2011年08月02日

=苦行=

相変わらず多くの方にご訪問いただき感謝いたします。
この前に引き続き友人との対話第2弾として少し語りたいと思います。

私が友人に対して、やっぱり人生は楽しまなくちゃね!と語ったら
即座に「人生は苦行やで」と返ってきた。

弁証法的に表現すると、事物は量的変化がある段階まで蓄積されると質的変化に転化する。
友人にしてみれば20代〜30代には思いもよらなかったことだが
一喜一憂しながら過ごしてきた結果、人生はそんな面白おかしいものではないとの結論に達したよう。

世界基準で見るまでもなく国内基準で見ても、3食を満たすことそのものが最高に幸せな状態で感謝するべきだと。
因みにこの平成の御世の中で、年金暮らしをする高齢者の中には日々2食が精一杯という人もいるはずだと。
過去に思いを至らせても、高齢者は姥捨て山に連れて行かれた時代もあった位で僅かな年金を貰えるだけでも進歩したと。

友人に言わせると、結婚などは苦行の最たるものだそうだ。

では、何故人生を苦行と表現するに至ったのか問うと、
それは理不尽さの連続に耐え続け我慢する中で、最終的には自分自身が悪いのだと結論付けなければ前へ進めないことだと。

自分は何も悪い事をしていないのにどうしてこんなに苦難の連続なのだとなってもそれを他者のせいにして切り抜けられる程甘くない。
社会は他者や他物との関わりの中で成立しているのだから、それらに対する自分自身の認識の甘さが悪状況に繋がるとも言える。

とにかく謙虚になることが重要だと。
会計事務所で働く人などは非常に優秀な人も多いがそんな人間でも手取り月収が17〜18万円であることもざら。
生きて行く上では自分以外の全員が自分より優秀であると思う位の心構えが必要と。

とにかく定期的な給与収入があるならそれは煌く宝石のようなもの。
江戸時代あたりの庶民からみれば、現代日本人のサラリーマンは神のような存在に映るかもしれない。

友人はこうも言った。
マラソンでゴールした選手が「沿道の声援があったから完走出来ました」とコメントするが、
あれは観衆に対する礼儀のようなもので実際には完走との因果関係はないはず。
なでしこジャパンの頑張りに触発されて私も頑張ると言う奴がいるが、人の頑張りで自分も頑張るなんてことない。

私にすれば夢のない話に聞こえたが、超現実主義である友人にしてみれば個人がそんなことをきっかけに飛躍や進歩は遂げないとなる。

そうとは言え、こうして私のために真剣に応対してくれる友人にはいつも力を貰える。
私もその何分の一かでもお返しが出来ればと思う。

友人は繰り返し語る。「給与所得に優る金儲けはない」 そうして得た虎の子のお金は粗末に扱うべきでなく投機などに手を出すべきでない。


確かに沿道の観衆と選手の直接的関係性は薄い。だが身近な人間による適切な言葉はやはり心に響く。
実際は苦行ではないかもしれない。しかし気を抜き楽観視していれば欲を発端とした魔の手が自分自身に伸びてくるだろう。










posted by tetsukazu at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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