2011年10月03日

男道。

男道というと某騎手のようになってしまうが、他に適当なタイトルを思いつかなかった。
(長文なのでお暇でない方は後日にでも)

先日、某広域任侠団体のトップが大手新聞社のインタビューを受けた。
匿名性の高いネットの世界とはいえ無神経に取り上げる話題でもないので極力一般論化してみる。

インタビューの抜粋
   ↓
団体トップの発言‥組を解散すればうんと治安が悪くなるだろう。
何故かというと、3〜4万人と言われている組員、さらに50〜60万人にもなるその家族や親族がどうなるかは目に見えている。
若い者は路頭に迷い、結局は他の組に身を寄せるかギャングになるしかない。
塵や埃は風が吹けば隅に集まるのと一緒で、どんな世界にも落ちこぼれ、つまり世間になじめない人間がいる。
我々の組織はそういう人の拠り所になっている。
しかしうちの枠を外れると規律が無く、やったことに対する処置もされないから直ぐに金になる強盗や窃盗に走ってしまう。
任侠の世界であれ贅沢を求め自分勝手な行動に走る者は脱落する。


私は決して彼らの団体を擁護する気は無いが、ちゃらちゃら生きている一般の男達よりは一種筋が通っている。
見るからにそういう人達とわかれば一般人も対処可能だが、街中に紛れてしまうことで治安が悪くなるのでは?との理屈がおかしいとは言い切れない。

小林よしのり氏が 『戦争論』 で、公のために死ぬ覚悟を持つことは崇高な精神であり、第二次世界大戦で散った兵士を無駄死にと評価するのはおかしいと語っている。

私の個人的な見解は、男として生まれた以上いざ戦争となれば最前線で戦うのは当然かもしれないが、前提条件はつけたい。

愛する者のため、愛する家族のため、愛する郷土のため、愛する国のために死ぬ覚悟を持って日常を生きることが男のあるべき姿であるなら、
日常の中では、粗末に扱うのではなく戦士として接して威厳を保てる環境を作るべきなのではないだろうか。
日頃は軽い扱いを受け、貴方の代わりはいくらでもいるなどといった空気の下で生活を強いられるなら誰かのため何かのために死のうという気も起きないだろう。

戦後、欧米型の民主主義や資本主義が強化した状態で輸入され 『金』 万能の世の中が形成されたように見えるが、
果たして金さえあれば幸せと言えるのだろうか? 金のことなど考えないで日々過ごすほうが余程楽しく過ごせる気もするがただの観念論と一蹴されそうではある。

日本の政界を揺るがすのもいつも 『金』 マスコミ主導のコマーシャリズムによる消費誘導も 『金』 大人の男女の関係も 『金』 国家や地方自治の懸案事項も結局は金絡み。

金儲けは苦手だがとんでもない位ゲームが上手な達人と、特にとり得は無いがとにかくお金を稼ぐ能力だけはある奴のどちらが評価されるだろうか。
勿論、どんな層のどんな人が評価するかで変わってくるが本人目線でいくと 「満足感」 がポイントになりそうだ。
本人の自己満足感と他者の評価の接点は存在するだろうが、金を稼ぐのが苦手なゲームの達人と結婚しようと思う女性は少ないだろう。

戦後、平和状態が続く日本という国の男達は現在、そして未来をどうして生きれば良いのだろう?

よく言われることとして、「ひとりの人間は、生きているのではなく生かされているのだ」 がある。
本当にそうだろうか?
私は、生かされているというより、 「生きさせられている」 との表現がより正しいように思える。
つまり、自殺願望が無い人間でも空虚感はあるし目的を持たない者や意思と言えるものが無いように見える者もいる。
と言うより、意思なんてものは 『幻想』 でありそんなものは存在していないのでは?と感じる時も多い。

考えてみれば、ひと月の生活の予算を組んだり一年後の貯蓄額に想いを馳せることにどんな意味があるのだろう。
朝起きてから寝るまでの間、金のことが頭の中の8割も占めることが自然に生きる生き物と言えるのか?

国自体が世界のATMと揶揄されたり、家庭では夫が、妻や子供にとってATM化している現状に問題は無いのか?

職業に貴賎は無しと昔から教育者は語るが、現実は違う。 金以外に男のプライドを保てる要素が存在するのだろうか。

K−1ファイターやF−1レーサーでさえ現役を引退すればただの元選手であり元レーサー。
あの清原選手でさえ今や元野球選手のかなり厳つい男でしかない(お金を持っているとしても)。

競輪選手やボートレーサーやオートレーサーの中には60代の選手もいる。
彼らは職業にプライドを持っているだろうし全盛時の数分の一の収入となっても遣り甲斐を持ち走り続けている。
彼らのことをただ単に金のためにしがみついているのだろうと指摘するのは簡単。しかし彼らの中には誰にも譲れない矜持(自分の能力を誇る気持ち・自負)がある者もいるはず。


話を戻して、世間になじめない人間を社会人としての不適合者と結論付けてよいのだろうか。
原発事故の際、SPEEDI(スピーディ)による放射能拡散情報を公表しなかった政府の要人が社会人の模範と言えるのだろうか。

微力ながらこんな私でも事故当時神奈川在住(現在も)の元妻に、爆発事象の度に最低丸一日は外出を避けて窓や戸は閉めた方が良いとメールを送ったのに…

私は自慢ではないが、10代からある意味アウトロー路線であり、先のトップの言いたいこともある程度理解は出来る。
今の日本社会では、一度レールから外れるとその後の道はかなり険しくなる。
私の人生もある意味学歴社会との闘争の歴史だったように思う。
とにかく10代の頃から理屈ばかり言う奴や権威や権力を背景に圧力をかける奴とは徹底的に戦って来た。

ワインを容器に移し変えて提供する場合、デキャンタ(デカンタ)とかカラフェとかと表現してそれでワインを提供するのだが、
昔、学歴を鼻にかけている奴が、「デキャンタ?」 ハハハ… ワインを移し変えた器はカラフェだよ。 と私を完全に見下して言い放った。
当時は向こうが正しいと思い込んでいたが、ボトルからカラフェに移し変えることをデキャンタシオンと言い、デキャンタシオン専用のカラフェのことをデキャンタと言うのがどうやら本当らしい。
カラフェとは、水差しのことで英語ならピッチャー。
つまりワインだけのためにある容器はデキャンタでもおかしくないはずなのだが、当時は反論出来ずに悔しい思いをした。

私は10代の頃から横道にそれたため珠算や簿記や運転免許、その他の学問・資格・習い事に関しては20歳頃から集中的に行なった。
それでも知識として不足するものが圧倒的に多く、そこは経験やハッタリや根性でしのいで来た。
20代で独立したのもそんな葛藤の中で、ひとり親方の道を目指したのが真相。
結果的にはその後しばらくしてサラリーを貰う仕事もするのだが、その頃は私に高圧的に接する者もいなくなっていた。

何だか愚痴っぽくなって嫌だが、世間に認知された状態のアウトローでなくとも私のように中間に位置する者もいるのだと言いたいだけだ。
結果的には厚生年金を掛けた期間もかなりとなり、私の敵だったはずのエリートが管理する国家組織から恩恵を受けることになるが、それ位はエエやろ。


私だけかもしれないが、私は飲み屋に行ってもブログ仲間と会ってもプライバシーについてほぼ明かさない。
悲しいかなそうして長年世の中を渡ってきたので今でも習性になってしまっている。
この場を借りてブログ仲間にもお詫びしたいしプライバシーを詮索しないことに慣れてくれた飲み屋のオネエさんにも感謝したい。

裏返しなのか私からも人に対しては年齢や職業や住所や学歴や家族構成など一切と言ってよい位聞かない。
まー生まれ変わったら正直に話しするようになっているかもです。 でも何も言ってないのだからうそもついていないことになるのでは? というのは甘えですよね。


余談だが、憎っくきカラフェ野郎は鈴鹿8耐のレーサーでもあり4輪の世界でもA級レーサーだ。
気に入った女を巡ることやそうしたお互いのポテンシャルの張り合い(一応私も中学3年間体育は5段階の5で10段階の10…ってしょぼ過ぎる)もカラフェ抗争(そんな大層な)の一因かも。


先日から心に期することがあると言い続けていて勿体ぶっているが、年末までにある一定金額を新たに蓄えて(軽自動車分位かな)誰かのために使うこともひとつの目標ではある。
(今まで述べてきたこととある意味矛盾はするが)
国のために命までかけるとまでは言えないが、男らしいことを死ぬまでに一回や二回は言葉でなく行動で表そうと考えている。

最近ではかなりの長文になりました。お付き合いいただいた方お疲れです。










posted by tetsukazu at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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