2013年10月01日

頭の良さって何だろう。

前エントリーで恋愛を語ったが、吉本芸人の宇治原君がやらかした。
結婚を目前に20才の女性と浮気をしたことは私の記事からすると???

頭の良さが売りだったはずの彼がそのような行為に走るということは神の仕業としか説明がつかない。
私の記事で説明すると、言葉と肉体と心で愛を確かめ合ったはずなのに他の女性と肉体で何かを確かめ合ったのだ。
結婚相手以外の女性との肉体関係で何を確かめあったのだろう。
私の記事で、肉体だけが目的の男なら「君が欲しい、僕と付き合ってくれ」位のことは言えると書いた。
悪いことは言わないから宇治原君の結婚相手の女性は今からでもお別れなさってはどうか?
ただ、養うことが最大の愛情表現であるなら彼が奥さんに対してやることはひとつしかない。

私と言えばギャンブルだが、頭の良い人はまずギャンブルにのめりこまないと想像する。
皆さんご存じの2ちゃんねる創始者のひろゆき氏などはまずギャンブルにのめりこまないだろうし、
売れっ子芸人の有吉君などもそうだろう。オードリーの春日(春日に君付けはしっくりこない)やタモリ(タモリにさん付けもしっくりこない)なんかも堅実なイメージ。

とにかく男の場合、酒・女・博打・暴力・ドラッグなどにのめりこむタイプがいるが、過度にのめり込む男はやはり頭が良いとは言えない。
となると私は間違いなく頭が良くない部類に入るが、毎日関わらないと心が落ち着かないほどではない。

最近、パチンコ・パチスロメーカーのセガサミーの社長の娘が経済産業省のキャリア官僚と結婚したとのニュースを目にしたが、
安倍首相や森元首相や小泉元首相らが結婚式に出席したとの内容だった。
このブログで何度もパチンコの換金システムは違法性が極めて高いと主張して来たが、この有様だと改善するまで程遠いだろう。
それどころかカジノ誘致の際の中核企業としての足場固めのための政略結婚の匂いまでする。

頭の悪い我々がパチンコで金を散在して頭の良い経営者やそれを取り巻く官僚や政治家が美味い汁を吸うという構造は江戸時代からまるで変わりがない。
私の知る限り、江戸時代というのは一般庶民が結婚することは非常に困難であり平成の時代の未婚・非婚などより深刻だったのが現実。
明治になりあからさまな身分制度はなくなったとはいえ、武士が刀を捨てただけで学校の先生などはそう簡単になれるものではなかった。

前述のひろゆき氏は、アメリカを指して「自国の利益にならなければ日米同盟など簡単に反古にするだろう」と言っている。
国際連盟を提唱しながら自らは参加しなかったり、環境問題を議論した京都議定書には最大の当時国でもあるのに署名しないとかやりたい放題だ。
日本政府にしてもパチンコ問題だけでなく、公営ギャンブルの寺銭はいつまで経っても25%を上回る控除だしオートレースに至ってはとうとう30%になった。
ガソリン・酒・ビールなどにおける二重課税問題などもなかなか改善されないし、円高の際に輸入品が下がらないくせに円安になるとたちまち上がるのも政府の怠慢だ。
政・官・財の癒着の構造は未来永劫に変わらないかもしれない。
政党助成金だって私の見解では違法性が高いが、共産党を除く各党が平然と受け取っている。
解散時に消滅する政党にまで配る構造は盗人も顔負けだ。
維新の党は候補者が自腹で立候補したはずだが、当選後に政党に交付されたお金の一部をきちんと渡したのだろうか?
と、そんなことを言っても多くの有権者が自由民主党に投票するのだから多くの国民は長いものに巻かれたいのだろう(私は同党には投票しないが)。
TPPに反対していたのは一体どの党だったんですかね?選挙が終わると手のひら返し。
原発に一発でもミサイルが飛んで来たら日本は終了なのに原発推進派の自民党は中曽根政権(訂正)⇒中曽根康弘元首相と読売グループが(中心となり)アメリカの在庫整理のような原発設備を導入したことを忘れたのだろうか。
ただ、私は戦争に負けたためにアメリカ合衆国の属国になったことは仕方なかったとは思うので、指摘はしても現状は受け止める(世界の中ではましな国の筆頭)。
それでも現幹事長の娘が東電の社員であるように政・財の癒着がある限り情報の隠蔽は続くだろう。

ここまで書いて頭の良さの話がどこか行ってしまったが、行きつけのお店から独立して自分でお店を起こした女性から遅ればせながら誕生日おめでとうメールが来た。
その内容は、「これからも素敵男子で居て下さい」だった。
その女性の頭が良いと言いたいわけではなく、「素敵男子」なんていう言葉をチョイス出来るセンスに脱帽する。
残念ながら宇治原君は「素敵男子」でないしかつての陣内君もそうでない。
結局、「生き様」がどうであるかが肝心であって「頭の良さ」が人間としての魅力につながらないのであれば宝の持ち腐れ。
ただ頭が良いだけでは、人に対して表現するものが乏しいように思う。
「素敵男子」「素敵女子」と呼べるような魅力的な人間が周囲にいるだろうか。そして自分自身はそう呼ばれる生き方が出来ているだろうか。

最後に、「素敵男子と呼んでもらえる券は100万円ほどで買えました=笑」


追記⇒素敵男子で思い浮かんだのはノーベル賞受賞者の山中教授。
それと頭の良さの基準のひとつで言えば、「ぎりぎりの選択を誤らない」ことかな。
私は今トレーニングを重ねているが、もっとスピードを出せるのはわかっているけれどこれ以上早く走るとどこかに負担がかかり過ぎるとの予測も立つ。
そのぎりぎりの状況の中で判断をして行くのは困難な作業になる。
本番のレースだと更に無理が必要な局面(競い合い)が出てきそうなので自分の限界について緻密に知っておく必要がある。
それはギャンブルなどの遊びにおいてもそうだし酒や恋愛においても同じこと。
調子に乗って限度を超えてしまうのは自制心の欠如に他ならないのでやはり頭が良いとは言えないと思う。





posted by tetsukazu at 01:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
既にお気づきだと思いますがコメント欄はわたし用になっています。
m(_ _)m
前置きはよいとして
「観てしまいました」
つい先ほどまでひかりTVのザ・シネマでやっていたイングマール・ベルイマン監督(スウェーデン映画)の「ある結婚の風景」のことです。

映画ファンなら知っている作品なのでしょうが私は初めての鑑賞でした。
1974年の作品ということにも驚きですが、ハリウッド映画や邦画が中心の映画環境の中で受け身の姿勢でいる限りこういった名作に出会う機会を逸しているのでしょうね、
電通を中心とした広告媒体に踊らされているうちに知らず知らずに何かにとって都合の良い価値観が植え付けられている危惧を改めて感じます。

この作品は、ある夫婦の結婚生活そして離婚と離婚後の男女の関係をこれでもかというほどのリアリティーを持った会話劇で見せるのですが、途中でトイレに行くどころか一言さえも聞き逃さない(正確には字幕を見逃さない)との思いで画面を注視したのは、川島透監督で主演の金子正次の遺作(当時33才)だった「竜二」以来です。

竜二の公開は1983年ですが、この映画を観た衝撃が強すぎて数年間は体調が戻らなかったほどでした。
永島映子さん演じる主人公の奥さんを理想の女性とした時期が続きそれはいまだに変わっていないかもしれません。
当時、一般的に敷かれるレールから外れていた私の生き方が竜二とリンクしたからなのですが、社会に反抗的でありながら目の前のことに対してどこまでも誠実な姿勢を貫き通したいとの矛盾した気持ちとの葛藤はこの歳になっても変わりません。

ベルイマン監督の作品の話に戻りますが、私も離婚経験者だけに主人公の男性の心の動きが痛いほどわかりますが、女性の強さや弱さも同時に伝わりました。
鑑賞し終えた後に映画のレビューも見ましたが、女性の感想で「女の人はいつだって全ての可能性を捨てない生き物だと思う。もっと理想の相手やもっと愛情を注げる相手を求めているし、もっと理想な生活も求めている。そのようにここではないどこかがあると思っているところがある」との記述がありました。
そして「でも結局は相手に何かを期待するのではなくて自分が出来ることをただするしかない」との言葉で感想は終わっていました。
自分自身にも他者にもそして日々の出来事の全てに誠実に向き合うのはしんどいことですが、全てを飲み込んだ上で人生を楽しむべきなのでしょうね。
Posted by tetsukazu at 2013年10月06日 06:54
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