2011年11月25日

見える風景、見えない風景。

今日は特に書きたいことはないのだけれどたまには思いつくまま綴ってみる。

珍しいことではないが、マンションの13Fのベランダから3才の子供が転落して死んだとの記事を目にした。
母親の買い物中の出来事だったらしく子供が一人で留守番していたようだ(買い物に出る時は寝てたのかどうなのか?)。

このように昔から1億分の1、1千万分の1のような確率で災難に遭う人が存在する。
しかし今回のケースのような場合は未然に防げていたケースだろう。
先日運転免許の更新に行ってきたが、大阪府内だけでで毎日3桁(100件以上)の交通事故が発生しているそうだ。
先程の転落事故のような死亡に至らずケガにとどまるケースも入れれば交通事故以外での負傷事故も毎日相当な数になるだろう。

私達が日常生きている空間は、主に健常者が何事もないような顔をして行き交う空間だ。
表に出られないような状況の人を目にする機会は少ない(精神的な病を抱えていたり極度のアトピーなどで自宅から出ない人も多くいるだろう)。
私も含め、今時バツ一・バツ二など珍しくもないがそれでも表を歩く時は普通の顔でいる。

私はギャンブルを人より多くするが(そこがかなり問題だが…)、公営ギャンブルなどは見えている部分よりそうでない部分のほうが多いだろう。
先日のマイルCSにしてもゴール前の直線はかなりの向かい風だったようで、これでは追い込みは厳しい。
命より大事(ソースはカイジ)なお金を賭けるのだから本当は風の向きさえも予想のファクターに入れるべきなのだろう。
ボートレースなども追い風と向かい風では有利不利があるし横風の場合もある。基本的には向かい風の時はダッシュをきかせた外からの仕掛けが有利。
競馬にしても騎乗する騎手がその週に夫婦喧嘩をしているかも知れないし風邪気味の騎手もいるだろう。
馬にしてもレース前に周りの馬が暴れてたりする影響でストレスを抱えたままレースに臨むこともあるだろう。
牡馬の中に牝馬が1頭しかいない場合はその牝馬の後ろにつけたがるスケベな馬もいるらしい(笑)。

22日から始まっているボートレースのチャレンジカップも王者 松井繁の気合が入りまくっている。
賞金ランク10位前後だけに暮れの賞金王決定戦への出場を一日でも早く確定させたいのだろう。
今節は松井が4コースのカドから捲くったレースで5万舟券が出たが、少し前なら松井の頭で5万舟券など考えられなかった。
私達には見えないものが松井の胸の内にあるのだろう。またそれを読み取れた奴しかそんな舟券はとれない。

最近、一日一日がとても貴重に感じる。勿論年齢的なものもあるがそればかりではない。
少しでも人の生き様に想像を膨らませる者は、未来をどう生きて行けばよいのかを考えるのは必然ではないだろうか。

キリスト教のカトリックは離婚を禁じているし(無論法律上は可能)自然に反するような避妊行為(コンドーム・経口避妊薬など)も禁じている。
飲酒・喫煙については、カトリックは過度な飲酒・喫煙は禁じていて、プロテスタントは原則飲酒・喫煙は禁じている。

さて、日本のように一神教でない国の場合、何をして個々人の精神的抑制を保てるのだろう。
私個人の場合、父親が亡くなった時に父親の実家の宗派のお寺を通じて葬儀を執り行ったのだが、それまで日々祈念・礼拝などしてこなかった私にしてみればある種のセレモニーとして接した側面があったのは否めない。

私は、キリスト教の信者ではないが離婚・堕胎・自殺などについては否定的な考えを持つ(前にもブログで書いた)。
一方で、自分中心の生き方をすることには肯定的だ。仮に親に迷惑を掛けたとしても思い残すことがある人生は歩むべきでないとの勝手な考え方。
私は子供の時にすき焼きの肉を遠慮しながら食べていた記憶があるため、子供達には食べ物を遠慮さすようなことはしたくなかった。
恐らく我が家のエンゲル係数は日本でも指折りのレベルだったはず。
子供が食べたいもの飲みたい者物は基本的に与えてきた(炭酸飲料など健康のに影響の出るものは除く)。
二人とも赤ん坊の頃は六甲のおいしい水でミルクを作っていた(20年前では一般的ではなかった)のでいまだに頭蓋骨など骨はありえないくらいかたい。

私の父親が亡くなる直前に、「親父、迷惑掛けっ放しやったな」と話かけたら「親子の間に迷惑なんて言葉は存在せんのや」と返ってきた。
私が独立して事業を起こす際も薄々失敗すると思っていながらも私に対しては「俺には独立する勇気がなかった。その点お前は勇気がある」と。
事業の継続を断念する際は、父親の会社の社長から「やめることの方が勇気がいる」と含蓄のある評価を受けた。

人は見えるものに関しては敏感であり影響を受け易い。
しかし見えない景色に関しては、想像力・創造力・洞察力・経験・知識・人間力などに優っていないと感受性を持てない。

水曜日はターフの真ん中日曜日ブログのあらたさんからの情報で午後8時からクイズの番組を見た。
歴代のクイズ王達(様々なクイズ番組の優勝者)がほぼ一同に会してのものだった。
準優勝の石野まゆみさんは現役の銀行員のようだが、毎朝の出勤時に新聞4紙と雑誌を買うらしい。
クイズと結婚したとかどうとか言われていたが、一つのことに集中しきってしまうとそうなるのかな。
違う言い方をすると、何かを諦めないと何かを極めることが出来ないという一つのケースかもしれない。

石野さんには未来にどんな風景を見ているのだろうか。
私にはわからないがきっと今を生きて毎日が充実しているのは間違いないだろう。
彼女は現在のところ、我が子をベランダから転落させるようなこととは無縁だしもし仮に母親になったとしても子育てに情熱を燃やすはず。

クイズ王達は互いをリスペクトし合い、己に欠けているものは何かと常に自問自答しているように私の目には映った。
きっと彼ら彼女らにとっては 『一瞬が永遠』 なのだろう。
彼ら彼女らが回答ボタンを押すゼロコンマ何秒の世界は打ち寄せて返る度に形が変貌する知識の渚なのだろう。

私達そして私はどれだけ今日という一日、そして今という一瞬にあらゆる要素を凝縮出来るのだろう。
どう考えても人生は短い。しかし凝縮する分だけその中身は濃いものとなり意味もあり充実したものになるだろう。


日曜日のジャパンカップ。エイシンフラッシュの藤原調教師がデインドリームの能力が見えているような発言をしている。
日本の馬でデインドリームに対抗出来る馬は世界を知るトレーナーの管理する馬ではないだろうか(ほとんどのトレーナーかもしれないが…)


男の総合力のピークが何歳に来るのか、それともピークなどなく、学ぶ者や向上心・素直な心を持つ者は力尽きるまで能力が上がるのか。
その答えは自分自身で出すしかない。
宗教以外で自分自身を戒めるしかない人間は、躓く度に教訓を心に刻みつけその痛みをいつまでも忘れないことだ。
そして自分自身に不足しているものは何かを常に自問自答するしかない。










posted by tetsukazu at 00:17| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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