2012年06月26日

「普遍的な人生の目的」らしきもの。

アシ夢

いい加減普遍的な価値や目的についてひとつ位はコレだ!と言えないとダメな年齢だとの自覚はある。

人はどんな価値観を持ち日々生きているのだろう?
勿論、一般化出来るような問題ではないので自分自身で想像力を働かすしかない。

好き嫌いが中心なのか、損得なのか、それともやりがいなのか。

人間も動物の一種であることは明白な事実。
当然他の動物の行動論理ともリンクすると考えるのが自然。


そこで私の仮説は、「生産的な行為を通じてしか生きる目的を感じることは出来ない」 とする。
今日の記事は100%私の脳内から出てくる言葉を連ねてのものなので参考文献などに頼る内容にはならない。
従ってどこを切り取っても私的な見解となる。 

生産的な行為とは何も子孫を残すことだけではない。
仕事を通じて生産的行為に関わる場合もあれば人脈作りも一種の生産的行為。
何らかの分野において実力を上げて行くことも生産的行為だとしたい。

では、非生産的行為とは何か?
いつも例に出してしまうが、過去にあった小学校での児童無差別殺傷事件の犯人の行為は間違いなく非生産的行為。
あそこまで極端でなくても他者を傷付けたり自分自身を傷付けたりする行為(心身の両面)は非生産的行為だろう。

もうひとつの非生産的行為としては、手段と目的があいまいな場合。
わかり易いところでは、収入を増やすことを目的とした場合にギャンブルを手段として選択するのは愚かな行為であるし目的を果たすことはノーベル賞を獲る位困難なことである(お前が言うか!との声が聞こえそう)。
客観的に見て明らかに芸能活動に適していない者がその分野を目指すのも生産的活動とは呼び難い。
つまりバカな判断と生産的なこととは相容れない関係。

これもいつも例に出して恐縮だが、あのマルクスは 「人間は自らが実現不可能だと思える目的や目標は持たない」 との仮説を示した。
しかし多くの人間がマルクスの期待を裏切り愚かな行為やバカな選択を繰り返し続けている。


実は今日、26歳前後の知り合いの男と少し会話を重ねた。
彼は私の知人の女性の息子さんなのだが、先日私のところに来て 「離婚届けの見届け人欄に署名をお願いしたいんです」 と依頼してきた。
その後色々とやりとりがあり結局は私以外の人間に頼むこととなった。

そしてその話の直後、彼が今度は就職についての相談に来た。
どうやら自分で飲食店を経営したいらしく、その前に焼き鳥のチェーン店の責任者募集の面接に行こうと考えているとの内容だった。
私が飲食店を経営してきたことを知っているので相談に来たのだが、切々と私の持論を述べた。

彼に対して、「恐らくイメージしている何倍も仕事内容はキツイよ。それをイメージし覚悟出来ないなら簡単に飛び込むべきでない」 と伝えた。
彼はリンゴを英語読みする会社にいたプログラマーだったので結構キツイ仕事はしてきたはずだが飲食業界は大手であれ法令順守を徹底し難い業界なのできつすぎる位の表現で言葉を紡いだ。

で、今日である。
「おう、結局どうするんや?」 と問いかけると 「やっぱりキャリアを生かし外資系の会社に面接に行くことにしました」 との返答。
聞けば私のアドバイスも参考にしてくれたようだ。
離婚が決まったとはいえ、まだ小学校にも行っていない息子さんは小学校に上がるまで元の奥さんの下で生活をし、小学校に上がった時に親権者である彼が育てることになっているとの事情もある。

離婚はするわ子供は居るわ仕事はないわと大変な状況だが、ギャンブルは一切しないようなのでそれはずっと続けろと声を大にして言っておいた(またまた説得力なし)。

微力ではあったかもしれないが、私の辿ってきた人生を詳細に伝えたことで何か感じるものがあったのだろう。
これも小さくはあるが生産的行為のように思える。

偶然は重なるもので、今日は元妻からも連絡があり相談に乗った。
ブログ内でも触れたが、彼女は今精神的な疾患と戦う毎日だ。
生活が苦しいことを語っていたが、その点はちからになれないことはないので私からは別のことで思いを述べた。
彼女は自分のポテンシャルを超える頑張りを続けたためパンクしたのだが、私は 「確かに君に負担が一身にかかってしまい迷惑を掛けたのは事実だけど、別にどこかに縛りつけたり監禁したりして労働を強制したわけではないのだから君がどこかの時点で音をあげることは可能だったんではないかな」 と言葉を投げ掛けた。

それに対して彼女は 「確かに当時の私は使命感ともいえる思いに縛られていたのかもしれない」 と言った。

続けるように私は 「それと、君は理想の自分を常に思い浮かべていると思うけど人間なんてそううまく行くわけではないのであまり理想にとらわれ過ぎるとそのギャップに苦しむことになると思うよ」 と言葉を掛けた。

子供達とのわだかまりや実の母親とのわだかまりも彼女の中では消えていないので日々自責の念があり薬の処方なしでは日常を過ごせていないのだが、夢も希望も淡々とこなす日常の中からしか生まれてはこないはず。
薬に頼らず淡々と日常(買い物をしたり掃除をしたり仕事をしたり)を過ごせるようになればまた新たなスタートラインに立てると信じたい。

彼女は今生産的活動とは少し離れたところにいるので生きる実感ややりがいや人生の目的・目標を持ち難いのは理解出来る。
でも、カラオケで唄うのが一年前より上手くなったと思えるだけでも生産的行為なんだと思う。
何か小さなことでも良いから前を向いて進んで欲しい。

母の日に、次男からの連絡でこっちに帰って来たら4人でカラオケでも行こうやと言われたとの事実を知って以来、私のカラオケ技術はウナギ登り(笑)だ。
今、吉田拓郎の 『流星』 を唄わせたら町内一(ちっちや)かもしれないぜ。ワイルドだろ〜

少し話が脱線して来たが、生産的活動・行為・事項 とは幅広い解釈が可能だ。
ほんの些細なことでも生産的な毎日でありたい。


そして 生産的な行為こそが普遍的な人生の目的に成り得ると考える。




posted by tetsukazu at 21:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 私的本質論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そうですね、何かを生み出す人間になりたいですよね。
Posted by 人脈★吉田けい at 2012年06月28日 01:25
>人脈★吉田けいさん

コメントありがとうございます。
やはりぶれないことが重要に思います。
野村監督は、「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負け無し」 と言っています。
守りを固めた上で攻めの姿勢を貫くことも大事に思います。
私のブログのメインタイトルが 『結果が大事』 なため余計にこだわりがあります。
Posted by tetsukazu(管理人) at 2012年07月06日 23:39
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