2013年02月03日

弱肉強食。

今回のタイトルである 「弱肉強食」 は以前にも使った気もするが改めて…
まず、元サッカー日本代表監督のオシム氏の言葉から思い出してみたい。

「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に肉離れしますか? 要は準備が足りないのです」
「本当に強いチームは、夢は見ないで出来ることを確実にやる」

自然界の中では人間でさえ与えられた条件下で生きて行くしかない。
幸い、科学の発達・発展の中で外的を極力排除して来たので、人間がライオンに追われるようなことはない。
しかし、幹線道路の車の早い流れをみると車がライオンで側道を歩く人間がウサギに見えても不思議でない。

また、捕食者との意味合いも持つサイコパスは、異常人格者だけでなく金持ちと言われる者に対しても 「サイコパス的要素を秘めている」 と指摘されることが多い。

サイコパスとは 「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩む。性格異常」 とされる。

サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、極端な冷酷さ・未慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義 などが主な特徴で、
良心や他者に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振舞う。
その大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者である。

外国の例だと、北米だけで200万人。ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいるとされているらしい。
サイコパスは異常ではあるが病気ではないためほとんどの人が日常生活を営んでいるので、現在ではパーソナリティ障害と言われ、日本では反社会性パーソナリティ障害との名称になっているようだ。

もしもこの世の中の本質が弱肉強食であるならば、社会のプレデターはむしろ正しい道を歩んでいる可能性さえある。
そもそも資本主義社会からエゴイズムや結果至上主義を抜いたならば制度そのものが成立し難いだろう。


そこで一旦資本主義の始まりに目を向けて見たい(私の記憶のまま整理するので細かい部分についての間違いはご了承下さい)。

イギリス(当時の呼び名は違う)において、農民から土地を収奪するという所有権の侵害とも言える暴挙に出た者達が、その土地で羊を飼い出しその羊からとれる羊毛をオランダ(当時の呼び名は違う)に輸出して多額の利益を上げたあたりが資本主義の始まりだろう。
そしてそれを契機に資本と労働の歴史的分離が果たされた。
では何故イギリスで発生したのだろうか?
知っての通りイギリスの歴史を辿ればバイキング(海賊⇒ヴァイキングの直訳は海賊ではないがイメージとしての表現)に行き着き、海賊⇒土地収奪⇒奴隷制⇒植民地⇒金融資本主義(ロスチャイルド)のような流れになる。

少し話を戻すと、人間はたった一人なら簡単にライオンに喰われてしまう。
そこで人間の集まりである社会を作り、自然や他の動物を外敵と見立てて知恵を絞りながら発展してきた。

社会においては様々な人と人との関係が発生するが、大きく分けると三つの要素となる。

●人と人との生産関係⇒経済(経済学) ●人と人との権力関係⇒政治(政治学) ●人と人との法的関係⇒法律(法学)

資本主義の中での雇用関係や結婚や犯罪や一人一人の人生などほぼ全てはこの三つで説明がつく。

社会の中で最も必要とされるのは個々の 『能力』 であり素質ではない。

そして、能力の中でも 『労働能力』 以外は主要ではない。

いくら綺麗でスタイル良く生まれても、家の中こもっていたら宝の持ち腐れだ。

確かに家の中にこもっていれば悪い素質は開花し難いが良い素質も開花しない。

珠は磨いて始めて輝く。全人格を磨く中では良い素質も悪い素質もいずれは開花する。

良い素質を大きく開花させることで初めて悪い素質を蕾に留めることが出来る。

小泉進次郎なども良い素質を開花させている過程にあるように映る。

AKB48関連で定期的にニュースになるが、『労働能力』 とどう関係するのか。

原始共産社会でも 『長』 の役割を担う者は存在したはずだが、あくまで役割分担だけのものであったはず。

資本と労働が分離した以降では、労働能力を問われるのは主に労働者であり、資本家の場合は資産保持能力が重要であり資産家の家にに生まれた時点で管理能力などを中心に学ぶこととなる。

ある意味労働能力しか磨いていない労働者(生産手段を己の肉体以外に持たない)にマネジメント能力は備わるはずがない(単独での資産管理・健康管理・長期的計画達成力など)。

バイキングとして生きるのか? ウサギとして生きるのか?

バイキングなら略奪し続けるしか生きる術はなく、ウサギなら走力を磨き続けながら生き延びるしかない。

ただ、バイキングにもウサギにも共通する必要要素は、『知力』 

本当の知力とは?  自分を知り、社会を知り、歴史を知ること。

テレビを漠然と見ていたり街をボーっと歩いていても気がつかないが、貧困格差は確実に拡がっている。

貧困は常に弱い層から始まる。 今この瞬間の日本の現状としても生活保護申請をしていないシングルマザーや同じく申請をしていない単身の女性高齢者の貧困状況は目に余る。

それらの立場にある者が何故申請をしないかの理由の一つには世間体と言う目に見えない圧力があるのは間違いない。
親類に連絡が行くことによりプライドを失いたくない気持は理解出来る。

先に述べた労働能力に問題がある層から貧困に繋がる構図は、弱肉強食以外の理屈では説明がつかない。

生きて行くということを突き詰めれば、「自分がどう生きたいか」 だ。

上原さくらさんが飛び降り自殺未遂をしたとのニュースを目にしたが、お金持ちがプレデターの要素を持っているとの認識を持たない限りこれからも厳しいだろう。

20万しか稼げない人間は20万で生活するしかない。

私はこのブログで言い続けているが、住宅ローンは単なる借金との認識だ。

20万しか稼げない人間が2000万のローンを組むのは資本家に捕食されていると言うしかない。

どうしても誰かに対して利息を払いたいと言うのか?

労働者がやれることは労働能力を極力アップさせて、得た収入は極力貯えること。

街中の飲み屋のママさんも規模は小さいが資本家の端くれである。

客として通う場合は、覚悟(割り切る)の上で行くべきだ(ママはママとしての立場に徹するだけで悪気など感じる必要はない)。

飲むとの行為だけでなく、ギャンブルでも異性とのお付き合いでも洋服や宝飾類の購入でも旅行でもグルメでも同じ。
覚悟があるかないか。
これも前から言い続けているが、道で倒れても誰かが起こしてくれるなどとの甘い考えは持たない方が賢明だ。

ライオンに喰われても良いという覚悟もなしにライオンの居る近くの草を食べに行くウサギは愚かである。
何のメリットもないのにライオンがウサギに草など与えるはずがないと考えるのが当たり前の現実だ。


追記⇒言い忘れてました。このままでは救いがない内容過ぎますよね。
このような現実だからこそ、ありきたりのメリットは薄くても道で倒れている人に手を貸す人と出会うことが尊いのだと思います。
互いが互いの幸せを願い合うことが出来る人間関係を作ることが、生きる上ではもうひとつの大事なことに思います(今から日本映画専門チャンネルでテレビ版ライアーゲーム全編一斉放送を観ます⇒これは戸田恵梨香さんが19才の時の作品で現在は24才。彼女を見ていると女性にとっての時の流れは恐ろしいなと思います。知性・品性・感性・緊張感のある身体などを維持し向上させないと30代以降は厳しい状況が待っていそうですね。勿論男性にとってもそれは同じことですが…ただし意識が高い場合は例外として齢とともに魅力は増すと思います)。
 





posted by tetsukazu at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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