2011年09月08日

父子、人生を語る。

日付は変わったが、水曜日は息子2人が元妻と久々に会った日だった。
関東方面に行った元妻なので関西に出て来るのも1年に1〜2回しかなく今回は子供2人共の都合がついたので久々の母子対面となった。
私との対面はスルーとなったが(いつものこと)次男からの話を聞く限り特に大きな変わりはなかったとのこと。
彼女にとって子供と会う喜びが100とすれば私との再会は0.1位のレベルなので接触がなくても問題はない。

まぁそんなこんなで次男がその後に我が家に泊まりに来ることになった。
どうやら木曜日に大阪で用事があるらしくホテル代わりに我が家を利用した模様。
それでも私も次男とは久々の対面なので歓迎して晩御飯を作った(豚ロースの香味焼きチーズ風味)。
食べてる最中に私が焼酎を飲みだすと次男が 「俺も飲もうかな」 と言い、カフェオレ割りで飲み出した。

次男と飲むのは人生で2回目だが2人で飲むのは初(あれ?次男は20歳なってたっけ、まぁ今年中になるしOKか)。

飲み出したのが午後7時半位で終わったのが午前0時半。
ここ5年間の合計会話時間を上回る位の長い時間を過ごした(桃鉄除く)。
次男は芸術系の大学に通っていて現在2回生なのだが彼が我が家に入る寸前にご近所の知人とばったり出くわした。
知人曰く、 「7〜8年振り位かなぁ〜息子さんと会うのは」
「それにしても真面目に生きているような顔をしてるよねぇ〜、顔見ればわかるわ」

親ばかかもしれないが、何故かほっとした気持ちになった。
自分で言うのも何だが次男は今、奨学金を受けバイトをしながら完全自活状態で通っているので私でなくても努力を認めるだろう。。
家賃の方は1回生の頃は私が支払っていたが現在はそれも自分で支払ってくれている。
奨学金も学内で僅かしかいない無償の対象になるほど頑張ってくれているので、隔世遺伝か?と疑うほど。

話をする中で現時点での次男の人生観も聞いたが、以前と変わらずお金が全てとは考えていないようだ。
学内には金持ちの子息も多くいるが、彼ら彼女らが無条件に幸せな人生を送るとは思っていないようだし、そもそも他者の人生に過敏に干渉する気はないとのこと。

そのあたりは私の人生観を受け継いだようで、長男共々良い意味で他者の見解を絶対視しないメンタリティーを持つ。
悪く言えば物事を客観視するあまり可愛げがないのだが、余程のことがない限り一喜一憂して他者に振り回されることはないだろう。

次男が取り組む絵画などについて何をやりがいとしてやっているのかとの質問に対しての答えは、
「人それぞれだけど俺は完成した作品が他者から高い評価を受けた時に達成感や自己実現の感覚を覚えるなぁ」
「親父は自己実現の感覚を持つ瞬間がある?」 と聞かれしばし絶句。
「事業を始めた時以来そこまでの感覚はないし、極個人的なことで他者から絶賛されることもないなぁ」 と答えるのが精一杯だった。

私は次男に対して、 「決して裕福な家に生まれ育ったわけでもないお前に結婚しろよとは言わない。
もしずっと独り者で過ごすならば、裕福な家庭の奴が結婚して家庭を持つのと同程度のゆとりある生活が出来るだろう。ただし独り者でいたとしても欲望の向くまま生きてしまえば家庭は持てないわ独り者なのに余裕はないわの人生になりかねないで」 とひとまず言葉を投げた。

それに対しては、 「具体的な目標を常に持ちそれを実現させることに力を注ぐつもり」 との返答。

私が、 「じゃあ夢リストを作ってノートにでも記しておけばどう?」 と提案すると、
「確かに、美術館などに行き刺激を受けた後に感想を書きとめたりしない場合はその時の感動などが2〜3日で消える時があるなぁ」 と。
「親父は何かから刺激を受けた時にどうしてるんや?」 と問われたので、
「ブログなんかに書き記してるかな」 と答えた。
とは言え、やはり私も2〜3日でその時の感動や戒めが消えている気もする。

私は話を続けて、 「お前もこれから様々な判断や決断を繰り返すだろう。しかし下した結論については自分で責任を負い他者の責任にはするなよ」 と語りかけた。


ドラマなどを通じて妄想はしていたが、実際にさしで飲むと感慨深いものがある。
父と子は一生通じてそうそう語り合う関係にはなり難い。 それはお互い男同士で対等な関係に発展するからだろう。
私は今回の機会位しか言うタイミングがないと思い私の10代から20代にかけての心の動きと実際の行動を話した(後にも先にも今回が最後かも)。
タンカを切って仕事でケツを割ったこともあるが、そんな時こそステップアップする気持ちを忘れないで実際そうしてきたことも話した。
人間らしく生きることと目標を達成させることを両立させることの困難さも説いた。
何かを犠牲にしてでも進みたい道があることは素晴らしいことでもあるので自分の能力と照らし併せて判断するべきだと。


私は、 「子供のためなら死ねる」 とは今後も言えないし言わないだろう。
ただ、 自分の生き様を間違ったとはこれからも言いたくないし子供達にもお前達の生き方が間違っているとは言わないだろう。

人間はそんなに立派なものではないし自由以上の価値観を持てるのかは疑問だ。
今回、次男からは、 「親父、自由なんて一瞬でもええなら簡単に獲得出来るもんやで。それよりも実力や能力を反映させた末に何らかな足跡を残すことで自由を超える価値を得ることも可能ではないかな」 とも言われた。


いつの間にか単純に人から褒められることへの嬉しさを忘れていたのかなと強く感じたひと時だった。

親子酒













posted by tetsukazu at 02:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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