2011年09月11日

施錠論。

国防や一般家庭の防犯を語る場合、全員が鍵をかけないのが平和状態なのか、それとも全員が鍵をかけるのが平和を保つ要因になるかが議論となる。

私は、当然の結論として全部の国・全部の家庭が鍵をかけるべきだと考える。
その前提の下に次なる議論の積み上げをして行けばよいだろう。
現在の世界のように一部の国だけに核兵器の保有が認められてその他の国には認めないといった枠組みは世界を平和に向かわせることが出来るのだろうか。

イランの指導者はアメリカ合衆国に対して、自国は核兵器を持ちながら他国の保有に文句をつける姿勢に反旗を翻し続けている。
現在の世界の軍事的パワーバランスに理屈をつけるとすれば、領土が広い国が覇権を握るということでしかない。
領土が広いと人口も多いし資源も豊富だしいざ戦火にまみれた時でも国土全滅は避けられる。
イギリスなどは植民地をどんどん手放したため今やアメリカと手を組むしかないのだが…
その点フランスは市民革命を起こした国だけに市民=(戦士)との概念が根強くあり本質的な民主主義の理念が残っているので世界では尊敬される地位を保つ。

日本はと言えば、今だに封建時代の名残りが残っており官僚達は民主主義を一種の道具として悪用している。
つまり、自民党に投票しようが民主党に投票しようが結果はさほど変わらない仕組みを作っている。
一部の党がアジェンダとして大きく掲げている公務員制度改革だが21世紀中に改革が大きく進むような気はしない。
ある意味官僚の個人防衛力は世界レベル。
選挙に行かない人を批判する場合も多いが、賢明な大人ほど投票行動に虚しさを感じ続けているのでは…


施錠論は、一般人が生活を続ける上でのひとつの指針にもなる。
何故ならば、他者の行なう基本行為は自分自身も行なっておかないと不利になることが多いからだ。
大半の人間が仕事をしているのならするべきだし、大半の人間が一定の貯蓄をしているのならやはり自分もするべきだ。

桃栗3年柿8年と言うけれど、真面目3年夢8年との言葉があってもよい位。

原発の放射能拡散情報をドイツのテレビ局が流してネットの世界では話題となっているが、これからも政府・マスコミ一体となり重要な情報が隠蔽されるのだろう。
これからの時代は今までに増して国民は高度なリテラシー(情報などの評価・識別能力)を持って生きて行くしかない。

考え事をしながら歩いていて何かにぶち当たった記憶がある者も多いだろう。
公道を歩く行為は実は慎重さや知性などがが要求されることでもある。
人生を歩いて行く過程ではなおさら気を抜くことが許されない。
頭を打ち付けて痛むのは自分の頭だ。 

国が防衛力を持つことが極当然のことならば個人が生活や身体の防衛手段を持つことも当然である。


話は脱線するが、提灯みたいな少し長めのホットパンツって何て呼ぶんやろ?
その格好にハイソックスなんかを身に着けていられた日には、電信柱にぶち当たる率激高やで目




posted by tetsukazu at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 私的本質論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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