2011年10月13日

自由の代償−2

昨日の記事では言い足りない部分があったので補足を少し…

ブルジョアジー(支配階級)からの長年に渡る収奪からの開放を目指し、決起したプロレタリア(被支配階級=労働者)達により 『自由』 だけは手に入れたが、どうしても越えられない壁が現存するのは確かだ。

自由を手にした現代における労働者が、産業革命時代のイギリス(当時はイングランド+ウェールズ+スコットランド 後にアイルランドも併合)に象徴とされる労働者の生活振りと大きく変わったとは言い切れない。
当時の労働者にとっての楽しみは、日本流に表現すると[飲む打つ買う]だった。
では、現在の労働者の楽しみが当時と大きく変わったと言えるのだろうか。

当時も現在も支配者(資本家・地主)と労働者の間で簡単に越えられない壁がある。それは何か?

教育 である。

高いレベルの教育を受けるには当然経済的な余裕が必要であり、それをサポートする家庭での体制も重要だ。
酒を飲める年齢になった労働者達がパブ(居酒屋やバー)で一杯やっている間に、ハイソな者達は自宅で勉学に勤しんでいるわけだ。
当然、その差が何かにつけて出てしまうのは必然。
人類の歴史の中では数多くの書物が残されているが、 『奴隷』 が残した書物が語り継がれたとの話は聞かない。
つまり人々は支配者達が残してきた書物の影響を受け続け子孫を残してきたとも言える。

勿論、北野武のようにプロレタリア出身から成り上がった人物もいるが多く(少なくはないとの意味)の労働者は月に単行本の一冊も読まないのではないか。
勉強するべき時間に他のことをやっている間に脳の一部が着実に汚染されてしまうのだろう。
女や子供や猫はある意味魔物と言われるし(ソースは自分)麻薬的な遊びや趣味も数多い。
勉強するべき時間を他のことに割いていればいるほどそれらの魔物や麻薬的なものに接する機会が増してしまうのも事実。

NHKでは毎年決まって大河ドラマを放送するが、私が見る限り主人公を美化し過ぎとの印象。
結局、大手マスコミは押し並べて支配階級の息がかかっていると見た方が自然。
つまり人が人を支配することを 『是』 とする者達によるメッセージが送られているとの認識が正しいように思う。
私から見れば坂本竜馬だって気の利いたブローカーとも言えるし、織田信長に至っては農民から富を搾取する領主階級の親玉と言えるしある意味盗人ではないか。
言いすぎかもしれないがとにかく美化し過ぎるのはいかがなものかと思える。
悲しいかな高い教育を受けているからこそ難しい表現も可能だし後世に残る書物にも関われる。

とにかく支配者達は将棋の駒をどうやって動かすかを日夜考えている。
それに比べて飲む打つ買う系の庶民は、地獄の釜底で内輪喧嘩に終始しているのが関の山。
何も私自身を排除した話でも何でもなく、正に人一倍飲む打つ系なのが自分自身。ただ、何故だか本もよく読むし学ぶことも嫌いではない。
飲む打つ買うに対抗出来るのは意思でも何でもなく、勉強すること学ぶことなのかもしれない。


庶民は 『自由』 を獲得した。汗を流して稼ぐ能力に関しては代々受け継がれてはきたが、お金を使う自由に関しては遺伝子レベル以外のところでの 「気付きや自発的努力」 が伴わないと本当の意味で自由を謳歌するところまでは至らないだろう。

だだし努力することについてはひとつだけ注意点がある。
日本共産党がジリ貧なのは何故か? それは努力の方向性の問題だろう。目的を達成するための適切な努力とは何かを考えることも重要なのだ。


posted by tetsukazu at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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