2012年06月20日

限界効用と主観価値。

大げさなタイトルになってしまったが、別に私が近代経済学に精通しているわけではない。
単に、人々の欲望実現が主観によるものに大きくシフトして来ていることへの対処方法を考えるきっかけにしたかっただけだ。

私が受ける印象では近代経済学においては、人間は己の欲望充足を目的とする時、与えられた条件を最大限生かした上で合理的・効率的に振舞うであろうとの態度をとっているように映る。

しかし実際は個人の趣味・嗜好は様々であり客観的に見れば合理的選択に映らない行為を繰り返す場合も多いように感じる。
つまり近代経済学における価値の基準は個人の主観に委ねる部分が多いのではないだろうか。


具体的な例を示したい。

例えば20万円の収入があり、その内5万円を自由に使えるとする。

@自分の着るスーツを買う。

A親族の生活用品を買う。
追記:親族とは6親等内の血族・配偶者・3親等内の姻族のこと。配偶者の親は1親等の姻族)

B好きな女性に食事をご馳走する。

@〜Bの内どれを選ぶかは個人によりそれぞれだろう。
勿論、30万円の収入があり15万円使えるなら@〜Bまで一度に満たせるが、毎月15万円を自由に使える人間は数少ない。

限界効用の理屈だと、Cとして牛丼を食べるがあれば、3杯目には限界効用から限界非効用に移行して幸福感が苦痛に変わるだろう。
ところが、Dとしてギャンブルとの項目があれば、まず金が尽きるまで楽しむだろう。

Bの場合においても食事だけでは済まずにバックを買ってあげたりに展開する場合もありそうだ。
その際はバックを品定めしている最中に苦痛になっているかもしれない。

フリードマンなどが常に言っているように、選択の自由がある代わりにその結果を個人が受け止める覚悟がいるのが現実。

このように主観を重視する価値観が全盛の時代には客観的な価値観の押し付けや善悪の押し付けはそぐわない。
ある意味、損得さえも基準にはなり得ない。
もし客観基準があるとすれば、人は好き嫌いが行動動機であり選択基準であるとする位。

好きなゴルフのためなら休日の5時起きも苦にならないし好きな女の子のためなら毎日いくら費やしても会いに行くだろう。

近代経済学ではマクロ的には人々の振る舞いに合理性があっても個人を細かく観察すれば哲学もなく欲望に身を任せている者が山といるだろう。


さて、先程の@〜BプラスCDに対する私なりの考えだがひとまずCだけの欲望を満たした上でまず2週間ほど5万円弱を使わずに置いたままにするのが第一ステップとする。
そして2週間後に改めて何を最優先するかを考えてみる。
その時に、Eとして貯金という選択が出てくる可能性もある。
Eも含めてどうするかを考えるのが第二ステップ。
そこで結論が出ようが出まいが一ヶ月後の心境を自己確認するのが第三ステップとなる。

そんな流れの一ヶ月の中、15万円で日常生活を送るうちに5万円弱の最大活用プランについて何か感じるものがあるかもしれない。
要は自分自身にとって価値とは何かを冷静に考えるきっかけが必要だということ。
それは、自分が生きて行くにあたり何が必要なのかを考えることでもある。
お金を得るために働くのは当然の動機だが、そこで得たお金をどう使うかについては意外と考えていないのではないだろうか。

手段と目的について冷静に考えてみることは決してマイナスにはならないだろう。

そろそろ寝ないとブログをやる効用の限界と睡眠の効用とのバランスがとれなくなるので筆を置きます。
合理性が世の中を動かす原動力になっているのだから好きではなくても個人として合理性をある程度追求しないとしんどいかな。








posted by tetsukazu at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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