2013年02月16日

雑感−57

自分で選んだ道なのだが、何故か少しだけほんの少しだけ賑わいがまぶしいかな。

久々にチョコゼロイヤーになった。

自ら知り合いに甘いものは間に合っていますとメールをした私が泣き言を言うのもおかしいのでここはさらりと流そう。


昨日から今日にかけての私の最大の関心事は岡山地裁で判決が出た、元同僚女性を殺害した男に対する死刑判決だ。

裁判員裁判が始まって以来死刑判決が出易くなってる印象だが、一人を殺害しての死刑判決は2002年に静岡県三島市で起きた女子短大生焼殺事件がある。

加害者は帰宅中の被害者に声をかけたが相手にしてもらえなかったことに激昂し、自分の車に連れ込んで監禁し強姦した。
その後、道路工事現場で生きたままの被害者を縛り上げ灯油を浴びせて焼殺した。
地裁では無期懲役の判決が出たが、高裁で死刑判決に変わり最高裁で刑が確定し2012年に執行された。


岡山の事件は、被害者とは別の女性との婚約が破棄となり自暴自棄になっていたとの話もあるが罪もなく優しく接してくれた同僚女性を倉庫に連れ込み性的暴行を加え殺害し遺体を切断して川などに遺棄したという痛ましい事件。
裁判長は、「被害者の数は一人ではあるが、被告の罪責は誠に重大で、死刑の選択をするほかないものと言わざるを得ない。その反省や謝罪は、不十分と言うほかない」 と述べた。

判決を受けて会見に臨んだ被害者の父親は、「私どもの中に達成感はないです」 と語った。


私は最近、「人間は突き詰めれば自分のために生きている」 と思わなければ理解出来ないことに直面することが多くなった。
結婚して直ぐに離婚する夫婦を見ていても、結婚も自分のためだし離婚も自分のためなんだろうなと思うしか心の整理が出来ない。

人間とその他の動物の大きな違いは、『余暇があるか無いか』 だろう。
近代になり生産力に飛躍的発展があり、一日8時間か9時間の労働で生活が成り立つようになり睡眠時間を除くと平均して5〜6時間の余暇が発生し、休日はほぼ半日が余暇に当てられる。
人間も大昔は睡眠している時以外は、食料の確保に一日中走り回っていたはずだ。
そんな時代であれば5〜6才の子供だって食料を確保するための協力をしていただろうし12〜13才にでもなれば一族の主力となり働いていただろう。

時代は変わり、6〜7才から21〜22才までは学校に通うのが仕事のようになるのだが、果たしてそんなシステムが効果的に機能しているのだろうか?
重大な犯罪を起こす者だって子供の頃は一般的な教育を受けていたはずだ。
それがどうしてこのような事件を起こす大人になってしまうのだろうか。
何か歯車が狂って来ているように思えて仕方がない。


そこで、一人の殺害での死刑判決への私の見解だがまだまだ整理がつかないので問題点を指摘しておこうと思う。

@一人殺害すれば死刑になるなら、一人でも数十人でもどうせ死刑なのだからと無差別大量殺人事件への予防策と反対方向に行く不安。
つまり、一人殺害した時点で犯人に対して 「今ならまだ間に合うから次なる犯行を思い留まれ」 と呼びかけることの意味が薄くなる可能性があるということ。

Aどの程度の残忍さであるとかどの程度の殺意があったとかの判断基準を設けるのは困難だし、交通事故により死亡させた場合でも危険な乗り物を運転する時点で、不測の事故に対する予見性の認識は持つ状態だったと言えないこともないわけであり、殺害人数による基準の方はっきりするが、複数の加害者がいた時(例えばコンクリート詰め殺害)に個々の量刑をどうするかで判断が難しい。

B本来、報復権は被害者本人が持つべきもののはずだが現実問題としては死んだ被害者にその行使は不可能。
死刑制度を存続させるならば将来的には死刑執行を親族が行い、その方法は公開によるものとするなどの検討を行い、重大犯罪の抑止策につながるような対策を講じるべきではないか。

C国際的には死刑制度は廃止の方向にあり、終身刑の導入なども含め死刑制度に対して国民的議論が必要だろう。


最後に一言。
村社会だった昔の日本ならば、近くの商店や近所の人との人間関係がおかしくなっても住み続けストレスをかかえ続けて生きなければならなかったが、
今はそこそこの都市に住んでいれば近くのAというコンビニの店主と喧嘩してもBに行けば良いし、好きな異性に格好悪くふられたとしても2〜3年もすれば誰もそんなことは噂もしなくなる。
もし学校や職場でいじめに遭ったとしても行かないという選択が最良の選択と言われる時代だ。
先進国化・都市化を選択した我々は、個から孤になろうとも強く生きなければならない。
岡山の事件の被害者は、犯人にとって魅力的な女性で優しく接してくれた女性だったようだ。
殺人犯を厳罰に処することは重要だが、被害に遭わないための最大限の努力を怠らないことも同じ位重要。
日々興味のあることに時間を割きたい気持は理解出来るが、このような事件を他人事とせずに教訓として少しは時間を割き自分の頭で考えることも大切だと思う。





posted by tetsukazu at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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