2013年01月10日

雑感−46

明日は新年会なので今日は大人しく過ごすためにもブログ更新に励もう。

一昨日は久々にやさぐれてしまい取り乱してしまったが、昨夜ホンマでっか!TVを観て少し落ち着いた。
男性は45才〜55才位にかけて、意欲(幸福感)が急激に低下することがあるそうで 「ミッドライフクライシス」 と呼ぶらしい。

私の年齢はさておき(勝手にさておくな!)名前が付く位なのだからそれなりに信憑性があるのだろう。
私の場合ははっきりしていて、急激な目的意識喪失によるものなのかもしれない。
「お前が子供を育てるなど何のギャグやねん」 と言われながら二人の息子を大人になるまで見守ってきた。
計算が狂ったのは、次男がまだ高三の時に母親が家を出て行ったので次男の弁当のレベルが低下したことと私の肉体変化(KBTからのKHY⇒急な弁当作りからの急な8k痩せ)。

未だに体重は元に戻らないが、開き直って筋トレを3年続けている。
それだけならよかったのだが、飲みトレも博トレも続けてしまい気が付けばあっという間の3年間だった(にょトレはなかった)。
しかし、昨年末ふと我に返ると3年間何ひとつやり遂げていないことに愕然とした。
飲み屋に通い博打を打ちブログを更新しトレーニングをし最低限の仕事をするだけの日々。
予定では子供がそれぞれ家を出て行くタイミングで会社とは契約関係を切り事業に専念するはずだった。
ブログ上では格好いいことを述べてきたが、ショックの大きさの分だけ散財しまくった(生活費外の貯え分などから軽く500〜600万)。
このままではやばいので、この一年は軌道修正して本来向くべきだった方向に照準を合わせようと思っている。

そんな折、世間では大変なことになっている。
大阪の市立高校でのバスケットボール部員自殺問題だ。

新聞紙上やテレビ番組などでも幅広く意見が出ているので今更私の見解を述べても仕方が無いが、やはり若者の命が失われるのは悲しい。
体罰の問題は、戸塚ヨットスクールにおけるスクール生死亡事件の頃から議論されてきた(戸塚ヨットスクールを支援する会の会長は石原慎太郎氏)。
石原慎太郎氏と同じ政治グループである橋下徹市長の行政下で起きた問題なのは皮肉でもある。

戸塚ヨットスクールの場合は、戸塚宏校長の「本能が弱い子の本能を呼び起こすためには時には痛い思いをさせないといけない」
との持論を実践したため事故に繋がり本人も4年間服役したのだが、彼は今でも 「量と質のうち量を間違ったことに反省の気持はあるが正しい体罰はある」 と述べる。
私も数年前にこのブログ上で、戸塚氏が主張する脳内から分泌される物質(セロトニンなどの分泌を活性化させる)について調べた上で見解を述べたが、必要で身につけるべきことを体罰ではなく本来の手段であったはずの訓練で身体に覚えこませるのはひとつの手段だとは思う。

例えば、いつも肩からショルダーバッグをかけているとしてその中に貴重品を入れているとする。
それがたまたまバッグが見当たらず、そのへんにある紙袋の中に貴重品を入れ手に持ち出掛けた場合に、ふと気が付けば紙袋を持っていなかったとのようなことはないだろうか?
貴重品だから気も付けるが手帳程度位しか入っていなければどこかに置き忘れてもおかしくない。
他にも、雨が途中でやんだ後に傘を忘れるとか携帯を忘れるとか…
携帯電話(今はスマートフォンか)の場合は、人類の遺伝情報として携帯を持ち歩くという情報がまだ刷り込まれていないから身に付かないらしいが。

私も仕事を始めた頃の師匠(上司と呼ぶにはいかつ過ぎる)に言われたのが 「とにかく何かを使用したら必ず元の場所に戻せ」 とのこと。
それを守らないと毎回強く指摘されたため身体が反応するようになった記憶があるしその習慣は今も変わらない。

結婚や恋人関係なども、相手がいることが当然になってしまうと、お笑い芸人のTKO木下のように、奥さんと別れた後も風呂場に入る際に娘の名前を呼んでしまうことが続いたとの話のように身体が先に反応してしまうのだろう。

私のような人間に対して土日になると出馬表に目を向けさすJRAはちょっとした週末限定の 『愛人』 のようなもの。
愛人らしく毎週のようにお手当まで要求しやがる(笑)。


少し話がずれてきたが、今回の出来事に対する捉え方は人により千差万別だろう。
「ぬるいこと言うな!本当に愛があるなら教え子の前で死んでみせろよ」 との意見にはちょっと共感しそうになる。
愛のある体罰であるなら究極の愛情表現は相手のために死ぬことなのだろうから…

「結果や責任を語る奴ほど自分の招いた悪い結果については目を背ける」 との意見は私のブログのタイトルをディスってるのか?

「結果が全てのこの世の中で結果を出せる強い人間を育てるには殴ったり罵声を浴びせるのは当然」 との意見は今度は私のブログのタイトルを評価しているのか?

「所詮、言うことを聞かない犬を蹴飛ばすような奴と同じメンタリティ」 との意見も辛らつ。

「指導者が教え子に強さを教えると言うのなら、自分が殴られて強くなったとしても自分は絶対殴らない位の意思の強さが無くてどうする」 との意見もなるほど。


しかし私が一番しっくりくる意見は、「名コーチ兼暴力コーチとのレッテルが妥当。どちらかの要素を否定する必要は無い」 だ。

頭の良い人の意見はこのように冷静かつ客観的視点に立ってのものになる。


どちらにしても死んでしまった高校生はもうこの世に戻っては来ない。
そして指導者の方は一生この問題をかかえて生きて行くのかそれともそれを忘れる位の太い神経の持ち主なのだろうか。


人を育てる親の役割は、加害者になっても自殺しない心を育てるべきなのか、自殺してでも加害者にならない人間に育てるべきなのか。

三島由紀夫の身長(推定163cm)がもう少し高かったなら自殺はしなかったのでは?との説(他でもない私の説)もある。
人が命を絶つには近因・遠因があるとは思うが、今回の部員のケースは指導者との関係によるものが遠因と言うには無理がある。
仮に絶対的要因ではなかったにせよ日時上の因果関係を考えても状況証拠的には反論材料が乏しいのではないか。


話をまとめるには根深い問題過ぎるが、良い意味で何かを身体に覚え込ませるのは悪いこととはどうしても思えない。
自分の問題に置き換えて私がやれることは、俺は死なないぜ!と子供達に強がる位だ。


謹んで亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。












posted by tetsukazu at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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