2013年01月12日

恥ずかしい話ですが思うことあり。

私は男なので、女性の人生を語る資格はありませんが、男の人生は基本的に [喰う・寝る・出す] に尽きます(以下、ですます調で)。
[出す] について詳しく語ると下品になるのでお察し下さい。
その3要素以外はオマケのようなものと考えています。

近代になり、女性が男性の助けも借り自分達の魅力を商品化したため他の文化などに比べて女性の価値が相対的に上がってきたように思います。
その結果、当然のように経済力のない男は女性に縁が無くなってしまいます。
それなのに一夫一婦制を堅持しているのですから婚姻率が低下するのは必然かと。
冬場は特に感じますが、街を歩いていると女性のファッションが華やかです。
それを見る若い男性が、 「彼女が出来たとしても欲望を満足させる自信が無いわ」 と思っても不思議はありません。

幸い私は一度は結婚出来ましたが、さすがに二回目はしんどい。
それでも喰う・寝るだけで今後一生を終えるわけでなく恐らく死ぬまで [出す] の要素も付きまとってくるので、やはり備えはしておこうと思います。

長男の以前の口癖は 「人生なんてクソゲーや」
ガンダムのアーケードゲームの世界では全国的ゲーマーの長男(一時ブログをやっている時は軽く数千アクセスだったが2ちゃんでのリンクで炎上)の台詞なのでそれなりに説得力あり。
そんな長男の最近の口癖は 「親父が想像する数十倍、ゆとり世代はくずや」
そんな感想を持つ身近な若者を見れば見るほど、自分が自分の人生を意義あるもので素晴らしいものと捉えない限り誰ひとりとして自分自身の人生を賞賛などしないと思います。


ガンダムであれエヴァンゲリヲンであれ魔法少女まどかマギカであれ何らかの 『世界観』 を示した物語。
それらに影響を受けるにせよ受けないにせよそれぞれの持つ世界観によりこの世界の景色は変わるのでしょうね。
世界がどんな景色に見えるのか。それはひとりひとりの捉えかた次第だと思います。

「女性にとって我が子は、自己愛の具現化だ」 とかつて分析したのは岸田秀。
男にも父性があると言われますが、少なくとも私の現状において子供達が、喰う・寝る・出すを上回る存在までにはなっていない。
目の前に現れれば今でも料理を振舞ったりはするが、彼らにも 喰う・寝る・出すの毎日があります。


知り合いの女性にいつも言われるのは、「仕事なんて女にも出来るのだから偉そうに言うほどのもんでもないのよ」 とのこと。
つまり出産が可能な女性こそが価値のある存在であり男なんてそのサポート役でしかないということ。
違う言い方をすれば、仕事を持つだけの女性もその女性に言わせると半人前となる(事実娘さんはまだ未婚であり直接この話をぶつけるらしい)。


女性に尽くして尽くして尽くし続けて死んで行くのが本来の男のあるべき姿なのかもですね。
それもただひとりよがりに尽くすのではなく、相手の幸せを願って尽くすべきかと。
相手の幸せに繋がらないなら身を引くのも男らしさかと。
事実私も元嫁から 「私の幸せを願うならここに判を捺して下さい」 と言われたので躊躇なく捺させていただきました。
彼女が私と結婚していなかったならもっと幸せになっていたのかもしれませんが、彼女だってどこかのタイミングで道を選択したのは事実。
私達だけでなく同じ様な結果になった人達もお互い過去のことは過去のこととして未来に向かうべきと思います。


どちらにしても対人関係においての相手の幸福感は相手が考えることでありこっちで一喜一憂しても仕方がない。
この前テレビを観ていたら、仁科克基曰く、妻の多岐川華子からメールでいきなり別れて下さいと言われ、は?となったと述べていた(多岐川華子は否定)。
彼は今でも彼女のことを嫌いにはなっていないようなので次の恋愛には進み難いだろうな。
結局、理屈を越えたところで何らかの感情が生まれるのでしょう。


と、ここまで考えると恋愛を語る歌や書物や映画などは綺麗事なのかなぁ。
ただ、別れの歌があるのがポイントで、女性はひと泣きしたら次に進める器用さと柔軟さを持っているのかも。
やはり永遠の愛などこの世に存在しないのかな(ううぅっ…悲しすぎる)。
恋の歌を作りながらあっと言う間にひとりに戻った宇多田ヒカルにでも聞いてみるか。
そうそう宇多田ヒカルの両親は手続き上は同じ相手と何度も結婚・離婚を繰り返していると知った。
これは永遠の愛ではなく永遠のループなのかな。


私のつたない人生において女性からは、「楽しみたかったらそうすれば良いし、くすぶりたかったらそれはそれで勝手にくすぶれば」 とのアドバイスをよく聞く。


私はナイーブなせいか女性を人格で評価しようとしがちだけれど、知人から受けた影響で容姿だけを評価することが正しいのかなと思う瞬間もあります。
どちらが正しいかどうかではなくそれこそ 「好きなように評価したら?」 で済まされそう。


先日のエントリーで、肉体強化グッズ(ゴムチューブ)を買ったことを報告しましたが(12月末頃購入)、約2週間休まず続けています。
表紙に、毎日チューブトレーニングと書いてあったので毎日やっているけれど、本来なら同じ部位のトレーニングは2日に1回が望ましいらしいです(高負荷後に筋繊維が壊れそれを超回復効果で壊れる前より強化される)。

以前からゴムチューブによるトレーニングは考えていたのですが、わざわざスポーツショップに買いに行くほども強く考えていなかったので今回の購入となりました。
私は若い時はあの伝説のブルワーカーフリークだったのでかなり熱心に肉体作りに取り組んでいました。
サウナではたまに、アイソメトリックトレーニングされてます?言われた位です。
ただ、責任ある仕事をしたり独立したりする中で気がつけばトレーニングとは無縁になっていました。

そこで離婚を機に(複雑ですが…)トレーニングを再開したということになります。
ただ、私は腕の骨が細いのかどうか腕に筋肉が付いてもボリームに限りがあるので腕のトレーニングについては失敗の連続でした。
腕立て伏せを毎日50回×3セットとかしていた時も結局筋を痛めて数ヶ月休養するはめになったりとかです(現在は体幹強化のため一回一回腕を伸ばす際に勢いをつけ地面から手を離すようにして毎日30回程度)。
そこで今回のチューブトレについてはまだ高負荷はかけていませんが、前腕部に変化は出てきています。
今年一年でどれだけ筋肉強化が出来るかが今から楽しみです(理想は夏服の時期までに成果を)。



本当に人生はクソゲーなのかどうか?その答えは自分自身で出すしかありません。


横道に逸れてばかりの人生ですが、身体を鍛えることと女性の素敵な笑顔を見ることが好きなのは昔も今も変わりません。
それプラスお金を貯めることが好きになるなら最強ですよね(笑)。


年末年始でほぼ言いたいことを言い尽くしたので、今後ブログ上で語りたいことがなくなるかもしれませんがその時は私が充実した生活を送っているとお思い下さい。


これからの一年は、現在の仕事の整理と新たな展開への準備で忙しくなると思います。


では、皆様の人生が素晴らしいものになりますようお祈りいたします。



























posted by tetsukazu at 20:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは

人間は、“ニンゲン”である前にまず“ホモ・サピエンス”という生物であり
その根底には生物進化数億年の基礎構造が存在します

なぜ「男女」=「有性生殖」が存在するのでしょう
それはつまり、従来同じ塩基配列の遺伝子の分裂コピーによって増殖していた生物が
減数分裂(高校の頃の生物の授業を思い出しますw)により「半分の遺伝子」を作り出し
それを他の「異なる配列を持つ“半分の遺伝子”」と組み合わせることで
全く新たなパターンの遺伝子=特質を持つ個体を生み出す事で、環境の変化に耐えて
生き残る為の“多様性”を生み出すのが目的なのだそうです

生命とは自己保存・恒常性維持と共に「増殖」する事がその定義にあります
かつては単性で増殖していた生命が、環境変化を生き延び絶滅を避けるための“戦略”として
上記のような「遺伝子のシャッフル(有性生殖)」という戦術を編み出し、
その為の「遺伝子の別棟・乗り物」として生まれてきたのが、「雄」なのです
“生物”としての「基本」はすなわち「雌」であり、オスとは生殖という機能の為の
一時的な「遺伝子バンク」という“オプション的存在”といえましょう
実際、裸子植物や微生物の中には「生殖時にのみ発生する“半分の遺伝子を持つ”個体」
=「雌雄」という例もあり
あるいは一度離れてしまえば二度と別の個体と出会えないような深海に住むアンコウなどでは
オスはメスの体表に固着し直接養分を供給されて生存する「精子の供給源」
となる種も存在します

「生命」としての存在においては、オスはメスには決して勝てない存在なのです

だからこそ、「生命」としての人類の役割のほとんどを「女性」に担わせた上で
文化だの文明だの何だのという“それ以外の「余計な」部分”=余興とも言うべき部分を
(この意味で息子さんの「人生クソゲー論」は正しいと思いますw)
「オス」が担ってきてエラそうな事をホザいてたのが、近年それすら女性に奪われつつあって
もうどうしよーもネー……ってカンジですかね
Posted by ひふみー at 2013年01月14日 07:08
>ひふみーさん
コメントありがとうございます。

私が以前から注目する政治家で現閣僚の稲田朋美さんを見るたびに
女性の有能さを感じます。
嘉田現知事にはもう少し期待していたのですが、
男性政治家の老獪さにはめられた感じですね。
女性自身が男性を過大評価している点は、
男性達の生き残り長期戦略が功を奏してきたのでしょうね。

しかし、ひふみーさんが仰るように戦略の見直しに迫られています。
諸外国では女性指導者が普通に存在します。
労働や戦闘のための肉体的な優位性があるというだけで偉そうにしてきた男性も、
吉田沙保里さんなどが出てきてしまった今となっては、繰り出せる武器が限られるかと…

では、頭脳で勝負出来るのかとなるとこれもまたそうでは無く、
知人である大学教授に語らせると 「圧倒的に女子学生が優秀」 だと。
稲田朋美さんなども、勉強することや努力することを苦にしません。
同じ自民党の片山さつきさんにもその傾向は見られますが、
凛々しさは稲田さんが上ですね。

私は暇な時たまに、現存する日本人の中で私がなりたい男と言える程格好良い男がいるのか?と考えますが、ボートレーサーの池田浩二くらいしか思い浮かびません。
しかしボートレーサーはやはり身長が低いので、
国際的には格好良い男の範ちゅうではないのでしょうね。
かといって伊藤英明やB'zの稲葉浩志でもないし、
阿部寛は濃すぎるし竹野内豊になりたいとも思わない。
なんだかんだ言っても自分が良い男になるしかないんですかね。

結局、本文中に書いたように 「好きなようにしたら?」 
との女性からの思いが正解なんでしょうね。
でも、結婚後に家庭内で好きなようにしていたらとんでもないことになりました(爆)。

それでも将棋の世界や囲碁の世界はかろうじて男性脳が女性脳を凌駕しています。
その要因は複雑でしょうが、ひとつの要因は男性の打ち手が
他者の過去の戦譜まで熱心に研究することかと。
男性は女性に対して 「勝手にすれば」 など言う必要はありません。理由はご想像に…

敵(彼)を知り己を知れば百戦あやうからずと言いますが、
重層的に思考出来る脳を活かすことが重要では。
頭が良くて逞しくて優しい男性が好きという女性の意見は普遍ですよね。

あっ!? 忘れてた。[ただし金持ちとイケメンに限る] を忘れてました。 男稼業は過酷です。





Posted by tetsukazu at 2013年01月14日 12:09
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