2012年11月09日

雑感−28

どうなるかは運次第。
どうするかは自分次第。
誰に何と言われようと自分の道を進む。


最近目にした言葉や最近考えたことで頭に残しておきたいことをまとめると上記となる。

前記事では迷惑を掛けるか掛けないかが人格判断の基準になるとは語ったが、身体に障害を抱える者などは迷惑を掛けたくて掛けているのではないので迷惑との言葉だけで説明出来るわけでもない。

歴史的に見て国民・民衆に迷惑を掛けなかった指導者が居たのだろうかとも考えてみたがなかなか思いあたらない。
チベットのダライラマ14世がかなりそれに近いかなと思って知人にその想いをぶつけたところ、
「チベットは歴史的に見てもかなり酷いと言ってもよいほど農奴制度が固定され続けてきた国なんですよ」
「中国は建前としてはチベットの農奴解放を主張して進出してきたのだから当時のチベットでは農奴の解放が歓迎された側面があるんですよ」
「ダライラマは自主的にそんな酷い制度を変えようとしてはいないでしょ」 と反論を受けた。

そうなのか。と思って少し調べて見るとどうやらダライラマ13世の時代に中国との軋轢(あつれき)が生じたようなので14世の時代には既に大勢がが決していたのかもしれない。
ただ、そうであっても現14世はチベットの歴史も踏まえて中国共産党を批判しなければならないとは思う。
このように、世界を見る場合は一面的には見ずに極力客観的な視点を持ち観察するべきとの教訓になった。

資本主義と社会主義の関係だって一見資本主義の圧勝に映るが、本来資本主義制度の中では過剰な社会保障は必要がなく、自己責任の原則を貫くならば生活保護制度など必要のないものだろう。
しかしそれでは国内の治安が保てないため懐柔する意味で社会主義の良いところをお金で買い取ったと見るのが正しい見方に思う。
確かにソ連を始めとする社会主義陣営は風前の灯火だが資本主義体制側に社会保障制度を売り渡したと考えればユートピアを目指した理念自体が意味のないことだったとまでは言い切れない。

社会主義(共産体制)とは性善説を根本思想として人間の叡智に期待したものだった。
現在地球上でそのユーとピア(国民全てが公平で平等で倫理感を失わないことを前提とした自由な社会)を具現化しようとして孤軍奮闘頑張り続けているのはキューバだが、
アメリカ合衆国政府は貿易を通じてキューバを兵糧攻めにし続けている。
これは一種の虐めに近いものがあるし世界中をアメリカ型資本主義社会に染めたい願望の表れでもあるだろう。
そして違った形で社会主義社会を作り上げたのが日本。
健康保険制度は世界の中では優れたシステムだし現平和憲法は国連憲章に優るとも劣らない位誇るべき内容だ。
国民が銃を持つ自由が決して平和に繋がらないことを知っている日本国民は賢いと思う。
私はこのブログで時には自国の批判をするが、 『敗北を抱きしめて』 という名著が示すように太平洋戦争に負けたことを教訓に平和な社会を作るのだとの意思を持ちつつ努力を続ける自国の人々を誇りにも思っているのも事実。

自虐史観に対する批判を持って国内で揉め事を繰り返すのではなく、自己責任の論理が普通に共有され言行一致が原則となる風潮になれば日本は品格を持つ国となり経済面だけでなく世界からも尊敬されるだろう。

また、これからの世の中を生きて行くのに大切なのは 『リソース(resource)』 だと考える。
リソースとは私的に解釈すると、何らかの目的を達成するために必要な資源・供給源・要素・資金などであり、要素の中には動機・やる気・内的エネルギー・哲学・世界観なども含まれると考える。

自分自身の中に蓄えられていないものを取り出すのは物理的に無理だし空回りするだけ。
裏付けのある自信を武器に進むしかない。

そう、どうするかは自分次第なのだ。


posted by tetsukazu at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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