2013年05月09日

遠回りの末に…

依存対象とのかかわりについては、人生の中で終始自己解決してきた。

その過程の中では、自分自身にとって何が必要不可欠であるかを基準に判断しながら選択を繰り返してきた。

宮崎勤が幼女を連続殺害した時も佐川一政が外国人女性を殺害しその人肉を食した時も、一部の有識者は「彼らが犯行に及んでいなかったなら自分自身の人生に絶望し自らの命を絶っていただろう。彼らは自分自身の命を守るために他者を犠牲にするしかなかった」と評した。

勿論、これらの意見に対しては多くの賛同を得ることはなかったが、一般論としての悪人に対して「他者を犠牲にしてまで自己の心身の安定を保つのは間違っている」と呼び掛けてもおそらく効果はゼロに近いだろう。

つまり抑制的に生きるかどうかは、自己解決によるものでしかほぼ不可能と言える。

当然、私を棚に上げるつもりもなく、私だって己の心身の安定のため他者を犠牲にしてきた部分がある。
もっと言えば、国家だって国民がアルコール依存・タバコ依存・ギャンブル依存になろうが痛みなど感じない。


何年間も能書きを繰り返してきた割にはありきたりの結論になるが、個人にとって何よりも大切なのは「自分自身も含めた家族」なのは間違いない。

この前から、先の予定を立てながら生活していると繰り返しているが、そうすることで少なくとも家族の誕生日などを忘れたまま時が過ぎることはないし、家族が困った場合でも話を聞く余裕が出来る(経済面含む)。

目的地に行くのに道はひとつではない。
こうして歩む速度を緩めることで違う進路も見えてくる。

長男が一昨日の夜に特に用事もなく我が家にきたのだが、彼が一時間ほどほぼ一方的に仕事の悩みを語ってその後風呂に入り、あっという間に眠りについたと思ったら3時間後にはもう仕事に向かうと言って出掛けて行った。

話の中身は多岐に渡ったが、話を聞いた後に私は「職場での発言権は自分自身で獲得するしかなく、仮に定時で帰って周囲から総スカンを喰らってもそれで自分の精神が持つならその選択を間違っているとは言えない。お前がどう自己主張して行くかはお前の芯がないと駄目だ。若いうちには誰だって同じ悩みに直面する。それは決して後ろ向きな葛藤ではなく前向きな葛藤や」と話しておいた。

翌日、長男から「今日の深夜番組で親父の家の近くの特集やるで(笑)」とメールがきた。

何となくだが役割が果たせた気分になった(^_^)v


posted by tetsukazu at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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