2012年02月13日

愛やら恋やら快感やらお金やら。

脳がどうだとか決定論がどうだとか言いながら一方ではギャンブルのことも忘れてはいないのが生身である私。
風邪もひくしお腹も減るしお金も欲しいし暇も欲しいし話相手も欲しいしひとりの時間も大事である。

ホイットニー・ヒューストンさんが亡くなられた。
私がいくら人間とは?愛とは?人生とは?と能書きを言っても彼女の歌声の前では何の力も持たない。
彼女のように全世界の人々に大きな感動を与え続けた人生は素晴らしいものだが同時に苦難の連続でもあっただろう。
名誉や富を築く中で、それに群がる人達も多くいただろう。
純粋であればあるほど人は傷つき逃げ場が必要となる。逃げ場の選択を誤れば思いもよらない道に迷い込むかもしれない。

知り合いに聞いた話だと、ある男がいてその男には内縁の妻がいたが、ある時期から愛人も作り途中からはその愛人の元で暮らし内縁の妻は捨てたらしい。
ところがその後はよくある話だが、愛人には捨てられひとりになってしまったらしい。
その男の情けないところは、その後で再び捨てた女性の元に舞い戻ったこと。
それだけならまだよいのだが、その男によると「舞い戻ったものの女に金がないんで戻った意味がなかった」 とのたまっているらしい。

はぁ〜? 私には全く理解不能である。とは言え信頼のおける知り合いからの話なのでほぼ事実として捉えてよいだろう。
こんな男も種としては私と同類になる。私には彼と共通する遺伝情報が備わっていないとは言い切れない。

この男の内部にある遺伝情報に愛だの恋だのは存在せず、自己の利益や自己の快感が大きな割合となっているのかもしれない。

最近のエントリーで、ドーパミンの話を少しだけしたが、冗談ではなく人間の脳のネットワークは実際には愛だの恋だのとの要素はなく、人を好きになったりする際に何らかの快感物質が放出され(例えばエンドルフィン類・ドーパミン)その時の高揚感を愛だの恋だのと呼んでいるだけかもしれない(癒しを感じる時はセロトニン)。
生殖活動に関する行為にしても摂食行為にしても睡眠活動にしても何らかの快の感覚を伴う。人間が生きて行くために必要なことと快の感覚がセットになっているのは偶然でなく、人体内部における合理的機能なのだろう。

では、仕事をしている時は不快な状態なのかとなるとそれは考え方次第で大きく違ってくるように思う。
仕事中に集中している場合は、あっと言う間に時間も経過するだろうし集中時に出る脳内物質も不快ではない物質のように思う(例えばアドレナリン)。

今週はバレンタインウィーク。ひと昔前なら♪バレンタイン・キッスのメロディーが流れてきそうだが、最近なら♪チョコレイト・ディスコといったところか?(違うか)。

年に2回。この時期とクリスマスの時だけは、街の自称ギャンブラーも愛だの恋だの語ってもバチは当たらないはず(と言うか別の意味でバチだらけだが)。

愛と恋と快感とお金に順番は付くのだろうか? 私の出来ることは昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分が成長するしかない。
そして成長の実感は結果として表れることで得られるはず。男として成長しているならば快感やお金だけでなく愛やら恋やらにも縁が出来るのでは…

ホイットニー・ヒューストンの大ヒット曲⇒I will Always love you(スペルが正しくなければお許しを) 「あなたの人生が穏やかでありますように あなたのすべての夢が叶いますように あなたに喜びと幸せが訪れますように でも何よりも あなたが愛とともにあることを願っている そして私は あなたを愛し続けるの 愛しいあなたを ねぇずっと あなたを愛してる あなたを愛し続けるわ」

誰かを愛し続けることが自分自身の喜びになるのなら人生は豊かなものとなる。誰かの歌声から勇気をもらったように自分自身のメッセージが誰かの支えになるような生き方が出来るのだろうか… 




posted by tetsukazu at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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