「人は皆、背中に砂時計を背負っている。いつどのタイミングで砂が落ち切るかはわからない」
と語ったのだが、奥が深い言葉だ。
まずイメージ出来るのは「寿命」になるが、他のことにも当てはまるように思える。
かつて、隆盛を誇ったダイエーグループの総師である中内功氏は最後の最後に落日の日々を迎えた。
成功という砂が落ち切っているのにまだまだ上に残っていると勘違いしたのだろう。
しかしそれも無理はない。もし背中の砂時計が彼のような成功者でも見えないのなら万人が同じ条件。
余談になるが私が若い頃に勤めていた企業がダイエー系列で、私は中内氏の数メートル前で社訓を読み上げた経験がある。
中内イズムとは、24時間仕事のことを考えろとの意識付け。船上から始まる海外での管理職研修は有名。
従業員に対しては、タイムカードを押す5分前から掃除を行なわせタイムカードを押した後の5分間で再度掃除を行なわせるといった労基法スレスレの手法。
そこまで合理化を徹底してスパルタに近い社員教育も行なったのにあるタイミングで儲け止めをしなかったことが裏目に出たのだ。
彼でさえそうなのだから、凡人が欲にかられて調子に乗り経済的破綻や人間関係の破綻や健康面での手遅れに見舞われることは普通だろう。
私がいつも語る通り、時間は常に不可逆性の性質があり時間は戻ってこないしひとつの失敗についてやりなおしも出来ないのだ。
先日来、話に出している友人が最後に言った台詞は 「そろそろ身辺整理に入ってるんや」
どうやら奥さんに不思議な目で見られながらも物を処分したり各種の学会の会員を下りたり儀礼の先も縮小しているようだ。
私も一昨年の出来事があり、ふたり(途中から4人)で山を登って来たのが頂上の手前で 「私は別の山に登る」 と言ってどこかの山を目指して私の視界から消えた。
途中参加のふたりも自分の足でどこの山でも登れるようになりやはり私の組むパーティーから離脱した。
さて、突然8合目あたりで取り残された私はこの先どう歩むべきなのか。
松本氏が語るように背中の砂時計が見えない以上、新しい山にチャレンジするだけの時間が残されているのかどうかはイメージするしかない。
最新の報道では、東海テレビの朝の番組「ぴーかんテレビ」でとんでもないことが起きたようだ。
同番組内で視聴者プレゼントとして用意された岩手県産ひとめぼれ10kgの当選者として
「怪しいお米セシウムさん」 「汚染されたお米セシウムさん」 との名前が流されたとのこと。
どうやら仮の当選者として本番前に作ったものだそうだが、全く笑えないセンス。
確実にそのような思考で日々生きている人間がいるとのひとつの証しだしそれを承知でこれからも社会の中で生きるしかない。
つい最近、元プロ野球選手の伊良部氏が自殺したとの報道があった(自殺直前に離婚)。
少し前なら当時民主党の永田議員も自殺直前に離婚をしている。
やはり男の方が生き物としては脆弱で寂しがりやで単純バカなのだろう。
彼らはそのまま山を登るでもなく、新しい山にひとりで登るのでもなく、やけくそでローリングストーンとなり下山途中のどこかでぶち当たり命が尽きたのだろう。
さて、私も恐らく転がる石となり猛スピードで下山している状態。
このままだと間違いなく大怪我の末哀れな状態となるだろう。
何とか途中で何かにつかまりまず立ち止まり次の進路を決めなくては。
確かに背中の砂時計は見えない。だからやけになるのでなくだからこそ諦めないでやれることを確実にやって行くことが重要なのだろう。
ローリングしたお陰と言うか怪我の功名と言うか、上手く行けば人間が丸くなっているかもしれない。
新たな形で新たな山に登ればまた違った美しい景色が見えるかも。 下の写真のような存在に巡り会えたりして…

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