24日は現在従事する仕事の上で重要な日であった。
にもかかわらず身の回りに激震が走り重要な仕事を飛ばす事態に発展してしまった。
まず、10数年来の知り合いである10歳以上年上の先輩から聞きたくない告白を受けた。
その方はこのブログでも何回か登場しているが、阪神淡路大震災の時に実の母親を引き取ったことがきっかけで離婚をした人だ。
お子さんもいないので日頃から 「俺が動けなくなったら頼むで」 と言われていたので覚悟はしていたがまさか本当にその時が来るとは…
母親を引き取られる時、兄弟同士が押し付け合いのようになったので現存するご兄弟とも疎遠になっているよう。
今更そんな兄弟に面倒を見てもらう気もないので結局私が最初の告白相手になったようだ。
考えて見れば一年ほど前にも別の知人(この方もこのブログに頻繁に出る大学の講師)から大病を患ったとの告白があったので私にとっては立て続けの出来事。
とにかく今回も、「医師からあまり長くないとの宣告を受けた」 との内容だった。
もし入院となった場合、保証人になってくれる人はいるのかと医師から聞かれ 「いません」 と答えたらしい。
私には鍵はどこそこにあるから何かあったら頼むと言われているがそんな事態は来て欲しくもない。
兄弟よりも先に私に告白したのは私の口の堅さを信頼して故のことだと思うがどこか寂しげでもあった。
悪の限りを尽くした学生時代に母親から 「お前を刺して私も死ぬ」 と言われ、ハッとして改心した末に一級建築士になった人だがその頑固さ故に、母親と私のどっちをとるのと元奥さんに迫られ 「今は母親をとる」 と言った結果、現在の事態を招いてしまった。
とにかく 「一日でも長く元気でいて下さいよ」 と声をかけるしかなかった。
そんな話を聞いていると今度は次男のことで急遽大学に出向くことになった。
大事な仕事があったため明日にして欲しいと頼んではみたが今すぐ来て欲しいとのことで急ぎ足で京都に向かった。
大学側は3人、こちらは息子と2人。
いい話で呼び出されることなどあるはずもなく、高レベルでの話し合いとなった。
私がこのブログで語って来たように 「いつ来るかはわからないが、それまでの経験の蓄積の全てを発揮しなければならない瞬間がありその時だけのために経験を積むのだ」 との人生観が正に具現化した瞬間だった。
石田純一の気持ちとは違うかもしれないが、子供の人生はこれからも背負い続けるのだろうなと改めて感じた。
子供とは何事もなかったような顔をして待ち合わせ場所で出会い、別れ際も何事もなかったのように振舞って別れたが、先方との話し合いは机を叩きながらの修羅場であった。
別れた妻にいつも言っているように、今回もまた次男に対して 「世界で一番不幸ではないのだから死ぬことだけは考えるなよ」 との想い。
私が涙を溜めて語ったせいかどうかはわからないが、学校側の担当者も言葉を詰まらせていた。
私に出来ることはひとつ 『我が子に寄り添うこと』 「俺はひとりじゃない」 と思ってくれるだけで私の役割は果たせたことになる。
親の役割なんて子供が困った時に登場することしかない。こんな私でよければこきつかってくれて大歓迎である。
次男は今夜、泣き明かすのだろうから落ち着いたら飯にでも誘ってみようと思っている。
やり直しなんて何度でもきく。本人があきらめなければ…
さすがの俺も今日は疲れた。おやすみなさい

5時台の追記:よほど疲れていたのか10月24日の出来事としてました⇒9月に訂正しました。
こんなことがある中ちょっと早目の誕生日おめでとうメールが届き目が覚めた中での追記です。
イイ歳してこの9月に入り人生何度目かの自分探しの旅中ですが、それでも温かい目で見守ってくれている人はいるもの。
一度信頼関係を結べばそう簡単には壊れないはず。
あと何時間かしたら息子にメールを送ってみます。
今日は眠い一日になりそうです

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