2012年12月15日

現象−2

前エントリーでは人間の存在を現象でしかないとしたが
現象と言っても 「自然現象」 と 「社会現象」 がある。

私達が生まれて死ぬのは自然現象。
私達が社会を形成した中での存在が社会現象。

その中で、私達は 「主体」 でもあり 「客体」 でもある。
もし私達が主体だけの存在ならば、私達の意思で人生を自由自在に切り開けるはずだし災難にも遭わない。

幸いにも前エントリーの内容を心に留めることで、脳内バグの寂しさの感情とはお別れ出来そうだが
何も言葉の世界から寂しさとの言葉を無くそうとしているわけではない。
寂しさや悲しさがあるからこそ喜びや幸せが引き立つのもまた事実。
私が表現したかったのは、必要も無く意味も無いネガティブな感情を排除したかっただけ。

先程、主体と客体と書いたが 「物質性」 と 「精神性(または神秘性)」 についても理解するべきに思う。
目に見えるものしか信じないのは物質性重視。
運気や流れや目に見えない思い(想い)などを重視するのはオカルトチックな立場(目に見えないものを重視)。
雀士なども大きくわけるとこの2タイプ。

選挙間近だが、宗教に関しても某宗教団体は現世利益を重視した上で布教活動をしているように映る。
もしそうでないなら非課税のお布施を年間2000億円〜3000億円も集める必要はない。

とは言え、勧誘される側の信者は精神性重視だろうし目に見えないものに祈ることで幸せになると信じているはず。
私は、勧誘する側は物質性を重視しているという認識である。


話を個人の幸せとの観点からしてみると、私は一人の人間の幸せは一人の人間によるものだけでは得ることは困難との認識を持つ。
物質性・精神性の両面において満たされる状況となるためには、妻や夫や彼や彼女の力だけでは目の前の個人を幸せに出来ない(はず)。
ただし、当然人生のパートナーが個人の幸せにかかわる割合は大きい。
それでも仕事帰りに立ち寄ったお店のママさんが妻子ある男を癒すことを否定する気にはなれない。

親交のある女性との会話でよく起きることだが 「いい男といい女には既に相手がいるよね」 とのやりとり。
私はその件(くだり)になるたびに 「3年チェリーの俺の立場は…???」 となり少しへこむ。

そこで何とか気持ちの挽回をはかりたく無理やり仮設を立ててみた。それは次のようなことだ。


男も女も橋のない川を渡る時が来る。
その川を渡らなくても別に生死には関係ないが、人類全員が渡らないと人類の歴史は途絶える。
つまり川を渡るというのは、使命なのだ。
異性と付き合うということは正に川を渡る行為に他ならない。
いい男やいい女が川を渡るのではなく、少しだけ勇気のある者が川を渡るのだ。
勿論、渡った後に戻って来る者もいるだろう。しかし一旦渡ることに意義があるのだ。

オカルトチックな考え方を否定しているようにも見えるエントリーでオカルトチックな仮説を立てるのも気が引けるが
自分を 「いい男グループ」 に入れたい一心であえて考えてみた。



結局何が語りたいのかわからなくなって来たが、ネガティブな感情から脱却したいのは間違いない。

それにしても人から褒められるという瞬間がどれだけ勇気付けられることかを思い知った週だった。


追記=明日は第一回賞金女王決定戦の優勝戦。
優勝戦の1号艇は田口節子選手(岡山)。
私は彼女の目が好きだ。シリーズ戦の方の優勝戦に乗ってきた来た平高奈菜の目もやはり好きだ。
このふたりの目は勝負師の目に他ならない。
彼女達が目的に照準を合わせた時、他の何も見ずその目標の一点のみを見据える。
果たして彼女達から見て私は日々そんな目をしているのだろうか…

カッコ良さは男だけの特権ではない。見ている者を感動させることが出来ている者はどこまでも気高く美しい。









posted by tetsukazu at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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