2014年01月20日

雑感-75

記事としては今年最初になります。
それにしても1ヶ月間も更新しない程忙しかったのかと思ってしまいます。
とか考えながら画面に向かっていると、「ん?」LOVELOGが3月末で終了しますとの告知が…

現在登録しているユーザーはSeesaaブログに移行可能なようですね。
いつかこの日が来るとは思っていましたが規模が規模だけに仕方ないですね。
移行時はまた面倒な作業が待っていそうですがこのまま続けたいと思っています。

さて、久々に更新する気になったのは、ふと感じることがあったからです。
ここ数ヶ月に渡り、「難しく考えなくていいですよ」と指摘されることについて思いを巡らせていましたが、
ちょっと待てよ。これってもっと単純なことが含まれているのでは?と気付くに至りました。
書物や映画・ドラマなどでは様々な言い方で、「人間には2種類の人間がいるんだよ」との表現が成されます。
そこで私も「人間には2種類の人間がいて、考えて生きる人間と考えないで生きる人間に分かれる」と言ってみる。
私が再三指摘される「難しく考えなくていいですよ」とかの問題でなく、簡単に考えることすらしない人間は難しくも考えないと仮定する方が理解し易いなと。

資本主義の始まりは「禁欲と勤勉を旨とするプロテスタントの行動倫理により形成された」とするマックス・ヴェーバーもいれば、
資本主義の始まりは「配偶者外との性愛のはびこりが資本主義形成につながった」とするヴェルナー・ゾンバルトもいる。
そのどちらが考えて生きる人間の傾向であるのかについての見解はさておき、考えていようがいまいが、何らかの行動による結果を見て判断するしかない。
夜の世界で従事する女性は稼ぎのために血の滲む努力をするが、稼いだ金をホストにつぎ込む場合もある。
この場合は客観的に見て「考えて生きてはいないな」と評価するしかない。
こんな例は山ほどあるし、ほとんどの人間はサービスを提供する側でもありサービスを受ける側でもある。
時には考え時には考えないとのバランスは人間の性質上難しいように思う。
世の中の人間の中で常に考えている人間にとって、常に考えていない人間はありがたい存在だろう。
そして常に考えるより常に考えない方が楽に決まっている。

今まで私自身は、二つに分けるとすれば考えない方に入っていたのだと思う。
わたしが気付かなかっただけで、考え続ける生活にも楽しさはあるのだろうからものは試しに考える生活に挑戦してみようと思う。


posted by tetsukazu at 23:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今日は気になる出来事が続いたので、コメント欄を利用して書き連ねます(何度かに分けてコメント欄に書き込むかも知れませんが書き言葉が閲覧者がいること前提なのでイタいですね‐笑)

実は今日、年上の知り合いの息子さん(30代半ばで本人と面識あり)が親元を出て一人暮らしを始めると知りました。
そしてそれと同時に10年前後付き合っていた彼女と別れたとも本人から聞きました。
私は、彼に何度となく「どんな結論を出すとしても彼女の人生も考えてあげて欲しい」と伝えてきました。
そう言いながらも私は内心で「結婚するとの結論を出してくれないかな」と思っていました。
しかし大学を出て以来、正社員として安定して働けなかった彼の自信の無さも知っていただけに、強引に背中を押すには至りませんでした。
今回の彼の結論は、実家に母親を一人残して自分自身も一人で生活を始めるとの重い決断によるものなので、私がとやかく言うべきではありませんが、一旦別れた彼女が彼の成長を陰で見守る立場になるのか新しい恋に向かうのか気になります(彼女とも面識あり)。

実は、たまたまなのでしょうがいつも議論を交わす知人から「労働にしか客観的価値を見いだすことが出来なくてその他のこと(結婚・趣味・嗜好その他)は全て主観的価値判断により個々人が行動に繋げているものだと言ってきた俺が言うのも説得力ないけど、結婚生活については愛情抜きに語るわけにはいかんのや」とつい最近カミングアウトされました。

客観的価値を普遍的価値と言い換えると、人類何万年かの歴史の中で、労働は普遍的価値と言えそうですが、結婚との概念は一万年にも満たないものでしょうからさすがに知人も照れながら語っていました。

もし、知人の仮説が正しいならば愛情との概念は労働に次ぎ人類が生み出した普遍的価値の二つ目のアイコンになる可能性があります。

そこで知人に対して、「愛情が普遍的価値ならばどうして仕事より恋人よりギャンブルや酒に愛情やお金をつぎ込むんや」と聞いてみると知人は「そら月に80万以上の給料を貰ってたら仕事に愛着も湧くけど15万や20万の給料なら趣味・嗜好・性癖なんかに愛情を注ぐやろ」との返答でした。

このやりとりと前述の彼の決意がどう繋がるのか繋がらないのかはコメント欄利用パート2で語ります。
その前に知人が「女の夢は男に食わせてもらうこと。男の夢は女や子供を養うことや」と言ったとの事実を添えておきます。
Posted by tetsukazu at 2014年01月25日 18:36
コメント欄利用の続きです。

知り合いの息子さんの一人暮らし開始(そして長年付き合った彼女との別れ)の話と議論相手が語る愛情に大きな価値を見いだすとの話を総合すると、近代の大人にとって一番の価値は労働であり同等に近い価値が愛情。そしてそれ以外の価値は大きく離れた三番目以降だとの位置付けで間違いはないかと。
そしてそれらの価値は当然『形』となり目の前に現れます。
労働については言うまでもなく報酬として現れ、愛情についてはスキンシップや会話や思いやりの感情などを通じて形となります。
プレゼントなども邪悪な思惑でない場合は愛情も含めて感情を形にしたものでしょうね。
スキンシップだと疑似的なものとしては店舗などで受けるマッサージや仲間とのハイタッチなどでも精神の安定に繋がるかもしれませんね。
スキンシップだけでなく風邪で寝込む人間にお粥を作る行為なども愛情抜きに語れません。
ただし愛情を自己犠牲と捉えると間違った方向に行くので自己愛を否定する必要はないと思います。
例えばリストカットをする人間は出てくる血を見て生きている実感を得るらしいですね。
その行為や心境は深層心理的にはかすかな自己愛の確認(自分自身に流れる血を愛しいと思う)かもしれません。
ダークサイドに落ちた場合も自己愛だけでも残されていれば日常に戻る糸口になるように思えます。
村上龍のように「援交することで自殺願望が薄くなるならそうした方がまし」とは言い切りませんが援交と言えどスキルの一種。
そして何より重要なことは形になったものを大切に扱い大切に思うことですね。
『働きそして愛する』たった二つの要素を満たすだけで生きる理由になるし励みになるはずなのに本質から外れてしまいがちなのは形にしたものを大事に扱わないからですよね。
私自身も時にしてダークサイドに落ちますしそれは労働や愛情以外のものに重い価値を置くことで招くものです。
ただ、ダークサイドに落ちるのは世界中で私一人ではないのもまた事実のはず。
森羅万象について知人と議論を交わした15年間の集大成の言葉が『労働と愛情』だというのは重い事実です。
知の視点で言うと国内最高レベルの人間と語り合った日々を無駄にしないためにもこれからの私はその二つのことに重い価値を置き前に進みたいと思いますが、同時に労働や報酬や愛情を量で捉えるのでなく質で捉えることを念頭に置くことも意識したいと考えます。



Posted by tetsukazu at 2014年01月26日 00:36
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