルで規制を設ける動きもあるそうです(午後9時以降は親が預かる等)
また、大阪では57才の男がスナックに勤める38才の女性にストーカーしたあげく殺人事件を起こしました。
求婚したものの相手に夫がいることを知り自分の気持ちが整理出来ないことで彼女への思いは屈折して行くわけですが女性の側も警察に相談する以外の対応も必要でしたね。
彼女や夫や子供にとっては悲劇なのですが、リスクとの観点から見ると家庭がありながら男性客相手の仕事をすることそのものが危険をはらんでいましたね。
昨日の卓球の解説者の樋浦さんが「頭は冷静にプレーは大胆に」と言っていましたが、何事にも言えることです。
ストーカーの加害者も被害者もクールな脳を獲得しておくことが必要だったかと。
冒頭で私の問題点が『ゲーム脳』にあると表現しましたが、人生ゲームで10分の1の確率に賭けて負けたら貧乏農場(その後のバージョンでは→ゴーストタウン→開拓地)に行くような状況が現実化しているとすれば皮肉だし、ゲームの中で子供を売ることが出来る設定を「シュールやな」と言っていられません。
リアルの人生は複数回経験出来ないのですから常にリスクと向き合うべきですね。
強度の依存症の持ち主は克服するための手段が意思や精神力ではなく脳を中心とした病気の領域だとの考え方が一般的。ブレーキの壊れた車に乗るのは勇気ではなくただの馬鹿。
私は闇金ウシジマ君の世界が他人事に思えません。
正常な人間は血の滲む思いで得たお金を決して無駄に使いません。
平野さんもある意味血の滲む努力で得たスキルを無駄にしませんでした。
過去に私のことを「私は(僕は)最後まで味方です」と言ってくれた人や息子に胸を張って「長くかかったけどやっと期待に応えられる人間になったよ」と言えるようになるためには進む道はひとつしかない。
Posted by tetsukazu at 2014年05月06日 00:15
「辛い」としみじみ感じ時は誰しもあると思います。
かつて偽メール事件に巻き込まれた国会議員は自らの命を絶つに至ったほどです。
個人的な歴史を辿れば「人生最大のピンチ」と感じたことが10回を下りません。

今この文字を打ち込んでいる際にも目の前をママチャリに乗った女性が通りましたが、背中に鮮やかな薔薇のタトゥーがほどこされていました。
その女性に子供がいるかどうかは別として個々の人間が判断し選択したことに対しては基本的に誰も何も言えないんだと思います。
昔、お笑い芸人とお付き合いしていることを父親に反対されて別れることになりましたが(マスコミ記事を信用したとして)その後その女性は結婚することなくこの世を去りました。
また、深刻な健康状態に陥っている元プロ棋士の女性は若い頃に師匠筋にあたる棋士から今ならパワハラに該当する扱いを受けたこと(これもマスコミ報道が事実として)と稼いだ金へ父親が関与し続けたことで心身のバランスを崩しアルコールにはまって行くことになったようです。

ひるがえって現在の私ですが、長男は「何かあったら言ってや」と声をかけてくれるのも離婚後の不器用な生きざまを目にするからでしょう。
私が本当の意味でのナルシストなら私の今の状況にはなっていないし前述の彼ら彼女らもどこかで他者の気持ちに応えようとしてきたのでしょう。
形は別として結婚する男女は相手の気持ちに応えたことになります。
ただ、その後に離婚を望む方はナルシストの側面があるのではないかと思います。
これは推測でしかありませんが、個人限定の幸せとは真の意味でのナルシズムに内包しているのかもしれません。
真の意味と表現したのは自己中心的に犯罪などを起こし他に迷惑をかけてた末に因果のようにわざわいが己に降りかかる場合と分けるためです。
その意味で楽天やソフトバンクやユニクロのトップは真のナルシストと認定出来そうです。
他者に気をつかい過ぎず迷惑をかけ過ぎずにナルシズムを貫くのは難しいですがだからこそ与えられたわけではない自発的な個人の欲求を満たすことが出来るのですよね。
情けは人のためならずと言います。優しさとナルシズムの両立はとてつもなくハードルが高いですが何万人かにひとりが持つ『強さ』や『本気で取り組む姿勢』を身に付けられたなら可能性はゼロではない。
そして私の「人生最大のピンチ」の打開策は、言葉を発見し本気さと強さを獲得する可能性に賭けること。
Posted by tetsukazu at 2014年05月11日 19:39
私は『大前提』との感覚を意識して日々生活を続けているのですが、例えば企業なら『利益追求』が大前提になります。
顧客満足度を強く意識したりや公的役割としての姿もありますがそれもこれも『大前提』なしには始まりません。
では、個人にとっての大前提とは何なのか?

ボートレースや麻雀や将棋の世界でさえ女性の進出が目覚ましい中、男だから女だからとの時代ではありません。
麻雀の高宮まりプロなどは現役のグラビアアイドルでありながら女流麻雀の大会で優勝もしています。
以前にも語りましたが「天は二物を与えず」なんて言葉は最早死語ですね。プロボウリングやプロゴルフの世界に至っては完全に女性の方がメインになっています。
そんな彼女らの大前提とは?

男なら「道を極める」との発想になるところですが、ゴルフの賞金女王になった後に引退した古閑選手を見ても「人生を楽しむ」ことに重点を置いていそうです。
(名実共に求道者である卓球の平野選手は別格)
男だったら元プロ野球の投手で現在は吉本興業に所属する石井氏がエンジョイ系かと。
女性アスリートやその他の女子プロの面々の話に戻しますが、彼女らがやっているブログなどを見ると「「お休みの日にバーベキューしました」とか「プロ仲間と女子会しました」とか「昨日はスポンサーと美味しい物食べました」とか「今年初めてロングスカートはきました」などの表現が多く、毎日を楽しむ姿勢を感じます。
それぞれの楽しみ方に違いがあるとすれば、誰かと何かをして過ごす楽しみに重点を置くタイプとペットがいたりゲームが好きだったり一人ショッピングが好きだったりで一人でも楽しめるタイプに分かれる位ですかね。
で、話を冒頭に戻すと個々人が持つ『大前提』は何かという話になります。
数々の女性に聞く限り『愛情』を見返りを求めない精神感情とするならば、「それは我が子に対する母性愛しか該当しないでしょうね」との答えが大半です。
資本主義が大前提の会社における大前提が利益追求(要するに生き残りのための最大の要素)ならば、生き残ることを大前提とする価値観を持つ個人にとっては愛情などという存在さえ危うい要素を核には出来ない。
ただ、110歳まで生き延びることが本当の意味での幸せに繋がるのかは疑問。今どきはアスカと言えばアスカ・ラングレーだろうしあと10年も経てばまた変わるかもしれない。
時代と共に生きるしかない私達に「今を生きる」以外の選択はない。

Posted by tetsukazu at 2014年05月20日 16:01
少し前「日本の人口って3億人位でしたっけ」と言った女性の話をしましたが、テレビで友近も「つい最近まで宇宙という球体が存在すると思っていた」とのエピソードを語っていました。

そんな人口エピソードの女性も友近もギャンブルやホスト通いなどに狂うわけでもなさそうだし毎日堅実に生きているのだと思います。
毎日700円程度のランチを食べて3日に1日程度居酒屋に飲みに行くサラリーマンは月に3〜4万の出費。
私から見れば前述の女性達や一般のサラリーマンは「普通の人」に映るし恐らく世の中の人の95%は普通の人なのだと思います。

そして言うまでもなく私は普通ではありません。
家庭に色々あったにせよ10代にして100万程度持ち歩きひと勝負50万ほど突っ込む奴などまんま阿佐田哲也の小説の世界です(100万と言っても自分で働いて稼いだ金が種銭)
200年前なら「宵越しの金は持たねぇ」で通用したかもしれませんが、昭和以降でそんな生き方を続けたのは亡き藤山寛美か勝新か横山やすしか元祖プロ雀士と言われる田中健二郎氏位ですかね。

このブログでも語りましたが田中氏は「本当の勝負とは全財産か命を賭けること」と言い切り実践しているし(本当に全てを失いホームレスになった)
「そんな本気の勝負の時は普段の100倍神経を研ぎ澄まし集中する」と。

私はギャンブルに関しては10代の時からそれを実践して来たし、たまたま体調を壊しギャンブルが出来ない期間に数百万貯えたことで事業を起こし結婚もしただけで、あの時に体調を壊していなかったら(連日12時間以上働いた後にほぼ徹夜でギャンブルする期間が一年以上続いて廃人寸前)独立も結婚もせずに今頃田中氏の後を追っていたかもしれません。幸運にも元妻と知り合ったことで真人間の真似事が出来た(元妻は大手都市銀行行員)ので何とか今まで生き延びましたがひとりに戻った私は糸の切れた凧のようなもの。
このブログで何度も「そろそろ計画的に生きよう」と言って来たのに、ギャンブルを控えた時期は飲み屋通いでギャンブル以上の浪費をするの繰り返し。
次男の大学卒業だけは何とかフォローしきれそうながら私個人としては土俵際。
10代から20代前半までに50万〜100万勝負を繰り返していた時(フリー麻雀含む)は本当に神経を研ぎ澄まして日々を過ごしていた。
精神力だけは当時と変わらない今のうちに「普通に生きない」選択をした落とし前をつけたい。

Posted by tetsukazu at 2014年05月26日 22:25
このまま何もしないと6月末で残念ながらネット上から過去の大量の記事や皆さんからいただいたコメントも全部消えてしまいます。
それはそれとして先月から今月にかけて帯状疱疹になり毎日寝るのも辛いです(寝ていると背中の疱疹が擦れて痛いのと神経系の痛みもある)
そんなこんなで体調は底です。3月後半以降は長引く風邪と右腕から右側の背中にかけての痛みの影響でトレーニングも全く出来ていません。
今回の症状も抵抗力が弱っているからなのは承知しており潔く受け入れるしかありません。
ただ、身体と心は一体なようで、気持ちの面でも底です。
私の人生哲学は「道で倒れても誰かが手を貸してくれるわけではない」です。それだけに当然こんな状態でも誰かに手を差し伸べてもらおうとは思いませんでした。
ただ、ここまで底になると最後の綱にすがるしかなく、元妻に電話をしました。
いくら私が落ち込みの極致にあるからといって出て行った女性に対して弱音を吐くのは躊躇しましたが、思いきって連絡しました。
今年の秋が来れば離婚して丸5年になります。幸い元妻は再婚したわけでもなくひとり暮らしなので電話をしたとして大きな迷惑をかけるほどではありません。
それでも私は彼女をこういった時に都合よく利用するつもりもなかったのでこんな内容で連絡をするのは離婚後初めてでした。
今でも彼女は嫌いで別れたのではなく、家庭内で家族に相手してもらえなかった寂しさが別れる原因だったと言います。
お互いがもっと素直に話し合えていれば今の状況は迎えていなかったはずなのでこうして電話で話をしている限りは普通に暮らしていた頃のような会話が出来ます。
ひと通り弱音を吐いた後は「別にいつでも電話してきていいよ」と言ってくれました。

今年に入っての度重なる体調の悪化は、ひとりでの生活の心細さを身に知ることになりましたが元妻に逃げることだけはやってはいけないとのこだわりはありました。
とはいえ今後は電話で話をする位なら解禁してもよいかなとも思います。
さすがに終わりかけのブログのコメント欄まで見にくる方はほぼいないと思いますが、リアルに存在するひとりの男の生きざまの推移はあからさまになっているはずです。絶望を生むきっかけになった相手が希望を生むきっかけになるとすればそれはそれで結果よしです。
たとえこのブログの記事等がなくなっても『結果が大事』との理念は身を持って証明することで生き続けます。
Posted by tetsukazu at 2014年06月08日 23:45
このブログで6〜7年前(5年前の記事全消去前)にギャンブルをする人間に必要な三要素を記事にしたことがあります。
一つ目は「努力を続けることが出来る(学ぶことが苦にならない)」
二つ目は「結果を出し続けることが出来る」
三つ目は「要約する力」だったように思います。
当時はネット検索でそんな私の記事にたどり着いたプロギャンブラーの方もいました。
そのギャンブラーの方は二度ほどコメントを下さったのですが二度目のコメント内容は「技術が1しかない場合は運が9必要だけど、技術が9あるなら運の要素は1で済む」でした。

私が9年間近く(記事全削除前含む)ブログを続けて来て言いたかったことも目指していた方向も結局この三つが中心になっていたことに気付きます。

つまり私は「ベストの選択をしてベストの行動を続ける」ことこそを最大の課題とし目標とし続けたことになります。
そこで、周囲にいる信頼のおけ方に「僕はベストの選択が出来ていますか?」と問い掛けました。
すると「出来ていると思うよ」と言ってもらえました。
私生活を含めるととてもベストの選択をしているとはとても思えませんが、公的な空間では何とか役割は果たせているのかなと少しだけ気持ちが楽になりました。

麻雀の著名プロである荒正義氏は「たとえ麻雀であっても人間関係や経済的な問題で懸案事項をかかえていたら良い麻雀なんて打てない。四輪の車を三輪だけで走っていては、安定した走りが出来るわけないし最大スピードも出せない」と語ります。荒氏といえば裏麻雀にも精通した打ち手。
非常識な空間で勝ち抜くからこそ誰よりも常識を知っていないとだめだということなのか?
どちらにしても含蓄ある言葉です。

「人生に一番大切なのは挑戦する気持ち」と言う人がいます。生活を整えた上での自分自身への挑戦がまず戦いの序章ですね。
運任せでは自分自身に勝つことさえ出来ず最初の一勝もほど遠いでしょうね。
荒氏の言葉を噛みしめ見当違いはせずまずは生活を整えることから始めないと…
Posted by tetsukazu at 2014年06月10日 23:13
「自分の命は何かを成し遂げるための手段」
「世界はパワーバランス(力関係)の上に成り立っている」

この二つは私が今後生きる上で欠かせないワードです。

今年の2月に私に対してチョコレートをくれた唯一の女性(お店関係でない方)から「今月中にお昼ご飯を食べに行きましょうね」と声をかけてもらいました。

麻雀漫画の『むこうぶち』では「あなたが無くしたのはお金ではなく自信と過信なんですよ」との台詞が出てきます。

チョコ女性とは同じ年齢なこともあり離婚後に何度か昼ご飯を食べています。離婚後の5年弱の間にひとりで食事をしなかったのはボランティア仲間との夏の食事会や新年会などの7〜8回と、チョコ女性との3〜4回。そして行き付けのお店の女性(退店後含む)との4回とブログ仲間との3〜4回とスーパー銭湯仲間の2回と息子との7〜8回、その他数回含め約5000食中40食程度です。
割合だと、0、8%程度。
私の記憶が確かならばアニメ映画の『サマーウォーズ』の中での登場人物のおばあちゃんが、「幸せはみんなで食べる食卓の中にあるのよ」と語ったはずです。
以前に私のこのブログに登場したM君は「心はその人の胸の中にあるんではなくこのテーブルの上にあるんですよ」と言いながら私とK君とM君が囲むテーブルを指差しました(その日が40回中の貴重な一回)。

私は4960回の幸せと心不在の代償にとてつもないお金をつかってやり過ごしてきたとも言えます。

とここまで書きながら冒頭の気になるワードとつながらなさそうですが書き進めます。

つい最近、私が間を取り持ち、少し立場の異なる三人による会合が行われました。
そしてそのうちのひとりの方が「三人の総意なのでこの内容で話を進めて下さい。あとのふたりにはあなたから連絡して下さい。」と私に告げました。
ところがあとの方にそれを伝えると「そんな総意にはなっていない。結論を一旦取り消す方向で調整をお願いします。」となりました。
結局、私は三者間の調整をするのに時間も手間もかけることになりこれからもしばらく調整が続きます。

何が言いたいかですが、複数の人間が確実に数時間の間、一緒にいて会話を交わしていたのに何故認識が異なってしまうのかということです。
今回の私の役割は公の利益のために動くことですが、冒頭の言葉のようにある目的のため私の体は手段化します。書ききれないのでコメント欄もうひとつ分使います。 続く…
Posted by tetsukazu at 2014年06月15日 21:20
前コメントの続きです。

今回、帯状疱疹になり思うことがいくつかありました。
勿論、抵抗力が落ちていたことも原因ですが、私のトレーニング量は相当なレベルに達していたので『ストレス』も関係しているのは確かかと。
そんな中で、食事のお誘いと複雑な人間関係の渦に巻き込まれかけている事態が同時に起きてしまい、私は自分自身の心身のコントロールを保つ必要に迫られています。
実は前コメントに出てきた三人のうちのひとりの方とは以前から仕事を通じて関係がある方なのですが、24時間仕事人間タイプの方のため私も何度か休憩・休日返上で協力した覚えがあります。

話をまとめますが、私の体はひとつしかありません。
前コメントの冒頭での言葉通り、国同士による世界のパワーバランスの中に存在する日本の中で、更に組織と自分や他者と自分のパワーバランスの中に存在する『私』は、常にベストの選択やベストの行動を模索しながら日々生きるしかありません。私が誰にも負けない釣り好きだとしても釣りより優先することが一年間続けばその間は好きな釣りに行くことを断念するしかありません。
実際に今の私は病気を治すために一滴も酒を飲んでいません。
私は仕事や対人関係においてのパワーバランスを意識しエネルギーをつかい過ぎるが故に、私生活でのバランスにエネルギーが注がれていない状態なのでしょうね。

「プロはやっぱり凄い!」とは誰しもが感じることです。
女優さんは夫がいても共演者とラブシーンを演じるし旦那さんもそれに理解を示します。
女優さんは何故そんなことが出来るのか?
それは明確な目的がありそれを実現させるための手段も理解しているからです。
世界がパワーバランスの上に成り立っているように個々人の生活も絶妙なバランスの上にしか成り立ちません。
一日三食の私の食事機会に潤いがないために私の生活バランスが崩れているのなら立て直す必要があります。今の私は過度のストレスをバランス良く中和する手段を誤っている可能性があります。
人間関係でのストレスは人間関係で埋める必要があるならば私は方向性を改める必要があります。
私の体を何の目的のための手段にするかは、公私における私の立場を再確認する必要があるし私の存在がどのようなパワーバランスの上に成り立っているかを考える必要があります。
ひょっとしたら私の周囲の女性や私の子供達にとっては私という存在が私が考える以上に大きい存在かもしれません。
Posted by tetsukazu at 2014年06月15日 22:06
『最高で最悪』私の人生にはこの言葉が似合います。
さすがにもう公に語っても問題ないと思いますが、私がアウトロー寄りに生きて来たのは少なからず父親の影響があります。
私が生まれてすぐに重い結核を患い数年間に及ぶ療養生活をした父親ですが、その療養所ではなんと競馬のノミ行為の胴元をやっていました。
いつ死ぬかわからない状況の中で普通はそんな発想には至りません。
その意味では最高で最悪の父親です。
父親は私が4才になる頃に社会復帰を果たしたのですが、私が小学校の高学年になる頃には会社が倒産し、その後は非合法のギャンブルマシン(深夜営業の店の奥に現金対応のスロットマシンを設置)を卸して毎夜集金に出歩いていました。
自宅の棚上には100円玉がどっさり入った布袋がいくつもあり私はたまにそこからお金を抜いてゲームセンターに行ったりしていました(私も私)
父親が自宅に戻るのは集金の金を持ち帰る時だけで大概は悪徳医師や社長連中と賭け麻雀などをやっていました。
たまに自宅にいる時はその仲間達と奥の部屋で花札をやっていました。
それでも一時期は日曜日に自宅にいましたが、そんな時は朝から競馬ブックを買いに行かされる使い走りです(念のため私は小学生−笑)
ただ私は転んでもタダで起きないので小学校の間ずっと続けていた内職で得た金を父親に渡し父親はその金をサラリーマンに貸して(勿論非合法)私は利息分を稼いでいましたし私もまた最高で最悪の小学生でした。
私が買っていた漫画コミックも買った値段の半額位の値段で父親に貸していたので父親にしたらぼったくりの息子だったかと。
このブログでも語りましたが、私は小学生の時に出来た頭部の腫瘍がどんどん大きくなり高校に入る前に手術をすることになりましたが、前述の悪徳医師による無料の手術を三度受けいずれも大失敗。
私は大阪中の病院を自分の足で回り奇跡的に名医にめぐり合い未だに再発していません。
ただそんな父親も母親が若くして統合失調症になってからは一切の娯楽と無縁になりました。父親も私も太い人生を送ってますよね。
私は最高で最悪の女性とお付き合いしたこともあるし(顔もスタイルも最高なのにドラッグ依存で最悪のメンタル)
有名国立大在学中の女性とも接点がありました。
元妻はメガバンク勤務の元銀行員だし振り幅は宇多田ヒカルの元旦那にも負けません。
今は体調面や経済面で最悪ですが最高との距離は無いも同然です(o~-')b
Posted by tetsukazu at 2014年06月22日 13:38
やばい。ほんまに後4〜5日でこのブログが消滅してしまう。
数少ない女性読者(全国で2〜3人かも)からも「またどこかで始めたら教えて下さいね」と言われているので機会とやる気があれば考えてみます。

それはそうと去年までの行き付けのお店のママからメールがあり、体調は万全でないもののほぼ3週間振りにお酒を飲みました。
そして衝撃の事実が…
数年前にその行き付けのお店の女の子から「一緒に卓球しましょうよ。この日とこの日のどちらなら都合つきますか?」と人生で記憶がないほど相手から積極的に誘われ、気が付くと約束していました。
結局、卓球場は何かの大会のため使用出来ずボウリングをすることになり、終わってから居酒屋にも行きましたが当日彼女は昼夜オフの日でお店とは関係なく過ごしました。
その後はすぐに彼女がお店をやめたことと、私にはその店でもっと仲良くしていた女性がいたため疎遠になりましたが、先日の久々の来店時にママから「Sちゃんはお客さんと結婚してもうすぐ二人目の子供が生まれるのよ」と聞かされました。
実はボウリングをした当時もママからは「あの子のことを気に入っている人がいてあの子もそのお客さんのことが大好きと言ってるのよ」と聞いていました。
それなのに私を積極的に誘う彼女もロック魂の持ち主ですが、当日に別れる際に「こうしてお誘いして一緒に時を過ごすのも私の人生の中で必要と感じてのことです」と語る彼女の芯の強さは感じました。
やはり卓球少女だっただけに全ての出来事を自分のプラスにつなげる能力が高いのでしょう。と言うわけで当時27才だった彼女とそれ以上に発展することもなく最初で最後の交流でしたが「最高に楽しい一日を過ごせました」と言ってもらえたことには私も嬉しい気持ちに浸れました。
おそらく結婚相手はその当時にお互いが行為を持っていた相手でしょうが、彼女は現実を直視して20代での結婚というものと真剣に対峙してしていたのだと察します。
20代の若さとタイミングを逃さない積極性がその後につながったのだろうしボウリング後の居酒屋での恋愛論談義の後に彼女の結婚が決まったことを考えるとあの時に横縞な姿勢で接しなくて良かったと改めて思います(汗)
そんなわけでもっぱら他の男性へのアシスト役の私も幸せ配達人としてはなかなかの仕事振りです。Sちゃんこれからもお幸せに…
そしてKちゃんの風の便りも気になりますね。さて私のコメントも後何回なんだろう。
Posted by tetsukazu at 2014年06月26日 13:39
とうとうこの日が来ました。
このコメントを入れた後にネットカフェに寄ってブログ移転のチャレンジはしますが、失敗した場合はこれが最後のメッセージになります。
私は、今まで生きてきて認めたくなかった価値観があります。
それは、知人であれ肉親であれ人は決して本音では付き合わず本心は常に心に秘めているという真実(恐らく)についてです。
正直者になりなさいとか私は誠実な人が好きですと言いますが、「君はどうしてそんなに不細工なの?」と素直に語る人間が果たして社会に適応出来るでしょうか?
結局、全ての関係がうわべでいいんですよ。
本音や本心は死ぬまで心に秘めておけばいいんですよ。

と、世界の真理を説明しながらも私は甘いかもしれませんが、それでも人と人は優しさで繋がれると信じたい。

私の人生観は「人はある時に突然世界に現れ何事もなかったように去って行く」です。
もし今日という日に死ぬほど辛いことがあったとしても心配に及びません。
「あ」とリアクションしているうちにほどなくこの世から消えるのだから。
そして世界は私という存在がいなかったの如く変わらぬ時を刻むだけです。

望もうが望むまいが私は生まれて来るし望もうが望むまいが人は消えて行きます。
人生は「あ」と言い終わるか終わらないかのうちに過ぎて行きます。

死ぬことが決まっているからこそ生の一瞬一瞬が輝くし、うわべに終始する人間関係だからこそ心が通じ合えた瞬間が素敵に思える。

恒例の七夕祭りに今年は二十代の男に手伝ってもらうことにした。
殺伐とした時代だからこそ日曜日にわざわざ子供達のお世話をすることに気持ちよく応じてくれた彼と一緒に愚直な時を過ごしたい。
そして小さな子供達にそんな私達の姿を見て欲しい。

誰がなんと言おうと人生の価値は自分自身が決める。

これからも私は吉田拓郎の『流星』の歌詞のように思い出なんか残さず一瞬の輝きを放ちながら流れて行く…
Posted by tetsukazu at 2014年06月30日 21:33
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。