2012年03月08日

何のために…

渡邉美樹氏(1959年〜)が取締役会長を務めるワタミフードサービスに勤務していた26才の女性従業員が2008年に自殺した問題で、神奈川県労働局の労働災害補償保険審査官が労災適用の認定をしたことが先日報道された。

私も飲食業界の勤務経験があるため遠い世界の出来事とは思えない。
亡くなられた女性は、入社後僅か2ヶ月で自殺したのだが、月140時間に及ぶ時間外労働だったらしい。

午後2時か3時に出社。平日は午前3時過ぎまで働いたあと、始発が動く5時まで店にいたとのこと。
週末は午前5時か6時頃まで仕事。
休日は研究会の出席とかレポートの作成作業に追われていたと。



時間外労働については労働基準法第36条で、使用者と労働者間で協定を結ぶとその範囲では働かせることが出来るとなっているが、一体どれほどの企業が従業員の安全環境や健康管理について真剣に取り組んでいるのだろうか。

今回の決定を受けて渡邉氏は、残念であるけれど労務管理には問題はなかったとコメントを出した。
私が見る限り、どこまで行っても渡邉氏は資本家の論理に沿っての思考を持ち続けるだろう。

渡邉美樹氏は 「生きるため生活するために仕事をするのでなく、仕事をするために生きろ」 のような表現で従業員を鼓舞していたらしい。
生活のために働くと考えると、甘えが出て目の前の仕事に真剣に取り組めないことになるとの思いから出た言葉なのだが、鍛えることを目的にあえて言ったとしたら真面目な従業員には裏読みが出来なかったりやり過ごしたり出来なくて、肩にかかるプレッシャーは相当だったろう。


私は思うが、『熱く生きる』 ことは生きて行く上でとても重要なことだ。
仲間がピンチにあったり危害にあったりした時は、結果として周囲に止められても仲間のために特攻する気持ちが欲しい(結果として止めてもらえない場合もある)。
しかし、腕や脚が折れても頑張るとか言って本当に折るのはどうなのだろう。
私の息子が同級生に殴られた時、元妻は相手を殴りに行くと言っていたが周囲の反対もあり断念した(その前に私に殴りに行って欲しかったのだが私が拒否した)。
その件について、今となれば元妻の熱い気持ちが人間としては正しい反応であり、私は醒めすぎていたのだろうと思う。
確かに報復することでのマイナス効果を考えると私の判断は間違っているとは言い切れないが、人としてどうなのだろうか。
少なくとも私は当時に相手の家に抗議に行くべきではなかったかとの思いが残る。

和民の最高指導者は熱く語り従業員は熱い気持ちでそれに応える。
ある意味素晴らしい光景であり全てが間違っているわけでない。

先日、ほぼ死刑が確定した光市母子殺害事件でも、被害者の父親でもあり夫でもあった男性は、事件直後は報復について強く言及していたが先日の会見では若さ故の発言もあったと述べていた。

和民の件で亡くなられた親族の方も複雑な思いがあると思うが、何と戦い何を学べばよいと言うのか。
人は生活のために働く。光市の件では生活のため生きるために仕事に行っている間に妻子が殺害されてしまった。
26才の女性もまた生活のため生きるために仕事をしていたのだが生きるためだったはずが全く真逆の結果を招いてしまった。

何のために生きるのか? 何のために働くのか? 何のために戦うのか? 何のために…



人生に意味があるとすれば、私にとっては私という存在が何よりも意味を持つ。
何より考えるべきなのは自分自身の生き方。
自分はもう少しだけ熱く生きないとな。 ご馳走もたまに食べるからご馳走なんであって毎日ご馳走を食べてればそれはご馳走でなくなる。
毎日ご馳走を食べたい私の思考は改善の余地がある。


女子サッカー日本代表の選手の頭の中は 「もっとサッカーが上手くなりたい」 との考えが多くを占めていそうだ。


長男に何のために生きてるん? と聞いたら 「死ぬのもなんやし何となく…」 と答えた。
「人間の生きる意味って死ぬ直前にしかわからんらしいな…」 とも。
なでしこの選手にとってのサッカーにあたるものが、私にとっては何なのだろう。

熱く生きる中で何かが見えてくればよいが…









posted by tetsukazu at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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