2011年08月11日

恒産なくして恒心なし。

孟子が 「恒産なくして恒心なし」 と説いたのは今から2000年以上前のことだが、
現在に至るまでその理念は生きている。
『恒心』とは正しい心構えや考え方で、『恒産』とは安定した職業または一定の収入のことを指す。

孟子は『性善説』を唱えたことで有名。一方、荀子(じゅんし)は『性悪説』を唱えた。
両者の主張は一見真逆だが、努力して学問することを通じて人間が良き徳を身に付けるとの視点においては同じである。
孟子が[人間の主体的な努力によって社会全体まで統治できるという楽観的な人間中心主義に終始した]のに対し
荀子は[君主がまず社会を制定して型を作らなければ人間はよくならないという社会システム重視の考えに立った]

孟子の考えは後世に『主観中心主義』の道を開き、荀子の考えは法家思想に繋がって行く。



豪農の家に生まれ、倒幕攘夷運動に奔走した渋沢栄一は皮肉にも徳川家に仕えることになったが、
パリ万博に行ったことをきっかけに西欧文明に触れる機会を得て、帰国後には大蔵官僚を経て
第一銀行・王子製紙・キリンビールなどの民間企業の設立や早稲田大学・慈恵会医科大学・日本赤十字社などの設立にも参画。日本近代化の父と呼ばれた。

大正5年(1916年)には『論語と算盤』を著し 「道徳経済同一説」 との理念を打ち出した。
また、数々の訓言も残し 「葉のためには枝を、枝のためには根を養え」 など慧眼を持って人々に影響を与えた。

私は日頃から大きな疑問があり未だにその答えが出ない。
それは、「人間は何故大事なものや大事なことを粗末にするのか?」 との疑問。

大事なものや大事なことを粗末にしないための秘訣がもし 『持続力』 であるなら
結婚生活を20年続け(終了したが)ブログを6年以上続けている(全記事削除前含む)私がお金を粗末にすることと矛盾する(自分基準)。

躁鬱病患者の先生が患者に説明する時、患者の3人に1人は自殺する可能性が極めて高いと言うそうだ。
それを聞く患者は何とか残りの2人に入ろうと努力するらしいが、その努力に取り組む前段として次のことを伝えるとのこと。

「とにかく前を見て生きなさい。目の前に広がる世界は決して輝かしくはないかもしれないけど目を背けないで欲しい」

大事なものや大事なことを目の前にして、人は本当に直視しているのだろうか?
少なくとも過去の私は余所見をしていたように思う。
例えば現在地点が給金をもらえる関所だとして、次に給金をもらえる前方1k先の関所までに寄り道ばかりしていないだろうか。

前述の渋沢栄一の言葉を借りれば、『お金』 が 『葉』 にあたるならば 『枝』 や 『根』 は何なのだろう?


葉の先には花もあるだろうが、それらに比べれば枝や根は地味で目立たない存在だ。
つまり、目立たない地味な部分にこそ大切な要素が隠されていそうではある。
ありきたりの言葉で表せば物事に対する『姿勢』 『態度』 それらを包括する 『心構え』 となるのだろうか。

渋沢栄一はそれら基本精神を「私利私欲ではない公共心」とした。
また、思いやりの精神が重要であるとも言った。
喜びや楽しさも人と分かち合えば2倍にも3倍にもなると…

『学ぶこと』 『喜びを分かち合うこと』 持続させることはまだまだ多くありそうだ。

うめぼー







posted by tetsukazu at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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