2012年03月05日

鏡に映る自分。

最近の当ブログ記事では、『成長』 という言葉を多用しているのだが、鏡に映る自分を見るだけでは仮に成長しているとしても実感するまでに至らない。
昨年末にコロンビア白熱教室の最終回は見たが、3月4日もアンコール放送分の最終回だったため復習の意味で集中して画面に見入っていた。

シーナ・アイエンガー教授は、選択とのキーワードのまとめとして、選択を日々繰り返すことが成長に繋がり、本当の自分に出会えると言った。

土曜日から日曜にかけては、久々に長男と話をする機会があり、本音も聞くことが出来た。
長男は、自分自身を自己分析して 「昔から努力することが嫌いで極度の面倒くさがり」 と語る。
ただし、好きなことには人一倍努力をするが、それは誰でもそうなので本当の意味での努力とは呼べないのでは?とのこと。
そんな自分なので、今の生活(長期展望に欠けるが日々はそれなりに楽しい)がしっくりくると…
私は父親なので、その話を聞きだした翌日 「昨日はあんなことを言っていたけど、第三者がお前の考え方を聞いた場合、9割方の人間は、もっと先の展望を持って計画的に過ごすべきとアドバイスすると思うで」 と言っておいた。
言いっ放しではよくないので、「俺が言っているのは正論であり一般論でしかない。第三者がお前に対してどんなに良いアドバイスを与えても、それを受けてどうするかはお前の考えと行動次第。3日で変われる奴もいるし20年経っても変われない奴もいるやろ」 と補足しておいた。

上原美優さんは最後、自ら命を絶ったが、彼女に対してアドバイスを送る人も居たに違いないし親族も力になっていたことだろう。
だが… 人が人に対する時、何が力を持つのだろう? 言葉なのか、お金なのか、愛なのか。
心がこもった言葉にも力はあるだろうし、経済の問題で悩んでいるならお金が力を持つだろう。

話を戻すと、先のことも考えた方がいいとの一般論の話について長男から、「俺も今の考えでずっとやって行けるとは思ってない」 との返答を引き出せた。
私がこの場でこんな何気ない日常をわざわざ書き出すことに意味を感じない方もいるとは思うが、私が心をこめて長男に語りかけているからこそ本音に近い言葉が出たような気がする。
この記事を見ている方にとっては些細な日常に映るはずだが私にとっては中身の濃い会話なのだ(長男の小中高大学時代にもこんな会話はなかった)。

私は、昔から 「一人の人間の生き方や考え方を変えるのはマンツーマンでやったとしても成功確率は低い」 との考えを持つ。
例え実の親であったとしても子供達の人生をよい方向に導くのは至難の技だとの想いがある。
結局、自分自身が気付き自分自身が自発的に変わるしかない(周囲はサポート役を超えられない)。

昨日鏡に映った自分と今日鏡に映った自分の違いはほぼないに等しい。
内面が変わっていたとしても鏡に映る自分の変化は判断し難い。
では、どうすれば人は成長出来るのだろう?
シーナ・アイエンガー教授が語るように、やはり選択して結果が出た過去の事実や心模様を確かな記憶として蓄積した上で、今と未来に対しての適切な判断に繋げるべきなのだろう。
そうすることで、日々よりよい選択が可能になりそれが人間としての魅力や成長に繋がるはずだ。

3月4日は、女子プロゴルフで、昨年プロになったばかりの斎藤愛璃さんが優勝した。
上田桃子さんや諸見里しのぶさんなども一時はかなりセンセーショナルな話題を振りまいたがすっかり目立たない存在になっている。
有望な後輩が次から次へと出てきて、女子プロ戦国時代の様相だ。
プロスポーツの世界に生きる選手は、正に選択の連続であり選択による結果に常にさらされる。
どのような練習をどのような密度で行うかに始まり、新陳代謝が繰り返される中での相対評価に翻弄されながら、レベルアップに取り組まなければならない。


鏡の中に成長した自分がいるのではなく、鏡の中の自分が生身の自分を見て成長に気付くのであり、他者という鏡を通して私は評価されるのだろう。

本当の自分に出会うため、明日からも私は選択を繰り返しそれを蓄積して行く。
本当の自分は既に内面に潜んでいるのだから自分の中のいらない部分のそぎ落としが大仕事になる。



それにしても最近の競馬は不可解。福永騎手などは調教師などから 「ファンに謝罪したり自らの戦法ミスを絶対語るな!」 と言われていると思うしかないレベル。
チューリップ賞の人気馬2頭(同馬主)などは、福永騎手の騎乗馬の後ろから攻めろとの指示が出ていたのでは?と思わせるような岩田騎手の騎乗。
日曜日は日曜日で、中日新聞杯に出走のダノンスパシーバを管理する佐々木調教師が、「前走は体が立派過ぎた」 と語っているが、仕上げたのアンタやろ!!と突っ込みたくなる。
そのくせ今回のレースも人気を裏切っているし。
極端なスローのレース全盛になるのならせめて8頭立て程度でやって欲しい。
以前にこのブログでも語ったが、ルール上は出走するレースは全力で戦うことが建前になっている。
全馬が勝つことを目指すならゴールまでのどこかの地点で各馬が最低一度は3番手までに位置して欲しい(例えば3角まで最後方だとしても3角から4角にかけて3番手位まで押し上げるとか)。
馬券を握りしめるファンを意識しないことを続ける限り売り上げの下降線は避けられないだろう。

とは言え、馬券が外れた腹いせに発言しているわけではなくどちらかと言えば、ここに来て経験則が馬券成績に反映し出している。

いつの間にか長いエントリーになってしまったが、自分自身の納得感は何においても大切なことだと思う。
他者に左右され過ぎる毎日だったりオッズに一喜一憂するギャンブル生活だったりは避けた方がよい。



posted by tetsukazu at 01:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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