2012年05月16日

永遠の一瞬。

人は何故様々な経験を積むのか?

世の中は、理不尽が道を歩いているようなもの。

理不尽A 理不尽B 理不尽C ………

両親が離れ離れになった子供が既に20才。

その子供が母の日に贈った一通のメール。

「今度こっちに来る時は4人でカラオケでも行こうや」

それを目にした母のその一瞬は永遠の時間に思えただろう。

メールを送った子供にも歩んで来た歴史がある。

カラオケをすることで何かが変わるわけではなく何も変わらない。

しかし短い文にこめられた思いは20年間分のもの。

そしてその思いは永遠のものでもある。

それぞれが自己肯定するまでには時間を要する。

一緒にいることだけが絆ではない。

成長の方法はそれぞれ違う。

きっとこの世に意味のないことなど何もない。

人の歩む道だって意味はあるはずだ。

意味があるからこそ人と人は出会う。

何十億の中から特定の人間と出会う縁は奇跡でもある。

きっと人生は奇跡の連続なんだろう。

明日元気に生きている保障なんて誰もが持ち合わせない。

だからこそ一瞬に輝きがある。

理不尽が渦巻く荒野の中で人は何を信じて生きるのだろう。

全能力を試される瞬間は、ある日ある時訪れる。

人はその瞬間のためだけに苦闘しもがきながら経験を積んで行く。

自然体で生きればいいんだよと他者が言う。

でもその意味は自分で考えるしかない。

その時が来た時に考え始めてももう間に合わない。

一人が寂しくない場合もある。

でも本当に一人なんだろうか?

同じ能力を持つ人間の最後の差は「自信の違い」かもしれない。

その自信は自己肯定だけでは不足する。

きっと誰かがそっと見てくれているはずだ。

心から人を愛さない限り人からも愛されないだろう。

上手く立ち回ろうなどと考えても無駄なこと。

自分の器以上の成果など得られるわけはない。

声を掛けられるのを待つのでなく自ら行動を起こさないと何も変わらない。

性格を変えるのは9割位の確率で難しい。

変えるべきなのは性格ではなく、行動パターンであり自己分析能力を上げること。

例えば半年間で英語の能力を一定程度まで引き上げると決意した者に雑念の入る余地は少ない。

決意したその一瞬も今までの積み重ねが成せるわざ。

何故人は大切なものを見失うのか?

それは見失ったからではなく最初から見ていなかっただけ。

いや、見えなかっただけ。

理不尽だらけの風景の中に、一筋の光が見えるかどうかは目の輝き次第だ。

そしてその一瞬に輝く光を見逃さないために自分を信じてそして信じるに値する人を信じて今日も汗を流しひたむきに生きるしかない。

心の通じ合う者同士の時間は永遠に止まったままなのかもしれない…










posted by tetsukazu at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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