2013年04月23日

自分次第。

ケータイの投稿は文字数が限られるので簡潔になり良いかもですね。

我々人間だって動物なので掟に関しては他の動物と変わりありません。
つまり産まれ落ちた瞬間からどう生きるかは自分次第ということ。
とは言え人間の場合、4〜5才頃まではさすがに親または育ててくれる人間なしではどうしようもありません。
これが例えばメダカに生まれたなら、個体となった瞬間から生存競争にさらされます。
産み落とした母にしてみても子供達一匹一匹に名前を付けている暇はありません。
それどころか産み落としたうちの僅かな数の子供しか完成された状態まで生き抜けないのが現実です。

人間の世界では、成長過程における親の育て方が悪かったんだとか個人が生きて行く上での様々なケースの挫折に対する擁護が成されますが、それは社会の秩序を守るための知恵であったり、擁護する立場そのものが職業であったり、他人事として捉える場合が多いはずです。

大きな魚に喰われたメダカには救済措置などありません。
喰われた原因があるとすれば、逃げ足が遅かったとか隠れ場所を見つける能力に欠けていたとか単に運がなかったからとかでしょうね。

では、そんな動物達と我々人間の違いはそれほど大きなものなのか?
私にはそうは思えません。
人権とは本来、40K制限を守って走行する者にとってのルールを守る権利に対して与えられるべきです。
タバコを道路上にポイ捨てする大人に人権を語る資格はありません。
私から言わせれば犬猫の方が人間より遥かに必死に生きているように映ります。

結局、自分自身の生き方の評価は自分自身でするしかありません。
40K制限の道路が50Kで流れている時に運転者である自分自身はどういった判断をするかについて誰も正解など教えてくれません。
ブラック企業に入り自分も染まりきるのかそれとも一日も早く抜け出そうとするのか、それも自分次第です。

私は離婚問題が起きた時に家裁の調停等は一切受けませんでした。
お互いの言い分をぶつけるのは簡単ですがそれよりも一日も早く気持ちを切り替えて子供達の生活を重視することを優先しました。
ただ、いまだに教育ローンの支払いをひとりで行っているおかげで彼女が出来ません(明らかに言い訳=笑)。

それでも家計が苦しいとの言い訳をせず幼稚園、高校、大学と二人の息子に私立へ通わせたことには胸を張れます。
後は、自分自身の今後の生き様にも胸を張れれば最高かな!





posted by tetsukazu at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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