2013年07月02日

雑感-65

フゥーッ。

男稼業は楽じゃないわ(詳しくは後で)。
まずその前に、気になるあの子のスリム化は順調に進んでいるようだ。

私は私で肉体強化を続けているので刺激し合える関係でありたいと思う。

と言っても気になるあの子が完成体になった時には私から遠いところへ行きそうなのでほどほどにして欲しいものだ(困)。

繁華街を歩いていると無制限に欲望が解放されていることに嫌でも気付く。

本当に値段がついているわけではないが、男も女も胸に値札を付けて歩いているようにしか見えない。

女性の場合は値札に偽りは無さそうだが、男性の場合は財布補正が入るので金持ってるでアピールが必要かと。

しかししかしすっかり女性に対して告白が出来なくなって来ている。

お付き合いして下さいどころか、お食事でもどうですか?とも誘えなくなって来た。

私がギャンブルから足を洗えないのは理由があり、それはやめた瞬間から欲望が対女性に集約しそうだからだ。

私がやたら体を鍛えるのは体力面での補正をかけることと見た目補正をかけることもある。

行きつけの飲み屋で私は「僕は口説かない男ですから」とわけのわからないことを言っているが、自信があればそんな言葉を出ないはず。

人生後半でまさかの展開になり、そのうち新しいパートナーが現われるやろと思っていたら、あっと言う間に4年近くになって来た。

そんなわけでさすがにのんびりとしてられなくなって来たので9月の誕生日までに退路を断って行こうと思う(結局一人で生きて行くとのオチも含め)。

つまり断捨離にとりかかる。

この数年間でわかったことは、本当に好きな異性ならばいくら忘れる努力をしても無理だと言うこと。

なので、まず好きな異性一人以外は視野に入れないことにする。

そしてその異性がどのような人生を辿ろうが、私は私の気持ちを大切にして心の平安を保とうと思う。

無理に好きな異性を作る必要も無いし、好きで居続けるだけなら先方に迷惑もかからないだろう。

そしてギャンブルだ。

これについては最難関。ひとまず誕生日までは断つ。

後は自宅の持ち物の整理になるが、実は元妻が家を出た瞬間の状態からほぼ変わっていない。

キムタクファンだった元妻がところ狭しと貼っていたポスター類もそのままだしスマップ関係の本やビデオやCDもそのままだ。

冗談ではなく、ある日突然出ていったまま荷物を取りにくることもなく今に至っている。

荷物については最低限のものだけ私が彼女の住む関東地方へ宅配便で送ったが、とんでもない数の服やバッグや靴などがそのまま置いてある。

これらの品々もそろそろ保管期間を終えようと思う。

勿論、私の数少ない衣類も処分の対象となる。

友人については元々少ないので整理も何も関係は無い。

これについてはこの25年ほどで10回以上は引っ越ししているので友人自体が私についてこれていない。

そして子供達の思い出の品がまた多い。

ガンダムのプラモだけで何体あるか数えきれないしその他大小フィギュア類やカード類も数多い。

学習参考書や小中学校時代の絵画なども全部残っている。

子供机も二つともいらないだろう。

既に不用品となっている炊飯器や扇風機なども処分しなければ。


とここまでは良いのだが、処分の後に何を置くかが問題。

イメージとしては、[結婚できない男]での阿部寛が住んでいた家だが、音響機器を充実させて深夜にウイスキーやブランデーをロックで嗜みながらリクライニングでくつろいでみたい(笑)。

そしてやはり筋トレグッズもかかせない。最低限ダンベル・バーベルの類は置きたい。

そうそう入浴タイムも楽しみたいな。バスローブなんか着ちゃったりして(きもっ)。


妄想タイムはさておき、4年近く止まっていた時計の針を進めないと何も始まらないように思える。


先日終了したドラマ[空飛ぶ広報室]で  [飛行機は美しいから飛ぶんです」 との台詞があった。

この話を気になるあの子にしたら「性能が良いから飛ぶんでしょ」と言われガクッときたが、

私は、実は美しさとは最高に近い価値であり、ただ美しいだけに留まらず機能面・実用面においても優れているのだと解釈した。


私の人生、そして現在の私の姿・行動・考え方・自宅の風景などが美しいのか?

とてもじゃないが美しいとは言い切れない。

今の私の関心事は朝ドラの[あまちゃん]。ヒロインの能年玲奈を美しいと言わないならば世の中に美しいものなんか無い。

結局最後に物事は「単純な結論」が出る。

私がこのブログで言いたいことも既に開設のその瞬間に言えている。 そう [結果が大事] だと。


自分で止めた時間は自分で動かすしかない…。




posted by tetsukazu at 21:56| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメント欄に自分でコメントを入れるのがマイブームかも?
断捨離のことを考えていると毎日が選択の連続であることに気付く。

私は、精神的に煮詰まった時必ず「済んだことにクヨクヨしない」と自分自身に言い聞かせる。
大切なのは「今と未来」なんだと。

大人になるとほぼ全員が仕事をするが、仕事をしている時以外の時間の活用方法は千差万別だ。
動物である以上、誰にも本能が備わっているが、恐らくいくつかある本能を司る脳の部分(回路)は本能同士で関わりあっているに違いないだろう。

日々選択を繰り返す中、瞬間瞬間での最終選択を決定付ける要因の内、本能が関係する割合はどの程度なのだろう?

そしてその本能とは私という一個体の主体的なものにより存在するのだろうか?
そしてもし主体的であり理性(主に前頭葉)も主体性を持つものならば本能と理性の相互作用で自己コントロール可能なはずなのだが。

しかし現実は、自分自身の幸せに向かっての連続性のあるものになっていない。

自動車であれば、アクセルを軽く踏めばゆっくり進み少し強く踏めば加速し更に踏めば加速は最大に近くなって行く。
それは前に進むという目的に沿って連続性を持つもの。

ところが人間は、幸せに向かっているはずがアクセルとブレーキを同時に踏んだり、アクセルとブレーキを間違えて踏んだりする。

私達(私と言った方が適切かも)を自動車やドライバーに例えるならば欠陥車でありへぼ運転手。

では何故そうなってしまうのか。
それはやはり私という個体を設計し製作したのが私自身ではないからだろう。

ただ、そんなことを言っていても解決はしないので、「選択」の最終決定権者は自分自身でしかないとの仮説を立て立証するしかない。

「幸せ」の方向へ向かって「連続性」を持ち進むために今この瞬間からも主体的に選択を重ねるしかない。
そしてこの文章を書けている私自身の可能性に賭けるしかない。

本当の意味での「賭け続ける男」になるために…。
Posted by tetsukazu at 2013年07月05日 23:02
度々コメント欄を利用して恐縮です。

一応、前回のコメント欄を補完します。
自由選択の中で自分の行動を制御するのが無理なことは既に結果が出ています。

従って、自分自身の可能性に賭けるためにも「自由選択の制限」を行う決意です。

少なからず私と関わりを持って下さった方々には申し訳ないですが、生活を営む上での最低限の事柄以外とは一旦距離を置かせていただきます。

そうする中で食住以外のことでどうしても必要と思うことが湧いてきた時はある程度それには従います。

身辺整理だけで数ヶ月かかると思いますが、自分自身との賭けに勝った場合は再び自由選択の世界に帰ってきます。

ここ数日で整理し易いよう住居内の掃除を終えたので、先日の宣言通りほとんどの持ち物の処分に取りかかります。
仕事関係についてもいつでも他の人間が引き継げるよう整理にとりかかります。

実はここ数年のトレーニングの成果だと思いますが、ある女性から「20代の女性でもお付き合いしてくれる人はいると思いますよ」と言われました。

その言葉だけで大満足です。

自由選択から遠ざかることで特定の異性とのお付き合いとも遠ざかりますが、肉体強化は更にステップアップの予定です。

今度こそ皆さんの目から遠ざりそうですが、何とか自分自身との戦いに勝って賢い選択が出来る人間として帰ってきます。

いつも多くの方々のご訪問を受けていることは承知していますし感謝もしています。

ただ、私自身の主体的選択に関する能力に大きな疑問を持ったため身辺整理と肉体強化に専念します。


追記=Kちゃん、ヨガの方頑張って続けてね。きっときっともっと素敵な女性になって行くと思いますよ顔1(うれしいカオ)
Posted by tetsukazu at 2013年07月06日 15:31
もはや前置きを書くのもくどいので黙ってコメント欄を利用します。

必死になって家にある不用物を整理していると3時過ぎにテレビでドラマ「あまちゃん」のダイジェストをやっていた。
きゃりーぱみゅぱみゅが歌っている時にいつもそばで踊っている女性ダンサー(目の形をしたアイマスク常用)を見ている時に「凄いな、理屈抜きやな」と思うのと同様に、「あまちゃん」での主演女優である能年玲奈を見ているとやはり理屈抜きに「輝き」を感じる。

世の中にはサイコパス的性質を持った人間が少なからずおり、彼ら彼女らもまた違う意味で理屈では説明出来ない。

悶々と日々を暮らしている者(俺?)に対して「いいセックスをしたら人生変わるよ」とのアドバイスを贈る人もいる。

富士山の高さを634メートルと答えるアイドルグループのメンバーが社会の中で小さくなって生きているわけでもなくむしろ堂々と生きている。
富士山の高さを知ることと幸せになることとは別問題なのだろう。

ケンドーコバヤシが言った「女性が好きなのではなく女体が好きなんですよ」は日本の歴史に残る言葉だと個人的に思
うが、「男性が好きなのではなく財布の中身が好きなんですよ」と言った勇気ある女性はいたのだろうか。

シンプル=ケンドーコバヤシの発言と捉えるならば世の中の風景もまた違って見えるかもしれない。

何かが終わらない限り何も始まらない。
元気がなくなった時、きゃりーぱみゅぱみゅのバックダンサーを見て元気をもらい、あまちゃんを見てまた元気をもらう。

単純だが人生はそうしてテンションを保たないとすぐダークゾーンに引き込まれそうになる。

何かにけじめをつけて終わらせた後に、何かを始まらせるために自分自身にとっての元気の源を確保することが必要不可欠に思う。

地に花を心に愛を唇に歌を、そして全身に元気オーラを浴びて明日からを過ごしたい。
Posted by tetsukazu at 2013年07月07日 18:04
人生の中で、人から数多く投げかけられた言葉の中で忘れられない言葉ってありますよね。

自慢と捉えられてもいいのですが前にもブログ本文で語ったように私は自営と自営の間に一度東証一部上場企業の役職に就いたことがあります。
学歴だけで言えばその会社の社員中最下位でしょう。
ただ社長に子分のように可愛がってもらったので、お前の好きな部署と好きな役職を選べとまで言われていました。

元々大阪から東京に行く際に飲食部門の拡張のために派遣されたので当然その部門での勤務となりましたが、どんな役職になろうが周囲はライバルだらけ。
アメリカの大手ピザ チェーンの日本展開の中心人物だったコンサルタントや年俸契約の胡散臭い奴らも三人ほどいました。
その後の展開はブログ本文でも語ってきたので省略しますが、ホテル部門を担当していた時、ホテル内のレストラン勤務の女性(元ヤンキー少女)からその部門を去る際、「お世話になりました。私はいつも味方です」と言いながら泣かれてしまいました。

私は仕事の場に関しては誰が相手でも一歩も引かない性格なので、彼女から見たらもう少し周囲とうまく接したらいいのにと感じていたのでしょう。

その後、関西に帰ってきてからもある職場を去る際にやはりある大学生(お寺の息子)から「僕は慕っています」と言ってもらえました。

私はどうやら20〜30人いたらひとりから熱烈に支持されるタイプのようです。
決して優しい声はかけない私を見て「優しくない人」と思う人が大半。
それでも私は「甘えるな」と言い続ける。
それだけに何人の人間から殴りかけられたことか。

きっと元妻の評価も似たようなものなのでしょうね。

昨日「半沢直樹」という銀行を扱ったドラマを見ましたが、従業員に甘い顔する会社が世界の金融業界で渡りあえるわけがないですよね。

一流のアスリートは腹筋や腕立ての回数だけでも毎日各千回以上はこなしているはず。

飲み屋のママでさえ同伴での出勤時点でワインの半分ほど飲んでいるし営業中とアフターを入れるとワイン換算で一日二本や三本は飲んでいるだろう(中ビール7〜10本分)。

結局、人は何かの要素で勝負する。
私は森山未來のファンですが、EXILEより確実にダンスのキレがあるし、そのグループのボーカルより遥かに人の心を打つ歌を歌う。

過去に期待してくれた人に胸を張れるよう今年の9月末をメドに輝きを取り戻します。
Posted by tetsukazu at 2013年07月08日 20:55
さくらまやさんと消臭力のミゲル君が[マーミー]というユニットを組み来月にシングル曲を発売(今月23日からCMでも流れる)することになったようですが、実力のある人間にはやはりいつかスポットライトが当たるんですね。ドラマ「あまちゃん」で作曲を担当している大友良英氏もようやく大きな注目を浴びるようになりました。
NHKの単発ドラマの「その街のこども」の音楽を担当されていて感動したのは記憶に新しいところです。

一般人でも、女は容姿で男は肩書きと言いうように、目立つ人間とそうでない人間はいますが、民主主義が発達して男女同権が当たり前の時代に男と女をわけるような価値観は時代遅れな気もします。

辛口で表現するとある程度の年齢になった女性が男性を見る目は曇っているようにも思えます。
本当の意味でいい男を見抜く目を持って欲しいと強く思います(お前が言うなですか?)。

それにしても我ながら「結果が大事」との言葉が日々心に突き刺さりますね。
人間の存在にしたって、良い悪いは別にして地球上に存在してしまっている現実が何よりも重いと思います。
もし個々の肉体が遺伝子にとっての単なる乗り物だったとしてもそれも受け入れるしかありません。

遺伝子にとっての乗り物に終わるのか意思を持つ乗り物として理不尽な命令に抵抗するのかは、これも「結果」を基準にしか語れません。

命令と言えば私が国家というシステムを正義のお手本にすることはこれからもないでしょうね。
理に合わない建て前でパチンコを賭博と認定しない国家に正義を語る資格などありません。
警察の利権になっているところなど美しさのかけらもないですね。

とは言え自分自身が秘める可能性を確認するのも「結果」が唯一の判断基準です。
私は幸いトレーニングを続ける力は備わっているようで、目に見える形で成果が出ています。
毎日の筋トレやジム通いまでは出来ても一年近く毎日2〜3時間走り続けている同年代は少ないでしょうし、そもそも働き盛りで家庭を持っていてそんな時間はとれないはずです。
勿論、経済的にはそんな多忙な人間が勝ち組なのでしょうが。
女子サッカーの大儀見(旧姓永里)さんを見ていると、「成長するとはどういうことか?」がはっきりと理解出来ますしご結婚されて美しくもなられましたね。
私の中では彼女も体幹トレ仲間と勝手に思っています。
今後私がどんな「結果」を手に入れるのかが自分でも楽しみです。
Posted by tetsukazu at 2013年07月12日 02:05
「あまちゃん」総集編絶賛視聴中。
種市先輩〜。モテ過ぎ。

やっぱりチャリンコで空は飛べない(笑)

春子が歌うの潮騒のメモリー、聞かせるねぇ〜。

と言いながら今日の福島メインのバーデンバーデンカップの5番ハノハノがどうしても気になる。
複勝を買いに走るか?
でも本当は16番ハッピーカオルの応援馬券を買うことは内緒です。
Posted by tetsukazu at 2013年07月14日 14:08
ん? ハノハノ2着(◎o◎)

大丈夫。誕生日までは断捨離継続。

ただ、予定通り16番の馬の応援馬券は意味あって100円×2(単複)=200円を購入しました。

がんばれ!と書かれた応援馬券は無理やりにでもある人の下に届ける予定ですが、恐らく「はぁ?」との反応でしょうね。
この一年間同馬が出走する時は必ず応援馬券を買おうと思っていましたが、気がつくのはいつもレース終了後。

今回もまさかの芝レース出走だったので見逃すところでした。
それにしてもしてもこんな名前の馬が現役で走っているなんて不思議としか言えません。

とにかく引退前に買えて良かったです。
(*^o^*)
Posted by tetsukazu at 2013年07月14日 21:08
それにしても大黒摩季が昔作詞作曲し歌った「夏が来る」という曲の歌詞は生々しい内容ですね。


『何が足りない…。どこが良くない…。』
どんなに努力し続けても
選ばれるのは あぁ結局
何も出来ないお嬢様
物事いろいろ知ってしまうと 瞬発力が無くなるもので
運命の人だと思っても 経験が邪魔して素直になれない


以上が歌詞の抜粋ですが、女性が内面磨きより外見を磨くことに力を注ぐのが理解出来ますね。

私が再三語る「いい男」とは、女性から見た場合のいい男という意味です。
同様に「いい女」というのも男性から見たいい女とのことです。

ドラマ版モテキで、森山未來が満島ひかりに対して「女の顔になってるじゃん」と言った場面がありましたが、満島ひかりがやけになりリリーフランキーに処女を捧げだことが伏線になっての状況説明であり、女の顔とは森山未來にはそう映ったということであり女の顔と言っても基本的には同じ人間です。
ただ、実際には本望でなくても満島ひかりの脳裏に二人の過去の出来事がよぎったことは間違いないかと(以上役名でなく俳優名で説明)。

女性に生まれたことは多分(笑)ないですが、好きでない男と肉体関係を結び、好きな男とはそういった関係を結ばなかった場合はやはり関係があった相手の前で女の顔になるのかなぁ?

自分の肉体を求めなかった男より自分の肉体を求めた男の方が女性にとってはいい男なのだろうか?

今の私は誰の前で「男の顔」になれるのだろうか。
そして私に「夏」は来るのだろうか。

メロディどんなに努力し続けても選ばれるのはあぉ結局、強引な男か女好きのお金持ちメロディ とのオチにならなければ良いが…。

Posted by tetsukazu at 2013年07月17日 14:16
今日(20日)は夜10時からNHK Eテレの「SWITCH インタビュー 達人達(たち)」を見ました。
出演者は作家の平野啓一郎さんとアルピニストの野口健さんでした。
因みに来週は騎手の福永祐一さんと棋士の渡辺明さんです。

私も作家には憧れがあるので、平野氏などの作家が出演する番組や対談企画は極力見るようにしています。

それで今回の感想なのですが、若手論客家の宇野常寛さんがいつも言っている通り「細部に神経を注げる作家(脚本家含む)は当然全体像への深い洞察力もを持ち合わせている」との印象を持ちました。

平野氏は「個人」から「分人」へとの提唱をしており、個人とは分割可能な存在であるとしています。

説明の一部は次のようなものです。

「人間は、生きていくためにはどうしても自分を肯定しなければならない。自分を愛せなくなれば生きてゆくのが辛くなってしまう。しかしですよ、自分を全面的に肯定する、まるごと愛するというのはなかなか出来ないことです。よほどのナルシストじゃない限り色々嫌なところが目についてしまう。しかし、誰かといる時の自分は好きだということはそんなに難しくない。その人の前での自分は自然と快活になれるし明るくなれるし生きてて心地が良い。全部じゃなくても、少なくともその自分は愛せる。だとしたら、その[分人]を足場に生きていけばいい。もしそういう相手が二、三人いるなら、足場は二つになり、三つになる。だからこそ分人化という発想が重要なんです。」 

以上が抜粋です。

平野氏はこうも言います。
「小説の一ページ目をめくった瞬間の読者が最後のページをめくり終えた時に、自分自身の考え方に変化が起きたと思ってもらえないならその作家には読者に対する訴求力・影響力(一部は平野氏の言葉を私の言葉に変えて表現)が不足していたと言える」

確かに余程の影響力を受けないと人間はそう簡単には生き方や考え方が変わらないですよね。

私が本格的にトレーニングし出したのも、ある女性を通じて私の未熟さを学ぶことになったのがきっかけです。
あと何年かかるかわかりませんが、その女性に見直してもらえる男になるまで心身を鍛え続けます。

最後に、断捨離中の私が話題にするのも説得力がありませんが、日曜日の中京競馬のメインの中京記念は消去法だと、プラス5キロ以上で出て来るならハンデ面や馬場適性からフレールジャックが残るんですよねぇ。
Posted by tetsukazu at 2013年07月21日 00:32
自宅のパソコンを直さないまま時が経ち、携帯からの投稿も出来なくなってからもしばらく経ちます。
コメント欄を利用はしていますが誤字に気がついてもすぐに訂正出来ないのがネックですね。

前回のコメントで、フレールジャックの名前を出したら安楽死処分になってしまいました。
最後まで騎手を振り落とさなかった同馬には頭が下がります。
事故はつきものとは言えこんな事態になる度にいつも複雑な気持ちになりますね。
フレールジャック号の御冥福をお祈りいたします。

前回のコメントでは野口健さんのことに触れませんでしたが、彼もまた心に響く言葉を残していました。

「人間が生きる一日一日がひとつの作品に思えます」
との言葉なのですが、含蓄がありますね。

将棋の羽生善治さんの好きな言葉は、
「運命は勇者に微笑む」です。

野口健さんは、天候が悪くなり頂上へのアタック成功率が半分程度の時、脳内をハイテンションにする物質が自分自身の体内を駆け巡る瞬間があるらしいですが、「えーい、行ってしまえ」との判断をした時の方が失敗につながる時が多いそうです。

運命は勇者に微笑むはずですが、「本当の勇者」とは何かを考えさせられますね。

私は長年続けているこのブログで終始「いい男・いい女評論家」のような立ち位置ですが、いい男(女)とそうでない男(女)を分ける決定的要因は「センスの違い」だと考えています。

今公開中の映画「風立ちぬ」の主題歌の「ひこうき雲」が名曲過ぎて暇があればここ最近歌っていますが、ユーミンのセンスに声質が合わさり人の心に響くのだと思います。
ただ上手い歌手は多くいますが、センスの違いや声質はある程度才能の領域のような気もします。

ひこうき雲の大サビの部分に高音部があるのですが、ファルセットの一歩手前での発声が絶妙ですね。
この映画がなければこの歌の素晴らしさに気がつかないままだったかもしれず、ジブリ関係者には感謝します。

私達は彼女のように文字通りの「作品」は残せないかもしれませんが、自分自身が持つセンスを最大限活用して「作品」と言えるような一日一日を過ごしたいですね。

勇気を味方にして…。

Posted by tetsukazu at 2013年07月22日 21:45
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