2011年09月13日

本気?遊び?

私のことは本気だったの? それとも遊びだったの?

なんてことを本気で聞いているのかどうかは別として、ありがちな質問ではある。

人間が行なう世の中の行為の全てが本気か遊びにしか分けられないのなら何事にも答えの用意がいる。

通常、仕事などのお金を稼ぐ行為は本気だろうしスポーツに必死で取り組む者などもガチだろう。

しかし飲む打つ買うなどの行為は基本的に遊びだろうし、個人が休日に行なう趣味なんかも遊びと言えるかもしれない。

アメリカ合衆国の3歳の子供はレストランで走り回るらしいが、フランスの3歳の子供はじっと我慢して座るらしい。

そんな違いはあれどアメリカの親もフランスの親も本気で育てているに違いない。

アメリカでは個人の個性を重視して親は子供の自由・自主性に委ねる傾向にある。邪魔はしないで伸び伸び育て、明るい人間に成長させる技は世界一かも。

一方、フランスの場合は3歳にもなると大人に対して ムッシュなどと声をかけながら握手することが当然とする位躾が厳しい。 大学で遊ぶ暇など一切ない位に教育は本気。

では、日本ではどうだろうか?

ひと昔前なら勤勉さや親切心・親孝行などで国民性を表すのが日本だったかもしれないがどうもレストランの中を走る方向に進んでいる気もする。

だからと言って社交性に長けた明るい人材が次々と出て来ている訳でもなく(私が個人的に見て)どこか中途半端ではある。

アメリカの家庭は、子供が成人すれば一緒に食事をすることも少なくなるがフランスでは子供が結婚した後も毎日連絡を取り合い定期的に食事を共にするらしい。

ここも日本ではどっちつかずのような気がする。

アメリカのように本気で =個= を育むのか、 フランスのように本気でエリート育成などの型にはめこむのか。 そのどちらでもないのでは?

日本の親達は子供に対して何を 『本気』 で教えようとしてきたのか。

もし現親世代が本気で子育てに取り組んでいないとすれば現世代の親達もまた、本気で取り組んでいなかったことになってしまう。

なでしこジャパンのメンバーの受け答えを見る限り、男子の代表達より大人に感じる。

どうしてそう感じるのだろう? 彼女達に質問する者達の知性の無さが彼女らを通じて露呈しているようでもある。


話を戻そう。

私のことは本気なの? と聞かれたなら即答出来るのが一人前の大人の男である。

勿論、答えは本気または遊びのどちらでも良い(本気に越したことはないが…)

自分でしたことが本気だったか遊びだったかの確認は直ぐに出来る。

本気で取り組んだことは長い期間を通じて確実に成果が出るが、遊びだったものは一過性の楽しさで終わる。楽しさならまだ良いが苦しさを伴う場合も多い。


加護亜依さんのことはあまり語りたくないが、母親が子供に対して依存していた場合での息子の結婚後の母親の寂しさに通じるものを彼女の感性の中に見てしまう。

先日自殺した上原美優さんにしても母親が亡くなった後のショックは大きいものだったろう。

肉親も含め他者にある種の精神的依存状態になってしまうとそれを失った時の反動が大きい。

先に例に出したアメリカでの子育ては、他者依存ではない親離れも含めた自立心形成が大きな目的だろう。

フランスの方の子育ては、定常的・定型的なコミュニティー空間での所作やスキルの獲得をまず第一に考えてのことだろう。

一人前の大人の定義(削除前の数年前の私のブログ記事にも書いたが)をしっかりと意識した者による教育を受けなかった者は自分自身で培うしか手段はない。

なでしこ戦士に本気でインタビューする気のあるプロインタビュアーなら本気で取り組んだ上で事前に知識を積み上げておくだろう。

日本の国もそろそろ、本気で取り組むべきことは本気で取り組む精神性の高さと強さとそして知性を持った大人が格好いい奴として評価されても良い気がする。


長い期間をかけてしまったが、結果が大事とのブログタイトルが日の目を見るのだろうか。

あの無敗の雀士である桜井章一でさえ過程が大事だと語っている。

本気度が結果とリンクするならば、本気で好きだよ黒ハートと囁けば結果はついて来るだろう(あくまでガチで本気ですよ)

=本気=












posted by tetsukazu at 00:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本人に関する '有ること' と '無いこと'。

感性があって、理性がない。
感想を述べるが、理想を語らない。

現実の内容はあるが、考え (非現実) の内容はない。
事実は受け入れるが、真理は受け入れない。

実学 (技術) は盛んであるが、哲学は難しい。
実社会の修復はあるが、理想社会の建設はない。

現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
模倣力はあるが、創造力がない。

「今ある姿」を語るが、「あるべき姿」は語らない。
私語・小言は好むが、公言・宣言は好まない。
歌詠みは多いが、哲学者は少ない。

丸暗記・受け売りの勉強はあるが、考える力・生きる力がない。
学歴はあるが、教養はない。
序列判断はあるが、理性判断はできない。

学歴は序列判断の為にあるが、教養は理性判断の為にある。
学歴社会というのは、序列社会の言い換えにすぎない。
序列順位の低いことが恥と考えられている。サムライ社会のようなものか。
理性がなくても「恥を知れ」(Shame on you!) と叱責を受けることのない恥の文化が存在する。

民の声を代弁する議員は多いが、政治哲学はない。
総論 (目的) には賛成するが、各論 (その手段) には反対する。

理想 (非現実) は、現実に合わないと言って受け付けない。
現実の内容を根拠にして、理想を捨てる。
意見は個人個人で異なる。だが、小異を挙げて、大同を捨てる。

恣意 (私意・我儘・身勝手) が有って、意思がない。
恣意の力 (大和魂) に期待をかけるが、意思の力は認めない。
意思決定は困難を極め、多大な時間を浪費する。

「個人の意見は通らない」と言うが、個人を選出する意味が理解できていない。
意思があれば、手段がある。意思がなければ、手段はない。

この国には、何でもあるが、ただ一つ夢 (希望) がない。
この国には、現実はあるが、非現実がない。
日本語には現実構文の内容だけがある。日本語脳は、片輪走行である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

Posted by noga at 2011年09月13日 12:59
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