2012年07月18日

世界を動かすもの。

12年以上の付き合いのあるK君(このブログにも登場済み)が現在勤める会社の存続にかかわる問題と直面して退職の決断をした。
養うべき家族がいる中での重い決断だったとは思うが、私が何の力にもなれていないことが心苦しい。

K君は私の私生活を知る人間の中でこのブログをやっていることを知る2人の内のひとりだ。
匿名でやっているブログのせいもあり、ブログを通じて知り合った方々を除けば元妻や息子も訪問しないブログ。
何故そこまで口外しないかについては私の考え方や生き方も反映しているが極力自由に発言したいからでもある。

そんな中、K君は熱心に訪問を続けてくれており私にとって更新する意欲を後押ししてくれる存在。
間違いなく心が真っ白な奴だろうし今回の件も人間関係のドロドロした渦中に顔を突っ込みたくなかったのだろう。

この前の情熱大陸はIT系企業の猪子氏の回だったが、永遠の小四と自分を評していた。
K君は納得しないだろうが、私とK君も永遠の中二と言えるかもしれない。
以前から何回も主張しているように、男は11〜12才位までは母親に支配され14〜15才位からは他人の異性の影響を強く受けて生きて行くことになる。
精神的に本当に自由になれるのは12才〜14才の間の中での2年間程度しかない(個人により前後あり)。
その時期に何を想いどんなことに興味を持ちどう行動したかで、その後の人生に決定的な影響を及ぼす気がする。

私とK君は精神的自由を重視することに共通点があると勝手に解釈させてもらう(K君間違っていたら突っ込みを入れて下さい)。

とにかく今は将来について白紙のようだが、落ち着いたら一度話をする機会を持ちたいと思う。


さて、大津市の中学生自殺問題の波紋が広がりを見せている。
日頃はライトな発言をするタレントの中川翔子さんまでが、ブログの記事で意見表明をした。
加害生徒に対しては 「遊びだったというなら同じ目にあってみろといいたい」 と踏み込んだ発言をしている(実際にブログを訪問して確認した)。
彼女もイジメをされた側の経験があるらしいので沈黙を保つことが出来なかったのだろう。

人間の歴史を辿れば、魔女狩りやユダヤ人弾圧やキリスト教布教に於いての踏み絵等々理不尽とも言える行為を繰り返して来た。
そのような問題と今回のようなイジメの問題を同列には扱えないが、被害生徒にとっては理不尽以外の何ものでもなかったはず。
そしてその後の加害生徒及びその親族に対する過剰気味のプライバシー暴露については別の意味で問題が生じている。

人権を含む様々な権利やそれらに伴う義務、そして法律上許容される自由については広範に渡り語られるが、今回のような例に当てはめると、[虐める権利・虐めを止める義務・通学の義務・通報の義務・生存権・言論と行為の自由・傍観の自由・自己保身の本能・他の動物と比較しての成長の遅さ] などのキーワードが私の脳裏に浮かぶ。

他の動物なら13〜14才なら立派な成獣だが人間はまだまだ成長過程。
そんな未熟な状態の中、20〜40人程度の生徒がひとつの教室に送り込まれる。
13〜14才の者がもし 「人を恨まず罪を恨む」 との達観した境地に達していたとしても被害側にとって心身に負う傷が軽減されるわけでない。


前回のエントリーの絆をキーワードにすると、母親が我が子を虐待し死に至らしめるケースがある中、他人同士が同席する場でどんな理想を掲げるかについて答えを見出すのは困難。
親子の絆も結べないのに他人同士の絆を結ぼうなどと呼びかけるのもどこか空々しく聞こえる。


ここからは私なりの仮説を持って話を進めるしかないのだが、社会や世界を動かす 『力学』 をポイントに考えるのもそのひとつ。
そしてその力学の中でも 『運』 の持つ要素の大きさは計り知れない。
自身の身に起こる全ての出来事を 『運』 で片付けることさえ不自然では無い気さえする。

次なる力学については難しいが 『努力』 との要素もかなり大きなものだろう。

あとは 『センス』 と 『スケール』 かな。
センスとは訳せば、『五感』になるが、 転じて美的感覚や感性のことを指す場合が一般的。
私の独断で 『直感』 を加えて 『六感』 のことをセンスとしたい。
つまり直感も含めた感性。

絆との言葉を使う場合にある一定のレベルで感性が共通する他者とは 『絆』 を結べる可能性も高まるだろう(個人・集団問わず)。


ざっくり言えば、運が良ければ災難に遭わないし努力やセンスやスケールも伴えば万全。
スケールの中には当然経済的な側面も含まれる(豊かな国に生まれ豊かな家庭で育つなど)。
個人の不断の努力により有形無形のスケール(人格・人脈なども含める)を得ることもあるだろう。



人生におけるあらゆる要素(国家的運命・経済的生活・仕事・恋愛等々)を [運・努力・センス・スケール]  の4要素だけで説明出来ないこともないとすることを私のひとつの仮説として今回のエントリーは終えたい。
とにかく社会や世界を動かす大きな力学の前で個人として可能なかかわりは限定される。
努力をしたりセンスを磨くことで運さえも味方に出来るならば少なくとも自分自身そして自分自身を取り巻く周囲に好影響を及ぼすに違いない。


最後に 『経験値』 との要素も大きいとは考えるが、この要素は年齢ハンデがありすぎるので今回の仮説からは省く(補うとすれば人並み外れた読書欲で先人達の経験を学ぶこと)。






posted by tetsukazu at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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