2013年10月19日

雑感-72

毎日のように運動をしていると、「やっぱり正しい方向性ってあるよな」との心境になる。
絶対善や絶対悪とは言わないがイメージとしてはそれに近い。
相対善や相対悪については時代背景や住んでいる環境により変化があるので一概に善悪を語ることが難しい。
生き方は人それぞれ。知り合いの女性はブログなどやっていないのだが「もしやるとしたら毎日どれ位の文字数を書き込めますか?」と聞いてみた。
すると、「2行程度かな。今日は暑かったわとか今日食べたお菓子は美味しかった程度の日が多いと思います」との答えだった。

ネット上に書き込むことが万人にとって正しい方向性でないことは確かだが、心身を健康に保つために努力することはかなりの確率で正しい方向性に思う。
私の場合は「身」については努力しているが「心」についてはまだまだだ。
その「心」を絶対善の方向に導くためには私がまだ気づいていない知恵を獲得する必要がありそうだ。
そのためにもこの場を利用してああでもないこうでもないと葛藤しながら前進したい。

以前にもこの場で、私は重大犯罪と出産(物理的に無理)と刺青以外は経験してきたと言っているが、勿論正確には他にも経験していないことはある。
ただ、私以上に経験が豊富な人間もいるだろうが大人が100人いたら私はベスト10に入る自信はある。
このブログでもそれらの経験に基づいて語っている側面が大きいのだが流石に不適切なことを書き込むのは避けてきた。
女性に関することなどはその最もたるもので、ひとつ間違えばただの自慢になるしもし私に批判的な方がいるとするならば虚偽の事柄を書いていると思うだろう。

ドラマなどを見ていると、そこそこ仲の良い男女がいたとしてそのうちの女の方が別の仲の良い男と会話を交わすシーンが出てくるが、
大抵の場合、そこそこ仲の良い男との会話内容を別の仲の良い男に伝えるシーンが流される。
それが相談という形もあれば愚痴の場合もある。
それは男女を入れ替えたとしても成立する設定なので、女の方が口が軽いとまでは言うつもりはない。
それでも、ふたりだけの会話としてどちらもが誰にも内容を漏らさないとの関係を保つのは困難。
そうなると愛する男女の関係においても言葉選びは大事になる。
本当のことを言っても他者の耳に入るし嘘をついても同様に耳に入ってしまう。

話を戻して、私は様々な経験もしてきたが様々な人間とも接点を持ってきた。
その中で思うことは、自分以上に口の堅い人間と仲良くなることはないということ。
相手から「こいつは信頼が出来る」と判断されて初めて親密な会話が成立するわけでありそれはこちらからしても同じこと。
私は結婚生活もそこそこ長かったし夫婦間の話として留めていることも多かった。
そしてそれ証明するように夫婦どちらの親や兄弟や親戚や友人に最後まで実際に漏れなかった。
えっ?どうしてそんなことを親戚が知ってるの?という局面はあったがそれは夫婦以外に知り得る立場の2〜3人の口から漏れたものだったようだ。

私は別に「秘密主義」というほどの人間ではないが、ブログ仲間と会う時にも自分のプライバシーをほぼ明かさない。
だからこそ色々な話が出来るのだが、飲み屋に行くと「お仕事は?年齢は?」と聞かれることもある。
まー私以外の多くの人はそんな時でも気さくに答えるのだろうが、聞いたからどうなると言うのだろう。
例えば、「どこの大学を出られているんですか?」と聞かれた時に俗に言うFランク大学だった場合はどのように会話を繋げるというのか。
「凄いですね」とはまずならないし「馬鹿大学ですね」とはもっとならない。
障害者手帳を持っている人も想像以上の数いると思うが、「あなたは健常者ですか?」と聞くことはないし自分から障害を持っているとも言わないだろう。
つまり聞ける範囲だと思うことを自分の基準で聞いているだけであって、人の持つ底知れない可能性に想像が及ぶことがない。
私のごく身近にいる町の有力者にしても私に対して「橋下市長の父親がああいう筋の奴やから橋下もヤクザ気質なんや」と言ってくる。
私の父親がその筋の者である可能性がゼロでないことなんかに想像が及ぶこともなく屈託なく会話を進める。
このエピソードひとつとっても人間同士の会話は奥が深いし想像力に乏しい人間の場合は会話が上滑りになる。

ここまで書いて「心の絶対善」について何かひらめくことがないのかと自問自答するが、私のウィークポイントはやはりひとりになっている状態の時の自己コントロールに思える。

「言ってはいけないこと」は徹底して守り通せるのに「やってはならないこと」を守り通せない。
何故かは自分が一番わかっっている。
『甘さ』以外のなにものでもない。
仮に拳銃をこめかみに突き付けられ続けて、「やったらあかんということをやった瞬間に引き金を引くで」と言われ続けてそれでもやってしまう奴は少ないだろう。
人間は突き詰めると「命」がかからない限り本気になれない生き物なのかもしれない。

私に足りないのは間違いなく、ひとりで行動する時の「緊張感」
緊張感を持ち甘さを克服するしか「心の絶対善」は獲得出来ない。
せっかく「肉体の絶対善」に気づこうとしているのだから心身をセットとしてそれを獲得したい。

言ってはいけないことを守れる私に、やってはならないことを守れないわけがない。

明日は菊花賞。全く予想をしていないが、角居厩舎というだけでフルーキーに期待してしまう。

来月は久々の再会が待っている。あまり時間も残されていないが万全の調教を積んだ上で出会いの場を迎えたい。





posted by tetsukazu at 18:45| Comment(8) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
以前にも触れましたがEテレのSWITCHインタビュー達人達を観ました。
平野啓一郎氏と野口健氏の回の再放送でしたが再びの視聴のため今回はすーっと頭に入ってきたので内容の一部を整理してみます。
平野氏は、「死」は「無」を意味するが、記憶・影響・記録・遺品といった形でこの世に残り続けるとの話をしていました。そう考えることで確かに「死」の恐怖は和らぐるかもしれませんが、私はまだ「死」を直視し向き合う心境には至っていません。

平野氏の頭脳でイメージする人間の生から死への過程は「後に続く人間へバトンをつなぐランナー」のようなものなんだろうなとの印象でした。
そして平野氏がバトンの代わりに渡すものとは「文学」という名の心に効く薬なのだと。

平野氏にも野口氏にも共通しているなと感じたのは「現に生きている人の役に立ちたい」と考えて実践もしている点。
それはブログを通じて私が親しくさせていただいている方にも言えることです。

ただ、「反面教師」との言葉もあるように役の立ち方は人それぞれだろうし影響を受けた人間の数で人物評価が成されるのもおかしい。
自動車を発明した人間は評価されるべきとは思いますが、同時に環境破壊や人命軽視につながっている側面があります。
原子力利用技術にしても平和利用だったはずの原発が逆に危機的状況をもたらしていますしね。

つまり人間社会には総合プロデューサーは不在で、それぞれが自由な振る舞いをしているのが現状。
だからこそそれぞれの振る舞いがより重要になるのでしょうね。

人生の目的は?
と聞かれたときの無難な回答は「楽しむこと。ただし他者に迷惑をかけないことが条件」になるかと。
しかし先ほどの二人の例をみてもわかるように他者に対して貢献したり新しい他者を産み出す(結婚)意義というのも一方ではあり、どの程度のレベルを求めるか、そして時間軸を含めどのようなベクトルで人生を捉えるかは当人次第です。

この前も言いましたが平野氏の主張する「個人から分人(いくつもの自分像共存)」との考え方は現実的にはバランスの取り方によほど工夫を凝らさないと絵に描いた餅になりますね。

自己嫌悪になるほどの欲望中心の自分自身と他者に評価される他者にとっての理想の自分像との葛藤の中、日々を過ごす、またはやりすごすしかありません。
結局、瞬間瞬間で自分自身の能力を最大限発揮出来ているか客観視することからしか始まらないのでしょうね。
Posted by tetsukazu at 2013年10月21日 16:36
ぐぎゃ〜。
楽しみにしてたまどか☆マギカが始まる前に寝てしもた。
長男から今からやるでとメールも来てたのに痛恨の極み。
人生楽しんだもん勝ちの私にしては珍しく仕事の件でほぼ徹夜に近い直近の3〜4日間だったので、嫌な予感が的中してしまった(違うジャンルでの的中を望む)。
あ〜これで2週間ほど楽しみがない(普通そんなもんやろ!)。
飲み屋に通っていた頃(お目当て不在で足が遠のいた)いつ行っても居合わせる人がおり、聞けば週三とか週四のペースらしいのですが、一回に7000〜8000円、多い時は12000〜13000円は遣うでしょうから月にしたら12万円以上にはなりますね。私が週末で3〜4万負けたとヒ〜ヒ〜言うのとジャンルは違えど遣う金額は同じ。
恐らくですが、毎週のように風俗に行く人も同じ位出て行くかと。
世間は一定数いるそんな欲あり寂しがりやの大人の男をターゲットにし社会の中で消費循環要素とするのだから私達は賞賛されることはあれど、「飲む・打つ・買うのクソオヤジ」と言われる筋合いはなく激おこプンプン丸です(ツッコミ無用)。
飲み屋のお姉さんに「自分に与えられた貴重な時間を嫌いな人と過ごすことには使いたくないですね」と言われたことがあります。
ブログで「好きだとの気持ち(または愛情)は相手の幸せを望んだり喜ぶ姿を見ることが主なのか、自分が幸せな気持ちになることが主なのか」を自分なりに語って来ました。
木村拓哉拓哉の熱狂的なファンのうちの一部の女性は「早く工藤静香と別れろ」と思っているとは思いますが、私が疑問に思っていることの答えもそのあたりにありそうです。
とそんなことを思っていたら今日の昼から以前に何回か話題にさせてもらっているブラックジャック好きでYOSHIKI好きで山P好きな年上女性にばったり会いました。
すると「これ.あげる。トレーニングシューズでも買ってね」となり、かなりの金額になるギフト券を受け取りました。人生は何が起きるかわかりませんがここまで想定外のこともそうありません。
私と話が合う数少ない女性なのに一年に一回程度お茶する位の再会頻度ですが、こうして気にかけてもらえているうちは「俺も人生投げたらアカンな」と思えます。
平野啓一郎氏が語る[分人]→(関係性のある人間の数だけ自分の顔の数がある)の意味を少し理解出来た気がします。

あっ!?まー君投げてるの観なあかん。
Posted by tetsukazu at 2013年10月26日 19:33
天皇賞は前走58キロで勝ったエイシンフラッシュの複勝以外考えられないのですが的中しても胸を張れる狙い目でないし外れたら格好悪いだけです。
馬券を買う行為は損得が絡むのが当然でありながら損得と異なる価値を見いださないと最終的に[楽しむ]対象とはなりにくいですね。
Posted by tetsukazu at 2013年10月27日 14:53
天皇賞をテレビ観戦した後、CSのチャンネル銀河で 1999年に放送されたドラマ[デュアルライフ]を3時間続けて視聴したのでどっと疲れました(^_^;)
以下ネタバレあり。

ドラマの方は主人公の男性が、結婚を約束していた女性とは一緒にならずに別の女性と結婚して子供も二人が育ったのですが、元々の彼女と20年振りに再会してその後は二人の女性相手の二重生活が続くとの話です。

元々の彼女は20年前にショックで自殺を図っているため再会後の関係は複雑な心理描写として描かれます。

結末は、妻にも離婚を申し出られ元の彼女にも去られるというある意味ありがちなパターンですが(原作あり)主人公は重い病に冒されていて更に悲しい結末が待っていたとのオチです。
感想を一言で表せば、「強い女と弱い男が織りなす悲喜劇」となりますが、恋愛というものは何らかの犠牲なしには成立しないものなのかなぁとの思いにもなりました。

以前から言ってきたように私は人から「物事を難しく考え過ぎですよ」と言われます。
ただそう言っている人も仕事では頭を使い知恵を絞り神経をすり減らしてお金を稼いでいるはずです。
つまり多くの人は「お金儲け以外は難しく考えないようにしよう」との思いで生活しているのでしょうし、それさえも考えていない可能性がありますね。

しかし、予定外に子供が出来ちゃったけどまっいいかとか、結婚してないけどまっいいかとかの発想になるのもどうなんだろう。
梅宮アンナの「タトゥー入れてもいいじゃん」から「タトゥーとっちゃえばいいじゃん」に至るまでの経緯も難しく考えていないからこそ出来る芸当。
三鷹の女子高生殺人事件にしても何気なく撮ったあられもない画像が、後で地雷になると想像しろと言うのは酷なのかも(亡くなられたことに関しては故人のご冥福を祈ります)。
とは言え私自身がギャンブルを通じて思考停止しているわけなので、いつも私に指摘をして下さる皆さんには、「心配して下さらなくても人一倍脳天気にやってます」とお詫びするしかありません。

結局、自然体でも正しい選択を繰り返せる人しか「難しく考えない方がいいですよ」と語る資格がないのかもしれません。

「今この瞬間に最も価値を置くべきこと」を常に自然体で判断出来ない人間は何と言われようとあらゆる方法を用いて洞察力・判断力を磨くしかないですね。

11月は大切なものを大切に扱えるのかが試されそうなので心します。
Posted by tetsukazu at 2013年10月27日 21:21
コメント欄はもはや私専用です(笑)

はい、やっちゃいました。
[のむ・打つ・かう]の中の[のむ]に関してのことです。
付き合いの長いあるお店のママの誕生日のお祝いにかけつけたのですが、その前にご飯を食べていた小料理屋で日本酒熱かん4本と生ビールと酎ハイを飲んでいたためママのお店に入った時にはすっかり出来上がっていて、シャンパンも次から次へと空き、いつの間にかママの知り合いでもある居合わせたお客さんのお店へはしごする約束までしていて、そのお店でもしこたま飲みました。

結局どれ位飲んだかわからないですが、日本酒換算だとママのお店時点で一升は軽く超えていたはず。
どちらにしても離婚決定後に死ぬほど飲んだ時以来の飲酒量だしこの20年単位でていってもベスト4レベルです(また中途半端な)。
恐らく今後これだけ飲むのこともそうないとは思いますが、これだけ飲んだということは無意識に2〜3年分のストレスを抜こうとしてたのでしょうね。
ある程度酒が抜けるであろう今日の夜からはまたマスターズ陸上で全国レベルの記録を出すためのトレーニングを再開します。
9月を境目に新たなステージに向かうと言って来たものの、どうやらストレスがその妨げになっていたようです。
ですが昨夜ですっきりしました。
ここ最近徹夜に近い形で過ごしていたのも仕事上の懸念を払拭するためでした。これで私を維持するための[飲む]と[打つ]の役割は終わりに近づいて来ました。

教育資金のためのローン返済のかなりの部分が終わったので、住宅ローンやその他のローンもない私は無茶さえしなければ余裕を持って過ごせるはずです。
来年あたりからは価値観の合う女性とのお付き合いを意識するなどしながら人生の第三幕に入ります。

それにしても今頃になって妹の座右の銘が心に響きますね。

それは、「過去は予定通り 未来は思うがまま」 です。

もしも寂しくて仕方がない時があるならそれは全部時間が解決してくれるはず。
年末に息子達と会う私が寂しい存在なわけないですよね。
人生の途中では、時には1日のための364日であったりする場合もあると思います。
何も起こらない364日だったとしてもその貴重な1日のためには欠かせない364日になるわけです。
そこまで長期に意識を保て持てない場合は、1時間のための23時間でもよいかと。 そして元妻が残した「毎日が面白おかしいわけでない」との言葉も至言です。
Posted by tetsukazu at 2013年10月29日 13:35
あらゆる職業で男女の差が無くなって行く中、男達はリアルにゴルゴ30並みのスキルと精神の強靭さが求められているように映ります。

麻雀の第11回女流モンド杯は高宮まりプロの優勝で幕を閉じましたが、高宮プロはグラビアアイドルでもあります。
今や天は二物を与えずどころか三物も四物も与える時代かと。

今日の東京競馬メイン第11レースのアルテミスSは牝馬同士の戦い。
3枠5番のマーブルカテドラルはダイワメジャー産駒で上原厩舎で赤枠という旬なことになっています。
ただ、そんなことは抜きにしてハイレベルな争いだった新潟2歳ステークスを先行して5着になった実績はここでは一歩リード。
18頭立てと武豊騎乗のクリスマスの出走によりマーブルの複勝も150円はつきそう。
東京芝の内側も荒れ出しているのでスタートをスッと出して馬場の良いところを走らせれば4着以下に落ちることはないでしょう。

今の私はギャンブルを最優先しているわけではないので以前のように5万も10万も買うとの話にはならないですが、人に薦めると過程すればマーブルカテドラルの複勝ですね。
Posted by tetsukazu at 2013年11月02日 13:19
前のコメントの訂正です。

ゴルゴ30→13
過程→仮定

自宅のパソコンが機能しないと何かと面倒です。

今日は今から日本シリーズを見る予定です。
噂ではマー君ゾーンがあるらしく、際どいコースはストライク判定になるらしいですね。
でもそれも実力のうちかも。

昨日の夜は午後11時からEテレのハーバード白熱教室(6回の講義の第1回目。
半径1キロの中で私を含めて何人位が視聴したのだろう。
「リーダーシップ」についてがテーマでしたがいつも話題に出す知人の大学講師でさえ観ていなかったようなので、恐らく小学校のひとつの教室に集まれる位の人数かもしれませんね。

Posted by tetsukazu at 2013年11月02日 17:58
今日の京都競馬メイン第11レースみやこSは別定戦でG1馬にはきつい負担斤量となりますが、京都の1800MでのG3で岩田騎乗であれば3枠6番のローマンレジェンドが4着以下に落ちることは考え難いですね。

スピードが要求される条件だけにナイスミーチューには厳しい条件になるかもしれません。
ケイアイレオーネとブライトラインは格の面で割り引きが必要でしょう。

ここはローマンレジェンドの複勝一点ですね。

それにしても中5日ではマー君は力が出せないのですかね。
Posted by tetsukazu at 2013年11月03日 14:32
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